File9.読裁制圏の女王 Region of Sacred
なにかがおかしいと気づくのは、随分と遅かった気がする。
それがどうおかしいと気が付くのは、まだ先の話になるだろうが、とにかく私はこの業界(なのかはさておき)に慣れ親しんだといってもいいだろう。
控えめに別世界へ移動したことも、なんら感動を覚えない。それだけ、私もUNDERLINEの人間になったということだ。
ふたつ首のネーヴィス・バーナードの情報により、収穫はないと判断。終焉機構こと特殊危険物質の特性で現世に戻るのも大変――ではなく、帰りはいとも簡単であった。気を失って(正確には死んでの表現が正しいが)、目が覚めたらよく知るUNDERLINE社内の駐車場。なんとも都合がいい。これでいいのかといろいろ悪いところや矛盾点を探り出そうとするが、私の悪い癖だ。思考を遮るように、ヘッドフォンを付けた。
レイマンのこともあり、ジャックとガスターディアルはイドラリヴェールで待機しているだろう。クオリアファミリーとの交渉が上手くいくといいが、ネーヴィスの言っていた第三勢力も気になる。
だが直接の任務の収穫には物足りない。「行き損か」と呟くと、インコードはそうか? と軽く笑った。
「そう思えただけでも十分な収穫だ」
この男は。バカみたいにポジティブだ。
「けどま、カナも予言ぐらいしてほしかったぜ」
一言余計だが。
「だったら地上の刑事課に私を行かせるべきだったわね。相手が人間じゃなかったらどうしようもないわよ」
「あーそうだな。じゃあマフィアとか人間関わる裏社会の仕事入ったら最優先でおまえに担当してもらうぞ」
「新人にそれやらせますか」
一旦、ルームに戻るとしよう。そのときインコードの足が止まったことに、出動か、となんとなく感じてしまう。休むのはおあずけのようだ。
「カナ、察したか?」
「このぐらいは当然」
それにはインコードも気づいたようで、ポケットから携帯透過端末を取り出す。ボードネイズからのようだ。電話を切ったインコードは、バイクの鍵を手に、
「噂にしてれば……お目当てが出たってよ。"仮面の男"に会いに行くぞ」
ああ、また悪い癖だ。ここまで都合がいい話があるのなら、これまでの人生に何度か起きてもよかったのに。
*
場所は首都から四三km離れた小野口市の駅前。首都とそう変わらない大都会もやっぱり味気なく、雑多な熱反射液晶強化ガラスの巨大なスクリーンビルと、それを縫う立体歩道があるだけだ。
ビルが山状に密集してひとつの巨大要塞となっている首都とは異なり、こちらはビルの密林地帯といったところか。晶塔密林とネットで言われるのも無理はないが、正確には結晶ではなく非晶質の密集地帯だ。
その中ではあまりに特徴的な、建築物とは思えないファサードがある。表層を覆う不規則な形状に切り取られたパンチングメタル。それは鉄骨の格子を破けた薄い布がまとい、ひらひらと宙を舞うかのようだ。
ポストモダンを感じさせる十五階建てのインターフェイスビル前を目印に、私たちはボードネイズと合流した。正面玄関の先――立体歩道の交差点で人の行き交わる乱流を片目に、軍人体格の初老ボードネイズは大した期待をしていない顔で呆れ笑う。
「せっかくの投身行為も、あんまりいい情報は持ってこれなかったようだな」
「ゼロじゃねぇさ」とインコード。全員の無線イヤホンからラディの声が聞こえる。
『まだ照射分析だけの結果しか出せてないっすけど、目標はNo.1602"ヴァイロセル"・カテゴリψ――人類模倣型っす』
私の脳を侵した異形頭の存在値がスペクトルとして、角膜上にホログラム画面が映し出される。確かに私が出会ったときと同じ情報だ。私のみ、脳内で波長が照合する。
しかし専門家じゃないんだから、こんなのを見せられても分かるか、と全員に代弁して言ってやりたかったが、そう言う暇もなさそうだ。
『あいつは存在が歪で、周囲の時間軸と空間軸が捻じれているっす。現象学的に――』
「簡潔に」とインコード。
『時計を弄ることが趣味っぽいっす。そこらの一般機器とか体内時計バグってるっすよきっと』
「スティラスはどうした?」
『あー大丈夫っす。ちゃんといるとの報告は受けてるっすね』
曖昧な返事だが、これも作戦の内だというのは解っている。全員が通信や位置情報などで繋がっていれば、それを介入されて場所や指示、最悪は思考まで読み取られるケースもある。私みたいな能力をもつイルトリックも珍しくないということだ。
もっとも、珍しいなんて言葉はここで働いてから忘れたに等しいが。
「カナ、これはおまえの得意分野だ。指揮はお前に任せる」
「なんとなく言うと思った」
「お、やっと空気読めるようになったか。無神経機械から自律機械に一歩昇格だ」
「それはどうも、新人類先輩」
移動中に作戦は連絡で整っている。準備も装備もすべてダウンロード済み。あとは私の神聖なる黒歴史領域にずかずかと土足で踏み荒らした機械頭をどう殺すかだ。
「限られた時間はもう二十秒もない。すぐにしかけないと逃げられる」
『ははっ、二秒あれば十分だぜ、カナちゃん』
北東六.三km先――ミラービルの先端に立って余裕を噛ましている電気男は通信越しで笑う。肉眼では見えないが、彼の姿は脳で捉えてある。相変わらず金のかかりそうなメンズファッションを着ていること。
そんなチャラい若者に釘を刺したのはボードネイズだ。この人の言葉でいつも安心する。
「馬鹿を言うな、おまえは慢心することだけは勘弁しろ。ふたりとも分かってるだろうが――」
