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【第二十一話】 ラーア・ウラ

「目撃者がいないって、どういうことなんだ!」


 モリアンビーは拳で激しく机を叩いた。

 キトラの前にいたバウアーの方がビクッと跳ね上がる。

 部屋の中央に立たされた部下たちは何も言えず、ただ許しを請うばかりだった。

 城の周囲は相変わらず、厳重な警戒が為されている。

 プラジアーナとエクウスは二十四時間監視されており、歩いて出ようが飛んで出ようが誰かに見られる状態になっていた。

 それなのに、彼女らは誰にも目撃される事なくいなくなってしまった。

 残された者たちにはどうすることもできなかった。


「モリアンビー様、どうか我々を行かせてください」


 テェアヘペロが意を決したように進み出た。

 相変わらず顔色が悪い。

 その声にも疲れがにじみ出ていたが、それでも彼の口調は強かった。


「現地の作戦の邪魔は致しません。森のアーガ族に協力を依頼すれば、何か方法があるはず。かならず、さらわれた娘たちを奪回して参ります」

「落ち着け、テェアヘペロ。まだ軍が派遣されて数日しか経っていない」

「しかし……!」

「お前の気持ちは分かる。私も、できるならすぐにでも妹を奪回しに向かいたいんだ」


 モリアンビーは大きなため息をついて椅子に座り込んだ。

 傍らには吸いさしが山になった灰皿。

 そのすぐそばでせわしなく動く指先がモリアンビーのいら立ちを伝えていた。


「だが、行ったところでどうにもならない。さらったのは恐らく奴らだ。しかし、こんな

妖術まがいの事をやる奴らにどうやって対抗する? 目くらましに遭って、以前の我々のようになるのがオチだ」


 恐らく、モリアンビーは自分や他の二皇子が森へ行ったときのことを言っているのだろう。

 プラジアーナ達の奪回に来た者たちを「Jプロジェクト」の者たちがすんなりと森に入れる訳がない。

 きっと、何かしてくるに違いないだろう。

 しかし、そんな事を言われてもテェアヘペロは到底気がおさまらないようだった。


「お言葉ですが、モリアンビー様。我々が森に向かったときにはそのような事はございませんでした。アーガ族の導きに従い正しい手順を踏めば、我々が森に拒まれる事はありません」

「何だと?」

「私は、例え死んでも構いません。ですが……わが妹ビエルフィア、そしてわが主君ノヴァ様だけは! こんな状況で何もせずいるなどと、そのような……!」

「……お前たちも同じか?」


 取り乱すテェアヘペロから顔を上げ、モリアンビーはキトラ達の方を見た。

 キトラが言葉を返せずにいると、バウアーが口を開いた。


「正直言って、このままあいつらが帰ってこなかったら、オレはきっと狂ってしまうと思います。会ってまだそこまででもないけど、プラジアーナは大事な仲間だし、オレは……エクウスを愛しています」


 バウアーは声を擦れさせた。

 エクウスとの間に何があったのかは分からない。

 だがバウアーの表情には、単なる旅の仲間だというもの以上の何かが感じられた。

 


