わたしのグランマ
わたしの父方の祖母は山形県上山市出身でした。きょうだいが多い中の末っ子だったそうで、父親(つまりわたしの曽祖父)と一緒に歩いていると、「お孫さんですか」と尋ねられるほど親とは年齢が離れていたそうです。曽祖父は説明が面倒で、そうだと肯定していたとか。
大正生まれで、ほんわか優しいおばあちゃんの記憶が残っています。厳しく躾けもされましたが、仲良く過していました。
両親がサラリーマンをやっていましたので、幼稚園や学校から帰宅すれば、家で迎えてくれるのは祖母でしたから、祖母と過した時間は長かったと思います。
わたしに多少知恵がついてきて、あれやこれやと話をするのにも結構相手をしてくれました。高校時代に、氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』を読んで、面白かったとわたしが言っているのを見て、「その本貸して」と自分でも読んでいました。(わたしは『なんて素敵にジャパネスク』は初めの二冊くらいしか読んでません)
「この小説に書かれている和歌は、古歌を組み合わせて作ったみたいだねぇ」
そう評論していましたが、それが正しいのかどうかわたしには解りませんでした。漫画の類は流石に理解できませんでしたが、小説の方はそうやって一緒に読んだりしていました。
本を読むだけでなく、一緒に買い物も行きました。どっちかというと、わたしの買い物ではなく、わたしがおばあちゃんのお供をするのです。祖父も存命の時でしたが、祖父は明治生まれさん、祖母と一緒に出掛けても、女性の買い物に付き合えるほど気が長い性質ではありませんでした。その代わりに、わたしが買い物に行って、見立てやら何やら長い時間付き合って、ついでにわたしのものも買ってもらうような感じでした。
同じ女のわたしがいうのもなんですが、女の買い物って時間が掛かるもんだと体験したのです。でも祖母が行くのは、地方都市でもまあまあのデパートなので、こちらも趣味は祖母のような年配者よりになりましたが、いいものを見てきたと思っています。
本当にいい勉強をさせてもらってきたと感謝しています。わたしの生まれたばかりの二男を嬉しそうに抱っこしてくれた後、しばらくして亡くなりました。就職でさっさと家を離れたので、祖母の体力が衰えてからの世話は両親や弟の手になりましたので、大した孝行をしておりません。曽孫を見せられて良かったなぁと思うばかりです。
俺だってお前を可愛がっていたぞと、祖父が化けて出てくるかも知れませんが、祖父のことも色々書いております。好きだった映画の話とか、猫に嚙まれた話とか。あっ、後、鍋島の化け猫騒動とかも聞かせてくれました、全然覚えていないけど。




