名探偵の生年
由利先生を書いたので、金田一耕助にまつわる思い出も書いてみます。
横溝正史の生み出した名探偵金田一耕助。横溝正史が自身のエッセイで、金田一耕助の年齢は自分より十歳くらい下で大正二年の生まれと語っていました。横溝正史は明治三十五年の生まれですので、そんな設定なのでしょう。
わたしの父方の祖父が明治四十五年生まれ、明治四十五年と大正元年は同年ですから、金田一耕助とうちのおじいちゃんは同年齢くらいかぁと思っていました。
金田一耕助最後の事件、『病院坂の首縊りの家』が昭和四十八年の設定でだいたいこの頃で金田一耕助が六十歳、再渡米して行方知れずとなりました。わたしは昭和四十五年に生まれていますので、まさに金田一耕助はわたしにとっておじいちゃん世代の人物でした。
昭和五十年代の横溝ブームで、映画が多く制作されていました。『獄門島』は祖父母が観にいったので、どんな映画だったと訊いたら祖父は途中で寝てしまって解らないと答えました。わざわざ観にいって、眠ってくるこたぁないじゃないかとがっかりです。
高校生くらいになると、自宅にあった金田一耕助ものの本を読みだしました。『獄門島』で金田一耕助が失恋していました。その後、別の短編で、かなり手痛い失恋をして、以後、金田一耕助が女性に特別に心を寄せるようなエピソードを読んでいません。
以前にも書きましたが、『悪魔が来りて笛を吹く』を読了後しばらくして、帝銀事件の犯人として収監されていた平沢貞通死亡のニュースを聞いて驚いたものです。この作品に出てくる天銀堂事件は、帝銀事件をモデルにしています。戦後の混乱期の犯罪として語られるこの奇妙な事件がいまだ謎として残っています。
また、わたしはピアノを習っていたことがあるのですが、そのピアノの先生はブラスの楽器の指導もしていました。先生のブラスの楽器の師匠が昔横溝正史の家の近所に下宿していて、毎夜フルートの練習をしていたそうです。
『悪魔が来りて笛を吹く』の着想はそこから生まれたのよ、と教えられ、なんだか我がことのように楽しくなったりしました。子どもだったんですね。
平成に入ってから、名探偵の孫という設定の漫画が人気となりました。
明智小五郎や神津恭介は、作中にほとんど出てこないですが、結婚している設定になっています。しかし、金田一耕助は作品中、失恋していますし、一人暮らしの様子が描写され、結婚や艶めいたお話がありません。
はて、いつの間に、金田一の名を継ぐ子どもを儲けたのでしょう。
金田一耕助は我が祖父と同年代と頭に入っています。だからって子や孫まで同年代な訳がないのですが、相当変だな、と感じました。
最後の事件の昭和四十八年、その後若い女性と結婚して子どもができた設定にしてるのかしら、とも考えました。女性ならともかく、男性なら不可能ではありませんからね。
でも、横溝正史の金田一耕助ファンとしては得心できず、「ジッチャン」といっている少年ものは漫画も映像作品も目にしていません。
映像作品の金田一耕助はすべてを観ている訳ではないので、なんとも言えないのですが、渥美清の金田一耕助が良かったなぁと思っています。石坂浩二は背が高過ぎ、ハンサムすぎます。渥美清の難点は、やっぱり車寅次郎にしか見えないことでしょうか。




