シジフォスの神話
家事はシジフォスの神話に似ていると誰かの言葉がありました。深い意味はありません。
惠美子はうたた寝から目を覚ますと、炬燵を甲羅にした一匹の亀に変身していたことに気付いた。
おまけに、今日は大学が休講の二男も同様の変化を遂げていた。
寒くて怠惰な午後の出来事であった。晩飯を作るのが面倒になっていた。代わりに作ってくれと二男に言ってみたが、動く訳がない。
林檎を背中に投げつけるような若い娘がいないのは幸いだった。
腹が減ったと感じないが、食べておかないと変な時間帯に空腹を覚えて、またそれも面倒だ。
几帳面な姑が亀から人へと戻り、台所に向かった。一日冷たい雨で何もできずにいたから、晩飯くらい作ると言う。
亀の意識の不出来な嫁は、「有難うございます」と言うしかなかったが、このままではいけない。人間に戻らねば。
惠美子は気持ちを集中させ、人間に戻りエプロンを身に付けながら台所へ立った。
「お義母さん、お手伝いします」
並んで立ちながら、流れ作業のように姑が使った調理道具を洗ったり、ご飯を茶碗によそったりと準備を続けた。
そして夕食。二男は亀から少し人間に戻りつつあった。起き上がり、夕食を食べた。愛想のない奴なのだ。
先に食べ終わったわたしが、ガスレンジ周りの汚れを拭き取り、鍋を洗う。流しが空けばみなの食器が揃い始める。順々に洗い、片付ける。
食後のお茶もそこそこに、二男は自室に籠もる。姑とわたしはお茶を飲み、またそれを片付ける。
翌朝になれば、雨も止むだろう。またいつもと同じように掃除・洗濯・三度の食事の準備と後片付けが繰り返される。
大きな岩を山の頂に運び上げても、途端に坂を転がり落ちて、またはじめから岩を運び上げなければならないシジフォスのように日常は繰り返される。
わたしにとって健康で文化的な生活は、細切れ、片手間になりやすいが、水汲みや糸繰りが女の仕事だった時代でないことを感謝しなければならないだろう。