「ノヴァ様にも、それからミガトの奥さんにも、絶対帰ってきて欲しい。テェアヘペロと一緒に、オレも行きます。例え……モリアンビー様のお許しがなくても!」

「モリアンビー様、オレも同じです」


 キトラは震えるバウアーの肩に手を置いた。

 感情が溢れてしまったのか、バウアーはしゃくりを上げている。

 彼の言った通り、テェアヘペロもバウアーもきっといつか自分たちだけで出て行ってしまうだろう。

 そして、キトラ自身も。


「何の当てもなく突っ込んでいくようなバカな事はしません。ですがモリアンビー様、せめて、もう一度森に行かせてください」

「行ってどうする?」

「テェアヘペロが申しあげたようにまずはアーガ族に会って、相談します。きっと彼らなら、いい方法を知っているはずです。ですよね、ユピテル先生」


 キトラにそう言われ、ユピテルは答えずに暫く考え込んでいた。

 森には既に皇帝ガイオスが軍を派遣し、自身も後方で指示を出しているものと思われる。

 現地は戦争状態だ。

 ユピテルは恐らく、森にキトラ達を行かせるのにまだ反対しているだろう。

 しかし、このまま黙って何もしない気ではないようだった。


「先代の族長の母・エオンに会えば、何かまだ知っていることがあるかもしれない。モリアンビー皇子、まずは私を、アーガのもとへ行かせてはくれませんか」

「ユピテル殿、お一人で行くおつもりか?」

「翼がある今の私なら、半日せずに戻れるでしょう。この者たちをいきなり森へ行かせるよりはリスクが少ないはずだ」


 モリアンビーは仕方なく、といった様子でユピテルが出ていくことを許可した。

 飛び立ったユピテルの姿が消えると同時に、外は雨が降り始めた。

 キトラはテェアヘペロ、バウアーと共に彼が戻ってくるのを待った。

 バウアーは一言も発せず、黙々と出かける準備をしていた。

 テェアヘペロは時々ため息をつきながら窓辺に座り、じっと雨を見ていた。


「キトラ、僕ね。けっこう酷い兄貴だったんだ」


 キトラが傍に行くと、テェアヘペロは独り言のように語りだした。

 たった一人の妹、ビエルフィア。

 テェアヘペロは少し歳の離れた彼女について、「かわいそうな事をした」と言った。


「子供の頃は、妹がうっとおしくて。寄ってこられてもいつも冷たく無視してた」


 幼い頃から全寮制の学校に預けられたというテェアヘペロ。

 そして、両親のもとで育った妹のビエルフィア。

 自分と違ってずっと家にいられる妹への嫉妬心もあり、テェアヘペロはビエルフィアを疎ましく思っていたという。

 しかし、ビエルフィアはそれでも兄を慕っていた。

 秀才で、若くして順調に出世していく兄を誇りに思い、憧れた。

 そして、自分も同じ道を目指すようになった。


「就職決まった時、真っ先に僕のところに報告に来てくれてね。嬉しかったな。だからこれからは、ちゃんと兄らしくしてやろうって……そう思って」

 

 結露した窓ガラス。

 テェアヘペロはそこに額を押し付けた。

 窓辺に滴ったのは雨の滴ではなかった。

 キトラは黙って肩を抱いてやった。

 その様子を見たバウアーも傍に寄ってきてテェアヘペロの脇に座った。

 がさがさした固い手のひらが茶色い耳の突き出た頭を不器用に撫でた。


「こんなんじゃ……情けねえよな、オレたち。こんなとこ籠って、めそめそしてさ。これじゃ、あいつらに愛想憑かされちまうよな」

 

