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【第二十話】 想い

 目が覚めると外はまだ暗くて、時計を見ると翌日の早朝だった。

 隣で寝ていたはずのユピテルはおらず、ドアが僅かに開いていた。

 どこへ行ったのだろう。

 キトラは起き上がり、部屋の外に出た。


 廊下に出ると、ユピテルが窓から星を眺めていた。

 キトラと違って寒くないのだろう。

 薄い上着から大きな翼と、背中の一部が見えていた。

 頭部から背中へと続く黒々と濃い体毛に、僅かに銀が混じっている。

 逞しいアーガ族の戦士の、その強さを表す色だ。

 一度は死んだと思っていたユピテル。

 その彼が、姿を変えてここにいる。

 何だかその光景は不思議で、キトラはまだ夢の中にいるような気さえした。


「顔色がよくなったな。やはり、城のベッドはよく眠れるな」


 寝癖だらけのキトラを見て、ユピテルはそう言って笑った。

 ユピテルもまたぐっすりと眠り、変な時間に目を覚ましてしまった一人のようだ。

 夜明けまで星でも眺めて時間をつぶし、朝になったらここを出る。

 それから、帝都にいるリンに会いに行きたいとユピテルは言った。


「この姿を見たら何を言われるか分かったものではないが、生きている事は伝えなければな」

「ウェフリー先生、きっと喜ぶと思います。ユピテル先生が死んだって聞いて、ホントにショックを受けてましたから」

「そうか」


 ユピテルは何だかくすぐったそうな顔で笑った。

 リンが自分を待っていてくれるのが、やはりうれしいのだ。

 帝都へは軍の船が送ってくれるだろう。

 一緒にまず、大学に向かおうか。

 キトラがそう思っていると、ユピテルがふと思いついたように言った。


「なぁ、センバ君」

「はい」

「やっぱり、帰るのは明日にしよう。明るくなったら、ちょっと付き合ってくれないか」


 朝日が昇るのを待って、キトラはユピテルについて王宮の外に出た。

 翼を分厚いコートの下に隠し、顔をマフラーで覆ったユピテルはキトラをある場所へ連れて行った。

 そこは、いまはもう廃業になってしまった農場。

 枯草が北風に揺れる荒れた牧草地の向こうに、朽ちかけたサイロが見えた。

 壊れた柵の間から中に入り、ユピテルはキトラをその中に連れて行った。


「ここはね、私が森を出て最初に働いた場所なんだ」


 昔は牛を飼っていたという建物の前に立ち、ユピテルは白い息を吐き出した。


「オーナーは癖のある変な人だったが、良く働けばちゃんと金を払ってくれたし、最後の方は私を気に入っていろいろ任せてくれたりしてね。結構楽しかったんだ」

「廃業しちゃったなんて、残念ですね」

「ああ。ここが私の原点みたいなものだしね」


 アーガ族のユピテルは、顔を隠して仕事を射なければならなかった。

 しかし、オーナーはあまりそれを咎めなかった。

 今にして思えば、オーナーは自分が何者かを気づいていたのかもしれないとユピテルは言った。


「アーガ族だと何かで気づいて黙って使ってくれたのかもしれないね。それなら、ありがたい事だ」

「そういう感じ、あったんですか?」

「さぁね。だいぶ昔だから記憶も定かじゃないが……」


 農場を出たユピテルは仕事を転々としながらやがて、帝都で大学に通う事を志す。

 もちろん、顔を隠さなければならない立場で何度も辛い目に遭った。

 だが、それでも最終的に大学に行きついたのは運命の導きだったのだとユピテルは言った。


「それから……リンに会ってね。それも運命だったのかなぁ」

「先生、のろけ話ですか?」

「ふふっ。そんな年じゃないけどもね」


 ユピテルは今もリンを愛しているのだ。

 キトラは疑いなくそう思った。

 初めての子を失うという悲劇。

 それも今なら乗り越えられると、ユピテルは口にした。


「私はあの時、逃げてしまった。リンからも、子供を失くした現実からも、自分がアーガ族であるという事からもね」

「……先生」

