【第二十二話】 研究所
森の中とは明らかに空気が違った。
風は乾いていて、ひどく生臭かった。
むき出しになった粘土や、石灰分を含んだ土の匂いだ。
森が吹き飛んでできた巨大なクレーターは、かなり向こうまで広がっていた。
一瞬にして、ここに生えていた木々も、住んでいた動物たちもみんな消し飛んでしまったのか。
そう思うと、あまりにも恐ろしい景色だった。
「帝都にあるビルの、五、六階分くらいかな……多分」
キトラは崖下を眺め、その高さを確認した。
土の匂いを含んだ風が吹き上げてくる。
思わず身がすくむような断崖絶壁だ。
だが、ここは度胸がものをいう。
むき出しになった岩や木の根を伝えば何とか降りる事ができるだろう。
足を踏み出そうとすると、サバンテルが待ったをかけた。
「ここは視界を遮るものがない。いきなり出ていくのは危険だ」
アジトの入り口まで、目測で約500メートル。
崖を下ったうえで、むき出しになった粘土の上を歩かなければならない。
その間、キトラ達はかなり無防備な状態になるのだ。
もしも周りから一気に大集団が襲ってくればひとたまりもない。
慎重に歩を進めるべきだとサバンテルは言った。
「アジトを潰すのが目的なら特攻をかけるのもアリだがな。娘たちを連れて帰ってこなきゃならないことを考えれば、ここで怪我人を出すのはバカだ。一度作戦を練ろう」
持ってきた食料を分け合い、一行は車座になった。
周囲を警戒しながら、休憩をとって頭を整理する。
どの場所から向かうにせよ、無防備な状態で暫く歩かなければならない。
大群に襲われる事を想定すると、誰かが囮にならなければならないというのが大方の意見だった。
「向こうに行ってからの状況はユピテルでないと分からん。となると、お前は行かなければならんだろう。それから、機械に詳しい奴らもな」
「サバンテルがそう言うならユピテル、キトラ、バウアー、テェアヘペロは囮には回せんな。中に入ってからの事を考えれば、あとは残りの奴らで追手を食い止めるのが一番無難ではないか?」
「そうだな。ラカテルの意見を採用しよう。野郎ども、体ほぐしとけよ?」
サバンテルが立ち上がると、アーガの戦士たちからオオッという声が上がった。
まずは若いアーガの戦士たちが敵を引きつけ、足止めをする。
そしてその間に、キトラ達はサバンテルやラカテルの手を借り、素早くアジトに侵入を図る。
方法はそれで決まった。
後は実行のみだった。
暫く休息を取り、身体を休めた後でキトラ達はついに崖を下り始めた。
周囲は戦士たちが固め、周りから襲うものがいないかを確認する。
泥にまみれた木の根や岩を足場にゆっくりと慎重に下へ。
断面となった森の地面はかなり深くまで木の根が張っていた。
その土は驚くほど温かく、ところどころ湯気が上がっている。
これが、森の温度が高い秘密なのだろう。
北の方角から吹いてくる風は身も凍るほど冷たかった。
「お前ら、止まれ」
崖を八分目程降りたところでサバンテルが全員に声をかけた。
サバンテルの指差す先には目指す入り口が見える。
ここからが一番危険なエリアだった。
「ユピテルは気づいてるな? 奴らがもう、すぐそこまで来ている」
「……ああ、そうらしいな」
ユピテルは額に手を翳し、太陽の方角を見た。
キトラ達には分からないが、アーガ族が発する警戒の呻り声がかすかに聞こえるらしい。
あちらはもう、キトラ達の存在に気づき動き出しているようだった。
「よし、じゃあ配置に着け。一気に突っ込むぞ!」
太陽に雲がかかったのを見て、サバンテルが合図を出す。
先陣を切って飛び出したのは、身体に彩色を施した若い戦士五人。
その影が地面にできるや否や、どこからともなく聞こえてきたブーンという音。
対岸の森にわっと現れた黒い影。
それは、潜んでいた人工アーガの一群だった。
「あの音だ……」
キトラは初めて砂漠でアーガ族に遭遇した時の事を思い出した。
上空から一気に襲いかかる殺気の群れ。
それが一気に目標めがけて襲いかかる。
