【第二十三話】 ゴウ
「ゴウ様!」
ビエルフィアは男の姿を見ると、パッと立ち上がって駆け寄った。
男はビエルフィアを抱き留め、子供をあやすようにその頭を撫でた。
そしてユピテルに目をやると、小さくため息をついた。
「リョウが裏切ったと聞いていましたが、やはり私の思った通りでしたね。実に迂闊な……殺されてしまうなどと」
「初めましてだな。アンタはオレ達のご先祖様を作ったっていう奴らの一人かい?」
サバンテルが男を睨みつけた。
男は静かな声で「ええ」と応えた。
「私がいなければ、あなたたちはここにはいません。いわば、私はあなたたちの父親という事になるでしょう」
「そんじゃあ子供のオレ達に教えてくれ。その子に一体何をした」
「その子、とは……『クウォール』の事ですか?」
ゴウと呼ばれた男の腕の中から、ビエルフィアはちらりとこちらを見た。
敵意のこもった眼差し。
明らかに、様子がおかしかった。
「その手を放せ!」
テェアヘペロがふらふらと立ちあがり、叫んだ。
ビエルフィアの肩がビクリと跳ね上がる。
そして、縋るようにゴウの胸に顔を埋めた。
実の兄に対する反応ではなかった。
「大声を出さないでください。私のクウォールが怯えています」
「クウォール……だと?」
「この子はクウォール。あなたの妹ではなく、総てのクウォール族の母……一族の『イヴ』たる存在。そして、私の愛しい妻です」
クゥオール。
そう呼ばれたビエルフィアは、ゴウの顔を愛おしげに見つめていた
それを見たユピテルがチッと舌を鳴らした。
「貴様……人格を入れ替えたな」
「彼女には新たな肉体が必要でしたからね」
「やはりな。『六族の王』のミイラを集めたのは……あの中に保存されていた王たちの人格を回収するためか」
「王たちの人格って……どういう意味ですかユピテル先生」
「あそこにいるのはテェアヘペロ君の妹さんではないのだよ、センバ君。数万年前に死んだはずの最初のクウォール族、『J‐0001』のクウォール本人なんだ」
人格の入れ替え。
最初のクウォール族。
俄かには信じられない話だった。
しかし、ユピテルはその事を真実と確信しているようだった。
ミイラとなった肉体に保存されていた「クウォール」の人格。
それが今、ビエルフィアの身体の中にあるのだ、と。
「そんな……なら、ビエルフィアはどこに……!」
「ここにいますよ。クウォールと一つになったのです」
声を震わせるテェアヘペロ。
彼に対し、ゴウは淡々とそう言った。
そしてさらに、こう続けた。
「こうなる事は、彼女の運命だったのです。初代の王と一つになり、永久の夢を見る……クゥオールの運命の恋人たる私と一緒にね」
「ふざけるな!」
テェアヘペロは噛みつくように叫んだ。
自己の言葉に酔うかのようなゴウの主張。
当然、容認などできない言葉だった。
腰の剣に手をやり、テェアヘペロは殺意を露わにした。
「お前がどう言おうとそこにいるのはオレの妹だ。力ずくで奪い返す!」
「やれやれ……無駄口を叩いていては時間の無駄ですね。私も力づくであなた達を排除するように言われています」
「!」
ゴウは暗がりに手を伸ばし、何かの装置に振れた。
鳴り響いた不快な機械音。
天井の板がカタカタと外れ、何かが降りてきた。
筒状のものがキトラ達の方を向き、赤い光が点滅する。
「伏せろ!」
ユピテルが叫んだ。
キュイン、キュイン、という音が鳴り響き、床の上で激しく弾けた。
キトラ達は培養層を盾に床に伏せた。
「柵の外へ飛び降りろ!」
ユピテルの手が必死に伏せるキトラの体を叩いた。
培養層の向こうには丸いパイプで作られた金属の柵。
その下には何かの装置が並ぶさらに下の階があった。
キトラはそこへ転がり込むようにして飛び降りた。
「テェアヘペロ! バウアー! こっちだ!」
必死に二人を呼ぶ。
バウアーは床を転がり、どうにかこちらへ逃げのびた。
