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<挿話> 心の火


(エクウス語り)


 思い出したくないものほど、人は忘れる事が出来ないのだと、私がまだ子供の頃に義母が言っていたような気がする。

 アゴラテルの怒りを買ったのは私のせいだった。

 あの人でなしを、私はそのままに人でなしと罵った。

 お前には族長の資格などない。

 そう、真正面から言ってやった。

 私はそのせいで、妹を死なせてしまった。


 時として、人は正直ばかりを言ってはならない。

 州王に仕える軍人――――役人の仕事として、それは必要なスキルだったはずなのに、私はあの時全てを忘れていた。

 振りかざされたアゴラテルの爪。

 私は自らの剣でそれを受けるつもりでいた。

 だが、オモンは私の予想外の行動に出てしまった。

 私とアゴラテルの間に入って、盾になったのだ。


「もうこれ以上……争っては……だめ」


 オモンは泣いていた。

 血の匂いと、その大きな目から流れ出した涙。

 怒り狂うアゴラテルの前から、私は傷ついたあの子を抱えて逃げた。

 何で、何で。

 ただその言葉が、私の中で回っていた。


 必死に走りながら、私の視界は真っ暗だった。

 滴る血の感触。

 生々しい匂い。

 弱弱しくなっていくオモンの呼吸。

 夢であればいいと思った。

 いっそ、夢であれば……。


 その時、暗闇の中から私を呼ぶ声が聞こえた。

 キトラ、そしてバウアー。

 ここだ、と私は叫んだ。

 だが、その時頭上から嫌な気配がした。

 ミシミシと木の幹が裂ける音。

 生木を切った時に出る、青臭く痛々しい匂い。

 私はとっさにオモンを庇って身を伏せた。

 前方の木の陰に茶色い頭が見えた。

 双剣を手にしたキトラがそこにいた。


「キトラか!」

「エクウス、何があった!」

「ダメだ! こっちに来るな!」


 私の叫び声は、バキバキと大木の倒れる音にかき消された。

 木は空に弧を描き、ゆっくりとキトラの方に倒れていった。

 キトラが素早くかわしたのを見て、私は安堵した。

 遠くに、アゴラテルの咆哮が聞こえる。

 怒り狂い、私達を探している。

 もうすぐこっちに来てしまう。

 だが私はオモンの上に被さり、あの子を庇うだけで精いっぱいだった。


「大丈夫だ、オモン……しっかりしろ……!」


 獣の呻り声が森を裂く。

 倒れた樹齢何虐年もの木々が、次々と森の上に倒れる。

 恐ろしい力だった。

 アゴラテルは大木を根元から抜き、投げて暴れているのだ。

 とにかく、ここから逃げなければ。

 何とか這ってでも逃げようとしたその時、尖った大枝が私の目の前に迫った。


 ああ、来る。

 鋭い枝先が私の方に向かってくるのがスローモーションのように見えた。

 逃げられない。

 ぎゅっと目を瞑った。

 その時、誰かが私達の前に躍り出た。


「んっ、にゃろ……! あっち行けっ!」


 目を開けると、危険は去っていた。

 陽光に陰るその後ろ姿。

 バウアーが私を庇って立っていた。

 そして、誰かが私を助け起こした。

 私を優しく立たせる手。

 プラジアだった。


「エクウス、立って! こっちよ!」


 仲間たちの声、そしてその姿。

 ああ、来てくれたのか。

 思わず、安堵で泣きたくなった。

 私はオモンがアゴラテルにやられた事を伝えた。

 みんな、すぐにすべきことを理解してくれた。

 オモンを助けなければ。

 一瞬にして、私達の心は一つになった。


「キトラ、僕とバウアーでアゴラテルを止める。その間にプラジアと二人でエクウス達を逃がしてくれ!」


 テェアヘペロが剣を抜き、私達の前に背を向ける。

 バウアーの手が私の肩を優しく叩き、そして離れていった。

 鬨の声を上げるアーガの戦士たちの殺気。

 場に満ちる戦いの空気。

 キトラが私の手からオモンを抱え上げた。

 

