File8 突然異変 GAME START
突如撃たれて倒れていた男性が吊り上げられたようにゆらりと起き上がり、天井に向けてガバリと大口を開いた。
叫び。しかし人の声ではない。振動振幅共に人間の声帯を逸脱した超音波。共に陽炎のように空間が波動状で歪む。
だが、男は虫のように甲高い泣き声で叫びながら膨張していく。撃たれた腹部を始め、皮膚がぼこぼこと水風船のように膨らみ上がり、熱を発し始める。まるで巨大で強力な電子レンジに人間を放り込んだような。内部から瞬時に沸騰し、破裂せんばかりに膨れ上がる。
「離れろッ!」
「えっ、ちょっと!」
手を掴まれ、インコードは肉塊の様子を見届けることなく、近くの曲がり角の先にある階段へと目指したところだった。
「――っ!?」
砂嵐。かなり昔に存在していたアナログテレビ放送を受信する際のあのノイズ。視界全部に白い点が多数ランダムにポツポツと現れた。重畳した熱雑音。目も耳も砂嵐で侵される。
しかし、それは突如止む。数秒の地獄から解放された私の視界はちかちかとしながらも、何とか意識を保っていられた。インコードに手を引っ張られて走らされている辺り、今の砂嵐は一瞬の出来事だったようだ。
「インコード、今のって……」
「ああ、ドンピシャだ。――核を除けばな」
私と同じ状態になっていたであろうインコードは目を擦りながら私の手を離し、一度振り返る。私も振り返ってみた。
「……ぅ」
遠くにある洒落た時計専門店とその周囲は赤一色に染まり切っていた。やはり破裂したのか、と思ったが、よく見ればそれは血の色ではなかった。
RGBは二五五:二九:〇、CMYKは四:二二二:二五五:三。その黄味のくすんだ赤はスカーレットと酷似していた。そのスカーレットは液状だが、表面からうっすらと赤色炎の揺らぎが生じている。ピンクノイズ――スペクトル密度が周波数に反比例する揺らぎが赤い床から発生していた。炎の形、いわば上昇気流を起こしている様に見えるが熱量は発生しておらず、寧ろ熱量を奪っていた。施設内が外の気温に近づく。
この距離からでは、流石に臭いまでは漂ってこなかった。いや、先程の砂嵐で化粧品や人間の臭いも消えている。目に映る数値や色値が何も示さない。
しかし、それよりも気になったものがあった。
「人がみんな倒れてる……?」
目のチカチカが無くなり、正常に周囲を見渡せるようになって気づいたことが、周囲どころか、この何も変わっていないフロア全域から人の気配が無くなっていたことだ。というよりは意識が感じられない、昏倒状態だった。
そしてもう一点。男の倒れた地点には、金属光沢のある黒い外骨格に回路風幾何学模様の青い蛍光を仄かに放っている何かが立っていた。その未確認物体までは約十四m離れていたが、視力の良さもあってか、"読み取り"は不可能ではなかった。
推測で身長は約二m、体重は床のめり込み具合から一〇〇は優に超えているだろう。人間の頭蓋骨を模っているが、後頭部が尖ったシャープ形状になっている。そこに目や耳、鼻はなく、口顎だけが存在。しかし、歯は骸骨の人体模型のように剥き出しではなく、女性のような口唇の形。体形は人型だが、手が異常に長い。関節は一つだが、足に届くか否かの長さだ。指も長く、鋭利だった。前腕と脚部が発達しており、尾は無いが、脊椎から未発達の翼膜。胴体は細く、しかし人間のような筋肉質を模っている。
ぴちゃり、と紅に濡れた床を歩む。目はないが、私とインコードを見ていることは明らかに解った。
「あ……アレって……」
何。そう言う前に、インコードは答えてくれる。
「生物型イルトリック……カテゴリーβだ。さっきの人間の姿は殻であって本体の皮膚と筋肉みたいなもん。おかげで核の位置を定めることができなかったけどな。あのブラックシリコン樹脂の妖精さんが本体の"内機関"だ」
丁寧に説明したインコードだが、いくら理解が早い私でも知らないものは知らない。つまり結局はビンゴだったということか。
『――発砲を確認。暴力行為等処罰に関する法律において第壱条の弐「銃砲又は刀剣類を用いて人の身体を傷害したる者は一年以上十五年以下の懲役に処す」が適用。拳銃等の発射は無期又は三年以上の有期懲――法律改革。死刑又ハ無期懲役、死刑又ハ無期懲役、死刑又ハ無期懲役――』
