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<挿話> 絶望の記憶


(セルシャンデ語り)


 暗い、暗い水中に閉じ込められて、時々浮上を許される。

 そんな感覚を、暫くの間僕は自分自身の脳が起こすものだと信じていた。

 父上に命じられて、「大爆発」の現場を確かめに行ったときの事を思い出そうとすると、そこで起こった出来事が全て夢だったのではないかとも思いたくなる。

 だが確かなのは、僕が狂ってしまった全ての原因があの場所にあるという事だ。


 北州の半分を覆う「北の大森林」。

 その奥で起こった爆発は余波となり、北州・東州の広いエリアで地震の被害を出した。

 さらには海で大津波を引き起こし、いくつかの沿岸地域が波に飲まれた。

 中でもダーガーン族の住処である「花の海」の被害は酷く、多くの者が犠牲になったとみられていた。

 全ての原因は何か。

 中央政府としてはまず、それを確かめねばならなかった。

 皇太子として、経験しておくべき現場だと父は言った。

 僕もそう思い、万全の準備をした。

 弟たちも何が起きたのかを見ておきたいと言い、ついてくることになった。


「兄上、困りましたよ。ノヴァが一緒に行きたいと出がけにごねたんです」


 すぐ下の弟、アレディヒドは天空船の中でそんな話をしていた。

 末の妹は早熟に生まれたらしく、大人の仕事ならなんにでも興味を持つ。

 時には僕たちや父上が驚くほどの鋭い事を言う。

 だから、アレディヒドはノヴァを少し怖がっているようなきらいがあった。


「あんなんじゃ、将来は嫁の貰い手もないだろう」

「嫁に行けないなら婿をもらったらいいだけの話だ」


 末の弟、モリアンビーはそう言って笑った。

 既に二人の妹は嫁に行っている。

 皇帝や王というものにはたいてい、代々あちこちから美女を連れてきて子を産ませた歴史がある。

 その血を継いでか、妹たちは僕から見てもかなりの美女だった。

 だから、結婚できる年齢になったとたんあっちからもこっちからもクレクレと図々しいくらいの引手があった。

 それを見ていたモリアンビーはきっとノヴァもそうなると思っていたようだった。


「姉上たちはどちらかと言えば皇帝家寄りの顔だったが、ノヴァは北州の顔だ。大人になったら世界中の王子たちが騒ぐことだろう」

「オレは顔の事を言っているのではないぞモリアンビー。あんなに生意気だと嫌がられるだろうと言っているのだ。女は少し馬鹿なくらいでちょうどいい」

「それはアレディヒドの兄上の好みだろう。バカすぎる女は話がつまらん」

「ふん。兄弟で好みが被らないのはけっこうだ」


 天空船の中ではそんな軽口が叩けるほどリラックスしていた。

 だが、森に近づいた途端、誰の顔からも笑顔が消えた。

 漂ってくる木の焦げた匂いと、濡れた粘土の匂い。

 森からは鳥の声も、虫の声すらも聞こえなかった。

 というより、生命の気配がなかったのだ。


「これから天気が悪くなるのかもしれません。急いで現場に入って、早めに切り上げましょう」


 案内役の男はそう言って我々を森へ誘導した。

 踏み入って分かったのだが、「北の大森林」は普通の森ではなかった。

 北の森にも拘らず異様に気温が高い。

 むっとした濃い湿気の中には南にしか生息しないはずの植物が生い茂り、久しく忘れていたはずの汗を誘う。

 何故こんな気候なのか、ハッキリわかっていないのだと案内役は言った。

 異様な不気味さに、弟たち二人は口をきかなくなっていた。


「上空からの確認では、あと三十分ほどで着く距離です。皇太子、お疲れではありませんか?」

「大丈夫。まだ歩けるよ」


 汗をぬぐいながら、案内役に目的地まで一気に行ってしまうよう僕は言った。

 何故だか不安が胸の奥から湧き上がってきて、留まって休憩などしていたくない気分だった。

 早く行って、早く帰ってきたい。

 僕は弟たちの様子を見ながら歩を進めた。

 しかし、そこから五分ほど歩いたときの事だった。

 我々は森の中心の、火山ガスが出ているエリアに近づいていた。