「リンはきっと、この事で一生私を許しはしないだろう。でも、彼女がまだ私を待っていてくれるなら、今度はちゃんと話をするよ。時間がかかってもね」


 今度はちゃんと、結婚するのか。

 キトラがそう聞くと、ユピテルは分からないと言って首を振った。

 だが、やはりリンと一緒にいたいという思いはあるようだった。


「離れて分かったが、やっぱり私にはリンの存在は大きい。離れても結局すぐに連絡を取って、通信でしょっちゅう話をしていたのだしね。情けない事だ」

「オレ、ユピテル先生が帝都に住んでくれたら嬉しいです。ハシダテ集落の人たちは寂しがるかもしれないけど、プラジアも連れて、こっちに出てきたらいいじゃないですか」

「おやぁ? センバ君はプラジアだけで十分なんじゃないかな?」


 キトラが油断していると、ユピテルは突然そんな事を言いだした。

 やはり、ばれている。

 そろそろ観念するしかなかった。


「君は一人暮らしなのだろう。プラジアを一緒に住まわせてやれ。就職するまで結婚は許せんが、二人でアルバイトでも何でもすれば学生のうちでも何とか暮らせるものだぞ」

「何言ってんですか……先生」

「君が言えばプラジアも嫌とは言わん。男は強引なくらいの方がモテるんだぞ」


 ユピテルは何だか根拠のない事を言い始めた。

 キトラはまだ自分の気持ちを伝えてすらいないし、プラジアーナがキトラを好きだとか何とか言った事もない。

 エクウスはプラジアーナがキトラを意識しているらしいと言っていた。

 だが、その根拠もユピテルの言っている事と同じくらいいい加減である。

 周りに乗せられて舞い上がっても仕方ないとキトラは言った。


「実は、テェアヘペロもプラジアを狙ってるんですよ」

「おや、それは大変だ」

「向こうはイケメンだし、年収もかなりありそうだし、オレあいつが本気出してきたらイチコロですよ」

「分かってないなセンバ君は。男はハートで勝負だぞ? 顔や年収は武器ではあるが決定打となるかは勝負するまでは分からんものだ」

「先生……さっきから出まかせ言ってませんか?」

「そんな事はない。じゃあなんでこんな醜男がリンみたいな美人に振り向いてもらえたんだ?」

「えー……」

「いいか、センバ君。ここぞという時に自分の足を引っ張るのは自信の無さだ。カッコいいとか悪いとか金がないとか地位がないとか以上にな。君は自分に自信を持ちたまえ。それから、プラジアに一番近い男が自分だという自覚もな」


 確かに、プラジアーナと一番今親しいのはキトラだろう。

 一応ずっと一緒に旅をし、絆を深めた間柄だ。

 それは間違いない。

 しかし、それでもやや強引なのではないか。

 そんな事を思いながらも、キトラはユピテルの言葉に頷くしかなかった。


 ここで、キトラが動かなければプラジアーナとは別れ別れになってしまう。

 プラジアーナはハシダテ集落に戻り、キトラは大学に戻って研究を続けるようになるだけだ。

 そうなる前に、気持ちを伝えなければ。

 キトラは意を決した。

 今夜、プラジアーナに告白しよう。


 牧場を出たキトラはユピテルと一緒に暫く街を歩いた。

 ユピテルはキトラに金を借り、女物のセーターを二着買った。

 もちろん、リンへのお土産である。

 それから日が傾きかけた頃に王宮へ戻った。

 キトラ達の顔を覚えた番兵たちは、何も言わずに中へ通してくれた。


「ユピテル先生、森は……今どうなってるんでしょうね」

「さぁな。もちろんアーガ族には影響ないようにしてくれてるんだろうが、けっこう荒っぽくやってるんだろうな」

「そうですね」


 ユピテルはJプロジェクトの研究所で、人工的にアーガ族を量産する装置を見たという。

「高速培養層」と呼ばれる、人工生命を大量生産するための機械。

 その中から大量に増産された「人工アーガ族」が軍の行く手を阻むだろう。

 そうなれば、森は戦争状態になる。

 ガイオスは容赦しないだろうとユピテルは言った。


「末娘のノヴァを、陛下はことのほか可愛がっていた。しかも、長男も関わっているとなると冷静ではいられまい」

 