「急げ、エクウス!」


 周囲は大混乱になっていた。

 私のせいだ。

 冷静に、友好的に。

 そう運んできた全ての事が、私の短気のせいで水の泡になっていた。

 オモンだけではなく、キトラ達をも危険な目に遭わせてしまった。


「悪い。族長から命令が出てしまった。お前たちをここから生きて帰すな、だそうだ」


 サバンテルのその言葉を聞いたとき、私の絶望感は決定的になった。

 もう、ダメだ。

 何もかもおしまいだ。

 しかし、私が感情に飲まれそうになった時だった。

 プラジアの炎がその闇を掻き消した。


「全員生きてここから出るわよ!」


 細く頼りなげな身体からあふれ出した紅蓮の炎。

 炎の塊となったプラジアが、殺気立ったアーガの戦士たちの中に突っ込んで行った。

 初めて目にするプラジアの本気だった。

 すまない、プラジア。

 すまない、みんな。

 私はオモンを抱え、川を目指した。

 しかし、あの子の命はそこまでだった。


「エクウス……もういい。私を置いて……みんなのところへ」

「何を言うか! 気をしっかり持て! 早くアーガの集落に戻るんだ!」

「……だめよ、もう。何にも……見えないの」


 激しい出血。

 オモンの身体は冷たくなっていた。

 腕も足ももう動かない。

 もしも、私達がいたのが医療の発達した都市の中なら助かったかもしれない。

 最新の医療技術を持った最高の外科医ならあの子を助けられたかもしれない。

 だが、オモンが倒れたのは深い深い森の中。

 あの子はほんのわずか長く生きるよりも私に聞いて欲しい事があると訴えていた。


「私は……小さい頃から……エクウスを知っていた……本当なら一緒に大きくなったはずの……私の姉さん……会いたかった」


 オモンは力の入らない手で私の手を握り続けた。

 目は全く見えておらす、手の感触だけで私を認識しようとしていた。

 私も冷たい手を握り返し、擦れる声を必死で聞き取った。

 だんだん聞こえなくなっていくその言葉。

 だが、あの子は死の間際まで私を思ってくれたのだろう。

そこに悲しみの色はなかった。


「姉さん……私は……ずっとあなたの代わり……だった。私がいなくなったら……今度は……姉さんが……みんなを……」

「オモン! そんな事はない、お前はお前だ! お前が死んでしまったらアーガの人たちは……!」

「お願い……姉さん……ここに、私の印を……」


 震える指先が示したのは私の左腕だった。

 オモンの腕にある、「J‐2991」の文字。

 それを、自分の代わりに連れて言って欲しいとあの子は言った。

 私は、その願いを受け入れてやるしかなかった。 

 最後の力を振り絞り、オモンは爪先で私の皮膚にその六文字を刻んだ。

 そして、満足したかのような顔を私に見せた。


「エクウス……最後に、あなたに会えて……よかった」

「オモン……!」

「私たちの森と……」


 息を引き取る刹那、私は正確にその言葉を聞き取ってやれなかった。

 森と、アーガ族を頼む。

 恐らくそう言いたかったのだろうと、理解してやることしかできなかった。

 だが、実際私にできる事もそれだけだった。

 血が滲む腕の傷の痛みが、私を仲間――――そしてアーガ族のもとへと突き動かした。


「アゴラテルを、止めなければ」


 乾いていく涙の感触。

 私は軍人、戦わなければいけない人間なのだと何度も自分に言い聞かせながらキトラ達のもとへと走った。

 もう誰も傷つけない。

 もう誰も死なせない。

 私は、アゴラテルのもとへ走った。

 かつて私を捨てた、実の父親のもとへ――――。


 自分の心に殺意が満ちているのには何の疑問もなかった。

 あいつはオモンをいとも簡単に、肉親への思いごとなぶり殺しにしたのだ。

 しかし、私はすぐに自分の弱さを見せつけられた。

 アゴラテルは、化け物だった。

 私の剣など、いとも簡単に跳ね返してしまう強靭な肉体。

 そして、何ものをもなぎ倒す爆発的な筋力。

 私の身体は、玩具のごとく扱われた。

 指先で転がされ、無残に叩きつけられた。

 

