女の視点 男の視点 アダルトテイスト編
アダルト映像作品の話です。詳しい内容は書いておりませんが、お嫌いな方、年弱の方はお読みにならないでください。
大昔、テレビの洋画劇場で、シルビア・クリステルの『エマニエル夫人』とか『チャタレイ夫人の恋人』とか、池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』とか放送してました。今はできないんだろうなぁ。
わたしの通っていた高校は女子高でしたが、ある朝、映画の割引券を配るお兄さんたちが立っていました。配られている映画の内容を見て、わあっとかきゃあっとか言いつつ、興味津々、でも恥ずかしいから 実際観に行けないよねとお喋りしていた覚えがあります。女性映画特集と銘打って、『エマニエル夫人』と『O嬢の物語』の二本立て。なんで女子高前で配っていたんでしょう。『エマニエル夫人』はその頃テレビの洋画劇場で放映していました。映画館には行けなくても、家でこっそり観たはありますので、次の日、それなりに話題にはなっていました。
その後、ビデオレンタル店に行って、フランス映画の『O嬢の物語』を借りて、まだ彼氏彼女の間柄だった良人と観たことがあります。『O嬢の物語』は18禁コーナーではなく、文芸映画のコーナーにありましたので、過激ではないと思っていました。
実際観てみたら、過激でした。
でも、わたしは実に興味深い世界だと感想を持ちました。現代を舞台にしており、ヒロインのO(ヒロインは名前のイニシャルを呼ばせている設定)はファッションカメラマンの仕事をしています。同棲中の恋人ルネと散歩に出たら、タクシーに乗せられて、シャトーに連れていかれ、かつてない性愛の体験をしていくことになります。
内容だけ羅列していくとSMのとんでもない調教、奴隷的な扱いとなりますが、映画とはいえ、女性側の視点がはっきりしていて、精神的な強さや逆説的な支配関係が出てきています。従わされているはずの女性の方がかえって支配する側の男性をリードしようとする不思議さが現れてきます。
良人は『O嬢の物語』を観て怒りました。女性を、それも自分の恋人を物扱いして、他人に触れさせたり、一時的にせよ(変態的な行為を強要する)シャトーに滞在させたりとおかしいと言いました。
わたしはフィクションに対して何を怒っているのか解らなかったです。女性を物扱いしているのは男性向けのアダルトビデオの方と感じているので、怒る意味さえ解らない。『O嬢の物語』はきちんと女性の心情に着目しているので、導入部分はショッキングでしたが、おかしくはないし、むしろ観念的で、過激だったとはいえ、SMポルノと感じられなかったくらいなのです。
後日原作小説を澁澤龍彦の翻訳で読み、『O嬢の物語』はデカダンな場面が多いけれど、やはり観念的な小説だと感想を抱きました。
フランス文学者の鹿島茂が『O嬢の物語』は女性に受けるが、男性には全く受けないと解説していますので、納得です。その後の新訳版の『Oの物語』は未読です。
良人は自動車が好きです。自動車の雑誌を買っていましたし、カーレースの番組をチェックしたり、宮城県の村田町にあるスポーツランドSUGOにレースを観に行こうと計画したりしています。しかし、良人には気の毒なことに、家族はモータースポーツに興味を持つ者が誰一人いません。わたしもはじめは付き合って観に行きましたが、結構大変なのです。騒音や安全のために人里離れた場所にある訳ですから、自動車でないと行けないし、行けば行ったで駐車場からかなりの距離を歩かなければなりません。
「自動車なんて、外行けばいくらでも走っているのに、わざわざ観に行かなければいけないのか。モーター音が響いているだけで、車は一瞬だけしか見えないし、詰まんない」
対して良人はモータースポーツの魅力を、わたしを説得できるほど語れません。言葉で語れるものでもないのでしょう。
「鈴鹿の関なら行ってもいいなぁ」
と言ったら、
「鈴鹿サーキットがどこにあるのか知っているのか」
と言い返されました。
「三重県の山の中」
と即答したわたしに良人は無言でした。古代の三関の一つに行けるなら、は、逆に良人の計画を超えていたようです。
どういうものを楽しいと感ずるか、夫婦でも少しづつ違うのでした。