だが、テェアヘペロは来ない。
光線の叩きつける方を見ると、ゆっくりと立ち去るゴウとビエルフィアの姿が見えた。
テェアヘペロは右手に剣を構え、光線を避けながらその後を追っていた。
「テェアヘペロ! だめだ! 行くな!」
キトラは叫んだが、その声は光線が走る音に阻まれてもう届かなかった。
そしてキトラの声に反応したのか、天井から何か細いものが降りてきた。
折れ曲がった先がこちらに向き、床下にいるキトラの方を向く。
飛び出した何かが向かいの壁に当たりジュ、と音を立てた。
さっきより強い光線が当たり、その部分が溶けていた。
「殺人光線だ……! 二人とも、培養層の影に入れ!」
ユピテルに怒鳴られ、天井からの光線の当たらない場所へ逃げ込む。
恐らく、防犯装置なのだろう。
機材には当たらないように設計されているのか、下に逃げれば光線はこなかった。
そこから覗くと、装置がいくつも降りてきて、不快な音を立てながらキトラ達を探していた。
テェアヘペロを追うのはもう無理だった。
「クソッ……! あのバカ野郎!」
バウアーが培養層の下を蹴り飛ばした。
バカ野郎はゴウの事なのかテェアヘペロの事なのか。
恐らく、両方なのだろう。
ビエルフィアは死んではいなかった。
しかし、その中にいるのは彼女ではない。
他の娘たちも同じようにされているのだろうか。
プラジアーナの中にも他人が入ってしまっているのだろうか。
キトラは絶望感に苛まれた。
「ユピテル先生……どうしたら」
「まだ方法はある。センバ君、我々もあいつらを追おう」
「方法?」
「恐らく、プラジア達もまだ生きている。だったらまだ、希望は捨ててはだめだ」
「ですが……!」
「大丈夫だ。その証拠がここにいる」
ユピテルは自分自身を指差した。
身体を乗っ取られ、支配される。
そんな経験をしながらも自分が何とかこうして生きているのだから、ビエルフィア達も助けられるに違いない。
そう言って、ユピテルはキトラ達を励ました。
「外ではサバンテル達が戦っている。モリアンビー皇子も我々を信じて送り出してくださったんだ。ここで諦めるわけにはいかん。そうだろう?」
「そうですね。すみませんユピテル先生……つい弱気になってしまって」
「さっきのところはセキュリティが厳しい。別ルートを探そう」
部屋の中には、円柱形の水槽がずらりと並んでいた。
それぞれの側面にはネームプレートらしきものが取り付けられ、人間の体が頭まで浸かれる高さと幅がある。
キトラは上のセキュリティ装置に見つからないよう、ユピテルやバウアーと共に注意深くその脇を進んだ。
すると、奥にアーガ族の集落にあったものとよく似た装置が見つかった。
「ランプがついてる。起動してるな……」
バウアーが周りを気にしながら装置に近づいた。
そっと操作部に触れると、画面が明るくなった。
誰かがいじっていたのだろう。
部屋の見取り図らしきものが表示されていた。
ドアの位置や、部屋の中のものの配置を見ると、どうやらこの部屋らしい。
セキュリティの設定を行うための画面表示かもしれないとバウアーは言った。
「ユピテル先生、これ、うまくやればさっきの殺人光線どうにかできるんじゃないすか?」
「解除できるということか」
「アーガの集落にある装置と同じような機能があるなら、これでこの中のものを管理してる可能性もあるかもっす。この……赤い表示がさっきの光線の出てるやつだとすると……」
バウアーは画面を指で突いた。
すると、部屋中にピーッという音が鳴り響いた。
そして、天井の方でガタガタと音がしたかと思うと、シーンと静まり返ってしまった。
「もしかして……大当たり? キトラ、上……どうかな?」
「試してみよう」
キトラは近くに落ちていた金属の破片を上の階段の方に投げてみた。
何も起こらない。
そっと手を伸ばしてみたが、やはり部屋は静かなままだ。
