古文書発見の体裁のものがたり
円地文子の『なまみこ物語』は、幼い頃著者の父親の蔵書の中に毛筆本で『栄花物語拾遺』と傍題されている『生神子物語』があり、それを読んだ。しかし、その蔵書は失われ、以降その題名の本は見つかっていない。幼い頃の記憶を基にその物語を、わたしの『なまみこ物語』を書き起こそうと思う、と小説冒頭に述べられている。
『栄花物語』は女性、恐らくは赤染衛門の筆になる、御堂関白藤原道長とその一族の繁栄を描いた歴史物語であるが、『なまみこ物語』は一条天皇と定子皇后の恋と中関白家の繁栄と没落を描き、道長に追従するような内容になっていない。
『なまみこ物語』の素晴らしさは、簡単に書き表せそうもないので、ここには書かない。ただ、近年読んだ本の中で、最も深く心を動かされた、とだけ述べておく。
岡田鯱彦の『源氏物語殺人事件』も古本屋で見付けた古文書の内容を基にして書いたと冒頭に書かれていた。この作品は父の蔵書で、読んだのが大分昔なので、やや曖昧な記憶のまま書いてしまうので申し訳ないが、宇治十帖のその後の形になっていた。薫大将や匂宮も出てくるし、紫式部や清少納言も出てくる。
薫や匂宮と関わった女性たちが亡くなり、これは事故か事件か、真相は如何に、と紫式部と清少納言が推理する展開になっていた。
結末としては、うん、『源氏物語』の登場人物でなければ絶対無理な道工立てというかトリックで、確かに古文書で見付けたから、現代風に書き直して発表してみるよ、としてみた方が面白さを増すような気がした。
後で経歴を知ったら、岡田鯱彦は国文学の学者さんだとか。ああ、成程ね、と思った。薫大将が、紫式部に「柏木(薫の実の父親)は光源氏に毒殺されたのでは」と打ち明けていたあたり有り得るかも、と思わせるところがあった。(田辺聖子は光源氏は若造一人を睨み殺せるくらいの眼力があったとどこかで反論していたような覚えあり)
薫が生真面目でやたらと悩んでいるのに対して、匂宮が我が儘で、結構物知らず、その末路に関して同情が湧かなかった。
推理小説では、だれそれの書簡、日記などを利用したと断りを入れた記述になっていることが多いし、信用できない語り手ものでなくても、赤鰊というか、ミスリードしやすいように書きやすいのかしらん。自分ではまだミステリに挑戦したことがないので、そのように思っている。
このような古文書を発見したので、小説の体裁で発表する。この頃は見掛けない形式だ。やはり古文書を読みこなすとなると技術と経験が必要なので難しい。(最近はコンピューターで古文書解読ができそうだとニュースになっているが、最終的に人の目での確認は必要だろう)林真理子が柳原白蓮の自筆の書簡の変体仮名を解読できなかったから、読み下しを依頼したとか聞いたので、年配だからできるものでもない。
学生時代に「古文書学」は必須だったから学んだが、今古文書を出されても、わたしも全文は読み解けない自信がある。一部くらいは解るかも。
他人様の研究結果を読んで、その時代の人間の振りをして語るあたりが、わたし程度の頭の出来では丁度いいようだ。