 僅かな硫黄の匂いが空気に交じり始めた頃、まずモリアンビーに異変が現れた。

 頭が痛いというのだ。


「この辺りは空気がおかしいようですね。頭が……あと何だか胸が詰まる様な感じがあります」

「この辺りは火山も近いらしい。この硫黄の匂いのせいかもしれないな。アレディヒドはどうだ?」

「オレも少し喉が痛いような気がします。まぁ、口を塞いでいれば平気ですが」


 アレディヒドはハンカチをマスクのようにして匂いを防いでいた。

 爆発の影響で地下に変動が起き、火山ガスが多く流出しているのかもしれない。

 いや、そもそも爆発は火山の影響で起きたものなのか。

 だとすればあまり近づきすぎではいけないかもしれない。

 そう思った時だった。

 鋭い痛みが、僕の頭を貫いた。


「……っ!」

「皇太子! どうされました!」

「すまん、ちょっと……」


 今のは何だ。

 あまりの痛みに、僕は思わずその場に座り込んだ。

 まるで、後頭部から矢で射られたような衝撃だった。

 その痛みは数秒後に立て続けに襲ってきた。

 ズキーン、ズキーン、ズキーン、と突き刺すような痛みが脳の中を突き抜ける感覚だった。


「皇太子! セルシャンデ皇太子……! いけません、もう引き返しましょう!」

「皇子、大丈夫ですか? 歩けますか!」


 案内役の声と、僕を立たせて歩かせようとする従者たちの手の感触。

 それが妙に遠く感じ、耳の奥で自分の心臓の鼓動が響いた。

 ああ、これはまずい。

 そう思った。

 大学に通っていた時に、いつだったか酒を飲み過ぎでそうなった事があった。

 身体の自由が利かなくなって、学友たちとこっそり行った夜のバールで倒れてしまったのだ。


 何とか歩かなければ。

 立ち上がろうとした足がふらついた。

 担架など準備させてはいない。

 歩かなければ従者たちに自分を担がせなければいけなくなってしまう。

 だが、思考に余裕があったのはそこまでだった。


「大変です! アレディヒド皇子もご体調が……!」

「モリアンビー様もです!」

「早く! 早く森の外へ!」


 ぼわん、ぼわんと反響する周囲の声と、揺らぐ視界の先で倒れ込む弟たち。

 一体何なんだ。

 何が起きてるんだ。

 気を確かに持とうとする僕の抵抗もむなしく、薬を盛られたかのように身体は動かなくなっていった。

 そして、ついには聞こえないはずの「声」がどこからか聞こえてくるようになった。


(お前たちは、呼んでいない)


 それは多分、男の声だった。

 幻聴とは、ますます良くない。

 考えられる限り、この辺りの空気が原因に違いない。

 僕はこれ以上周囲の空気を吸わないよう、首に巻いていた布を口に宛がった。

 そして、従者たちに引きずられるようにして森を出たのだった。


 北州を出て帝都に帰り、僕たちは兄弟そろって医師たちに隔離された。

 僕はまだ症状が軽いほうで、翌日にはベッドから起きる事ができた。

 だが、弟たちは結局二日くらい寝込んでいた。

 従者たちの話によれば、アレディヒドとモリアンビーは痙攣を起こし、泡を吹いて苦しがったため、一時はもうだめかと思ったそうだ。

 気象学者や火山学者、毒物の専門家などが話し合った結果、やはり僕たちの異変は森の空気のせいという事になっていた。

 

「大気を調べた結果、火山性のガスが微量に含まれていました。皇子はそのせいでアレルギー反応を起こされたのです」

「でも、僕たち以外で症状が出た者はいなかったんだろう? それはおかしいんじゃないか?」

「あなた様をはじめ、弟様方も日々大変なご公務をこなしていらっしゃいます。そのため、お疲れが溜まって体調を崩しやすい状態でいらしたものと思われます」


 疲れが溜まっていたせいで、火山ガスの影響を?

 若干の疑問を感じつつも、僕は医師や専門家の見解を受け入れるしかなかった。

 あの状況ではそれ意外考えられないのだ。

 ならば、空気を吸わなければ問題がなかったのだろう。

 僕はすぐにガスマスクを用意するよう、陸軍の担当者に命じた。

 

