【第十八話】 Jプロジェクト
目を覚ました時、最初に感じたのは水の匂いだった。
清浄な森の奥で生まれる、澄んだ清水の匂い。
キトラが体を横たえていたのは柔らかな苔の上で、目を開けると頭上からは明るい緑色の光が射していた。
「気が付いたかい?」
聞こえてきたのは、テェアヘペロの声だった。
キトラは黙って頷いた。
助かったのだろうか。
体を起こそうとすると、力が入らなかった。
痺れがある感じがして、腕や足が酷く重い。
無理に起きなくてもいいとテェアヘペロは言った。
「麻酔作用のある薬を飲んだんだ。暫くは動けないよ」
「オレ……どうなったの? みんなは……」
「大丈夫。みんないるよ」
テェアヘペロは立ち上がり、どこかへ歩いて行った。
負傷しているのか、足をやや引きずっている。
キトラがどうにか頭を動かすと、そこは洞窟の中らしかった。
入り口にいたプラジアーナがテェアヘペロと一言二言会話を交わすと、キトラの方へ駆け寄ってきた。
「キトラ! 気が付いたのね!」
「プラジア……うん、生きてる」
「良かった……もう、死んじゃうかと思ったんだから!」
ぎゅっと抱きつかれる感触と痛み。
プラジアーナはキトラの胸に顔を埋め、嗚咽を上げた。
キトラは感覚の鈍った手で彼女の髪にそっと触れた。
夢では、多分ない。
生きているのだ。
一体どうなっているのだろうか。
視線を洞窟の奥へやると、そこには背中を丸め、何か作業をしている一人のアーガ族がいた。
顔を上げたその男は、キトラとサバンテルの戦いに割って入ったあのルケンテルだった。
「あなたが……なぜ……」
キトラが力なく問うと、ルケンテルは立ち上がり、こちらに近寄ってきた。
その手に持った石の鉢から嗅いだことのある匂いが漂う。
ユピテルが煎れてくれた、あのアーガ族のお茶の匂いだった。
「具合はどうだい、センバ君」
低い声がそう言った。
「どうにか命は助けられたけど、アゴラテルにこっぴどく締め付けられたようだからね。首は痛むかい?」
「……言葉が……?」
言葉を解さないはずのルケンテル。
だが、彼の口から出たのは明朗な「外の世界」の言葉だった。
キトラが戸惑っていると、ルケンテルは口元にやや笑みを浮かべ、唐突にこう言った。
「どうやら私の正体が分からないようだね」
「正体? あなたは……確かルケンテルと」
「君が帝都大学に入学したとき、主席で合格した生徒は君以外に二人いたね」
「えっ?」
「一人はピスカ族のエルトリューノ、そしてもう一人はセピア族のファバロン。そうだったっけね」
「あ、あの」
「私は記憶には自信がある。一度聞いた話は忘れないよ。例え、酒が入っていたとしてもね」
ルケンテルが何を言っているのかキトラには分からなかった。
同期で帝都大学に入学した時の主席の二人の名。
それは、初めてユピテルに会った日の晩、彼の家で話した内容だったのである。
キトラがポカンとしていると、プラジアーナが顔を上げた。
「キトラ、この人はユピテル先生よ」
「えっ……」
「生きていたの。私たちを助けるために」
涙をぬぐうプラジアーナ。
ますます訳が分からなくなって、キトラはルケンテルとプラジアーナの顔を交互に見た。
そんなキトラの顔を見て、「ユピテル」は無理もない、という顔をした。
「説明するのも難しいんだが……まぁ、とりあえずこれでも飲んで落ち着いて聞いてくれ」
ふわりふわりと舞う暑い湯気の向こうで、ユピテルと名乗る男は今までのいきさつを話した。
彼は、ハシダテ集落で襲われた時、確かに「死んで」いた。
だが、死んだのは彼の「肉体」のみ。
彼の心や魂は死んではおらず、キトラやプラジアーナをここへ導いたのだとユピテルは言った。
「どういうことなんですか? 全く意味が分からないんですけど……」
「うん。プラジア達にも三回くらい話さないと飲み込んでもらえなかったからね。センバ君にもきっと訳が分からないはずだ」
「はぁ」
「じゃあまず、あの夜何があったのかを話すとしようか」
ユピテルが襲われた晩、彼は一人、レポートの下書きをまとめていた。
世紀の大発見をした興奮のままに全く眠気が起こらず、その夜は徹夜するつもりでいた。
そんな彼の前に現れたのは、かつての同胞・ルケンテルだった。
「ルケンテルと私は同い年で、幼い頃から一緒に育った仲だ。大人になっても見間違うことはなかった。だから私は、一目でルケンテルがなにか『おかしい』事に気づいた」
「おかしいって?」
「彼の立ち振る舞いさ。行儀の悪いアーガの戦士のはずが、妙にきちんとしていたんだ」
