ゴドーを待つ十人
別役実の戯曲『そして誰もいなくなった』のネタバレします。
記憶を基にして書いているので不正確かも知れません。不条理テーマのお芝居を思い出しているうちに、熊本地震が起こり、何かを書かずにはいられませんでした。地震に関する事柄があれこれと頭をよぎりますが、違うことを書こうとしてもこんな内容となりました。
ご不快の方は読まないでください。
高校生の時に別役実脚本のお芝居を観た。『そして誰もいなくなった』。そして「アガサ・クリスティー原作によるゴドーを待つ十人のインディアン 不条理的……」なんたらかんたらと続き、確か「モンティ・パイソン的落ち付き」と長いサブタイトルが添えられていた記憶がある。
当時アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』は読んでいたし、ラストを舞台用に改変したという映画のテレビ放映も観ていた。この長いサブタイトルとゴドーを待つことに何か意味があるのだろうかと、興味を持った。
公演は地元の劇団で、高校生の小遣いでも観にいける入場料だったと思う。
で、公演を観にいった。
十人の人間が集まってくる。まあお約束だ。だが、舞台らしく脚色がところどころ可笑しくできている。バイクの爆音が轟いて、登場するのは自転車に乗ったお兄ちゃん、来ている服も一応ツナギだが、革ではなく、安っぽい作業着みたいなもの。ひらひらフリルのワンピースにパラソルを持って精一杯おしゃれしてきたお姉さんは、可愛らしく振る舞おうとしているが、トウが経っているのが解るような感じ。わたしは悪いことなどしたことがありません、という道徳の権化の如き老婦人。人の良さそうな小父さん。どことなくボケの入った老人。
そういった十人が集まってきて、招待状を送りつけた人間を待つことになる。
「オーエンさん」
「ゴードンさん」
招待状の送り主の名前を言い合っているうちにだんだんと人名が混乱してくる。遂に待っている人の名前が「ゴドーさん」となる。
かなり無理矢理「ゴドー」を待つ十人となる。
そこで、アガサ・クリスティーの原作のように十人の罪が伝えられる。
「人に無実の罪を着せた」
「老人を一人にし、孤独にした」
どういうこと? 具体的に教えてよ。
「食事の時に人を不快にした」
「借りたハンカチを返さなかった」
え? それが罪? なんてものまで言われていく。
ツナギのお兄ちゃんが「食事の時に皆が歌えっていうから下手なのに歌ったんです。それが死ななきゃいけないほど悪いことなんですか?」と慌てふためいているうちにばったりと倒れて亡くなった。
そうやって次々と人が亡くなり、一体はじめに告げられた罪とは何かと生き残った者が考えはじめる。
「死後の罪」
考え付いたのがそれだった。みんな残った人々に疑心暗鬼を生ずるような状態で死んでいったのだ。
「そんなのおかしいわ」
と言いつつ、納得してしまう。不条理な世界。
残った二人が、出されていたスープを飲み、はっとする。
「死後の罪の解釈が正しいのなら、食事の時に不快にさせるとは……。このスープは!」
ツナギのお兄ちゃんの肉で作られたスープか。ゲッとなる二人。お姉さんがハンカチをもう一人の男性に渡す。男性は舞台袖に行き、やがて戻ってくる。
「ハンカチを……」
男性はハンカチを返さないまま息絶えた。
そこへ死んだはずの老人が現れた。この人が招待状を送りつけた犯人なのだ。
お姉さんに銃を向ける。
「君が死ぬと私は孤独になる」
銃声がして、お姉さんが倒れる。
上から大きな重りが降ってきて、老人を潰す。モンティ・パイソンのような落ちとはこれ。
老人の罪はなんだっけ? 忘れてしまった。
そしてだあれもいなくなった。




