『狂骨の夢』観劇記
京極夏彦の小説『狂骨の夢』、と妖KASHI座のお芝居の内容について書いております。ネタバレしないように気を付けて書きましたが、気になる方は読まないでください。
平成二十四年の五月の連休に家族で東京方面へ旅行に行きました。地方にいてはなかなかお芝居を観ることができないので、面白い催しがあれば観にいこうと、色々と事前に調べましたら、その時丁度豊島区の小劇場で京極夏彦の『狂骨の夢』を原作にしたお芝居があると出てきましたので、それを観にいくことにしました。妖KASHI座さんというお名前でした。
夕方からの公演のチケットが取れました。怖がりの長男は妖怪ものと聞いて行かない、一人で宿で待っているというので、わたしと良人と二男の三人で行くこととなりました。一人で待っているのも怖いと思うのですが、もう高校三年生だった訳で、放っておいた方がよい年頃でしたでしょう。
講談社ノベルズで『狂骨の夢』が出版された時に、水木しげるの推薦文がカバーに載せられていました。「妖怪小説」なる言葉はここで出てきたと記憶しております。
わたしは『狂骨の夢』を読んでいましたが、良人と二男は読んでいませんでした。ネタバレにつながるので内容については、妖怪をモチーフにしたミステリくらいしか話しておりませんでした。
さて、映像化不可能といわれた『姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』は映画化されましたが、『狂骨の夢』は、かなり(社会的に)デリケートな問題を含んでいますし、更に映像には不向きな記述になっています。「目で見たから真実とは限らない」、「すべてを目で見て認識できるとは限らない」があり、「自分が何者であるかの証拠だて、自分が見た他者は何者かの証明は如何なるものによってなされるか」、京極作品で繰り返されるテーゼです。テレビドラマや映画とは違った舞台演劇ではどういった演出がなされるのか楽しみにしていました。
お芝居が始まりました。
「海がきらいだ」と出てきた女優さんは脚本と演出を担当している方でした。白石加代子を一瞬思わせるような怖さ・迫力をお持ちでした。木場修・榎木津・伊佐間屋は女性が演じていて、そのせいか中禅寺敦子はボーイッシュではなく女性らしい姿でした。
物語最大の謎の女性を演じるのは、複数の女優さんたちでした。古代ギリシアの演劇のコロスの応用といいましょうか、台詞を少しずつずらしながら、何人かで喋り、動いていきます。
確かにこれならどんな女性と観客は特定できない、こんな女性だったと知らない相手に説明しても曖昧模糊している状態に似ているかも知れません。
記憶を視る力を持つ榎木津が、伊佐間屋と降旗、それぞれの後ろに立つ女性を見比べて、「それが朱美」と言うのも面白かったです。
中禅寺秋彦を演じる俳優さんはやや小柄ながら、着流し姿と長台詞が決まっておいででした。ダレそうな場面でちゃんと銃声を響かせ、エノさんが素っ頓狂な行動をしてくれて、メリハリついています。
やっぱり舞台演劇は表現方法が違うなぁと感動しましたし、満足しました。予備知識なしの良人も二男も楽しんでくれたようでした。
一人お宿で待っていた長男に、ちっとも怖くなかった、面白かった、とからかい気味に感想を述べる意地悪三人組なのでした。