「放しなさい!」


 傷めつけられる私を見て、プラジアが飛び出した。

 しかし、その炎をもアゴラテルは退けて見せた。

 銀色に輝く体毛に覆われた岩のような体躯。

 それはプラジアの炎を纏ってもなお、怯まずに森の中を暴れ狂った。

 森の中を火の海にしながら、あの化け物は笑っていた。


 そして、アゴラテルは力が強いだけではなく、その動きも早かった。

 私たちの中では、キトラが断トツの素早さを誇る。

 短剣を手に素早く相手の懐に飛び込む身の軽さは世界中どこに行っても戦闘員として通用する素養だろう。

 だが、そのキトラもアゴラテルの動きには追いつけなかった。

 呆気なく捕らえられ、その太い腕に掴み上げられた。

 頭を掴まれたキトラは、悲鳴すら上げる事ができなかった。


「やめろ! キトラを放せ!」


 私は立ち上がり、再び剣を握った。

 軋む身体がいう事を聞かない。

 だが、キトラを死なせるわけにはいかなかった。

 渾身の一撃をアゴラテルの背中に突き立てる。

 だが、剣が奴に触れるか触れないかの間に私は再び弾き飛ばされた。


 何が剣士だ。

 何が北州王に仕える軍人だ。

 私は自分の無力さに絶望した。

 キトラが、プラジアが、死んでしまう。

 必死にもがいても動かせぬ身体。

 燃え盛る炎が涙で滲んだ。

 その時だった。


「ガァアアアアアアッ……!」


 何かが視界を横切ったと同時に、アゴラテルの悲鳴が響き渡った。

 木が折れる音と、身体に伝わってくる振動。

 揺らぐ炎の向こうに、仰向けに倒れたアゴラテルを殴りつける者の姿があった。

 それは、アゴラテルよりもはるかに小柄なアーガ族の戦士。

 引き締まった体に黒々とした大きな翼が生えていた。


「貴様! 裏切る気かリョウ!」


 押さえつけられたアゴラテルはそう叫んでいた。

 アゴラテルの上に馬乗りになったアーガの戦士はその太い首元を両手で絞め上げた。

 電流が走ったかのように引き攣るアゴラテルの四肢。

 静かな声が私の耳に聞こえてきた。


「私は貴様の知っているリョウという男でもなければ、この身体の本当の主……ルケンテルとも違う」

「グウッ……っ!」

「分からないか、アゴラテル?」


 私はどうにか上体を起こし、周りを見た。

 プラジアが倒れた木の陰で震えていた。

 アゴラテルのあまりの強さにすくんでしまったのだ。

 声をかけ、身体を引きずりながらその傍に寄った。

 プラジアは擦れた喉の奥から、誰かの名を発した。


「ユピテル……先生……」

「……ユピテル?」

「生きて……たの?」


 聴力に秀でたアゴラテルのその耳がプラジアの声を聞きとったのか。

 呻り声を上げ、奴は力ずくでそのアーガの戦士を引きはがした。

 小柄なアーガの戦士は静かにアゴラテルを見つめていた。

 そして、こう言った。


「この子らは私の大事な教え子だ。お前は随分強くなったようだが、私もあれから森を出て自分なりに成長したつもりだ。少なくとも……簡単にお前の思い通りにならない程度にはな」