どうやら、これで解除ができたらしい。
バウアーは笑みを浮かべて拳を握り締めた。
「やったぜ! これで先に行けますよ先生!」
「でかしたぞバウアー君! じゃあ、急ごう」
「うははは! オレ、天才かも!」
喜びのあまり、バウアーは声が上ずっていた。
セキュリティは解除できた。
これで殺人光線に襲われる事もない。
だが、装置をいじったことを中にいるJプロジェクトのメンバーに気づかれた可能性がある。
急がなければならなかった。
「とりあえず、テェアヘペロを追おう! ユピテル先生、あいつの匂い、分かりますか?」
「薬品の匂いがきついが、何とかなるだろう。センバ君、周りの警戒を頼む」
ユピテルはテェアヘペロの匂いに集中するため、キトラとバウアーに周囲の警戒をさせた。
テェアヘペロはやや下りになった廊下を、ゴウとビエルフィアを必死に追いかけたらしい。
刺し傷から滴った血らしき赤い跡がまるで道しるべのように残っていた。
その匂いを辿っていくと、廊下の突き当りにぶつかった。
上を見ると、四角く開いた天井の穴に上の階へと続く短い金属製の梯子がかけられている。
ここを上ったのか。
また何か仕掛けがあるかもしれないという恐怖心を抑えながら、キトラはユピテルらと共に梯子に飛びついた。
すると、意外な事に梯子の上は明るく、屋外の植物の匂いがした。
出たのは、植物が生い茂った場所。
頭を出したキトラの目の前を、ネズミかリスのような小さな生き物が走り過ぎていった。
ビオトープ、というものなのだろうか。
辺りには温帯の湿地に生息するカエルや、虫たちの声が絶え間なく響いている。
鳥などもいるらしく、大きな植物の葉の上に糞や抜け羽などが落ちていた。
静かな田舎の風景を模したようなその場所には小さな川が流れ、色とりどりの花が咲き乱れている。
だが、やはりここは地下の空間らしく、辺りには濃い湿気が籠って蒸し暑かった。
「屋内庭園だな。帝都の宮殿にもあったのを昔見せてもらったことがある」
ユピテルは額の汗を拭いながら周囲を見回した。
天井までいっぱいに伸びた植物の向こうで、いくつもの大きなプロペラが回っていた。
ここは、地下の空気を浄化するための場所なのかもしれない。
キトラは何となくそう思った。
「僅かだが……ここにセピア族の女がいた匂いがする。私の記憶が間違っていなければ、ミイレン氏だろう」
ユピテルが庭の真ん中にある噴水の淵に手を触れた。
ミイレンは噴水を背に、恐らくは手を縛られた状態で座っていたらしい。
キトラがその場所を触ってみると、確かに分厚く生えた苔の上には誰かが座っていたような窪みが残っていた。
「ミイレン大佐の匂いですか。先生、他には分かりませんか?」
「あとは……嗅いだことのない匂いだが、甘い海水のような匂いがあるな。これは、ミイレン氏と共にさらわれたダーガーンの娘かもしれん」
「ミガトの奥さんもここにいたかもしれないんですね。じゃあ、この中を探せばいるかもしれない」
庭園の中は広く、生い茂る緑の草木がかなり奥まで続いていた。
テェアヘペロはここに来て、ついさっきまでぐるぐると歩き回っていたらしく、あちこちに彼の痕跡が残っていた。
しかし、ビエルフィアやいなくなった娘たちの姿はなく、あったのはまた別の空間へと繋がるドアだった。
短時間の間にいろいろな人物がそこを通った痕跡があるとユピテルは言った。
「どうやらここを通らないと他には行けないらしいな。急ごう」
ドアは施錠されておらず、今度はすんなり通ることができた。
屋内庭園の向こうにあったのは、今までの場所とは雰囲気が異なる暗い土のトンネルだった。
空気が籠り、ひどく息苦しさを感じる。
天井からはちらほらと木の根が張り出し、ところどころ地下水が染み出している。
そこに一本だけ電線が張ってあり、小さな明かりがぽつん、ぽつんと続いていた。
「さっきまでとは全然違うな」
