File10 転化発動 Operation
機械なのか生物なのかよくわからない外見のカテゴリーαは色鮮やかな血管が浮かび上がっている白鎧の腕をギギギ、と鳴らす。たまたま目に入ったその鋭利な指に爪はなく、指の数が六本だった。
「……あの、これって大丈夫なの……?」数歩下がり、不安げに私は尋ねる。
「まだいい方だ。妻に浮気疑われて携帯端末見せてって言われた境遇と同じぐらいの大丈夫さだ」
「修羅場じゃねーか」
カテゴリαの口が裂けるように大きく開く。歯車のような歯を開け、喉奥から覗きこんでいたのは砲門。吐き出すように砲口が口から伸び、機関銃のように無数の火を噴いた。連続した銃撃音が咆哮のようにも聞こえる。
しかし、向かってきた弾は僅かに形が歪だったので、私たちを集中的に狙うことなく、軌道が反れるものが多かった。地面や建物内の商品、ショウウィンドー越しのマネキンに被弾し、表面に穴を空ける。
「おっと」
インコードは刀を振るい、弾を斬り、弾く。口で言えばなんてことないようにも聞こえるが、これはゲームじゃなく現実だとなると、その青年の為した技は神業に等しかった。向かってくる弾丸がレールガン並みに速く、まったく見えなかったにもかかわらずだ。
「刀で銃弾を……! ――っ」
ふと鋭い痛みを感じる。右腕を見てみると、服が破け、そこから血が流れていた。掠った。痛み。血。死の間際。慣れない危険信号に気が動転しそうになる。
包丁で手を切ったことと大して変わらない怪我であるも、失神しそうにもなる。「大丈夫か!」とボードネイズの一声がなかったら気絶していただろう。
「カナ、すまねぇ」とインコードは謝る。それがふたつの意味での謝罪であることに私は理解する。
「だ、大丈夫です……っ」
そう、大したことはない。自分にそう言い聞かせ、正常を保つ。ここで痛みに流されパニックになれば、命はない。無駄にはたらく脳に暗示をかけ続ける。
「先程当てた弾で、あいつの表膜は崩れたはずだ。今度こそエクティモリアを与えれば、あいつは消滅する」そうボードネイズは私とインコードに話す。「ただ、そう簡単に当たってくれるか」
すると、また通信が入る。繋げたままだったので、ふたりは聞き流す形でカテゴリαの次の挙動を見る。両手からバスケットボールほどの大きさをした何かの青いガス球を発生させている。
通信の声の主はエイミーだった。慌てた様子だったが、二割ほど楽しんでいるような声が含まれていた。いや、彼女なりの声色なのでそう聞こえてしまうのだろうと信じたい。
『隊長隊長! やってしまいましたね! シフト数値が結構上昇しちゃってまして! ぶっちゃけて言えば数増えました!』
『THE・繁殖っすね』とラディも後から言ってくる。『カテゴリはすべてβっす』
私は後ろを見る。
「っ!?」
地面や壁、大小様々な商品や家具、そして服を着たマネキンに氷結晶色の蔦のようなものが湧き出ている。その根源は被弾部位――カテゴリαが放った弾丸からだった。やがてそれらは巻きついたものを取り込み、蔦から粘液が滲み出てきては宿主を覆う。膨張、肥大、そして孵化。夜に照らされる桜と月光が照らす大海と同等の色と光沢を、混ぜるように組み合わせた被殻をもつ顔無し人型の何かが産まれてくる。
手足と胴体にわたるひらひらと、ゆらゆらとした鰭は帯を巻いた着物のようにも思わせる。魂の揺らめきのように僅かに発光しているその体表面とノンデザインマスクをつけたような顔面は巨大な細胞が敷き詰められたかのような模様と細かな穴が空いており、まるで不等毛植物に含まれる単細胞性の藻類のグループである珪藻が巨大化し、人型になったようだった。
地やガラスの壁を這うように四足歩行で伝い、私たちを囲む。カテゴリαは未だに口の砲門を閉じようとはしない。その数は九十五。殺気すら感じない無に逆に恐怖する。
「なるほど、こいつの繁殖方法は中々攻撃的なものだ。絶対に当たるんじゃないぞお嬢さん。その肉体が瞬く間にあいつらの卵と化すからな」
顎鬚をさすり、ボードネイズは冗談でもないことを言う。
私は血が出ている右腕に手を当てる。掠らずに右腕に着弾したならば。そう考えただけで言葉にならない恐怖を憶える。ぞっとした気持ちを何とか切り替えようと、インコードを見る。
「……もう一回聞くけど、これって大丈夫なの……?」
「ちょっとマズい方だ。今日までの企画書印刷しようとしたけど何故かそのファイルが見つからなくて後に昨晩間違えて削除してしまったことに気づいたときと同じぐらいのマズさだ」