「貴様……!」

「さてどうする。あの時のように私を追い出したいのなら、今度こそ完全に殺さねばならんぞ?」


 強い眼差し。

 その身体から出る闘気オーラに、私は得体のしれないものを感じた。

 プラジアーナの震える肩を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。

 味方なのか。

 だが、私はその戦士が怖くてたまらなかった。

 そして、それはアゴラテルも同じのようだった。


「この森に戻ったことを……いずれ後悔するぞ、ユピテル!」


 捨て台詞のようにそう吐くと、アゴラテルは翼を広げ、森の奥へ飛び去っていった。

 残されたアーガの戦士は大きくため息をつくと、「やれやれ」という様子で首を振った。

 そして、私達の方を向くとゆっくりこちらへ歩いてきた。

 闘気はどこかに霧散したように消えていた。

 穏やかな声が、「大丈夫かい?」と私に言った。


「立てないなら力を貸そう。もうすぐここは雨が降る」

「雨が……?」

「プラジアの炎が、雲を呼んでしまったようでね」


 耳を澄ますと、かすかに遠くで雷の音が聞こえた。

 森の一部が燃えたせいで、発生した熱気が雲を呼んだのだ。

 僅かに雨の匂いがしていた。


「ユピテル先生……なの?」


 プラジアがもう一度その名を口にした。

 アーガの戦士は困った顔をしていた。

 だが彼女の問いを肯定するように、大きな手がプラジアの頭を撫でた。

 父が娘を慈しむような眼差しがプラジアに注がれる。

プラジアは相手が自分の知る人物と認識したようだった。

 その男の胸に飛び込むと、子供のように泣きじゃくった。


「先生……っ! 先生、キトラが……っ! キトラが……!」

「大丈夫だ、大丈夫だよプラジア。気を失ってるだけだ。死んじゃいないから」

「うあ、うあああああああ!」

「よしよし、泣くな泣くな。すまないな、えーと君の名は?」

「……エクウスだ」

「エクウス君、プラジアをちょっと頼むよ」

「先生やだ! やだぁ!」

「落ち着きなさいプラジア。大丈夫だから」


 ユピテル氏は私にプラジアを預けると、倒れているキトラを担いで戻ってきた。

 アゴラテルに締め上げられたせいで失神してしまったらしい。

 しかし、ユピテル氏の見立てではどうやら大したことはなさそうだった。

 暫くすると、ユピテル氏の言った通りに雨が降ってきた。

 私はプラジアの力を借り、雨を避けながら森の中を飛んでアーガの集落へと戻った。

 飛びながら、ユピテル氏にアーガ族の戦士たちに話をするように頼まれた。


「族長のアゴラテルが失踪して、みんな混乱してるはずなんだ。私から話をして何となく状況は把握しているはずだが、納得はしていないだろうからね」

「何を話せば……」

「奴がアーガ族を捨てて、失踪した事をさ。そして、君の妹さんの事もね」


 集落に着くと、サバンテル、ラカテルの両者が腕を組んで仁王立ちしていた。

 問い詰められたユピテル氏は冷静に応えていた。

が、その話の内容は状況を見ていなかった者にはそう簡単に受け入れられるものではない。

 特に、ユピテル氏がルケンテルという者と身体が入れ替わった話は奇想天外だった。


「貴様が……ユピテル? ルケンテルの身体と入れ替わっただと? そんな話が信じられるか!」

「何がどうなったかは分からんが、そうらしいんだよサバンテル。納得できないか?」

「できたほうがおかしいわ!」

「しかし……ルケンテルは話ができなかったはずだ。それに、このイライラする話し方は兄貴によく似てはいる」

「そんなのは頑張って練習でどうにかしたかもしれんではないかラカテル!」


この星に生命が息づく前に他の星からやってきた謎の組織「Jプロジェクト」のメンバー。

その一人に自分の身体を乗っ取られた。

そして、やむを得なくその「リョウ」という人物を自分の身体ごと始末したために「ルケンテル」という人物の肉体に精神が移ってしまった。

 だから、死んだはずの身で生きている。

 そんな説明で頭の中をごちゃごちゃにされた者たちは逆上し、ユピテル氏に食って掛かっていた。

 真っ先に彼をユピテル氏だと認識したはずのプラジアーナですら、話を聞いて「やっぱり違うかも」と言い出す始末。

 私もどうフォローしたらよいか分からず、バウアーたちと途方に暮れた。


 しかし、現実に族長であるアゴラテルの姿は森から消えていた。

 一族の傍を離れてはならぬはずの族長が失踪したのだ。

 彼がアーガを裏切ったのは確かだった。

 そして、私の腕に刻まれたオモンの痕跡。

 亡きあの子の意思が、一族の進むべき道を指し示していた。


「オモンが最後に残した願いは我々がこれ以上争わぬことだ。あの子の悲しい犠牲を、我々は無駄にしてはならぬのではないか?」


 一族はそう指摘したラカテルの声に一つになった。

 混乱して行き先を失っている場合ではない。

 今こそアーガは団結しなければならないのだ。

 元々戦士たちのまとめ役をしていたサバンテルやラカテルを中心に、一族は落ち着きを取り戻した。


「これは……間違いなくあの子の爪の跡だよ。オモンはアタシたちがこれ以上争うのを望んじゃいなかった」


 私の腕に刻まれた文字を見ると、賢き老婆、エオンはそう言って涙を拭った。

 一族の集落を出た者たちは皆、集落に戻ることになった。

 アゴラテルを畏れ、従っていた戦士たちやその周りの者も、決してオモンの死など望んでいなかった。

 実の子に手をかけるようなアゴラテルのいきすぎた横暴に、内心深い怒りを抱いていたのだ。

 雨が上がるとすぐに若者たちがオモンの身体を回収しに行ってくれた。

 一族は死者を弔う歌を歌い、オモンに別れを告げた。

 オモンは生前好きだったというアーガの集落が一望できる場所に葬られた。

 