バウアーが土のままになっている壁に手を触れ、大槌の先で軽く叩いた。
乾いた粘土層がボロボロと崩れる。
爆発地点に現れた赤い粘土の層と同じ地層のようだった。
「固い地層だから崩れそうにはないけど、さっきのとこまであんなにきっちり作ってたのに比べると、随分安普請じゃないか?」
「何かの理由で、急いで掘ったのかもしれんな」
きっちりとした設備を作っている時間がなく、素掘りのままで使わざるを得なかった場所なのではないか。
ユピテルはそんな風に推理した。
研究所やさっきの屋内庭園は建築するのに十分な余裕があるときに造られた施設で、防犯設備も整っている。
だが、この先は完成を急ぐあまりに十分な時間や手間をかけられなかった。
そのためトンネルを掘っただけのままになっているのではないか。
その考えにバウアーも賛成した。
「確かに、このトンネル掘った後が新しいぜ。見ろよキトラ、この辺りとか、まだスコップみたいなもんの跡も残ってる」
「プラジア達もこの先にいるのかな……」
キトラはふと前を見た。
すると、薄明かりの中に何かきらりと光るものが落ちているのが見えた。
拾い上げ、泥を払って明かりに翳す。
それはオレンジ色をした一枚の羽根だった。
プラジアーナの翼と同じ色をしていた。
「ユピテル先生! これ!」
「間違いない。プラジアのものだ」
ユピテルは辺りを見回し、プラジアーナの匂いを探した。
どこか別のルートからやってきたらしく、プラジアーナの匂いは土のトンネルの奥からやってきて、テェアヘペロ達の向かった方向に進んでいた。
これは恐らく、さらわれた娘たちがどこかに集められている証拠である。
しかも、抜け落ちていたプラジアーナの羽根は比較的新しいものだった。
周囲に残る他の者たちの匂いも新しいままだとユピテルが言った。
「三十分か、一時間以内にはプラジアもここにいたはずだ。居場所は近いぞ!」
「急ぎましょう!」
走り出すユピテルの後を、キトラもバウアーと共に追った。
プラジアーナも、エクウスも、他の女たちもこの近くにいる。
どうか無事で。
キトラは手のひらの中の羽根を祈るように握りしめた。
トンネルは曲がりくねりながら土の中を走っていた。
研究所は思ったよりも広いのだろうか。
途中には固く施錠された扉が並び、たくさんの部屋があった。
その中からはキトラにも分かるほどに濃い、「生き物」の匂いがした。
劣悪な環境でたくさんの生き物が飼われていた時に生ずる独特の蒸れ臭さ。
そしてドアの前にはたくさんの大きな足で踏み固められた跡があった。
明らかに人の足跡だった。
人工アーガ族の戦士たちがここに入れられていて、そしてこの土のトンネルを通って外に出ていったのだ。
どれくらい進んだだろうか。
灯りは次第にまばらになり、辺りは薄暗くなっていた。
地下水がどこからか漏れているのか、足元がぬかっており、キトラは足を取られて前の二人から遅れていた。
いっそ靴を脱いだ方が良いかもしれない。
そう思い、キトラが立ち止まって前にいたバウアーに声をかけようとした時だった。
「うっ……!」
それはあまりにも突然で、身を守る間など与えられなかった。
背後から近づいた何かが一瞬の間にキトラの口を塞ぎ、動きを封じた。
土の匂いのする乾いた手。
ぬるつく地面にバランスを崩す足元。
キトラはもがいたが、その強い力には抗えなかった。
一体何が。
訳の分からないまま後ろに引きずり込まれ、目の前でドアがバタンと閉じた。
ユピテル先生、バウアー。
助けを呼ぼうとしたが、声も出なかった。
真っ暗闇の中、耳元で気配をひそめる何者かの呼吸音が僅かに聞こえる。
油断していた。
だが、後悔しても遅かった。
この研究所の中にいる組織のメンバーに捕まってしまったのか。
殺されるのか。
首元に何か冷たいものが触れた。
刃物だろうか。
キトラは覚悟を決め、ぎゅっと固く目を閉じた。