「人に見られず、器物損害は最小限に。気を付けるよ」
複合現実の発動。電磁の波に揺られ、彼の手から現れたのは黒い刀。抜刀し、それを両手で地面に突き刺した途端――世界の色が変わる。
イルトリックは本来、私たちの時空上に直接的な手を下さず、あちらの創り出す巣「リプロダクト」という独自の世界に取り込む。今まではイルトリックの存在は歴史上公に知られることはなかった。しかし例外も当然ある訳で、それが神話や都市伝説となっているケースも稀にある。
その創造世界に移動する技術が確立されなくとも、数個の条件を満たせば並行世界でも形成できるのではないか。そう考えたUNDERLINEは、逆にこちらからイルトリックを取り込む技術を産み出した。
現に、今の世界は、現世であって現世ではない。基盤は同じくとも、現世の存在物や光に認識されず、時間の進みも異なる。よし、という一言に、うまくヴァイロセルを巣に貶めたようだ。
「別にそんなカッコいい動作しなくてもできたことでしょ。というかアンタ刀を地面に突き刺しただけじゃない」
「ナイスだラディ。ベストタイミングで今の俺がやった感にできた」とドヤ顔をし、嬉し気なインコードの顔。「こどもか」とボードネイズも呆れる反面、ラディは『あざっす!』と隊長に褒められて最高潮になっている。
『あ、みんなみんな! 絶対にサンプルは持って帰ってきてね。確保しても処理してもいいけど、特に頭部の機械は丸ごとあったほうが理想っ』とエイミーがラディの席から横入り。ちょっとしたラディの悲鳴と共に、椅子から転げ落ちるような音が聞こえてきた。
さて、制限時間にも余裕が出てきたし、目標もまだ気づいていない……のかは行動を起こしていないことからそう判断したが、こちらの世界は光速度を極端に落としてしまう。物理法則を逸脱した相手には有効だが、こっちも多少影響がある。
「全員に位置情報送ります」
私は情報を基に、ヴァイロセルの位置を特定、メンバー全員のチップに特定マップを脳内で送信した。
『あれっ、俺がいちばん目標から遠い感じ?』というが、返事をすることを許さずに、『まぁいいや関係ねーし。まずは俺からいってきまーす』
先手はカーボス。黒い装甲手の親指をピンと弾いては首の頸動脈を掻っ切る。散った血に電気が通い、途端に彼は電気現象と化した。無機質な補強アンダーを着た私服青年の姿はどこにもない。
――経過〇.三二秒後、カーボスと目標は衝突した。唐突な開始合図をインコードに示すと、小さく笑みを浮かべた。
またこの笑みだ。狩りを愉しむような高揚感に浸るその笑みは、愉快犯では決してなくとも、無邪気な獣と同じだろう。いや、知性がある分、スポーツ感覚と言えば妥当か。
「じゃ、俺も」
カーボスと同じ、否、少し違う。予め装着されているアンダースーツは特殊な編み方をされた炭素繊維だ。その内層には薄膜回路が潜められている。彼の微弱な電気信号と体温で構造変化するタイプだろう。
「呆れた。結引炭素繊維の強化被膜だけで勝てるつもり?」
「ごたごたしてる機械装甲は嫌いなんだよ。特に等身大タイプだったら尚更こっちの方が相性いい」
特攻隊長め、そのまま痛い目に遭えばいいのに。何も考えずに行動するのが思考の塊の私にとって一番困る。しかし言っていることは確かだ。変に無機知能に頼れば電子的破壊を起こして機能停止しかねない。
炭素被膜がインコードの肉体に同調する。それは人体を守る服から補強装甲へと構造転換された。
形成された人工筋肉から生み出された強い風圧が、インコードを疾風へと変える。次々とビルの屋上を蹴り、空を翔けた。
科学が魔法に追いついた、というどこかのネット小説を投稿している作者が謳っていたフレーズを思い出す。なるほど、今なら、いや今さらながらそれを痛感させられる。彼等の言う"未来図"が、すでにUNDERLINEで実現している。
その中でも最大にして最先端ともいえる技術が「カルマ」という、新たな人類――否、義神類の可能性を開発する短期変異技術が、このつまらない世界の裏の深淵で産みだされている。超能力・異能力といえばそれまでだが、これが(理論上)宇宙誕生前から存在しているらしい不可怪現象に対抗する術のひとつだ。
しかし、カルマを発動せずにイルトリックと戦うインコードは、超異常の軍団の中でも異常と見なされている。あの国防治安維持部門統括のフィニジャンクや最高戦力の1stでさえもカルマを使うというのに。
その理由はというと、これがまたはっきりわかっていない。
カルマはあるにはあるらしいのだが、極力使わない訳もはぐらかされる。ラディやエイミーと同じく、発動する際のデメリットが大きいのだと私は捉えているが、どうなんだか。
「もう、どっちが隊長なんでしょうかね」
私はボードネイズを見上げ、苦笑する。
「俺は副隊長として口うるさくしてるだけだ。カナ、この都市全部読み込んでくれ」
「分かりました」
「そこからどう支持するかはカナ次第だ。俺達も最大限サポートするが、カナにとってのベストを算出してくれ」
そう助言を言ってくれた時には、すでに専用銃でカルマを発動し、都市の読み取りは完了していた。ひとつひとつの存在物に含有する情報(DATA)地形も交通機関の流れも、気候環境も、インコード達も……そしてなぜかイルトリックの落書に描かれていた不届者の行動も、すべて読めた。腕が、いや、脳が唸る。
「……"読裁開始"」
冗談もさてとして。
この一戦の勝利式を、今から解こうではないか。
次回「仮面の男、笑う UNDER race VS. heaven MAP」