 穴に土がかけられオモンの姿が見えなくなると、私は一気に体中の力が抜けてしまった。

 ろうそくが溶けて流れ出すように、抑えられない涙が溢れ続けた。

 そんな私を見て、そっと近づいてきた年寄りのアーガ族の女がいた。

 女は酷くやつれきっており、若いアーガの戦士二人に支えられていた。

 アンタの母親だ。

 そう、エオンが言った。


「言葉は話せないが、間違いなくアンタを産んだ母さんなんだよ。分かるだろう、エクウス?」

「あなたが私の……母、なのか?」

「ア……ア……」


 母は私の顔に触れ、腕に触れ、はらはらと涙を流した。

 そして、目や、鼻、口元を自分の物と交互に指で指した。

 よく似ている。

 間違いなく、アンタは私の娘だ。

 そう言っているのが分かった。

 私は老いて体の小さくなった母を抱きしめた。


「あなたが……私を産んでくれたんだな」

「アイア! アア、アイイアア!」

「分かるよ、母さん。私は……あなたの娘だ」


 号泣する母を見て、二人の戦士たちも泣いていた。

 兄と、弟。

 私と血の繋がった兄弟だった。

 言葉は拙くはあったが、兄は私がいなくなった時のことを話してくれた。

 まだ赤ん坊だった私は母の手から奪われ、森の外に捨てられたと兄は言った。


「エクウス、目、色、父さん、怖い。エクウス、捨てる、父さん、言った。母さん、泣いた、父さん、許さない」

「私の目の色が……アゴラテルは怖かった?」

「目、金色、アーガ様。女、金色、父さん、怖い」


 アーガ族に生まれた者の目の色は通常、黒か濃い茶色をしている。

 金色は非常にまれで、ほとんどが男に現れるのだと後でエオンが教えてくれた。

 アゴラテルの前の族長であるシーガルテルという男も金色の目をしており、優れたリーダーだったらしい。

 金色の目に生まれたアーガ族は、生まれながらに並外れた力を持つという。

 男であれば、将来は一族を率いる長となる事を期待される。

 だが、金色の目を持った女は逆に一族に災いをもたらすとして恐れる者が多いのだ。


「父さん、違う。金色、目、女、アーガ様。エクウス、強い。アーガ様、同じ」

「私と……アーガ様が同じ?」

「エクウス、私、妹。エクウス、私、母さん、弟、家族」


 兄は私を自分の家族として認めてくれていた。

 金色の目を持った女は初代の族長、王であった「アーガ」も同じ。

 だから恐れる事はないと言ってくれた。

 しかし、私はそれでもずっと自分が森に入った事について、間違いだったのではないかと思い続けていた。

 父・アゴラテルが言ったように、私は「災い」をもたらしてしまったともいえるのだ。

 