仲間が襲われたのを見た残りの者たちが残らず翼を広げ、出撃する。
空間は一気に戦いの音で溢れた。
「行くぞ!」
キトラはサバンテルの手に抱えられ、空へ舞いあがった。
風を切り、一気に赤土の大地を越える。
空間は戦いの音で溢れた。
響く悲鳴と叫び声。
見てしまえばきっとダメだろう。
ただ前だけを見て、サバンテルに身を任せた。
あと50メートル、20メートル。
背中の双剣に手をかけた。
「突っ込むぞ!」
手を離された感覚。
叩きつけられるようにして地面に降りると、「早く行け!」というサバンテルの声が上から降ってきた。
着地したそのすぐ前には金属製の扉。
作戦は成功だった。
「バウアー、テェアヘペロ、大丈夫か!」
「いってぇ! 足痺れた!」
「早く立てバウアー! キトラ、早く中に入るぞ!」
テェアヘペロが声を上げ、キトラを急きたてる。
振り返ると、サバンテル達は人工アーガの戦士たちの中に突っ込み、重戦車のような勢いで真っ黒な塊を蹴散らしていた。
自分たちも急がなければ。
キトラは目の前のドアに手をかけた。
当然のことながらドアは固く施錠されている。
勢いそのままに体当たりすると、手ごたえがあった。
それを見たユピテルが退いていろと言った。
「セイヤッ!」
バチッという電源コードか何かの切れる音と、へし折れた金属の扉が落下していく音が辺りに響いた。
ユピテルの一蹴りで、そのドアはいとも簡単に壊れた。
そしてひしゃげた金属の塊と化したそれはかなり下まで落ちていき、最後は何かにぶつかって止まった。
扉が開き、現れたのは地下へと続く階段だった。
乾いた冷たい空気がキトラ達の間を吹き抜けた。
この下に何があるのか。
一瞬起こった躊躇いの気持ちを振り払い、キトラは一歩を踏み出した。
暗い階段を外の光を頼りに降りていく。
カン、カン、という固い金属音が洞窟の中のように反響した。
「暗いな……」
耳に届いた機械音と鼻を突く薬品の匂い。
それ以外はあまりに静かで、キトラは不気味さを感じた。
奥には何があるのだろうか。
ユピテルが手を伸ばし、照明のスイッチを探り当てた。
「……すごいな」
中に踏み入って、思わず発した第一声はそれだった。
異様に明るい照明と、何に使うのか分からない管だらけの機械。
ずらりと並んでいるのは手術台だろうか。
照明に照らし出された室内は研究所というよりも病院といった印象だった。
人の気配はなかった。
しかし、ユピテルの鋭敏な鼻はそこに残された数々の情報を嗅ぎ取っていた。
「血の匂いがする」
ユピテルが顔をしかめた。
きれいに掃除された手術台の上に、新しい血の匂いが残っているらしい。
しかもそれを、人間の血らしいとユピテルは言った。
「若いルーデンス族の血の匂いだ。昨日か今日か、ここで血を流した者がいる」
「オレには分かりませんが、そんなにはっきり残ってるんですか?」
「この台の周りだ」
指差されたのは手術台の辺り。
致死量に匹敵するほどの血が流れたであろうことをユピテルの鼻は嗅ぎ取っていた。
もしや、連れ去られた娘たちの誰かか。
キトラは一瞬ノヴァを思い浮かべ、背筋が寒くなった。
だが、ユピテルは違うと首を振った。
「この匂いの濃さは若い男だ。ノヴァ様ではないだろう」
「では……一体誰が」
「……この匂いは、ガイオス陛下に似ている」
ユピテルは手術台の脇に屈み込み、顔をしかめた。
台座の隙間に僅かに残った赤い拭き残し。
それを指先ですくい上げ、ユピテルは慎重に嗅いだ。
皇帝ガイオスに似た匂いという事は、血縁者の可能性が高い。
だとすれば誰か。
テェアヘペロが「セルシャンデ様……」と呟いた。
「ここに来た可能性があるのは、宮殿からノヴァ様を連れ去ったという長兄のセルシャンデ様です」
「まさか……セルシャンデ皇子はここで……」
「濃い血の匂いが残っているということは、亡くなられた可能性もあるでしょう」
Jプロジェクトの組織の人間に利用された可能性が高いというセルシャンデ皇子。