 宿泊している建物のロビーで、キトラはぼんやり考えた。

 今、ノヴァやテェアヘペロの妹はどうなっているのだろう。

 Jプロジェクトのメンバーは、腕輪をした少女たちを実験動物とみなしているとモリアンビーは言った。

 その扱いを想像するとたまらなくなる。

 どうか無事に帰って欲しいと思った。


「ところでセンバ君、テェアヘペロ君はどうしている?」

「部屋で、休んでます。バウアーがついてると思うんですけど」

「そうか……」


 テェアヘペロは憔悴しきっている。

 夜もあまり眠れなかったようだ。

 彼に何を言って元気づけてやるべきか。

 二人が話をしていると、階段を駆け下ってくる音がしてプラジアーナが顔を出した。

 何だか酷く慌てていた。


「キトラ、大変なの。モリアンビー皇子から聞いたんだけど、南州軍の天空船が襲われて、ミイレンさんがさらわれたみたいだって」

「ミイレンさんが……まさか!」

「しかも、一緒にダーガーン族の女の人がいたって! 昼間話してたメリーエルダっていうミガトの奥さんに違いないわ!」


 ミイレンは帝都からの命令を受け、メリーエルダと共に天空船で帝都に向かう途中だった。

 しかし、船は離陸直前に何者かの襲撃を受けた。

 襲撃したのは数人の武装した男たち。

 彼らはミイレンとメリーエルダを拉致し、逃げ去ったという。

 兵士たちの中に死者はいなかったが、重傷の者がいるという事だった。

 ミイレンの秘書のパレンキアーノもその中にいたかもしれない。

 キトラは背筋が寒くなった。

 プラジアーナはもう、居ても立っても居られない様子だった。


「キトラ、もう一度森へ行きましょう! さらわれた人たちを助けるの!」

「プラジア、何言って……!」

「そうだぞ、プラジア。陛下もお前は軍の傍を離れるなと言ったはずだ」


 ガイオスの命令により、キトラ達は帰宅を許されたが、保護対象であるプラジアーナとエクウスは安全が確かめられるまで軍の命令に従うように言われている。

 ユピテルは自分の立場を自覚するよう、やや強い口調でプラジアーナに言った。


「ミイレン氏はリンの友人だ。私もできるなら行って救い出してやりたい。しかし、私やお前が勝手に動けば面倒事を増やすだけだ」

「でも……!」

「分からないか? これから戦争になるんだぞ、プラジア!」


 ユピテルはさらに語気を強めた。

 ミイレンとプラジアーナは個人的にも親しくしていた間柄。

 だが、今は冷静に考えなければならなかった。


「皇帝陛下が軍に何を命じたか分かるか? 森にいる奴らへの空爆だ」

「そんな……! そんな事をしたら、アーガの人たちの森が!」

「もちろん、無暗に森林を破壊するような事はすまい。だが、ノヴァ皇女やさらわれた娘たちを救うためにはどんな事でもするだろう。皇帝陛下はそういうお方だ」


 研究所のある周辺には、恐らく人工アーガ族の戦士たちが配備されており、近づく者を攻撃してくる事だろう。

 ガイオスの派遣した軍は、すぐに彼らとの戦闘状態になる。

 そうなればもう自分たちは関わってはならないとユピテルは言った。


「森のアーガ族には遠くへ避難するようにギヨナ村を通じて伝えてあるという。うまくいけば、戦闘は爆発地点の周辺だけで治まるだろう。プラジア、今のお前にできるのはここで待つことだ」


 ユピテルの言葉に、プラジアーナは両手で顔を覆って肩を震わせた。

 プラジアーナは戦うことができる。

 自分の力で、大勢の敵と戦うことができる事を知っている。

 だが、今は耐えなければならない。

 それが辛いのだ。

 これ以上かける言葉が見つからなかったのか、ユピテルは黙って部屋に入っていった。

 キトラはそっとプラジアーナを城の裏庭に連れ出した。

 風のない、静かな夜だった。


「皇帝陛下は素晴らしい人だよ。きっと大丈夫。うまく解決してくれる」


 かける言葉は見つけにくかったが、キトラは自分が確信できる事だけを口に出した。

 プラジアーナは小さく頷いた。

 だが、彼女は頭では分かっても心ではまだ納得できていないようだった。

 きっと、無理に抑え込もうとすればするほど気持ちが溢れてきてしまうのだろう。

 キトラはすすり泣くプラジアーナの隣に座り、落ち着くまで一緒にいようと思った。


 こうしていると、ハシダテ集落でのあの夜を思い出す。

 ぼんやりとその時のことを反芻してみると、なんだかそれは随分前のような気がしてくる。

 実際キトラがプラジアーナと知り合って一緒に過ごしてきた期間はそう長くはない。

 それなのに、こうしていると傍にいるのがずっと前から当たり前だったように思えた。


「プラジア、前に話してた事なんだけどさ」


 キトラは独り言のように言った。


「その気があるなら、オレと一緒に帝都に来ない? 勉強したいなら学校に行けばいいし、お金が稼ぎたければ働き口はたくさんある。ユピテル先生も、もしかしたらこれからウェフリー先生と一緒に暮らすかもしれない。そうすれば、みんな一緒にいられるしさ」