 バウアーは自嘲気味に笑って、テェアヘペロの背に頭をもたれた。

 テェアヘペロは答えなかったが、小さく頷き、こちらを見ないまま涙をぬぐった。

 今、プラジアーナ達がどこにいて、どんな目に遭っているか。

 考えれば考えるほどキトラは恐ろしくなった。

 最悪の状況すら思い浮かぶ。


 だが、バウアーの言うとおりただ何もしないのは情けなさすぎる。

 もう、考えているだけの時間は終わりだ。

 キトラは二人の方に手をやり、立ち上がった。


「絶対助けよう。命かけて」


 陽が傾く頃、ユピテルは夕焼け空を背にして戻ってきた。

 その後ろにはサバンテルとラカテルがいた。

 王宮の庭に下り立った三人のアーガ族を見て、北州の兵士たちは表情を引き攣らせた。

 だがそんな事を気にする様子もなくこちらへやってくると、サバンテルはキトラ達に今すぐ自分たちと一緒に来いと言った。


「エオンの婆様がお前らを呼んでるよ。今、森でドンパチやってる奴らじゃダメだってさ」

「ダメって?」

「偽アーガの戦士と延々泥仕合でよ。あれじゃ、いつまで経ってもさらわれた娘たちは取り戻せない。お前さんたちとオレ達とで、作戦立て直すんだ」


 森では今も戦闘が続いている。

 だが、偵察に行ったサバンテルやラカテルはその様子を見て呆れて帰ってきたという。

 森の中に慣れない中央政府軍の者たちは現地に赴くだけで悪戦苦闘。

 川の周りに広がるあの沼地に足を取られ、さらには木々の間で迷子になる者も続出。

 ようやく爆発地点に近づいても、無限に湧いてくる「偽アーガ族」に阻まれ、そこから一歩も進めずにいるというのだ。

 モリアンビーが確認すると、その状態は戦地からの報告と一致した。


「森の事に関しては、我々の方が熟知している。長い歴史の中で、森を壊す事しか考えて来なかったお前たちではもう無理だ」


 ラカテルはモリアンビーを前にそう言いきった。

 戦地から上がってくる報告を聞くと、モリアンビーにはその指摘に返す言葉もなかったらしい。

 極まりが悪そうな顔で黙ってしまっていた。

 そんな様子を見たラカテルはにやりと笑い、偉そうに腕組みをした。

 そして、大きく咳払いして言った。


「この者たちに全てを任せるなら、アーガは全面的に協力しよう。キトラ達は勇敢で、我々も認める素晴らしい戦士だ。皇帝の息子なら、大切なものを取り戻すためにどんな判断が賢明か分かるはずだ」

「……分かった」


 もう、反論の余地はないと認めたのだろう。

 モリアンビーは傍らの適当な用紙を取ると、何かさらさらと書き綴った。

 自分の名で発行する簡易の命令書。

 そこに朱印を押すと、突き出すようにしてキトラに手渡した。

 持ってけ泥棒。

 そんな表情にも見えた。


「そんなに言われては仕方があるまい。全ての責任は私がとろう。受け取りたまえ」

「ありがとうございます」

「ったく……生きて帰ってくれよ、頼むから」


 モリアンビーは苦笑いで言った。

 父親である皇帝ガイオスを思わせる笑い顔だった。


「君たちがいなくなった娘たちを思って泣いたのと同じように、君たちがいなくなって悲しむ人たちがたくさんいる。それだけは……忘れないようにな」


 雨脚が弱まるのを待って、キトラ達は出発した。

 三人のアーガの戦士がキトラ達を抱え、森を目指す。

 キトラは荷物と一緒にサバンテルの手で運ばれた。

 宙ぶらりんで不安定な姿勢だったが、運んでもらう手前文句も言えない。

 その道すがら、サバンテルはこんな事を言った。


「アーガ族の初代族長ってのはな、女だったんだよ」

「女?」

「ああ。今のアーガ族は女を戦わせることはしねえ。女には力がねえし、飛べねえし、爪も小さいしな。けど、初代のアーガ様は武器を持ってそれはそれは勇ましく戦ったそうだ。お前たちと一緒に来た、あの姉ちゃんみてえにな」


