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豆腐の角で怪我するぞ  作者: 惠美子
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翻訳は難しい

都麻絵 「お邪魔します、こんにちは」


惠美子 「呼びもしないのにまた来たわね」


都麻絵 「け! 気の抜けた話を載せるくらいならあたしにエッセイを書かせなさいよ」


惠美子 「絶対駄目」


都麻絵 「なあによ、その標語みたいな台詞は。今日のお題は翻訳でしょう」


惠美子 「そうです。今朝の新聞のコラムに『池上彰の新聞ななめ読み』が載っていて、それがオバマ大統領の広島演説の翻訳を扱っていました。各新聞の訳文を比較していて面白かったです」


都麻絵 「ああた、その先月の演説の全文掲載されていた新聞をまともに読んだの?」


惠美子 「読んでない。それにその新聞はとっくに生ゴミ捨てるのに使ったか、今月初めの子ども会の廃品回収に出したかしちゃった」


都麻絵 「あんたね……」


惠美子 「ああいうのは、訳文を読み比べるのが楽しいのよ」


都麻絵 「趣味わるっ」


惠美子 「でもさ、この人学生時分は真面目にさ、ブロンテ姉妹の作品が気に入ったからって、ろくに英語できないくせに英文学者の論文を読むなんて無謀をしたことあったわよ」


都麻絵 「あれは日本人の学者の論文でしょう。学生なら読めて当たり前」


惠美子 (知らない振り)「学者さんは原典を引用する時は下手に訳して載せないのね、原文のまま引用するから、こちらも原文だとこういう言葉使っていたんだと勉強になったわよ。

     例えば『嵐が丘』でキャサリンがエドガーから求婚されて、乳姉妹に色々と話をするじゃない?」


都麻絵 「うん、ヒースクリフが聞いているのに気付かないで、ヒースクリフと結婚すると落ちぶれてしまう、エドガーと結婚して守るとか言っているうちに、最後まで聞かなかったヒースクリフが出奔してしまう所ね」


惠美子 「そう。その場面でキャサリンは”I am Heathcliff”と言うのよ。Be動詞はイタリック体だった。わたしイコールヒースクリフ。日本語として、小説の盛り上がっている場面の台詞としてどう訳すかって思うじゃない?」


都麻絵 「それで色んな『嵐が丘』の本を読んでみたりしたわけだ。あたしはそのシーンより、一代目キャサリンとヒースクリフの最後の会話の方が印象にのこっているのにね。”heart break”を糞真面目に『失恋』とか『傷付けた』と訳した人もいれば、『心を引き裂いた』と訳した人もいた記憶があるけど、ヒースクリフの心情と情熱の激しさからすれば、復讐しようと舞い戻ってきたのはキャサリンが『心を引き裂いた』と信じたからが相応しいような気がする」


惠美子 「(こっそりと)やっぱりこいつもおセンチなのよ」


都麻絵 「なんか言った?」


惠美子 「いーえ、何にも。だから名作の新訳版とか、名曲のカバーとか、舞台の再演とか、楽しめるわよね」


都麻絵 「そーねー。あとは史料の解釈の仕方も様々あるじゃない?」


惠美子 「ああ、あのこと。でもあれは先生の冗談でしょう」


都麻絵 「奈良時代の孝謙天皇が父親の聖武天皇の遺言で皇太子にした道祖王を廃太子にする時の勅ね。『続日本紀』の天平宝字元年辛巳、先帝の喪が明けないうちから不謹慎な振る舞いがあったとかなんとか出でくるでしょう」


惠美子 「これ横書きだから漢文をどう引用しよう。返り点なしでいい?」


都麻絵 「いいよ」


惠美子 「じゃ部分的に引用。

     『勅曰。國以君為主。以儲為固。是以。先帝遺詔立道祖王昇為皇太子。而王諒闇未終。陵草未乾。私通侍童。無恭先帝。……好用婦言。……(以下略)』

     聖武天皇の遺言の詔で道祖王を皇太子にしたけれど、喪の明けないうちから側に侍る少年と通じた。先帝を敬う心がない。……好んで女性の言葉を採用する。

     普通はこう訳され、解釈されているんだけど、女帝の時にさ、女性の進言を採っちゃうのが軽々しいと言うのはねぇ」


都麻絵 「それもあるし、女子短大での講義だから、先生も冗談飛ばしてみたんじゃないの? 女言葉を使うってさ」


惠美子 「オネエ言葉の政治家……、現代もいないよね。そっちが皇太子として気に入らない原因のような気がしてくるから不思議だわ」


都麻絵 「引用は吉川弘文館の『国史大系』の『続日本紀 前篇』でえす。こいつのパソコンで旧字体が出ませんので悪しからずご了承ください。この冗談、恩師から掲載の許可を取ってません。怒られたら取り下げるかも知れません」


都麻絵 「恩師より、掲載について『別に構いません』のお返事をいただけましたので、このままにします」


惠美子 「先生、有難うございます。

     道祖王って天武天皇の息子の新田部親王の息子だっけ?」


都麻絵 「んだよ」


惠美子 「草壁皇統もようく解らないけど、新田部親王の息子たちもよく解らないわ。なんか素行が悪いみたいに記録されてるし」


都麻絵 「そこは記録する人の都合というものが存在するんじゃないの?」


惠美子 「歴史の証人とか、ジャーナリズムの筆というものも難しいものだものね」

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