どうやって食べていたの?
平安時代の貴族女性はどうやってお食事をしていたのでしょうか?
そりゃあお箸を使って、という話ではありません。
以前、民放ドラマの『信長のシェフ』を観ていました。ドラマ『信長のシェフ』の第二段では、前の深夜枠の放送時で出てこなかった信長の正室が出てきています。斉藤由貴が演ずる濃姫は、料理を出されると、前傾姿勢で、左手を食べ物の下に添えるようにして食べていました。
時代劇で庶民や武将の食事シーンは珍しくないのですが、貴婦人の食事シーンは珍しいです。実に興味深いと思っていました。
自分の結婚式の時、打掛が重くて、袖が上がらず、盃を顔の高さに上げられず、顔を盃に近付けなければなりませんでした。
平安時代の貴族女性は、どうやって食事をしていたのか。日頃から重ね着に慣れていたので、袖の重さは物ともしなかったのか、それとも、袖が重いし、おべべが汚れるからと、袿を脱いで、下着姿に近い恰好で食事をしていたのか。
『枕草子』の百四段で、中宮定子のおじの高階明順の家で食事を出された時、女房たちが決まり悪がって食べようとしないのを、「取おろして。例のはひぶしにならはせたる御前たちなれば」と言われていました。脚注は、腹這って臥すことをいう、とありました。
この段の話で、岩佐美代子の古典のエッセイで、宮廷女官がご相伴にあずかる場合、食べ物を取り下ろし、床に肘をついて、もしくは膝の上に肘をついて覆いかぶさるようにして食事をしたのだ、と書かれていた記憶があります。
でも、これはお付きの者のご相伴の時の食事のポーズ。肝心の主人達はどうやって食事をしたのでしょう。おかずの取り分けや、袖がお膳にかからないように押さえるのはお側仕えの者が手伝ったのでしょうが、やはり袖の重さは気にならない程度の腕力・握力はあったのでしょうかねぇ。お雛様のような服装で楽器を演奏したり、事務仕事をしたりしているのだから、平気だったのかしらん。
袿を脱いで身軽になるなんて、いくらなんでも恥ずかしくって人に見せられる姿ではないから、有り得ないものかしら。
紫式部や清少納言が実家に戻ればお姫様ですから、多少だらけていても苦しうないで済みますが、宮中ではそんなわけにはいきません。高貴の方に侍る格下の者は正装でお側に控えていなければなりません。そして、お后様たちは儀式のない日常で略装できても、お側仕えの女官や殿上人が出入りしますし、いつ帝からお声が掛かるか知れません。常に臣下と対面できるような姿をしていなければなりません。
そんな理由で、『信長のシェフ』の濃姫の食事シーンは、重ね着をしていた人にとっては、前傾姿勢で、食べ物に顔を近づけるのは正解か不正解かと感じた次第です。
庶民は労働環境のため、筒袖といって袖を短く仕立てていましたから、お気軽です。
これをお読みになった方々の中で、食事の作法など思い当たる資料などございましたら、ご教示願います。
参考 『宮廷文学のひそかな楽しみ』 岩佐美代子 文春新書