 ラカテルにぶら下げられているバウアーがこっちを見た。

 サバンテルの言う姉ちゃん、とはエクウスのことだ。

 勇ましい北州の女剣士。

 エクウスは荒れ狂うサバンテルを前にひるむことなく戦った。

 そして、実妹であるオモンの死後は彼女の意思を継ぎ、彼女と同じ「J‐2991」をその腕に刻んだ。

 さらには悲しみに暮れ、混乱するアーガ族を励まし、元気づけた。

 アーガの戦士たちはそんなエクウスに初代族長・アーガの姿を見ていたのである。

 だから、ユピテルに「エクウスがさらわれた」と聞くとすぐに協力を申し出たのだ。


「妹のオモンに続けてあいつまで変な死に方されたら寝覚めが悪いしよ。オレ達が死んでいいのは、正々堂々の一騎打ちで負けた時だけだ」

「ははは。サバンテルさんが言ってる事もよく分かんないですけど……ね」

「オレはまだお前との勝負、諦めてねえからな、キトラ?」

「……そうですか」

「なんにせよ、とにかく今のオレ達は同志だ。さぁ行こう。みんな待ってるぜ」


 森に着くと、アーガ族の者たちはこちらを見上げてキトラ達が来るのを待ち構えていた。

 そして、慌ただしく奥で待っていたエオンのところへ連れて行った。

 エオンはすぐにまたあの四角い装置のところまで来るようにキトラに言った。

 装置は既に立ち上げられ、画面はあの星の映像になっていた。

 どうやらエオンは装置の機能を使い、やりたいことがあるようだった。


「昔の記憶を辿りながらだけど、これでね、いろんなところを拡大して見れたはずなんだ」

「ズームアップの機能があるんですね」

「うん。乗り込む前に場所を確認したりなんかしておいてもらおうと思ったんだけども、これがどうもわかんなくてね」


 頭をひねりながら、エオンはアーガの若者たちと一緒に装置をあれこれ調整していた。

 エオン曰く、月にある装置を動かし、地上の細かい部分をズームアップして見る事が出来るはずなのだという。

 だが、装置がアーガ族の手に託されてから長い年月が経っている。

 使われない機能は皆記憶が曖昧だった。


「あんまり下手なところをいじると具合が悪くなるしねぇ。ユピテル、あんた何か分からないかい?」

「いや、オレはこの装置の事は知らずに一族を出されてしまったからな」

「何だい頼りないねぇ。アンタの父親が一番これに詳しかったってのに」

「あの、ちょっと……見せてもらってもいいすか?」


 傍らで見ていたバウアーがスッと手を伸ばした。

 操作盤に触れながら、数回前に表示された画面に戻る。

 すると、星の画像の上に今までに出なかったメッセージが現れた。


「エオンさん、これ何て読むか分かります?」

「多分、『観測地点を選択せよ』だね……すごいじゃないかアンタ! これのやり方分かるのかい?」

「はぁ、この間から見てたから何となく」


 画面に現れた星の画像に触れると、そこがグッと拡大される。

 どうやら、探していた機能を探り当てたらしい。

 画面に触れていくと、一気に映像が大きくなり町が映し出された。

 さらに拡大すると、そこに何やらたくさんの動くものが見える。

 往来を行き交うたくさんの人の群れ。

 ぎっしりと並べられた野菜や果物の箱。

 並んで繋がれている若いニュートラゴンや牛、そして羊などの家畜。

 上空から見た市場のようだった。


「エオンさん、これはどこっすかね?」

「さぁね……アタシはここを出たことがないから。軍人のお兄ちゃん、アンタ分かるかい?」

「多分、南州のほうか……西州の南のほうですね。売ってるものが南の果物ですよ」


 テェアヘペロによれば、南州の端にある「アブラチャン」という街ではないかという事だった。

 底から少し北にポイントを動かすと、画像が砂漠地帯に入った。

 砂漠の中にある緑の地帯を拡大すると確認できたのはハシダテ集落。

 ユピテルの家もハッキリ確認できた。


「どうやら、アタシが探してたのがこれらしいね。じゃあまずはコイツで、娘たちがさらわれてった場所を探そうじゃないか」


 エオンはこれで、上空から北の大森林やJプロジェクトの研究施設がある爆発地点を拡大し、見ようとしていたのだ。

 拡大すれば地上にいる人の顔もハッキリ見る事が出来るこの装置。

 運が良ければさらわれたプラジアーナ達を見つける事も可能と思われた。

 表示を北に進ませ、大森林の上へ。

 まずはアーガの集落を見つけ出し、そこから暗い夜の森の上を探っていく。

 赤茶色に広がった爆発地点を映し出すと、そこには真っ赤な煙が立ち上っている部分があった。

 そこから南に目を移すと、光を帯びた虫のようなものがぎっしりと地面に張り付いている。

 戦地に派遣された中央政府軍の「陸上砲撃船」や軍用の天空船の群れであった。


 画像はややかくかくとぎこちなく動いていたが、リアルタイムの映像を表していると思われる。

