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Paradigm-Records_Pro.【打切】  作者: エージ/多部 栄次
Disc2 STREET MONSTERS
28/35

File6 人類史最悪の男 APOCALYPSE PROGRAM

 ――MAP収容管理施設。

 その社内区域エリアに入れる職員は限られている。しかしその収容所にして直接的な研究・実験施設である施設中でも、さらに厳重にかつ高強度隔離ハイアイソレートされている地下区域エリアが存在する。そこは地球の地下という位置にはなく、不可解現象イルトリックを技術化した、ある一点の時空点アクシスポイントを共通とさせただけの簡易空間隔離地帯――つまりは、別空間に位置する。そうでもしないと、"最悪地球が消える"ことがあるらしいからだ。

 その空間的特別隔離区域アウトディメンションエリアの入口――五重もの隔壁で仕切られている超合金の複雑な扉の前に微粒子防護装置パーティカルマスク機動生命維持気密服アレクセイスーツを着た4人がいる。


「いやー統括わざわざすいませんね。お忙しい中お付き合いさせてしまって」

 治安維持部門のトップだというのにこの馴れ馴れしい口調。私は硬直するばかりだというのにこの男は。

「社長の命だから仕方ない……と思うようにはしている」

 ダイヤモンドフェイスのフィニジャンク統括は眼球だけを動かし、インコードを睨む。


「でもここの"特別隔離施設エンドワード"、それも"あいつ"に会うとなったら、1stクラスか統括の同伴がなけりゃ対面すらできないから本当に仕方ないと思いますよ」

「おまえだけの希望だったら許可は下していない。タイミングよく、第二隊の重要任務場所もその街に位置するから、もののついでだ」ともう一人の男を見る。


 今の姿では気密服に身を隠されているが、初対面時は気さくな白人男性を思わせた。やはりというのもおかしな話だが、この人も映画産業中心区にいるような俳優を彷彿とさせる容姿をしていた。

「俺もちょうどリヴェール街に行く用事があったから、そういう意味ではインコードさんのおかげで助かったよ」

 その声で気軽な印象を漂わせる彼は第二隊隊長のレイマン。一八二センチ、八九キログラムと外見の体格の割にがっちりしている。

 彼がイヴェール街に行く目的は、他のUNDERLINE支部と、ある取引と会議を行うという。そのついでにそこからイルトリックのサンプルを回収するつもりらしいが、目的が情報収集のみのこちらと違って理由が明確としている。他の支部も、不可侵な街に行ける技術は持っているようだ。


「おー、ならよかった。そういやユンのやつは元気してっか?」

 適合試験の際に、私と共に試験を受けた、自称ライバルのユンという二十歳にも満たない娘。私は特にどうこう思っているわけではないが、あちらはついでに恋のライバルとして私を敵視し、インコードの目を向けようと努力している。第二隊に入ったことを知り、彼女の才能を改めて称賛する。しかしユン本人はインコードの隊に入りたかっただろう。

「相変わらず君の話で持ち切りだ。ストーカーにはならないようにといつも注意しているがな」

「たまにはレイマンの"十八番"でも使って満足させてみたらどうだ?」

「冗談はよせ、すぐにバレてあの専用武器ナイフで首を斬られる未来しか見えない」

 苦笑するレイマンと茶化しては笑うインコードに咳き込みを入れる統括。「申し訳ありません」レイマンはぴしゃりと背を正した。


「統括も大変ですよね。まー本来なら"世界破り(ファティナ)"さんの出番だけど、あの人いないようなものですしね」

「他の御二人方も居場所は――」と言いかけたレイマンに対し「特定できていない。あの三人にGPSなど通用しない」と憎らし気に返した。


イドラリヴェール(あの街)に入ろうなど正気の沙汰ではないが、そこにジャックを投入する発想に至るおまえは狂気の域を逸脱している。この星――人類87億の命と地球の死というリスクを背負う責任と覚悟はあるとしても私は断固反対だが、"G10議会"が何故許可を下したのか理解に苦しむ」

