米沢の殿様とその周辺
平成二十四年十月にかつて学んだ短大の創立六十周年記念講演がありまして、古代史の恩師が講師として招かれておりましたので、喜び勇んで短大のある米沢市に赴きました。
恩師のほか、上杉家のご当主でJAXAの名誉教授の上杉邦憲氏が講演するとのことでした。
同学や恩師との再会も嬉しく、楽しい時間でございました。ああ、やはり奈良時代の政争の見解は様々です。恩師のお話を聞き、久々に血沸き肉躍る気分でした。(でも質問できなかった自分が悔しかったです)
さて、上杉のご当主はどんなお話をしてくださるのでしょうか。短大には日本史学科はありますが、演題は小惑星探査機「はやぶさ」です。米沢市にある山形大学の工学部の学生を招待すればいいのに、おりません。
門外漢なりに、「はやぶさ」はニュースなどで聞きかじっておりますし、天文は嫌いではありません。非常に興味深い、その後のドラマや映画で観るフィクションよりもはるかに――exciting――な、お話でした。
話のマクラに上杉家の家訓や歴史などを話してくださいましたが、「当家では赤穂浪士の討ち入りを、忠臣とか、義士とか言いません。あれはテロ事件です」と言い切っていたので、あれはやはり上杉家にとってかなりの屈辱だったのだなぁと感想を持ちました。
なにせ江戸時代、忠臣蔵の芝居が掛かる芝居小屋に上杉家の侍たちが周囲を取り囲み、入場を妨害したという、今でいう都市伝説があるくらいです。
今は米沢市に「かねたん」というゆるキャラがいます。「愛」の兜をかぶったワンちゃんです。ただ、父に言わせれば、直江兼続は米沢では人気がない人物なのだそうです。理由は解ります。徳川家康に変な手紙を書いて、戦の口実になり、百二十万石が三十万石に減らされた原因を作った奴です。その上、北の関ヶ原、長谷堂の合戦で負け戦の殿を務めるのに、敗色強くなって、自害しようとして前田慶次郎に殴られたとか伝わっています。前田慶次郎やそのほかのつわものの奮戦の甲斐あって、何とか逃げ切りました。
山形の最上義光もよせばいいのに、「敵ながら天晴な戦いぶり」と言ったとか、渋々援軍を送った伊達政宗が結局上杉軍に逃げられたのを「最上が弱いからだ」と愚痴っているのが残っているとかで、な~んか山形側からすると面白くないのであります。
NHKの大河ドラマ『天地人』の放送が決まった時、山形市では期待と不安がありました。かつての『独眼竜政宗』では、最上義光が原田芳雄、義姫が岩下志麻で、最上家が怖い人たちの集まりみたいだったのです。主役が政宗なので、相対的に伯父さんの最上義光が悪役っぽくなってしまうのは話の展開上仕方ないといえばその通りなのですが、原田芳雄があまりにも悪の魅力を振りまくので、不満に感じた人が多かったのです。
で、『天地人』ではどうなるのか、(とても権謀術数の人間には見えないサワヤカ青年)妻夫木聡が主演の直江兼続では出てきても悪役なんじゃないか、と思いましたが、幸いにして出てきませんでした。前田慶次郎さえ出てこなかったんだからそんなもんか、済ませてもいいのですが、長谷堂の戦いが台詞だけで終わったような扱いなので、それだけはひっじょおうに不満でございました。
最近、父が米沢市出身というわたしの長男の同学相手に、直江兼続の評判について尋問したそうです。
「直江兼続は人気無いすっよ」と答えてくれたそうです。同学のおじいさんに話を合わせてくれただけかも知れませんが。
関ヶ原の後、百二十万石が三十万石になり、米沢藩の三代目藩主綱勝が後嗣のないまま若死にしたため、慌てて綱勝の妹の嫁ぎ先の吉良家から男の子を末期養子でしたと言い繕って認められたものの、不手際を責められて十五万石になりました。その後後嗣のいなくなった吉良家に二男を養子に出したものの、赤穂浪士の討ち入りで藩主綱憲は実の父も二男も救えませんでした。
ここらへん藤沢周平の遺作『漆の実のみのる国』で、上杉鷹山の登場までの米沢藩の懐事情の説明があるのですが、読んでいると辛くて泣き出しそうになります。