 そこは今まさに戦闘が行われている場所。

 カッと赤く表示された、炎を伴う煙。

 その中には何百という黒いものが蠢き、それらは恐れることなく砲撃地点へと突撃する。

 恐らくあれが、人工的に造られたアーガの戦士たちなのだ。

 それを見たラカテルが「最低だ」と低く呻った。


「我らアーガの戦い方ではない。闇雲に突っ込み、ゴミのように死んでいっている……まるで意思を持たない道具だ」


 実際、そうなのだろう。

 無限に湧き出る人工アーガ族に足止めをさせ、その奥でJプロジェクトの者たちは悠々と悪いたくらみを進めているのだ。

 彼らにとって、作り出した生命体は道具にすぎない。

 そして恐らく、今この星にいる人間たちもその中の一つなのだ。


「何だか、暗いからドンパチやってるところしかよく分からないね。これ、明るくできないのかい?」


 エオンが腹立たしげに言った。

 確かに、これでは暗すぎて本来の目的であるJプロジェクトの研究所の場所は分からない。

 バウアーはエオンに訳してもらいながら装置の機能を一つ一つ探っていった。

 すると、「暗視」を意味する言葉が見つかった。


「あった……これじゃないか?」


 バウアーはその文字を選択し、画面のある一部分を拡大した。

 すると、その部分だけが昼間の映像のように鮮明になった。

 エオンが嬉しそうな声を上げ、バウアーの肩をやや強めに叩いた。


「アンタ、天才だねぇ。アタシが死んだらコイツの面倒は頼んだよ」

「いや……はは、恐れ多いっす」

「ユピテル、アンタが見たっていう研究所とか何とかいうものの場所を教えな。これでその場所を探すんだ」

「分かった」


 ユピテルがぎこちなく画面に手を伸ばし、爆発地点の周辺を探っていく。

 すると、爆発地点の中心から少し外れた場所に黒い影があるのが確認できた。

 拡大すると、そこに出入り口のようなもの。

 間違いなく人為的に造られたものの一部だった。


「ここだ、間違いない」


 ユピテルはそこがアーガの族長アゴラテル、もといJプロジェクトのメンバー「レイジに」連れられて行った場所に間違いないと話した。

 森には他に彼らが作った建物などはなく、研究所が唯一のアジトだという。

 プラジアーナ達が連れられて行ったのも恐らくこの場所の可能性が高いだろう。

 族長代行のサバンテルは画像で周辺の状況や地理を確認したうえで、北の方角から近づくのが安全だという判断を下した。


「いい道がないからキトラ達には少し大変だろうが、空は使わない方が良い。みんなで列を作って歩こう。そうすれば鼻の良い奴らに気づかれる事もない」

「分かりました。よろしくお願いします」

「ユピテル、先導を頼む。夜が明ける前に出発するぞ」


 さらわれた娘たちの奪還に向かうのは、キトラ達四人にサバンテル、ラカテルを含めたアーガの戦士二十四人を含めた計三十人と決定した。

 アーガの戦士たちはいずれもサバンテルやラカテルが認める猛者ばかり。

 敵に回せば恐ろしいが、味方にとってはこの上なく頼もしいメンバーだった。


「あれから、我々はアゴラテルを結局見つけられずにいる。だから、戦士たちはみんな気が立っているんだ」


 出発前、準備をしながらラカテルがキトラを相手にそんな事を言った。

 女たちが赤い染料と泥を練り、現地に向かう戦士たちの身体にペイントを施していた。

 森にいる肉食獣の牙や爪を模しているという勇ましい文様。

それが完成すると、戦士たちは円陣を組み、足を踏み鳴らしながら大きく雄たけびを上げた。

 円の中心にはサバンテル。

 彼はひときわ大きな声を上げ、戦士たちを煽り立てた。


「ラーア! ウラ! ラーア!」

「ウラ、ハッハッハ、ウラ! ウラ、ハッハッハ、ウラ!」

「ナップ! ウラ、ナップ! ラーア、ウラ!」

「ナハ、ウラ! ナップ、ウラ! ラーア、ウラ!」


 高い空へ、深い森へ、そして大地へと轟かせるような咆哮。

 サバンテルを囲みながら、戦士たちが大地を踏み鳴らし、ぐるぐると回る。

かつて神話に語られるくらいの昔に一族の命運を決める戦いの前に行ったという、古代の儀式だった。

 キトラには彼らの発する掛け声やダンスの意味は分からなかったが、彼らが戦いを前に覚悟を決めているのが雰囲気で伝わってきた。

ラカテルはそれを遠巻きに見ながら、自分の腕にある古い傷を眺めていた。


「みんな族長に逆らえずにはいたが、アゴラテルの理不尽な振る舞いに少なからず不満を抱いていたらしいな。まぁ、オレもその一人だがな」

「やっぱり、力だけじゃダメなんですね」

「アーガの掟では強い者が族長と決められているが、それで今までどうにかやってこられたのは歴代の族長がそれなりに分別のある者たちだったからなのだな。今回の事は、ある意味我々にとっていい教訓となった」