「まーまー、俺のメンツが立ったってことなんじゃないですか?」

 こいつ、調子に乗ったことを……。レイマンもさすがに苦笑を越えて固まっている。


「……無駄話はここまでだ。早く済まそう」

 ちなみになぜ私がここにいるのかは謎である。仮にその解答が分かったとしても、謎だと私は主張しよう。

 この隊長の思考はまるでわからない。


     *


「オブジェクトNo.23"ジャック・ダーマー"。そいつを一時的に釈放させる」

「やっぱり罪人なのね」

 インコードと慣れ合うつもりはないのか、先へ数m歩いている統括と、彼の話し相手をしているレイマンの後で、あちこちを見回す私の姿は修学旅行の学生のそれだろう。


 入域前に全員が機動生命維持気密服アレクセイスーツを着せられる。全身武装のパイロットのようなパワードスーツの姿で、家一軒分はある金属ボックスの町を歩く。通路は無色透明のチューブ。金属箱ボックス透明管ファイバーの平面環境を無数の真っ黒な電子回路サイバーコードが天地を覆う。私の目には回路模様プリントの天井や底の先にも同じようなエリアが存在していることは読み取れた。その代り頭が痛くなったが。

 ところどころに同じ格好をしたスーツの有機金属質オーガニックメタルの自律警備兵がいるが、外見だけでは人間なのかアンドロイドなのかは見分けがつかない。どれも銅像のように動かないので不気味だ。

 電子情報表示ホログラムパネルが番号や説明欄として映るこの大きなコンテナの中に多種多様な不可解現象が閉じ込められているのか、と得体のしれない恐怖に身震いする。


「肩書ではな。それも世界的凶悪な大犯罪者として一応歴史(オカルト)に残ってる野郎だ。教科書にはないけどネットで調べりゃ真っ先に出るぞ。都市伝説うわさ扱いされてるけど」

 私は咄嗟にアイヴィーで検索――できない。ここは隔離空間、それも首の皮一枚程度で地球の時空と繋がった人工別時空間。電波すら届かない。意識的にカルマを無理矢理駆使し、「問題」を「解答」する。脳の血管が切れたような音がし、少し焦るも、確かに出てきた。出てきた情報はネット検索サイトから無理矢理繋げたようなものだが。

 大量虐殺に大量破壊を始め、強姦や強盗もやらかしているが、本名すらわからず、未だ捕まっていない。故に名付けられた姓名不詳の殺人鬼(ジャック・マーダー)。それを弄って『ジャック・ダーマー』となったわけか。随分と安直な名だ。


「……一七〇〇年!? 二百年前の記事ばっかりじゃない」

「そう。でも、その二百年前のやらかし野郎は今でも"死なずに"UNDER-LINEで管理されている。ま、噂は実在してたってことだ」

「ちょいと違う形でな」

「ていうか大丈夫なの? みんなもあまり気が進まなかったっていうか……拒絶してたっていうか……」

「"ただの"凶悪犯罪者ならまだよかったんだけどな」

「どういうこと?」

 何度も言うが、こいつの思考だけは読めない。微粒子防護装置パーティカルマスク越しではその表情も見えづらい。


「んーそうだな……例えば、カナは、外見や性格をはじめ、雰囲気も臭いも声もぜんぶ生理的に受け入れられない大嫌いなタイプで、しかも強姦罪や殺人を犯していた男と一晩含めて一日中密着デートするのと、放射線や毒ガスで汚染されまくっている死体廃棄場で一時間ほど寝っ転がるのどっちがいい?」

「どっちも嫌よ」

 なんの話だ。こういう極限の状態でどちらを選ぶかという若い男子がよくするネタはもう第三者的に聞き飽きているというのに。

「仮の話だ。ちなみにその男は別に殺す気も犯す気もありません。セクハラ級のボディタッチは多いけど」

 しかし、相手があのインコードとはいえ、ここは仕事場。なにかしら関係があるのだろう。

「じゃあ……めっちゃ嫌だけど、前者の方にするわ。後者の汚染地帯だったら普通に死ぬし」

「まさにそれだ」

「?」

 まさか、これから会う人は前者の人ってこと? 考えただけで背筋が凍る。どうも私は想像力も人並み外れて高い。

 金属箱から感じるはずのない視線を無視しつつ、インコードの話に集中する。


「ジャックはそこらのラリッた罪人にいそうな前者じゃなくて後者の人。"特殊危険物質"として認定されてんだ」

「特殊危険"物質"? 危険人物じゃなくて?」

「まぁなんというか……ヘタすれば会うだけでも命の保証できないとしか言えない」

「……マジ?」

「トップレベルで厳重に管理されてる。イルトリックオブジェクト・カテゴリαの元人間、Cクラスの"Sovereign"だ。そのハザードクラスの中でもヤバい部類に入るけど」