 私がここに来なければ。

 そして、アゴラテルに会うようなことがなければオモンは死なずに済んだかもしれない。

 そう思うと、胸が張り裂けそうだった。

 しかし、私が泣くと、母や兄弟たちは不安そうな顔をした。

 一族はオモン亡き後、私にその面影を求めていた。


 泣いてはいけない。

 気丈に振る舞わなければ。

 だが、そう思えば思うほど心は崩れそうになった。

 そして、夜中に一人オモンの墓の前で泣いているところをバウアーに見つかった。

 私はバツが悪くてならなかったが、バウアーは「こんな事だろうと思った」と言っていた。


「無理してんだろう、ってさ。お前、ずっと酷い顔してただろ」

「……放っておいてくれ。もう、治まったところだ。そろそろ寝る」

「治まるかよ。妹が死んでんのに」


 逃げ出そうとする私を遮るように、バウアーは私の隣に腰を下ろした。

 降るような星空だった。

 バウアーは黙って私の手を握ってくれた。

 優しくされれば堪えきれなくなる。

 私はバウアーの手を払おうとした。

 だが、バウアーは離さなかった。

 それでも払うとすると、無理やり抱きしめられた。


「やめろよな……意地張んの。オレ、お前みたいなの見ると、放っとけなくなるんだよ」

「何で……! 離せ!」

「いいから泣けよエクウス」


 私を拘束し、逃げ出せないように強く抱きしめる腕。

 ごしごしと髪を撫でる、決して器用とは言えない手つき。

 生まれてから、男にそんな事をされるのは初めてだった。

 引きはがそうと思えばできたかもしれない。

 だが、私は動けなかった。

 

「泣けよ」

「やめろ……バウアー……私は」

「暗いから顔、分かんねえだろ? 好きな男の代わりにでもなってやる。だから、思いっきり泣け」

「……っ、そんな男……いるわけ……っ」


 私が決して強くないことを、バウアーには隠しきれなかったのだろう。

 意地を張って塗り固めたものが一気に決壊し、私はバウアーの腕の中でみっともないくらいに泣いた。

 泣いて泣いて、最後には涙も声も枯れていた。

 バウアーは私が奴の服を涙や鼻水で汚すのも気にしなかった。

 だからもう、思い切り甘えてしまった。


 涙は泣きすぎると枯れるものなのか。

 最後はもう、ただ喉と鼻の奥が痛くなっていた。

 そうして我に返ると、私はやはり恥ずかしくなった。

 貰われっ子だという意識が子供の頃からずっとあったせいか、私は育ての親にすら素直に甘えた事がなかった。

 泣いたりわめいたりして相手が困った顔をするのが嫌だった。

 そんな私が、バウアーの前では我慢が出来なかった。


 目は腫れ、鼻は真っ赤になり、声はガラガラ。

 バウアーはさぞや呆れた事だろう。

 そう思うと、奴の顔をマトモに見る事が出来なかった。

 だが、そんな私を見てバウアーは笑っていた。

 かわいい。

 そんな訳のわからないことを言って。


「やっとマトモな顔になったな、お前」

「……何だそれは」

「普通の女の子の顔、って事さ」


 バウアーは私の肩を抱いたまま、少し寝不足の顔で笑った。

 私は悔しくなって、「責任をとれ」とバウアーに言ってやった。

 ここまでみっともないところを見せてしまったら、他の男のところに行けなくなる。

 何だそれは、意味不明な理屈だとバウアーは言った。

 だが、嫌だとは言わなかった。


「確かにそれも、いいかもしれないな」


 その時に見せたバウアーの優しげな眼差しが私の胸の中にいつまでも残った。

 それまでもバウアーに興味がなかったわけではない。

 好みのタイプの男がいる、という浅はかな感情。

 あわよくばお互い何かあればいいと思っていた私である。

 だが、その時私の中でバウアーの存在が大きく変わったのは確かだった。

 冗談の類は抜きにして、私はこの男と一緒にいるべきではないか。

 そう、思ったのだ。


「なぁ、プラジア。運命の相手とは、いるものだと思うか?」


 森を出てギヨナ村に一泊した日、私は寝る間際のプラジアに聞いた。

 多分、少し気分が舞い上がっていたのだろう。

 そんな色ボケた事を考えている時ではないのに、我ながら不謹慎だとは思ったが、どうにも自分の心がいう事を聞かなかった。

 何だか身体がふわふわしていたのは自分でも分かった。

 プラジアはそんな私を見て、バウアーと何かあったのだとすぐに悟った。

 分かりやすすぎると笑っていた。


「エクウスがきょろきょろしてるなーと思うとバウアーの方見てて。バウアーもエクウスにちょっかいばっかり出してるし。もう分かってた」

「……そうか」

「私は運命って信じるわ。この世界に何億人も人がいて、その中でいろんな条件が重なった結果で出会えた誰かを好きになるんですもの。それは自分がその人を愛する運命だったんだと思わなきゃ」