「これから……新しい族長はやっぱりサバンテルさんか、それかラカテルさんがなるんですか?」

「一族の面々はきっと我々に一騎打ちをさせて強いほうを族長にしたがるだろう。だが、オレは今回遠慮させてもらおう。アーガの長には、サバンテルがふさわしい」


 一族は、現在族長を代行するサバンテルを中心にまた新たに落ち着きつつある。

 ラカテルはそのままうまく元の生活に戻れるのが理想的だと思っているようだった。

 アーガの戦士は戦うのが仕事。

 だが、もうみんな戦う日々に疲れ切ってしまっているのだ。


 やがて、戦士たちがキトラやバウアーたちをダンスの輪に引きずり込んだ。

 肩を組み、一緒に踊るように身振りで急き立てる。

 円の中心にいるサバンテルが「お前たちも仲間だ!」と叫んだ。


「全員でアゴラテルを倒す! それから、エクウスや他の娘たちを救い出す! 皆、声を上げろ! ラーア、ウラ!」


 戦うぞ、お前ら。

 そんな意味を叫んでいるのだろうか。

 キトラはそう思いながら、戦士たちと一緒になって叫んだ。

 彼らの手の感触と、汗ばむ体温が言葉の通じぬ互いの距離を縮めていく。

 男たちはそうして、興奮が最高潮になるまで叫びつづけた。


 やがて、儀式は終わった。

 サバンテルに呼ばれ、キトラは彼の後ろについた。

バウアーやテェアヘペロは他のアーガの戦士たちの間に入るように言われ、彼らと交互になって列に並んだ。

 アーガ族でないキトラ達は森の異変に気づきにくい。

 不審な音や匂いがすればすぐに身を守る行動をとれるようにというサバンテルの考えだった。

 まだ暗い森の中を、前を歩く者の足音だけを頼りに進んでいく。

 先頭を行くユピテルには森の中がはっきりと見えているらしく、その足に迷いはなかった。


「こうやって、ユピテルと連れ立って歩くのは久しぶりだな」


 サバンテルがどこか楽しげに言った。

 一族を率いる彼は、ユピテルと共に教育を受けた同期の者の一人。

 ユピテルの弟であるラカテルと共に、よく教育係の目を盗んで脱走していたのだとサバンテルは懐かしそうな眼をした。


「子供の頃はこうやってよく遊び歩いたものだ。いつもユピテルが先頭だった」

「そうだったか?」

「お前は勘が良かったからな。よく熟れた木の実のありかも、よく太った獲物の居場所もユピテルについて行けば間違いがなかった」


 いわゆる、ガキ大将だったのである。

 子供たちはユピテルの後をついて歩き、そうやってだんだん大きくなった。

 そんなユピテルは成長すると、必然的に族長候補として名前が上がるようになった。


「オレは正直、お前たちがまた受け入れてくれるとは思わなかったよ」


 ユピテルは照れくさそうに言った。

 自分は一族を捨てた身。

 もうアーガのもとには居場所がないものと思っていた彼には、サバンテルの言葉が嬉しいのだ。

 