「……それは相当マズいわね」思わず顔が引きつってしまう。
「それでも何とかするのが会社員……社畜ってもんよ」
どうしてそっちに言い直した。普通に怖いぞ。
「ま、とにかく……案の定って感じか」
「こりゃあ、ちと厄介な任務に当たっちまったんじゃないか?」とボードネイズはお気楽な声で鼻で笑う。
「そりゃあフィニジャンク統括がわざわざ社長に報告していた件だ、ただの任務じゃないってことは全員分かってただろ」
「ま、薄々な。にしてもあいつはまだ来ねぇのか」
「今連れてこさせる。ラディ、聞こえるか」
インコードはイヤホンに手を当てる。そういえばあの装甲バンも共に隔離されているんだなと今更ながら思う。イルトリック用に特別な電波を用いていると言っていた気もするが。
『はい先輩! 今なんとか「リプロダクト」の波長を乱してるんで相手は少しの間動きが……あ、違うっすか?』
「いや、グッジョブだ。カーボスはどうしてる。音信不通のままなんだ」
『カーボス先輩と連絡通じないのは端末の損傷によるものっす。今からそちらまでの電脳ルートをカーボス先輩に接続させるっすね』
「……?」
どういうことだろうか。ここまでカーボスを転送させるのだろうか。
するとインコードは革ジャンの内側を広げ、取り出したのは三本の十五mlサイズのネジ口試験管。中にはチャプチャプと無色透明の液体が入っている。
「登場ぐらいかっこつけさせてやる。察しろよカーボス……!」
指に挟んだ三本の試験管を薙ぐように振るい、身動きができないカテゴリαの方へ投げた。ダーツのように飛ぶも、それはカテゴリαに届きそうにもない。手前で落ちるだろう。
最初は何をやっているんだとは思った。その液体を飲まずに撒き散らすということは、薬ではなく揮発性のガスを出すものか毒物の類かと考えた。しかし、私の目に表示したものはNaCl。れっきとした食塩水だった。
そして、インコードがもう片方の手に持った特殊拳銃――私を撃った時に用いたF9型拳銃で銃弾に匹敵する電磁波弾を撃ったときだった。
被弾し、中の液体が宙に撒き散らされ、インコードの前方六メートル先に硝子の破片と液体の水滴が舞うその瞬間、そこから強い放電が発生する。一瞬だけの閃光と共に発生したリヒテンベルグ図形。その中心点から稲妻のような閃光が真っ直ぐ先――カテゴリαの方へと突っ切り、共に強い電磁波も発生した。まるで周囲の景観を包み込むような電気の流れだった。
何が起きたのかと眩んだ目を凝らす。しかし既に事が終わったかのように、立っていたカテゴリαの胴に槍で貫かれたような風穴が空いていた。それだけではなく、周囲の産まれたばかりのカテゴリβから感じる静電気。表面に電流が走っている。普通の人体ならば感電しているレベルだ。
そして街道奥の塔の前。小さ目の噴水が設置されている前に、人の姿があった。
「……カーボス? なんで……?」
カテゴリαの後ろには抉れ、黒く焦げた線がカーボスのいたところまで走っていた。バチバチと電気を纏っている男は着地した体勢から立ち上がり、こちらへ振り返る。
「――うわっ!」
目の前に感じた電気。同時に好きではないイケメン寄りのカーボスがフッと一瞬で現れた。
「やっほーカナちゃん。驚いた?」
「え、え?」
わけがわからない……訳でもないが、どういうことだ。何が起きた。
手をひらひらと振り、相変わらずの剽軽な口調。黙っていればスポーツ一貫の一流選手にみえるのにと思いつつ、疑問があふれ出る。
それに答えたかのようにインコードが話し出す。
「俺たちは不可解現象に対抗するために、ある可能性を現実へと実現させる"業"を託された。イルトリックが人間じゃねぇように、俺たちも普通の人間じゃない」
「っ、普通の人間じゃない?」思わず聞き返してしまう。
「ま、ちょっとした特性を持ってる能力者ってことさ」
「っ! それって……」
私はあることを思い出した。まずは脳の可能性についての知識がふと湧き出てくる。
脳には九〇%使われていない領域があると言う。"サイレントエリア"と呼ばれるその領域に、人間の秘めた力が存在する。それが発揮されれば、人間の未知なる力を出せることができる。
……なんてのは迷信だ。一〇〇%使われている。同時には使われていないが、未使用領域はない。あったとすればそこはとうに腐食している。脳全領域をフル稼働させたところで、SFでよくある超能力が得られるわけではない。少なくとも、脳の操作だけで瞬間移動や有名な物体移動などは世間では実現不可能だと謂われている。まったくというわけでもないが、精々、催眠や超運動能力、爆音声帯ぐらいのものだ。