「そうかな……」

「あなたなんて特にそうよ、エクウス。バウアーに出会うまでにどんなにたくさんの奇跡や偶然があったことか。そうじゃない?」


 私が森の外で出会わなければ。

 私がバウアーたちと森に行くことにならなければ。

 コゴミの街の中で職人として生きてきたバウアーと、女だてらに剣を振る私が出会っていたかどうか。

 そう思うと、確かに運命が私を動かしている気がしてきた。

 これからの私の人生にはバウアーが寄り添うのかもしれない。

 バウアーも私を必要としてくれるのかもしれない。

 いろいろな事が終わったら、バウアーと二人で話をしよう。

 私はそう思いながら眠りについた。


 翌日、私たちは皇帝陛下の三男、モリアンビー皇子の出迎えを受け、皇帝ガイオス様のもとへ向かった。

 私やプラジアと同じ「J‐」の文字を持つ皇女ノヴァ、そしてテェアヘペロの妹のビエルフィアが何者かにさらわれたのだという。

 犯人は「Jプロジェクト」なる組織のメンバーで、かつてこの星を造った人間たち。

 ノヴァ皇女の誘拐に当たっては、長兄のセルシャンデ元皇太子も関わっていた。

 そして、私やプラジアも彼らの標的だと陛下は言われた。

 得体のしれない何者かに誘拐される危機が迫っている。

 何だかピンとこなかった。

 だが、皇帝陛下のお考えならば従わねばならない。

 私たちは軍の保護下に置かれる事になった。

 そして、キトラ達も森での任務を解かれ帰宅を命じられた。


「モリアンビー様、ネイリア様にお会いする事は叶いませんか」


 私は自分の事よりも、末娘のノヴァ様がいなくなり嘆き悲しんでおられる北州王が心配だった。

 なんとか自分の力でお支えすることは叶わないか。

 そう尋ねると、モリアンビー皇子は忙しい業務の手を止め、私をネイリア様の私室の前まで連れて行ってくださった。

 兄上と妹君が行方知れずになり、母上は業務ができないほどのご状態。

 気丈に振る舞ってはおられたが、モリアンビー皇子自身もかなり辛そうな顔をされていた。


「今回の事……セルシャンデの兄上が関わっているというからな。もう、何が何やらだ」

「私は北州の軍人です。ノヴァ様救出のため、自分に何かできる事があれば何なりとご命令を」

「エクウス、君の今回の任務はもう終了している。あとは母上を……皇后ネイリアの傍についていて欲しい」


 モリアンビー皇子もやはり、皇帝陛下と同じことをおっしゃった。

 もう私たちが森に行くことは許されないのだ。

 私は何か一言申し上げたい気持ちをぐっと奥歯で咬み殺した。

 軍人になりたての頃の私ならば若気の至りで差し出たことを口にしてしまったかもしれないが、もう子供ではない。

 

「母上、モリアンビーでございます。近衛軍のエクウスをお連れしました」

 

 モリアンビー皇子の声に、部屋の中から弱弱しい返事が返ってきた。

 ネイリア様は部屋に入ることを許してくださったが、とても会話ができる様な状況ではなかった。

 私がお傍に寄ると、ただ私の手を握りひたすらに震えながら泣いておられた。

 何か口から出しておっしゃってはいる。

 だが、涙交じりの単語の羅列は誰かに対して発している言葉ではないらしく、私達にはハッキリと聞き取れなかった。

 そんなネイリア様のご様子を見ると、モリアンビー皇子は黙って部屋を出て行かれた。

 幼い頃から知る母親の姿としてはあまりに痛々しく、とても正視してはいられなかったのだ。


「私がお傍におります、ネイリア様」


 今の私に求められているのは戦場に行くことではない。

 剣を持って戦うことではない。

 弱り切ってしまわれた北州王の姿に、私は森に残してきた実母を重ねた。

 父アゴラテルの横暴に耐え、様々な悲しみを乗り越えてきたであろう母の傍らには兄弟たちがいた。

 彼らがいたから、あの老いた母は生きて来られたのだ。


 私に教養を与え、礼儀を身に着けさせ、軍人として、人間として成長させてくださったネイリア様は私にとって主であると同時に育ての母も同じ。

 今こそ、この方をお支えしなければ。

 侍女を呼んで、私は剣を預けた。

 娘が母を守るのに、武器など必要ない。

 

