ブロンテ姉妹
『ブロンテ姉妹』という映画があって、わたしはビデオで観たんですが、ジャケットというか、パッケージに、「書かれなかった真実がここにある」とうたい文句がありました。
「ブロンテ姉妹」といえば、19世紀のイギリスを代表する文学者のご一家です。しかし、映画の制作はフランス、俳優もフランス人ばっかり、使用言語もフランス語でした。姉妹のうちの真ん中のエミリ・ジェーンはイザベル・アジャーニが演じています。
紫式部が主人公の小説も日本人が書いたのより、アメリカ人のライザ・ダルビーの書いた小説の方が面白かった(目の付け所が違うと感心した部分もあれば、『源氏物語』に寄り過ぎているという箇所もありましたけどね)から、偏見無しで観てみましょうと鑑賞しました。
ブロンテ一家の父親は牧師さんです。母は早くに亡くなりました。そして、長女と次女のマリアとエリザベスも幼いうちに亡くなっています。だから三女のシャーロットが長姉です。その下に唯一の男の子ブランウェルがいて、エミリ・ジェーン、アンと続きます。
牧師さんとはいえ、裕福ではないので、きょうだいたちは食べていくためには働かなくてはいけませんが、一応知識階級、中流の下の方に位置するので、女性の職は教師や有閑夫人のお話相手くらいな訳です(アメリカの話ですが、『若草物語』のメグが家庭教師、ジョーが親戚のおばさんのコンパニオンをして稼いでいるのも同じ事情です)。お針子や女工、給仕は世間体と自尊心が許しません。
シャーロットとエミリ・ジェーンは女子のための学校を将来開設できるようにとベルギーに留学します。シャーロットは夢見る夢子さんな性格があって、すぐに校長先生にポーッとなっちゃうんですが、そこは先生、その手の女学生には慣れているのか、シャーロットに気に入らないところがあるのか、実に素気ない。男前な性格のエミリ・ジェーンを、「君は男に生まれるべきだった」と褒めています。
留学を手助けしてくれた叔母さんが亡くなったために、二人はイギリスに戻らざるをえませんでした。
ブランウェルは絵の勉強をしたいのですがうまくいきません。アンと二人で家庭教師の仕事をしますが、そこで奥さんと不倫関係を結んだので、クビになってしまいます。
その後ブランウェルはちょうど発展期にあった鉄道関係の仕事に就きますが、それもうまくいかず、奥さんから別れを告げられたこともあって、生活が荒れます。
姉妹たちで、女学校を開こうとしても、家族に問題があっては預けてくれる親はいないだろうと、計画は頓挫。それなら自分達が趣味で書き綴ってきた小説や詩を出版しようと、シャーロットは提案してみますが、エミリ・ジェーンは却下。
酒場で飲んだくれている兄を見守るエミリ・ジェーン。ブランウェルは酔って眠っていて、火のついた蝋燭を倒して、あわやでしたが、すぐに気付いて、姉妹が消し止めました。
もう父は年だし、ブランウェルは頼りにならないと、姉妹は自分たちでできることをしなくちゃと諦めにも似た気持ちで決断したのでした。
当時のイギリスでは女性が働くことに強い偏見がありました。姉妹たちはペンネームを男性名にして小説や詩を出版しました。
ブランウェルはきょうだいの肖像画から自分の姿を消してしまいます。そして、自滅に近い死。
姉妹の本は評価を受け、本当は女性じゃないか、いやいや男性だ、と文壇で話題になります。
エミリ・ジェーンは結核にかかり、ふらふらの体になっても頑として医者に行こうとしません。シャーロットは荒野に出てヒースの花を摘み、エミリ・ジェーンに見せます。エミリ・ジェーンは涙を零し、「お医者に行ってもいいわ」と言い、息絶えます。
やがてアンも続いて息を引き取ります。
一人残されたシャーロットは父の知り合いの牧師と結婚し、出版界に顔を出すようになりますが、あまり仕合せそうではありません。
映画はここで終わります。
史実としては、シャーロットは結婚後しばらくして、妊娠しましたが、風邪もしくは結核に罹患し、お腹の子とともに亡くなります。父親のパトリック・ブロンテだけが牧師館に生き残ります。
清水義範のパスティーシュ小説『嵐が丘』でその様子が描かれていて、哀切きわまりない。荒野をさまよう魂はエミリ・ジェーンのそのものでもある。そして逆縁に取り残された老いた父。
ブロンテきょうだいは文学史に不滅の名前を刻みました。