その怪物から男性アナウンスのような声が施設内で鮮明に聞こえてくる。歩む足も速くなり、次第に私の恐怖も増していく。
「逃げるぞ」
「へっ?」
またも手を掴まれ、今度は階段を下っていく。
そのとき、だれかから連絡が来たのか、インコードは無線を繋げる。ボードネイズの声だったが、先程のような冷静で大人しい声ではなく、そこには憤りが含まれていた。それでも静かだが、厳格な先生に説教されているような気分にさせる。
『なにをやっているインコード!』
全員にカメラでも付いているのか、それとも全員があの砂嵐を体感したのか。インコードが報告していないにもかかわらず、誰もが現状を把握していた。
「悪い! くそっ、しかもあいつキングじゃなかったし」
『アラララ、隊長らしくないミスですね。どしました? 傍に女の子いて緊張してました?』とエイミーの声が聞こえてくる。現場にいないためか、からかっている。
『ドンマイっす先輩! 大丈夫っすから頑張――』
「どういうこと? キングって?」
二階に降りる。しかし、このフロアも同様、客が全員気を失っている。インコードは合流しようと、もう一度下の階へと降りる。脚が痛く、呼吸が乱れはじめる。
「チェスや将棋と一緒さ。調査によれば、"今回"のは気づかれる前に"キング"を倒せば即解決だったんだよ。まぁそうしたらカナをここに連れてきた意味はなくなるから、結果としてこうなった展開は不正解ってわけじゃないんだけど、失敗だったのは俺があの"クイーン"を仕留められなかったということだ」
先程の宇宙生物と機械が混ざったような黒鉄青線模様の外骨格的怪物。カテゴリーβと言ったか。あれが対象のひとつであったクイーンだったのか。
ショッピングフロアを抜け、噴水のある広間を走り抜ける。
「んで、イルトリックに気づかれたら何がやべぇのかっていうと、大抵は仲間にしようとアプローチしてくる。結局は繁殖対象として俺たちを見てるっていえば思春期真っ只中のカナでもばっちり理解――」
「普通に説明しろ!」
「まぁ襲われちまったら経緯はどうであれ結果としてイルトリックの一部になっちまう。感染に似たようなもんだ。けど、時々今の奴らのような"巣"を作って『リプロダクト』っつー任意の領域を形成するタイプもいる。そこからのあいつらの戦術は色とりどりよ。最悪のパターンは領域ごと自滅に持っていく自殺願望系のやつ。話で聴くには、素粒子ごと分解されるらしいぞ」
「恐ろしすぎるでしょ!」
一階奥を曲がり、オブジェがあちこちに点在している屋内緑地公園に着く。温室のように壁や天井、さらには床までもがガラスでできた空間にあり、木漏れ日のようなライトアップされた中、浮遊感があってならない床下をふと見れば、ガラス越しで緑が生えている。
出入り口の自動ドア前のちょっとした広間にインコードは立ち止まり、私も「やっと走らずに済む」と息を乱しながらヘッドフォンを外す。流石にここまで静かだったらヘッドホンも不要だ。周囲の倒れている人々が気になるが。
「でもこの騒動は監視カメラにばっちり映っているはずでしょ? この異常事態に警察とかが気づかないはずがないし」
「いや、もう既にここはあいつらの陣地だ。端末は起動できても、外部との電波はすべて遮断されただろうし、ここから出ても、動いている時間はこの複合施設の中だけ。外みりゃわかる話だ」
そう言われ、私は大型の自動ドアの先を見る。夜の都会とは思えないほどの真っ暗闇がどこまでも続いていた。外の世界の時間が止まっているどころではない。空間ごとこの世からおさらばされてる。近づいてもドアが開くことはなかった。
「……成程ね、とは言いたくないけど……」
とりあえず、これは現実。認めるしかない。こんな、ホラーゲームでもありがちな時空間を隔離させるようなトンデモ現象でも、今は信じるしかない。
パターンはあるにしても、このような仕組みでイルトリックが活動しているのならば、確かに都市伝説として取り扱われるだろう。
「ただ、そういう時の為に備えて、俺らの隊との連絡は取り合えるようになっている」
「だからさっきラディさんやエイミーさんと連絡が――」
『おい! なんか変な黒骸骨みてぇなやつが襲い掛かって――』
ブツッ、と音が途絶える。同時、大きな物音が聞こえ、振動が伝わってくる。今の無線端末から聞こえてきた声の主はカーボスだったはず。
