愛の喜びは一瞬だが、食べ物の恨みは一生続く
題名は有名なシャンソン『愛の喜び』の歌詞にイタズラしてみました。本当は「食べ物の恨み」ではなく、「愛の苦しみ」です。振られた男性の哀愁を歌う美しい曲です。
親しい仲の人たちの間でさえ、食べ物に対する執着は時に悲しみや恨みを生むことがあります。誰でも経験がおありかと思います。
わたしがまだ若くて勤めに出ていた頃、職場では、長い休暇を取得していた人や、連休明けなどに郷里への帰省や旅行に行っていた人がお土産にお菓子を持ってきて、皆に配ってくれました。通常は、休み時間や残業時間に美味しくご馳走になるのですが、一度に何個かいただいて、職場で食べるのには量が多すぎるわ、置いておくのも悪いし、とバッグに入れて持って帰ったことがありました。
その頃は長男を保育園に預けておりました。お迎えに行って帰宅、夕食の準備、夕食、後片付けと、パタパタと時間を過していました。片付けを終えたらお菓子を皆で分けて一服しようと思っておりましたのに、はっと気が付くと、長男が頭の黒いネズミになっていました。わたしのバッグを勝手に開けて、何個かあったお菓子を独り占め状態で食べていたのです。
バッグはちゃんと閉めており、中身は見えていません。今日は美味しそうなお菓子をもらったのと、帰途に話もしていませんでした。いつもはわたしのバッグを触りもしないのに、今日に限って一体何故こんなことをしたのでしょう。
良人はニオイでもしたんじゃないかと慰めにもならない慰めを言ってくれました。お土産用の個別包装のお菓子からニオイが漏れるとは考えられません。
なんだ、この子は特別の嗅覚があるのか……と、なるのでございました。
そして二男の育休中にも悲劇がございました。ぷくっとした顔立ちに、赤い服を着せて金太郎さんのような二男を連れて、用足しに出掛けました。用事を終えて、疲れたことだし、一休みしようと和風喫茶のお店に入りました。
二男はおとなしく座っております。わたしは玉露セットを注文しました。お水とセットに付いてくる和菓子は二男にやって、わたしは玉露を飲もうとしていました。
お菓子を食べた二男は、玉露が注がれた、小さくて綺麗な茶碗を凝視していました。ま、ちょっとくらいいいだろうと、茶碗を預けると、ぐびっと一息に飲み干してしまいました。玉露は熱くないとはいえ、とんでもない乳幼児です。この子までもが、母の食の楽しみを奪うとは……。よよよよよ。
愛と食べ物の恨みを抱えつつ、母は生きております。スネをかじられ続けても、わたしの足は一向に細くなりません。
ああ、かなしい。