「オレは負けた男だ。翼も失って、本来はこうやって戻ってくる事もなかった」

「何を言うか。お前を追い出すのにはみんな反対だったんだぞ? あれはアゴラテルが強引にやったことだ」

「アゴラテル? ユピテル先生が戦ったのは、シーガルテルって人じゃなかったんですか?」


 キトラが聞いた話によれば、ユピテルが森を去った頃に族長を務めていたのはシーガルテルだったはずである。

 であれば、ユピテルはそのシーガルテルと一騎打ちした事になる。 

 しかし、サバンテルは違うのだと言った。


「ユピテルとやったのはアゴラテルだ。あいつはユピテルと戦って、族長だったシーガルテルへの挑戦権を得た」


 シーガルテルは父親だったその前の族長に強さと能力を認められ、いわゆる「英才教育」のようなものを施されていた。

 族長になるには一騎打ちで力比べが基本だが、族長であった父親がシーガルテルを後継者にするべきと考え、誰よりも強い戦士になるよう優先的に鍛えていたのである。

 シーガルテルはその結果、父親の死後すぐにアーガを率いる長となった。

 そんなシーガルテルへの挑戦を駆け、血気盛んだった若き日のユピテルとアゴラテルは戦った。

 結果は、アゴラテルの勝利だった。


「その頃、ユピテルはアーガ族始まって以来の最強戦士と言われていたんだ。だから、みんなその結果に唖然とした」

「……話を盛りすぎだぞ、サバンテル」

「そんな事はない。あの頃一番強いのは誰が何と言おうとお前だった。もちろん、族長よりもな」


 アゴラテルはユピテルを倒したことで、もはや自分の天下を確信していた。

 敗けた者は勝った者の自由となる。

 そのため、アゴラテルはユピテルの翼を奪い、一族から追放した。

 サバンテルやラカテルは異を唱えたが、掟は掟。

 ユピテルは森を出ていった。


「だけど、奴がとんでもないズルをしたって事が後で分かったんだ」

「ズル?」

「戦いの場に、こっそり穴を掘っておいたんだ。ユピテルが足を取られて転んだところを一気に攻められるようにな」


 その事が分かったのはユピテルが森を去った後。

 アゴラテルはしらを切ったが、一族は皆、彼に不信を持った。

 特に、族長シーガルテルはアゴラテルを許さなかった。

 アーガ族の中ではやや小柄だったシーガルテルに対し、かなり大柄で体格のよかったアゴラテル。

 戦いは一日経っても終わらなかった。

 だが最後はシーガルテルが意地を通し、紙一重での勝利を得た。


「アゴラテルは翼こそ折られなかったが、暫く動けぬよう手ひどく傷めつけられた。しかも、一族は皆あいつから顔をそむけた。暫く奴は誰にも相手にされずにぽつんとしていたよ」

「その結果、訳の分からない奴らに付け込まれたのかもしれんな」


 会話を黙って聞いていたラカテルが呟くようにそう口にした。

 族長の地位を奪われ、一族から弾き出され、恨みを募らせる間に耳元でそっとよからぬことを囁かれ、身体を乗っ取られた。

 きっとそうなのだろう。

 誰もがラカテルの言葉に納得だった。

 アゴラテルの暴走と、全ての原因を作った「Jプロジェクト」なる集団の行動。

 きっと、これから向かう場所に真実がある。

 一行は夜を徹して歩を進め、夜明け前にはあの大きな川の近くまでやってきた。


「……嫌な匂いがするな」


 ユピテルは風上に顔を向け、空気の匂いを嗅いだ。

 何かが焦げる匂いが南風に乗って飛んでくるのがキトラにも分かった。

 だが、アーガの戦士たちが嗅ぎ取ったもっと嫌な匂いは、自分たちと同じ匂いを持った者たちの死臭だった。


「相当な数が死んだらしい。偽者どもとはいえ、気分が良くないな」

「全部終わったら、死体を焼いて弔ってやるとしよう。ユピテル、ラカテル、キトラ達を抱えろ。ここは飛ばないと渡るのに時間がかかるだろう」

 サバンテルの指示で、キトラ達は再び戦士たちに運ばれて川を渡った。


 視線が高くなると、僅かに明るくなり始めた森の向こうから煙が上がっているのが見えた。

 やはり戦いは、夜を徹して続いているのだ。


「お前たち、武器の用意をしておけ」


 地面に降りると、ラカテルが言った。

 周りに、偽アーガ族の匂いがあるらしい。

 他の戦士たちも警戒を強めていた。


「もうそろそろ、この辺りにいる奴らがオレ達の匂いを嗅ぎ取る頃だ。身を守れるようにしておいた方が良い」

「分かりました」


 キトラは何か起きればすぐに背中の双剣を引き抜けることを確認した。

バウアーは大槌を斜に構えたままで歩き出し、テェアヘペロも腰の剣を抜き、右手に持った。

 誰も言葉を発しないまま、静かに森を進む。

 道は深い森の中だったが、周囲には今まではしなかった匂いが漂っている。

 戦闘が行われている付近から漂ってくる何かが焦げた匂い。

 そして、それ以上に強かったのはやはり土の匂いだった。

 深い森が抉り取られ、むき出しになった大地の傷から漂ってくる痛々しい匂い。

 そしてその場所は、唐突に現れた。


「ここだ」


 ユピテルは立ち止まり、後ろから来た者たちのために道を開けた。

 朝日に照らされた黄土色の土。

 一行が行きついたその場所は、数十メートルはあろうかという崖になっていた。

 大地に現れた巨大な穴。

 それはあまりにも不自然な円形で、中心はすり鉢状になっている。

 これからここを降りるのか。

 キトラは頭上を覆っていた木々がなくなることに強い不安を感じた。

 どこから降りるのか道を探していると、後ろにいたラカテルがキトラの肩を叩いた。


「見ろ、あそこだ」


 ラカテルは北東の方角を指差した。

 眩しいほどの黄色い大地の向こうに見える僅かな傷のようなもの。

 そこが朝日を浴び、こちらを挑発でもするかのように一瞬きらりと光った。

 それは、あの装置で確認したアジトの入り口に間違いなかった。


注:アーガ族は文法のある言語を持たないため、話中の「ラーア! ウラ!」とか言ってるのはただの掛け声です。特に意味はありません。

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