「セルシャンデ、お前はまた森に行く気なのか」

「はい、父上。今度は問題ありません」

「別に、無理しなくていいんだぞ? 上空からだって見に行くくらいはできるんだからよ」


 父上は僕が再び北の森に行く許可を出すのを渋っていた。

 大気が体調不良を引き起こした原因、というのも専門家たちが「おそらく、そうだろう」という見解で発表した仮説に過ぎないというのだ。

 もっとよくないものがあの森にはあるのではないか。

 父はそう危惧していた。

 でも、僕はもう一度あの場所に行きたかった。


「一度で諦めたということになったら、後々になって情けなくなる気がするんです。危なければ自分の判断ですぐに引き返しますから」

「分かった。じゃあ、くれぐれもこの前みたいな事の内容にな」

「はい、父上」


 今度は平気だ。

 もう二度と、あんな事にはならない。

 僕は恐らく、意地になっていた。

 従者たちの前で恥をかいたという、そんな思いもあった。

 自分の名誉を挽回すべく、再び天空船を北州に向かわせた。

 僕の手前、自分たちだけ行かないというわけにはいかなかったのだろう。

 弟たちも二人そろってついてきた。


「兄上は……あの『妙な声』を聞かなかったのですか」

「えっ」

「オレとモリアンビーが聞いた、『呼んでいない』という声です」


 回復はしたものの、アレディヒドは帝都を出た時から顔色が悪かった。

 アレディヒドが言ったのは、僕が聞いた幻聴と同じ声だった。

 弟たちは二人とも、それを聞いていたのだ。


「兄上、ここまで来てこんな事を言いだすのは情けないとお思いでしょうが、あの森はおかしいです。何か……「よくないもの」が巣食っている場所なのです」

「そんな、まさか」

「引き返すとは申しません。ですが……お許しください。我々二人は、あの森が恐ろしくてたまらないのです」


 モリアンビーの方を見ると、ガスマスクを膝に乗せ、下を向いたまま黙りこくっていた。

 二人を連れて来るべきではなかったかもしれない。 

 僕はイヤな予感がした。

 そして、その予感は森に入ってすぐに的中した。


「ああああ……! 声が、声が……!」

「兄上……! 進んではダメです、我々は……!」

「アレディヒド! モリアンビー!」


 弟たちは地面に伏し、訳の分からない事を言いながら苦しみ始めた。

 僕自身にもまた、あの突き刺すような頭痛が襲ってきた。

 やはり、ダメだったのか。

 曇るガスマスク越しに、苦しむ弟たちを見て決心した。

 彼らはもう連れていけない。

 ここからは、一人でいこう、と。


「セルシャンデ様! どこへ行かれます! 船へ、船へ戻らねば!」

「僕は大丈夫だ。この目でせめて……この先に何があるのかを確かめる!」

「お待ちください!」


 止める案内役や、前回よりも大勢ついてきた従者たちを振り切って僕は森の奥へ走った。

 頭の痛みが強くなり、吐き気が襲ってくる。

 だがもう、引けなかった。

 森の木々を掻き分け、奥へ奥へと進んだ。

 そしてとうとう、木々がまばらになり光が見えてきた。


「ここか……!」


 歩みは遅くなり、最後にはもう這うようにして僕はその場所に近づいた。

 すり鉢状にえぐれたむき出しの粘土の地面。

 それが遥か数キロに渡って広がっていた。

 まるで、巨大な爆発物を使ったかのような痛々しい地面の傷。

 眩む視界と酷い吐き気の中で、僕はその光景を目に焼き付けようと努めた。

 だが――――


(呼ばれていない者が、何故ここまで来た)