それでは何だ。人造有機生命か、人工知能か。何かの遺伝子改良された強化手術の被験者か。それでも、今の現象を解明できる根拠にはならない。
「まぁ、単純に超能力って思ってくれればいい。多分、アンダーラインほどの能力開発は他では見られない」
「……っ!?」
今までの常識が覆されたような気分だった。この気分を今日一日で何度体感したことか。
この過剰技術の時代でさえ実現不可能とされた"常識"の刷り込み。それが実現可能だと理解するには時間が必要だった。
カーボスが話を割く。握った拳をバチンと放電させる。正直危なっかしい。
「電気みてぇな外部からの"きっかけ"で、幻想みてぇな超能力を現実へと持ち出すんだよ」
「でもそんなのって――」
「瞬時の遺伝子変換から元素合成や粒子組替におよぶ原点的変性と突発的変異耐性のある細胞質。そして心理的疾患。まずそれがカルマを可能にする最低基盤だ。今はそれだけ言っておく」
そうインコードは告げた時、右の建物から爆発に似た衝撃波が生じる。直撃したカテゴリβは粉砕され、近くにいた個体は軽々と吹き飛ばされた。
床は土埃として粉砕され、屋上から滝のように崩れていくガラスの建造物。煙に似たその結晶とコンクリの塵埃の中から歩いてくるのは流麗な金髪の女性。スティラスだった。
しかし、初めて出会ったときよりも服が半ば乱れているような気がする。所々が破けていた。相変わらず、冷徹な目、いや、眠たそうな目をしている。その潤んだ口は開くことはなかった。
「よし、スティラスも来たことだし、これで面子は揃ったな」
代表がそう言っては歯を見せる。
そのとき、胴体に穴の開いたカテゴリαが口を開く。
『Evela-Inhamusneinga(こちらにおいで)――あなたを連れ去ります』
両手に発生させていた、ガス惑星を収縮したかのような青い煙状球体同士を叩きつけ、押し潰した。手を合わせる形になり、潰れて分散したガスは引火する炎のように、吹き付けるガスバーナーのように瞬時にその白い鎧の腕に纏う。
バゥン! ととても手を合わせた音には聞こえない轟き。それが、この隔離した世界を共鳴させた。
「え、何……っ!?」
「野郎、本気出しやがった」
瞬時に氷結するような音は、踏む地面の一面が破片状に砕け、刺々しい床に豹変したことで起きたもの。単斜晶系の地に大きく突き出る幾つかの岩のような大きな斜方晶系の結晶。空間にはダイヤモンドダストのような結晶粒子が地面から真っ暗な宙へと降り注ぐように舞い上がっていた。
「空が……」
何もない真っ暗な宙は――否、その遙か上空の先には深海のような透明感のある闇の海がゆらゆらと波打っていた。その音は天が唸っている様にも聞こえる。
私たちを囲んだ結晶の世界。その中央に居座るイルトリックは一瞬で肉体を復元させていた。
『――環境とオブジェクトの強度を更新。随時対象の思考を上書き。インポート開始します』
「っ、おいおい、相変わらずえげつないことを始めやがる」カーボスは苦笑した。
「で、でも結局は幻覚――」
「それを実現させるのがイルトリックだ。決着つけるぞ。急がねぇとあいつらの世界にご招待されることになるぜ」
「そのまま転生できればいいがな、現実はそうもいかないだろう」
ジェットハンマーを肩に置いたボードネイズの言葉に、カーボスは応える。
「いや、わかんねーぞ。信じれば形になる世の中だからな。異世界の転生もありえんわけじゃねぇし。その異世界が天国か地獄か、はたまた無なのかは行ってみてのお楽しみだっつぅことだ」
「……通信が利かない。コード、早く終わらせよう」
スティラスの言葉に、インコードは「ああ」と頷いた。
「全員、"カルマ"の使用を許可する。全対象の核の消滅を優先。直ちにこの状況を終わらせるぞ!」
「「了解」」
彼らはホルスターから駆動拳銃を握っては、持った親指で何かを操作する。
「……っ!?」
その銃口を上腕に当てるボードネイズと胸元に当てるスティラス、そして頭に当てるカーボス。自殺行為に等しいそれは、本当に何をやっているんだとも叫びたくはなった。
同時、周囲を囲んでいたイルトリックの群れも一斉に動き出す。私はただ駆動拳銃を持っていることしかできなかった。
唯一自殺願望的行為を行っていないインコードは体勢を低くし、現実拡張の電刀を単斜晶の大地に突き刺す。片膝をつき、体重を預けるようにその手を刀の柄に乗せる様は絵になっていた。
「START」
そして、彼らはトリガーを引いた。
「――転化発動」