「……今一人取り合えなくなったわよね」
ゾワリと悪寒が走る。ホラー映画とは全然違う。あまりにも生々しすぎる。それでも正常を保っていられるのはゲームのし過ぎだからだろうか。R18のグロテスクホラーもやりこなしているし。いや、今はそんなこと考えたところで微塵にも役に立たない。
「人のことより自分のこと。あいつはやられ役に定評のあるやつだけど死にはしねぇ悪運強い奴だから」
「ほれ、後ろ見てみろ」とインコードが指差す。この後ろを振り向く動作がどれだけ怖かったことか。
躊躇っても仕方がないと、勇気を出した結果、予想とは反したものが目に入った。
昏倒していた客や店員がむくりと起き上ったのだ。意識を取り戻したのかと思ったが、立ち上がったみんなの顔は虚ろだった。目に意識がない。ふらふらとこちらへと近づいてきていた。
ああ、これは知っている。小学生のころ、よくお母さんが夢遊病で目を開けたまま家の中を彷徨っていたときの顔にそっくりだ。お父さんが一度自己最高記録として飲み過ぎて千鳥足になっていたときの足取りにそっくりだ。
唖然しつつも、そんな下らないことを思い出している。せめて走馬灯の一部であってほしいと願った。死ぬ前にもっと振り返りたい思い出があるはずだろう。
「今回はゾンビパニック映画になりそうだ」
ゾンビというより、ただ昏睡している人か不眠症でストレスたまっている集団にしか見えない。駆け巡る記憶は未だに更新されない。
「これって、感染……? それとも操られてるの?」
「たぶん操られてる。ここにいる人全員が"駒"になっただろうな。てことは、キングを始末しない限り、この施設中のお客さんと店員さん全員を相手にしなきゃならねぇってことだ」
それは真剣な表情。しかしそのどこかに、この状況を楽しんでいる姿が、この男から浮かび上がっていた。
なぜそこまでこの訳も分からない状況を私に説明できるほど知っているのか。調査済みだからか。それとも前例があったからか。私は前の夢遊病患者のみなさんに目を向ける。
大脳は停止に近くさせられ、脳幹や脊髄を何かの遠隔的な電気信号で操っているのが一般的に考えられる。質の悪い植物状態だ。
「え……じゃあ……」
嫌なイメージを浮かべてしまう。
「バッカ、どこぞのテロリストじゃあるまいし、殺すわけねぇよ」
インコードは右手首のリスト型ウエアラブル端末を左手で触れる。すると右手の前に電子表示の簡易的なキーボードパネル、その上に一枚のスクリーンが立体投影された。
フィンガーレスをつけているインコードの指は右手のみで素早いタイピングで操作し、スクリーンパネルに何が映っているのかは覗き込まないとわからなかったが、最後に出てきたのは何かのリスト表のようなものだった。
「通じろよ……」とインコードのつぶやく声が聞こえる。スクリーンパネルは消え、その代わりに数字とメーターが立体表示されている。
『DOWNLOAD』? 何をダウンロードするというのか。
「カナ、自動ドアんとこまで下がってろ」
インコードに指示される前から、怖くて既に入口にいる状態だった。
ひとりの女性客が虚ろな目で前のめりにこちらに向かってくる。その挙動はゲームや映画でよく見るゾンビに近かった。ただ腐食や生々しい傷がないので、児童向けゾンビだ、としょうもないことを心の隅で思っていた。
何も語らない人間は右腕のホログラム画面のダウンロードを待つインコードに抱き着こうと駆けこむ。しかし動きはそこまで早くはなく、簡単に背後を取られた。
「せっかちな女は好かれねーぞ」
左手に持ったリボルバー……の形を模した、私を撃ったときに使っていた特殊拳銃を女性の右大円筋辺りに向け、撃つ。感電したようにビクンと身体を仰け反らせ、バタリとあっけなく身を倒した。呼吸はしているようだが、正真正銘の失神だった。
「……」
確かに殺してはないけども。何とも言えないが、その拳銃で数十は越える人数を相手にするのはキリがない。弾数制限もあるはずだ。ガンアクションゲームだって弾数の制限はあるのだから。
その時に見えた『DOWNLOAD100%』。ホログラムスクリーンがすべて消え、その代わり肘までを含む右腕に電子的電脳的回路模様のホログラムが湧き出てくる。その現象を覆い隠し、演出として魅せるようなホログラムは手の内に収縮し、ベンゼン環――六角形が敷き詰められたような電脳膜を形成させる。物質として形が整ってきており、棒のような、筒のような形になっていく。