「イルトリックなのその人……!? しかもクラスCって……かなり危険じゃない!」

 いや、危険というレベルではない。統括が同伴している時点で気づくべきだった。

「んで、俺らも最大級の完全装備で、そいつに会う。NBC兵器や天体兵器よりも軽くヤバい。歩く人類滅亡兵器っていってもおかしくないくらいに」

 歩く音だけが聞こえる。先へ歩く統括と真面目な上司も、隣の頭のおかしい上司も、何も言わない。

「……あの、今からでも参加拒否したいんですけど」

「拒否権なし。仕事だから我慢しろよ」

「……」


 歩いて数分。退屈だと思わせないほどの恐怖と不安に警戒しながらも奥へ奥へと進み、下へ下へと降りたとき。

 ふと、急激に殺気を感じ、立ち止まる。全身から嫌な汗が流れてきた。いや、出血している。身体が怪我して痛い。しかしそれを思い込み(マイシーボ)だと気づくのは数秒後の話だった。

「どした?」とインコード。

「いや、なにも……」


 視線の先。巨大な金属箱の数々。それらの向こう側にある巨大な壁。部屋一個分から家一軒分にいたるまでのコンテナとは規格外の――いや、エリアそのものが収容室として機能している。

「あの壁の向こうに何かいるの? あの先ただの金属じゃない厳重すぎる壁が何層もあるんだけど」

 ああ、と軽い反応。

「三六六番の部屋か。カテゴリγの素材でできた、扉も檻もない完全密閉収容室で、あの中に地球生物をサクッと根絶やしにするバケモノがいる。熱王水に浸されているけど、いつあの中から出てくるかは俺達にもわからない。まぁ何度か脱出されて社内中暴れられたことはあったけど」

「冗談でしょ? なんでそんなヤバい奴をここは捕まえられて保管できるのよ……!」

「今から会うジャック(やつ)と同じCクラスだけど、あの生物、キャラ的に俺好きじゃないんだよ。殺されかけたし」


 そのバケモノは一応人並みには知能はあるようだ。そしてこの男はつくづくいろいろな意味で経験豊富だと呆れさせる。よく生きていたものだ。

「見た目魚類に退化しかけた爬虫類っぽいくせに普通に人間と同じように話すからな。オカルトマニア大好物のテレパシーもできるし。けどそいつの声に耳を傾けるなよ。内容的に気分沈む」

 テンションの問題か、と私は呟くように返す。


 ――ガゥン!!


 唐突の衝撃音と揺れ。立ち尽くし、周囲を見渡す。地中内部に存在しない空間だというのにもかかわらず、地震のような揺れに誰もが警戒しただろう。

「統括、下がっていてください」とレイマンは揺れが起きた方へと駆ける。すぐ近くだ。

 しかし統括は極めて冷静な声で「何もする必要はない」と言った。既に原因が分かったような口ぶりだ。

「――ッ、それはどういう」


 光管通路ファイバーロードと隣接していたコンテナの扉が乱雑に開き、そこから巨大な腕がぬぅっと出てくる。その気配に気づいたレイマンは咄嗟に避け、血が沸騰したような赤煙と体熱として発する紅焔を纏い出てくる巨人をまじまじと見つめる。当然、初めて見る禍々しい姿に私も戦慄するしかなかった。逃げ出す足すら動かない。

 身長三メートルは下らない大型の人型。獣人とも表現できるその筋骨隆々の身体は装甲金属と有機被膜が混じり合い、半壊した機械に覆われた頭部。露わになっていた、筋の通った鼻と整った無精髭を生やした口元の部分が唯一人間と認識できた。顎の形を見るにやや小顔と言える。

 しかしその口から一〇〇度Cを越える蒸気を荒く噴き出していた。熱気と振動で通路が悲鳴を上げる。


「シュー……シュー……」

 機械を取り込んだのか、機械へと変形していたのか。名状しがたい半裸の巨人は吹嘘し、首と背を曲げた姿勢で通路に出てきては私たちの前に現れる。しかし誰も臨戦状態ファイトスタイルを取らず、それどころか警戒心の欠片さえない。危険ではないのだろうかと疑ってしまうほどだ。

 静けさに溢れた口調で、統括は巨人に尋ねた。

「ガスターディアルか。"スーツも着用しないで"なにをしていた」

 この社団に入った以上、一度は聞かされた名前。まさかこれが――?