 怒りに満ちた声が頭の中で響いた。

 周囲を見回すが、誰もいない。

 しかし、幻聴にしてはあまりにハッキリしていた。

 僕はガスマスクを外した。

 そして、声の主に問うた。


「呼ばれていないとは何だ。お前は何者だ!」


 応える者などいないかもしれない。

 森は相変わらず不気味に静まり返っていて、生き物の気配がなかった。

 ふらつく足を地面に何とか固定しながら、声が出る限り音のない森の中に何度も問うた。

 そして、耳をすました。

 やはり、幻聴なのか。

 そう思った時だった。


「知りたいのか」


 確かにその声は、僕の真後ろで聞こえた。

 何者かと、とっさに振り返る。

 視界の端に誰かの姿を捕らえた。

 確かにそう思った。

 だが、そこまでだった。

 僕は声を聞いたのを最後に、意識を失ってしまったのだ。




 帝都に帰った僕は、数日間目を覚まさなかった。

 いや、目を覚ましていたのかもしれない。

 だが、もはや普通の感覚ではなくなっていた僕に、夢の世界と現実との区別はつかなくなっていた。


 幾番にも渡って悪夢を繰り返し見た。

 朽ちかけた肌の死霊のような人間たちが水や薬を欲しがり、僕の周りに集まって来た。

 彼らは一様に病院の入院着のようなものに身を包み、ぐじゅぐじゅに腐った目から涙を流していた。

 水が欲しい、薬が欲しいという彼らの手を振りほどきながら、僕は喚き声をあげて逃げ回っていた。

 逃げても、逃げてもなお追いすがってくる彼らに僕は物を投げつけ、ナイフを突き立てた。

 朽ちた体はうとも簡単に壊れた。

 床に転がった首は、声を震わせて泣いていた。


「ああ……帰りたい」


 僕は悪夢を見る間に、父上や侍女たちにも何度も手をかけてしまったと後で聞かされた。

 ようやく調子が良くなってもまだ、僕は宮殿の外へ出る事を許されなかった。

 自分で蒔いた種だ。

 僕は黙って自分の立場を受け入れた。

 受け入れるしかなかった。

 そして、自分の中に巣食った「誰か」の存在を感じ始めたのもその頃だった。


「知りたいと思ったのは君だよ」

「誰なんだ、お前は」

「そのうちに分かる」

「出ていけ」

「これは対価だよ。君が全てを知るための対価さ」

「意味が分からない」

「それも、そのうち分かるだろう」


 僕を嘲笑する「そいつ」と話をする僕を、侍女が不気味なものを見るような目で見ていた。

 きっと僕が一人で喋っているように見えたのだろう。

 無理もない。

 実際、そうだったのだ。

「そいつ」は僕の体の機能全てを操ることができた。

 僕の想定しないことを僕の口を使って話すことができたし、僕の意に反して体を眠らせる事すら可能だった。


 でも、その程度ならまだ軽かった。

 医師に言えば恐らく、そんな状態にれっきとした病名をつけてくれただろう。

 幻聴のある者は昔から多い。

 それは脳の疾患や精神の病が起こすものとしてで説明ができ、薬やカウンセリングでの治療が可能なものなのだ。

 しかし、僕の中にいる「誰か」は明らかにそれとは違った。

 医者の力でどうにかできるものではなかったし、そうしようとしても「そいつ」は医者をバカにして笑うだけだったろう。


「そろそろ、君に教えてあげようか」

「何をだ」

「全てを、さ」

「どうする気だ」

「君はただ黙って見ていればいい」


 ある時「そいつ」はそう言って、僕の全部を突然奪った。

 僕の身体は護身用の銃を手に部屋を飛び出した。

 向かったのは、ノヴァがいる宮殿のテラス。

 そこに飛び上がった「そいつ」は、ノヴァを床に叩きつけた。


(何を!)


 声にならない声で僕は叫んだ。

 ノヴァの小さな体を押さえつけた感触だけが僕にも伝わってきて、それでも身体はもう僕のものではなくて。

 もうだめだ、これはだめだ。

 パニックを起こす脳内だけがやけに自由だった。

 

「おやめください、セルシャンデ皇子!」


 ミガトが銃をこちらに向けていた。

 ああ、撃ってくれと僕は思った。

 こいつはもう、ただの危険人物だ。

 元皇太子のセルシャンデでも、ノヴァの兄でもない。

 殺してくれ、ミガト。

 僕は叫んだ。


 だが、あいつが僕の身体を殺すことを許さなかった。

 ノヴァの身体を掴んで引っ張り上げ、ミガトの銃をいともたやすく避けて見せた。

 そして、その銃の腕を不快な声で嘲笑した。


「射撃の腕は悪そうだね、ミガト君。それじゃあ皇女に当たってしまうよ?」

「黙れ!」

「手が震えているじゃないか。いけないねぇ。射撃ってのは、こうやるんだよ」


 銃を撃った感触に身体が大きく揺れた。

 バルコニーに響くノヴァの悲鳴。

 だが、目を逸らせなかった。

 見知った顔の兵士たちが血まみれになり、表情を硬直させて倒れ込む。

 そのうちの一人と目が合った。


「ああ、皇子、何故なのです」


 彼はそう言っていた。

 僕は彼の名を叫んだ。

 ノヴァの護衛の中で、一番若く優秀だった男だ。

 最近結婚し、かわいい妻を故郷に残して帝都に来ているのだと話していた。

 その彼が、血だまりの中で動かなくなった。


「どうだいどうだい! こんなチャチな銃でもこの通りさ! 道具ってのは使いようなんだよ!」


 護衛たちの死体の前で、「あいつ」は高らかに笑って見せた。

 ミガトが僕を睨みつける。

 頼む、ミガト。

 どうか、早く僕を。

 動かない体の中に閉じ込められたまま、僕の声は届かなかった。

 そして「あいつ」は、ミガトに銃を向けた。


(やめろ……!)


 ミガトの身体が反り返り、そのまま仰向けに倒れた。

 絹を裂くようなノヴァの悲鳴。

 僕は目を逸らす事すらできず、声なき声で叫んだ。

 これは僕のせいなのか。

 僕が招いた悲劇なのか。

 僕は――――


「対価だと、言っただろう」

 

 宮殿内に響く悲鳴と怒号の中、あいつはノヴァを抱えて飛び出した。

 絶望に飲み込まれ、僕はどうする事も出来なかった。

 ただ、こう祈り続けた。

 誰でもいい。

 誰か、助けてくれ、と。


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