争いを止めさせた女たち
山形の最上義光の記事を検索していたら、この秋山形市で「義姫の会」が結成されたと載っていました。伊達政宗の母である義姫について、悪女ではない、という視点で見直そうとの会のようです。
識者を招いての講演会が云々とありましたが、講演会の日は過ぎていました。残念でした。
義姫は、政宗より二男の小次郎を溺愛した、小田原への参陣に反対して政宗の毒殺を謀ろうとした、ばれて実家に逃げ帰ったと、悪い話ばかり有名になっていますが、ここらへんの逸話は、最近疑問ありとなっています。伊達政宗の弟が出家していた記録が発見されたと、NHKの番組で紹介されていました。織田信長の正室が慶長年間まで生きていたと京都のお寺で記録が見つかったように、東京のお寺で伊達輝宗の末子が出家して寛永の頃まで生きていたと記録が見つかったそうです。この記録の真偽や人物の特定などは今後の研究が待たれます。
義姫のもう一つ有名な逸話は、戦場の真ん中に乗り込み、兄と息子の戦を止めさせたことです。
最上義光と伊達政宗が戦端を開こうとしているところへ輿で乗り付け、居座り続け、そして双方とも除けろと乱暴に扱える存在ではないので、ついに和睦を結ぶに至りました。
戦国時代の大名家の女性は黙っていたわけじゃないのよ、という証拠の女性です。
戦いを止めさせた女性といえば、ほかにローマ建国神話に出てくるサビニ族の女性たちがいます。
ローマ建国当時は若い羊飼いの男性の集まりだったらしく、女性の数が少なかったため、国民の結婚を考えなくてはなりませんでした。隣の国のサビニ族をお祭に招待し、油断したところでローマ王ロムルスの号令で、サビニ族の若い女性を掠奪しました。絵画の題材になっています。ヨーロッパ文化圏で、新婚の夫が花嫁を抱き上げて敷居をまたぐ習慣はこれに始まるといいます。日本で内親王の降嫁で、婿が内親王を牛車から抱えてお屋敷に迎えるのとは随分違います。
サビニ族は本拠地に戻り、娘や姉妹を奪還する準備をします。兵農分離をしていない時代の悲しさで、実際攻め込むまで時間がかかったようです。この時、サビニ族の女性たちは、戦の間に入って争いを止めました。これも絵画の題材で、もう子どもが生まれています。子どもたちまで連れ出して、夫と親兄弟で争うな、ローマが負けたら未亡人と孤児ができる、サビニが負ければ夫が親兄弟の仇になると説得したとか。
悪いのはローマ側なんですけどねぇ。
時間の経過が夫婦としての感情を作ってしまったようです。納得いかないのですが、ローマとサビニは一緒にやっていこうと手を結ぶようになります。
どこまでが史実でどこまでが伝説なのか、でもローマ史の本には書いてあるそうです。塩野七生の『ローマ人の物語』にも載っています。
完全にフィクションになりますが、ギリシア喜劇に『女の平和』があります。アテネとスパルタ間の戦争を止めさせようと、双方の女性陣が話し合って、それぞれ一つ所に立てこもります。
なんというか……、喜劇だし……、世界一性交渉の回数が多いと統計されたお国柄だからかも知れないですが……、男たち一週間も我慢できないのかよ! それも立てこもる女性を説得する方法がそっちの話に流れていくばっかりで情けないぞ!
世界で一番性交渉の回数が少ないと統計された国の人間として、いくら喜劇だからってアホかこいつら、と感じること大です。
漫画版の『リボンの騎士』では、サファイア姫の味方をした女官たちがお城の一角に立てこもり、男性陣が洗濯物を干したり子守をしたりしていました。生活面ではこっちの方が切実ですよね。
男性陣がすぐ折れて、交渉できるのであればセックスストライキも悪くないですが、ちょおっと、現実味がないですね。