「ああ……鍛錬です、俺なりの」

 疲労困憊しているのか、ロボットのように無機質な返答をする。損傷しているようだが、傷口から流れる血は垂れることなく気化している。

「ここは貴様の鍛錬所じゃないと何度言われれば気が済む。研究者リサーチャーと上層部の身にもなれ」

「……ああ。申し訳ありません。気を付けます」

 容姿とは反面、丁寧に返す。段々と体色が人間らしい焼けた小麦色に代わり、傷口も塞がってく。しかしその巨体さは然程変わっていない。

「先輩最近見ないと思ってたらここにずっといたのか」インコードは動ずることなく感心した様子で巨人――否、UNDERLINEの社員を見上げる。


 時の鋼獣"ガスターディアル"。特別対策課の最高戦力とも称される人間。ここの社団は何も宇宙戦艦や惑星兵器のような大層なものは造らず、人という限られた体積内で宇宙規模の大量破壊兵器を創り上げた。

 情報で知った話、元々下垂体性巨人症だった彼は外見の大きさに留まらず、老化もしなければ新陳代謝の兆候もない。食べず、飲まず、発汗せず、息をせず、また他のあらゆる生理機能を示さないことから『不動の男(コンクリート男)』と呼ばれている。それもおそらくカルマの副作用体質によるものだと考えられるが。

 彼――と称すればよいのかは明白ではないが、その得体のしれない鋼装の顔の中――目とそれに通ずる神経集合体のう――を『読み取り』、覗くことはできなかった。


「まったくおまえという奴は……暇を持て余しているなら、第三隊と第二隊の任務の補佐をしろ。イドラ・リヴェール街に行くためにジャック・ダーマーを使用する」

「ああ……それは危険ですね。承知いたしました、俺も外に出たい気分なんでいいですよ」

「ど、どのぐらいこの中にいたんですか、この№78の"ノイマン・ベイリーズの廃絶月面"のコンテナの中に」とレイマン。あの気さくな様子はなく、かしこまっていた。

「二ヶ月かそのあたりだろう」とため息をつきながら話す。「久しぶりに代謝をするってのは気持ちがいい。癖になりそうだ」

「ガスター」とインコードは気軽に呼びかける。無意識に敬語を使ってしまうような相手に対してもこの平常運転の対応は皮肉を込め尊敬に値する。

 しかし、最高戦力はインコードに訊いた。私を一瞥したような仕草をして。

「俺が見ない間に新人が入ったのか。……名前は?」

 見透かしたような発言に私は驚く。そもそも顔すら見えていないはずだ。

 インコードのアイコンタクト――のような首の動かし方。おっかなびっくり私はIDと名前を述べた。「事象を読み込んだりなんでも解答できる"遺伝児ジェネティアクター"だ」とインコードが追加する。

 遺伝児という言葉で反応したのか、改めて私を見てきた。

「え、えっと……?」

 遺伝児ジェネティアクター。その意味はおそらく、人工的特異性超常能力のカルマを得た人々とは異なり、それに似た力を先天的に所持し、使うことができる者のことだろう。

「世界を読み解くカルマ……。カナ、この世界の少し先の未来も読めるのか?」

「え、そ、それは……」怖気づいて言葉が出ない。やさし気に訊かれているも、三mの体格だけで身を退いてしまうものがある。

「あー、ガスター。こいつ超絶コミュ障だからあまり迫って訊くとテンパる。また改めて話そうぜ」

 こいつは本当に……。そう思ったが、助かったと半分感謝した。

 統括同様の威圧が物理的作用として感じる。なんという重さだ。「……そうしよう。統括のダイヤモンド面も融けてきそうだ」と軽いジョークを流す。フィニジャンク統括も黙ったまま受け流した。

「それでは、また後程連絡をお願いします」と去り際に挨拶してはゆったりと出口へと向かっていくガスターディアル。「どいつもこいつも教養がなっていない」と怒りを抑えてる統括の声にレイマンはなだめるように話し相手になる。


「ここだ」とフィニジャンク統括が立ち止まる。他と大して変わらないコンテナだが、異なる点を上げるとするならば無数のパイプやケーブルがコンテナに接続されている。金属ドアの前にホロ表示された収容内容物の概要。前に立っていた警備兵とコンタクトを取り、入室許可が下る。

「あの、私が入ってもいいんですか?」と今更になって命乞いのようなことを言い出す。

 見下す統括。思わず身体が硬直したが、

「カナ、と言ったか。おまえとジャックの能力が揃えば、入域困難なリヴェール街に行ける成功率は上がる、とそこの男が言っていたが……試す価値はある。おまえをここに入ることを許可したのは、ジャックと接触させ、同調させることも目的としている。従来の方法以上の術が見つかるのなら、こちらにもメリットはある」