ノヴァを誘拐し、役目を果たしたことで用済みになったために殺された。
その可能性が高かった。
ユピテルは手術台にそっと手を触れ、深くため息をついた。
「とにかく、先へ急ごうセンバ君。娘たちを探すんだ」
「……そうですね」
「ていうか、ここにいた奴らはどこに行ったんだ?」
バウアーが部屋の中を見回した。
部屋にはいくつかの扉があり、それぞれに行き先らしき文字が書かれていた。
文字はエオンが管理していたアーガ族の集落に会ったあの装置に表示されたものと酷似している。
そして、その中にはキトラが読めるものも含まれていた。
アルファベットを含む単語だった。
「ユピテル先生、ここにある文字は全部、Jプロジェクトのメンバーが元いた自分の星で使っていた言葉なんでしょうか」
「そうらしいな。この研究所に残っている資料の多くが我々の読めない言葉で書かれていた。だが、いくつかは我々の使っている言語のものだった。奴らは多分、二種類の言葉を使い分けていたんだろう」
研究室、危険、高温、薬品。
そのようないくつかの単語や部屋の名前はキトラにも分かった。
これらは恐らく、他の星から来た言語なのだ。
今この世界にある言葉がこの星でできたものではなく、何万年もの昔にどこか遠い世界で使われたものだった。
そう思うと、不思議だった。
キトラは壁に並ぶドアの文字を一つ一つ見ていった。
ユピテルがそのうちの一つ「LABORATORY 02」と書かれたドアに近づき、取っ手を回した。
「この下が……例の培養装置のある部屋だ」
ギィイ……と音を立てて入り口が開く。
階段がまた下へと続いているのが分かった。
今度は入り口の階段ほど高くないらしい。
ユピテルは階段へと身を乗り出しかけ、そしてそこで止まった。
「……誰かいたぞ」
手招きされてついて行くと、そこには若い女が立っていた。
栗色の巻き毛を長く伸ばした二十代前半と思われる女。
頭には茶色い獣の耳がピョン、と突き出ていた。
女は無表情のまま、黒い瞳をこちらに向けていた。
その姿を見た途端、後ろにいたテェアヘペロがバウアーとキトラを押しのけてのびだした。
「ビエルフィア!」
それは、テェアヘペロの妹の名だった。
テェアヘペロは若い女を掻き抱くようにしてわが身に寄せた。
見た目は見るからにクウォールとルーデンスのハーフに見えるその女は、確かにテェアヘペロによく似ていた。
「無事でよかった……! 心配したんだぞ!」
「兄様……」
女は無表情のまま、テェアヘペロの背中に手を回した。
彼女は、無事だったのか。
とすれば、何よりもの再会だった。
だが、何かを感じたのか。
ユピテルが「離れろ!」と大声を上げた。
「テェアヘペロ君、ダメだ! 妹さんから離れろ!」
「なっ……!」
テェアヘペロの腕の中で口の端を釣り上げる女。
キトラの視界の先で、何かがきらりと光った。
それは鋭利な一本のナイフ。
振り下ろされた切っ先がテェアヘペロの身体に突き刺さった。
狭い部屋の中に悲鳴が響き渡った。
「放せ!」
バウアーが飛び出し、女を押しのけてテェアヘペロを庇った。
女はふらりとバランスを崩し、そのまま転んで尻餅をついた。
ナイフが刺さったのはテェアヘペロの左肩。
苦痛の表情を浮かべて倒れ込むテェアヘペロ。
軍服に赤い血が滲んでいた。
「キトラ! ナイフを取り上げろ!」
「分かった!」
バウアーに言われ、キトラは倒れ込む女の手を掴んだ。
乱暴に扱えば折れてしまいそうなその手は、簡単にナイフを放し、悲鳴を上げた。
女はキトラに抗い、細い手足をばたつかせて喚く。
一体なぜ自分の兄を刺したりしたのだろうか。
その時、部屋の奥から誰かの足音が聞こえてきた。
「若い女性にそんな乱暴はいけませんね。手を放していただけませんか」
やや高く、よく通る声音。
背の高い男が薄暗がりから現れた。
ピンと張り出した獣の耳に、長く伸びた赤褐色の巻き毛。
テェアヘペロやビエルフィアと同じく、クウォールとルーデンスのハーフと思われるその男。
彼は、真っ黒な瞳でキトラを見ていた。