まさかとは思った。いや、現在リスクが高いあまり普及されていないだけで軍事利用としては普通に使用されている技術。しかし、軍が使うものは大型の装置。このように、魔法の召喚みたいに出現させるのはゲームぐらいでしか知らない。
物質転送装置。インコードの手に纏ったのは何かの筒に似たもの。刀の柄にも似ていると思った矢先、その先端から黒銀色の刀剣が出現する。一瞬にして生えてきたが、その刀身はただの鉄ではなかった。
「現実拡張……?」
それはホログラムを物質化したものだった。幻影を実現させる技術を目の当たりにしたのは初めてだったが、
「って、斬っちゃ駄目でしょ!」
「ダイジョーブ。軽く峰打ちするだけだし」
何かのスイッチ音がしたと同時、バチンと刀から銀色の電流が走る。
なるほど、と思ったと同時に出たのが「それ大丈夫か」だった。
「カナちゃん、いま素の声出てたよ」
と言いながら目の前まで迫ってきていた駒を斬る。いや、峰打ちだった。
感電、筋肉硬直によってその場に倒れる様は本当に斬られたようにみえる。血が出ていないのが斬られていないという証拠として証明されている。
一人、二人、三人……一気に六人。
軽い足さばきは流れる水のように滑らかで、ヌンチャクのように残像を残しつつ、目に見えぬ速さで振り回す(ようにしか素人の私には見えなかった)剣さばきは、失礼ながらも飛び回るハエを連想させた。
刃で斬っていない以上、刃筋を立てることも、より斬れるための抵抗力、摩擦力、力の反作用、そしてそれに関連する刃の角度はあまり関係しない。それでも、本当に斬っているかのようだった。
まさに「あっ」という間に、インコードはその黒い刀を駆使して、何人ものお客さんを斬っていく。これがゲームならば、私といい勝負をするだろうが、この現実では確実に勝てる気はしなかった。
始末数四人毎秒。バタバタと倒していく様子は殺戮に等しかった。
死屍累々、ではないが寄ってきた人間はすべて倒れ、一階のフロアは気配ごと静寂と化した。
「すご……」
昔存在していた人斬り侍と良いレベルで渡り合っていけそうなスタントマンぶりを前に、感嘆の声しか出せなかった。ゲームではなく実在の人がやると大分違う。
「二階に行くぞ」
インコードは、疲れた様子もなく、呼吸を整えたかのようにひとつ大きく息を吸っては吐き、電源を切り、刀だった機械棒を腰にしまう。
そのとき、通路の奥に誰かが通りかかるのを見かける。インコードを呼び、その人物を指さす。その背丈の高い人物もこちらに気がついたのか、歩いて向かってくる。
「ひっどい有様だな」と枯草色のロングコートを羽織った初老の男が言う。
「ボードネイズ……そっちにはいなかったようだな」
「ああ。他の階も探したがいなかった。そっちも見たところ、て感じか」
鼻で笑い、口元だけの笑みを向ける。ドガン、と上から大きな音がする。大太鼓を思い切り叩き付けたような響きに全員が透明な天井を仰ぐ。振動があまり感じられないのでこの近くからではなさそうだ。
「あそこの塔から……?」
白鉄骨で組み立てられたようなデザインの塔から火事でも起きたかのような煙が湧き出ている。まるでテロの襲撃にでもあったかのような爆撃具合だ。
「あの騒ぎは?」とインコードが訊く。
「今、スティラスがβと戦っている」
私たちを追わずに、他の隊員を襲っているのか、と思ったとき、
「そうか、じゃあ近づかない方がいいな」
意外な発言に、思わず声が出てしまう。
「た、助けに行かないんですか?」
今のところ、一番面識が少ない故に、その金髪の女性のことを心配した発言をする。しかし特に気にかけていない隊長はそう深く考えることなく、
「んー、あのぐらいだったら別に大丈夫だ。むしろ俺たちが怪我する」
「怪我って……」
笑ってはいるが、とても冗談を言っているようには聞こえない声色だった。バンの中での話もそうだし、本性は獣のような危なっかしい暴れん坊なのだろうか。
「とにかく、急ぐぞ。ミスをしたからには、ちゃんと挽回しろよ」
「ああ、俺もそのつもりだ」
私の思考を読み取ってくれるはずもなく、インコードらは先へと向かった。倒れた人々の間を踏まないように跨ぐ。