 最も、ジャックを出すこと自体がデメリットそのものだがな、と付け足す。

 信じられない、いや、認めたくないと言わんばかりに私はあんぐりと口を開けた。

「ということで、入る以外の選択はなくなったな。あ、ここから保険効かないから」

「それ冗談でも笑えない」

 まさか任務以外で死ぬなんて、と私は心の中で半泣きになっていた。

 だって、そんな世紀の極悪非道な重罪人とコミュ障がまともに話せるわけがないじゃないか! 私は訴えるぞ、という意志も虚しく黒いコンテナのような収容部屋の中へ吸い込まれてしまった。


     *


「うわーっ! インコードさんじゃないですかー! おひさしぶりですーっ!」

「よっす。元気にしてたか?」

「もっちろんですよ! コードさんも元気そうで何よりです! レイマンさんもフィニジャンクさんも来ちゃってどうしたんですか? まだ僕誕生日じゃないけど何かのお祝いっすか? あ、そちらの方はどなたですか? 随分と可愛らしい方ですね!」

 私は唖然とした。肩透かしを食らった気分。半分拍子抜けしたのもある。

 イルトリックカテゴリαであるその罪人は、部屋の中央の複層ガラスと電磁シールドで覆われたガラス筒の中に入っており、中は透明な未知の液体で満たされている。裸体である好青年の肉体は細身であり、少し筋肉はあるも肋骨が見えている程度。痩せ型傾向でありつつも、一般的な二〇代男性の健康的な体つきだ。円筒水槽の中で漂う栗毛の長髪から見える、輝く白蒼の瞳は私たちを歓迎するようにまっすぐと見ていた。

 都市伝説級の重罪犯どころか、ケンカすら知らなさそうな彼の爽やかな顔に、私は表現できない何かを感じていたが、ここは適当に脱帽したとも喩えておこう。


「こいつはカナ、俺と同じ隊に入ったばかりの新人だ」

「へーっ! カナさんですかー、僕はジャック・ダーマーっていわれてます! はじめまして!」

「は、はじめまして……」

 誰に対しても友好的で、ある意味嫉妬する。本当にただの一般人だ。液体に浸っていることを除けば。 

「僕のことはジャックって呼んでくださいね! あ、この名前、言ってしまえば世間一帯で言われてた長年の芸名ですから。本名はハマー・ジョーンズっていいます。こっちもこっちで響きがいいでしょ!」

「は、はぁ……」

「いやーにしてもインコードさんまったかっこよくなりました?」

「変わらんだろ。おまえも相変わらずだな」

「そうでしょー。レイマンさん、よかったら僕のカルマ貰っておきます?」

「悪いな、おまえの能力は俺には大きすぎる」

「そうですか、残念です。そうだフィニジャンクさん、最近楽しいことありました? いつもそんな仏頂面じゃ幸せ来ませんよ!」

「……」

 構わずジャックが統括に話しかけている最中、私はインコードに耳打ちした。

「ね、ねぇ、この人って本当に本人なの……?」

「本人だ」

「とても伝説級の殺人者には見えないんですけど」

「確保当時は暴言が絶えない極悪非道だったと記録されているけど、長年に渡る更正処置ですっかり丸くなっている」と横からレイマンが補足。

「丸くなりすぎでしょ」と小声で言った。

 世間話は終わったようで、統括は相も変わらず厳かな顔つきで本題に入る。

「二三番ジャック・ダーマー。特例任務により厳戒態勢かつ制御付きで仮釈放する。内容は『この世とカテゴリε"イドラ・リヴェール街"とのルートを一時的に繋げる』ことだ。詳細は後程改めて話すが、その際は専用のカプセル内で待機しろ。外の空気を吸えるのは数秒だけだと思え」

「外気に触れられるのが一瞬みたいで少し残念ですけど、トンネル作ればいいんですね! かしこまりです!」

 返事はいいけど、何をするのか分かっているのだろうか。不安になる。


「あ、ひとつ条件いいですか?」

 にっこりとした笑み。それが逆に不安を煽らせる。イルトリックとはいえたかが人間。されど人間とはいえそれは過去の話、人格を持ったイルトリックだ。

「言ってみろ」と統括の一言に、元気よく答えた。

「髪切りたいです! 最近話題になってる有名な海外俳優みたいなスポーツ刈りっぽい髪型がいいです! なにかカタログみたいなのありませんかね」

次回予定「法と語彙が崩壊した都市」

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