 ネイリア様はやがて、泣きつかれて寝入ってしまわれた。

 私は隣の部屋で仮眠を取り、ネイリア様が必要とされればすぐに起きられるようにした。

 プラジアは「一人で寝るのは寂しい」と言ったが仕方がない。

 ドアを大きく開け、すすり泣きが聞こえればすぐに起きられるように。

 私はソファーにもたれ、静かに目を閉じた。


 微睡のうちに見たのは、まだ北州に仕えて間もない頃の夢。

 剣をまだ知らず、メイド服に身を包んだ角の無い私がいた。

 北州と城の事しか知らなかった頃の私。

 だが、それなのになぜか周りにはバウアーやキトラ達がいた。

 大人のバウアーに手を引かれ、私は何も考えずにただはしゃいでいた。

 彼らが周りにいるのがただただ、幸せだった。


 温かい微睡み。

 しかし、それは夜半にかき消された。

 瞼を開くや否や、私の目に飛び込んできたのは暗闇の中で動く数人の人影だった。

 私はとっさに腰に手をやった。

 しかし、そこに剣はない。

 目の前にいた人物は笑っていた。


「大人しくした方が良い。武器を持たないアーガの娘がどれほど無力な存在か、君が一番よく知っているだろう」

「……貴様ら、何者だ」

「おいおい知ることになるさ。我々と一緒に来てくれればね」


 目が慣れてくる。

 三人、いや、四人か。

 当然ながら、私の全く知らない者たちだった。

 人種はルーデンス、セピア、ダーガーン、そしてテェアヘペロと同じクウォールとルーデンスのハーフ。

 顔立ちからは性別が判然としない者もいたが、私は嗅覚で全員が男であることを判別した。

 そして、害意のあることを。


「隣には君の大事な人がいるね」


 ルーデンスの男が言った。

 顔立ちが妙に整っているせいで、かえってその笑みが私には冷徹に見えた。

 ノヴァ様やテェアヘペロの妹等の誘拐に関わった者たちとみて間違いない。

 剣を預けてしまったのを激しく後悔したが、もう遅い。

 私が優先すべきは、ネイリア様の身の安全だった。


「……分かった。貴様らの言うとおりにしよう」

「話が分かる子で助かったよ、エクウス。君を傷つけると怒る奴がいるからね」


 セピア族の男が私の背後に回り、背中側から服の下を確認した。

 隠し武器などないと言うと手をロープのようなもので拘束された。

 いざとなれば、縄抜けくらいの技術はある。

 引っ張られて部屋から出ると、城の廊下は不気味なくらいに静かだった。

 照明は全て消えていて、月明かりの中でだらしなく寝入っている衛兵たちの姿が見えた。

 薬か。

 無事に帰ることができた暁には、北州軍の若い奴らをもう一度基礎から鍛えなおすようにネイリア様に申し上げなければならないかもしれない。

 変に冷静な頭でそんな事を考えていると、城の前庭に出た。

 

 大柄の男が何かを担いで立っていた。

 近づくと、男が担いでいるのがぐったりとなったプラジアであることが分かった。

 プラジアの手足やオレンジ色の翼が男の肩からだらりと垂れさがっていた。

 月明かりに照らされたその男。

 そして、風に乗って流れてきた忌々しい匂い。

 私は拘束されているのも忘れ、思わず駈け出そうとしていた。


「貴様は……アゴラテル!」


 セピア族の男が私の縄を強く引き、駆けだす前に足がもつれた。

 大きな手が私の頭を掴んで抑え込む。

 私は四肢をよじって喚きたてた。


「プラジアを離せ! その子に何をした!」

「……眠ってもらっただけだ。元より、私にお前たちを殺す気などない」

「……っ!」


 アゴラテルはプラジアをダーガーン族の男に渡し、こちらに近づいてきた。

 そして、私が咬み殺さんばかりの顔でいるのにも構う様子もなく手を出し、私の顎を持ち上げた。

 べたりとした嫌な目が私をしげしげと見る。

 値踏みするような視線。

 アゴラテルはフン、と鼻を鳴らしいやらしい笑みを浮かべた。


「悪くない」


 ぞくり。

 体の芯から凍るように、怖気が立った。

 この恐ろしさが何なのか、私にはその時は分からなかった。

 ただ、逃れたいと、そう思った。

 心の中で、夢で私の手を引いてくれたバウアーの手の温もりを求めていた。


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