天使の邂逅
佐藤賢一の『小説フランス革命』で、「暗殺の天使」シャルロット・コルデーと「恐怖政治の大天使」サン=ジュストがそれと知らずにすれ違います。裁判所でも処刑場でもない場所で、有り得ないけれど、革命下のパリで有ってもおかしくない状況。
こういう場面を考えられるのがフィクションの楽しいところです。
佐藤賢一の小説の特色として、崇高な理想や行動とともに色と欲を抑えられない心の弱さも露わに描くので、カミーユ・デムーランが愛妻リュシルを想ってめそめそしてうっとうしいぞと感じさせるところ、ロベスピエールの情けない部分もばっちり出てきます。ロラン夫人、それでは男受けはよくても、女には受けないぞという、世渡りには男を利用しなくてはならない時代の難しさ。(賢婦人と振る舞いながら、名誉男性的な思考をしている)
小娘時代の偶像、サン=ジュスト、故郷で交際のあった人妻がパリまで追い掛けてきたので、会いましたが、派手に喧嘩してくれるし、その扱いの手荒いこと……。サン=ジュストは自分の容貌の良さと才能を知っているだけに、余計に俺の邪魔をするな、俺の見てくれがいいからって誘惑して堕落させるのかと、欲に負けちゃっているのに考えることがキツイキツイ。俺は汚れてしまっているのだから、ロベスピエールさんの代わりに汚れを引き受ける、とまで突っ走る極端は、頭でっかちの若造らしくて、面白かったりします。
自惚れのあるサン=ジュストが道を訊かれて、その女性に一瞬気を取られて、この俺に綺麗じゃないかと思わせるとは大した美人じゃないかと、感心していましたが、その女性をサン=ジュストが引き留めたり、誘惑してみたりしたら、フランス革命の歴史が変わっていたかも知れない、刹那の邂逅。
――革命は凍結した。
有名なサン=ジュストの言葉を、佐藤賢一はダントンの処刑の場面に持ってきました。寛容派の死を当然と、筋書きを作りながら、処刑後の様子に慄然とします。予想しえなかったこの違和感は何か。邪魔者を消したはずが、民衆の士気を下げてしまったのか。民衆はこれからどう行動していくのか。
やはりテルミドールの反動は哀しい最期でした。どこか吹っ切れたサン=ジュストと、くだくだなセクション、覚悟の定まらないロベスピエール。無情なギヨティーヌ。
登場人物の皆さん、それぞれ弱い部分、劣情に悩まされる部分を描写されているので、やたらと「くそったれ」と口にし、下品と評されているエベールがあんまり下品に見えないのでした。セクハラおやじなのは変わらないですけどね。
『ベルサイユのばら』とは違うった味わいの、重厚な作品です。




