演出家との接近遭遇
地方に住んでいるので、有名な芸能人との出会う機会はそうそうありません。顔と名前を知っているとなると、テレビや映画によく出ている人物と限られてくる所為もります。たまに飲食店に行くと、芸能人が地方公演やロケの折に立ち寄ったと色紙が飾ってあります。ふふーん、と思って眺めたりします。
二十年ほど前、蜷川幸雄演出の『王女メディア』の地方公演があり、場所は宮城県民会館でした。(現在命名権の関係で、宮城県民会館は「東京エレクトローンホール宮城」の名称になっています)仕事や保育園の関係を遣り繰りつけて、一人で観劇に行きました。持つべきは理解ある良人です。
この時の『王女メディア』の主演俳優は平幹二郎ではなく、嵐徳三郎でした。実はわたし、当時はこの俳優さんを知りませんでした。蜷川幸雄とギリシア悲劇の名前で観にいこうと、失礼ながら決めたのでした。
いい席のチケットも取れたし、まだ開演まで時間があるなぁと、パンフレットを購入して、読んでいました。前の前の列にミキサーがあり、スタッフの人がひそひそ声で打ち合わせをしているようです。
ふっと前を見て、目が点。パンフレットに載せられている写真とスタッフさんの一人の顔を見比べました。
蜷川幸雄本人!
周囲の席の人たちも次第に気付きはじめ、やはり一人で観劇に来ている若い男性におばちゃん二人組が「ほら」と教えていました。しかし、誰一人として、サインください、握手してください、ファンです、と声を掛ける者はいませんでした。
だって、既に有名でしたもん。お芝居のお稽古で大きな声を張り上げる、それも「へたくそ」とか、「バカヤロー」とか。手当たり次第に物を投げる(この頃は灰皿、後年パイプ椅子を投げつけたドキュメンタリー番組を観た)、そのような真剣で激しい情熱の演出家に、緊張感漂う開演前に誰が近付けましょうか。
それにしても、地方公演まで演出家って付いてくるものなのかしらん、と思いました。
お芝居が始まりました。三味線の音に乗ってメディアの乳母とコロスがメディアと夫のイアソンの過去と現在を語り、やがてメディアも姿を現し、嘆きと怒りを訴えます。そこへ土地の領主がやって来て、イアソンと自分の娘を結婚させるから、メディアをこの土地から追放すると言い渡します。せめて一日の猶予をと願い、聞き入れられます。
ここからが怖いんです。どう怖いって、悪いと解っていても、止めることのできない怒りと屈辱からくる復讐心です。
蜷川幸雄がミキサーのスタッフに指示を出して大音響が響き渡り、メディアは踊るように身をよじり、激しく苦悩します。
領主とその娘に猛毒を仕込んだ服を贈って死なせ、我が子二人をも手に掛けたメディア。そこにイアソンが駆けつけますが、「何もかも遅すぎる」と子どもの亡骸を思わせるオブジェを持ち、龍車に乗り、メディアは去っていきました。
異なる空間、別の世界に引き込まれ、不思議な時間でした。
拍手とともにこれで前の前の席にいる演出家にも拍手ができると思ったら、演出家は舞台に向かって行っちゃいました。
舞台上で俳優さんたちと一緒にカーテンコール。世界のニナガワになると違うものなのねえと感じ入りました。
七、八年前、仙台市泉区のホールで蜷川幸雄演出の『冬物語』の公演があった時は、流石に演出家は来ておりませんでした。一緒に観にいった長男が、あの紙飛行機はホントに飛ばしているのかなぁと呟いていました。
なかなか、東京やさいたま市の劇場には足を伸ばせませんので、貴重な経験だったなぁと思っています。
大分前の蜷川幸雄のドキュメンタリー番組で、あんなに演出家に怒鳴られても頑張る役者さんの卵の姿について子どもの感想を求めてみましたが、う~ん、とか曖昧なお言葉。ゆとりというより、恵まれているので、何者かになろうという焦燥感はまだ実感がないという感じ。
“Creator”、創造主の意味もあるこの言葉は奥が深いものです。
もう蜷川幸雄の新しい企画・演出のお芝居は観られないのだなぁ、と物寂しくなりました。