 慣れない都会の暮らしに、初めは戸惑うかもしれない。

 でも、そこはキトラが支えてやればいい。

 プラジアーナの性格なら、きっとすぐに友達もたくさんできるだろう。


「オレ、プラジアに見てもらいたいものがたくさんあるんだ」


 キトラは見慣れた帝都の風景の中に新しい生活を活き活きと送るプラジアーナの姿を想像した。

 愛する故郷にいて、家族のようなハシダテ集落の住民と静かな暮らしを送るプラジアーナも悪くない。

 だが、今までにない事に触れ、新しい自分を開花させていく彼女が見たいとキトラは思った。


「これからはもう、戦いに行くことなんてなくなるし、そうなったらオレは、プラジアをいろんなところに案内したいな。例えば―――」

「本当、キトラ」


 プラジアーナが顔を上げた。

 潤んだ瞳に見上げられ、図らずも心臓が跳ね上がる。

 いつもは強気なプラジアーナが見せる、思春期の少女の顔。

 きっとこの感情が、「守ってあげたい」という奴なのだろう。

 キトラは自分の中に、何か冷静でいられなくなるような衝動を自覚した。


「私のそばに、いてくれるの……?」

「プラジア、オレは」

「ねぇ、キトラ」


 一滴、頬を伝った涙。

 キラリと光って落ちたそれがキトラに何を求めているのか。

 その意味を確かめる前に、キトラの衝動が動いてしまった。

 プラジアーナの手を握る。

 彼女は拒まなかった。

 吸い寄せられるように顔を寄せる。

 長い睫毛がやや小さく震え、意を決したようにその瞳が閉じられる。

 キトラはきゅっと唇を閉じ、慎重に、そして繊細な動きでプラジアーナに触れた。


「キトラ……傍にいて」

「プラジア……」

「私と一緒にいて、キトラ」


 震えるその声にキスで応え、そっと抱きしめる。

 初めは互いの温度すら図りきれないほどに微かに。

 そして、やや引き寄せて深く。

 じれったくなったプラジアーナがキトラの肩を引き寄せ、より深いキスを求める。

 呼吸が熱く、重なって空に溶ける。


「好きよ……キトラ」

「オレもだよ、プラジア」


 呼吸を奪い合うように、強く深く繰り返す。

 もっと強く抱き合いたくて、キトラはプラジアーナを膝の上に抱え上げた。

 その思いがけぬ軽さにはっとする。

 自分はこのか弱げな存在にどれだけの物を負わせ、戦わせてきたのだろう。

 今更ながらその事実を突きつけられ、キトラはただ強くプラジアーナを抱きしめた。


「これからのことを、一緒に考えよう」


 キトラはプラジアーナの耳元に囁くように言った。

 その長い髪を、今まで幾度も大空を舞った翼を、そしてプラジアーナを運命に縛り付けるその腕輪をそっと撫でる。

 呼気は白い。

 だが、二人はただお互いの温もりだけを感じていた。


「これからはオレが、プラジアを守るから」


 これからは、プラジアーナに何かを負わせたりしないから。

 絶対に傷つけたりしないから。

 ただ君の幸せを願う。

 そして、その笑顔を守る。

 言葉で伝えきれないまま、キトラはプラジアーナを抱きしめ続けた。

 プラジアーナは頷き、キトラの口づけを求めた。


 その時の出来事がプラジアーナにとってどのような意味を持っていたのか。

 キトラは理解できていたつもりだった。

 

 お互いの心は同じ。

 全てが終われば、きっとプラジアーナと手を携えて帝都に帰ることができるだろう。

 ぼんやりと、そんな呑気な事を考えていたのだ。

 しかし、事件は起きてしまった。

 翌日、プラジアーナ、そしてエクウスが姿を消したのだ。


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