ユピテルが気づいたその違和感は、ルケンテルができないはずの「言葉を話す」という行為によってより明確になった。
こいつはルケンテルではないのではないか。
疑いの目を向けるユピテルに、相手はこう言った。
「あいつは言った。私たちが見つけたあのミイラを持って森に帰れ。そうすれば、自分が私をアーガの族長にする手助けをする、とな」
「アーガ族の族長に?」
「ますます怪しい話だった。アーガの戦士はそんな面倒な真似は決してしない。族長になりたいものはたった一人で族長に戦いを挑むものだからな」
ユピテルは相手に詰め寄った。
お前はルケンテルではない。
いったい何者で、何の用で自分に会いに来たのか、と。
すると、相手はユピテルに向かってこう言った。
「自分は身体を持たない者。そして、この世界の『始まり』を知る者だ、と」
相手がそう言った瞬間、ユピテルは一瞬白昼夢のような感覚に囚われた。
そしてハッと我に返ると、目の前に「自分」が立っていた。
見慣れた部屋の中に立ち、ユピテルの服を着て、ユピテルの顔をした男。
ユピテル自身の意識は、さっきまでルケンテルだった者の中にあった。
「訳が分からなかったよ、センバ君。私は肉体を乗っ取られてしまったんだ」
「乗っ取られたって……そんなまさか」
「まさか、さ。でも現実にそれは起こったんだ。でなければ私はこんな風になっていない」
ユピテルは手のひらで自分の身体を、元ルケンテルのものだったものを叩いて見せた。
何をどうしたのかは分からない。
だがユピテルとルケンテルには、肉体の入れ替わりという信じられない現象が確かに発生していた。
「私の身体を乗っ取った相手はこう言った。身体を返して欲しければあの遺跡に案内しろ、そうでなければ今すぐ心臓を貫いてこの身体を壊す、と。私は従うしかなかった」
肉体が入れ替わってしまったまま、ユピテルは相手を遺跡の中へ連れて行った。
ユピテルが逆らわなくなると、調子に乗った相手はペラペラといろいろな事を話し始めた。
その内容は驚くべきものだった。
「あいつは言った。あのミイラの名は、『ピスキアーナ』。この星に最初に移住した人類が作り出した人工生命―――総てのピスカ族の先祖だと」
ユピテルは若い時に森を出たため、アーガ族に伝わる『創生の秘密』については知らなかった。
しかし、目の前の男が語ったその内容があまりに恐ろしいものであることはすぐに理解できた。
彼の狙いは、そのミイラだけではなかったのだ。
「ピスキアーナのミイラがある土地の傍にはその血を継ぐ娘が住んでいるはずだ、とあいつは言っていた。それが誰のことか分かるね、センバ君」
「プラジアーナ……ですね」
「あいつはあのミイラと共に、プラジアーナをも連れて行くと言っていた。あいつとその仲間がこの星に仕組んだ、ある『恐ろしいたくらみ』もしくは『何らかの目的』のためにな」
ユピテルは全てを理解すると、直ちに覚悟を決めた。
何としても、あいつを止めなければならない。
そのためには――――。
ユピテルは油断しきっている相手の背後へと忍び寄った。
そしてその首に手をかけると、力の限り締め上げた。
「あいつは私の事を全て知っていた。もしも私があの体を捨てれば、もう『ヴト・ユピテル』としては生きられぬことを」
「先生……」
「だが、もう迷っている場合ではなかった。私はこの手で、『あいつ』ごと自分自身の肉体を壊した」
首の骨を折るのは、あまりにも容易かった。
事態を飲み込めない表情のまま、相手はユピテルの体の中で果てた。
次にしなければならなかったのは、「ルケンテル」がするはずだった仕事。
ミイラを森に運び、アゴラテルに会う。
そうすれば、何が起こっているか全てが分かるだろう。
ユピテルは今一度アーガの戦士に戻る覚悟を決めた。
「君たちに見られてしまったのは想定外だったけれどね。本当なら、私は『行方不明』になるつもりだったんだ」
「行方不明?」
「ミイラを持って、どこぞへ雲隠れ。そういう設定でさ。だが、私ときたら翼のある身体の使い方をすっかり忘れてしまっていてね。まごまごしている間に朝になって、君たちが来てしまった」
死んだ体をハシダテ集落のどこかに埋め、黙って姿を消すつもりだったユピテル。
だが、実際にはルケンテルの体を使いこなせず、どうにか飛ぶことができるようになった頃には夜が明けてしまっていた。
キトラ達に姿を見られたユピテルは急きょ予定を変更。
謎のアーガ族の戦士がユピテルを殺し、ミイラを奪って逃げるという設定を作り出した。
「無理があるとは思ったんだがね。おまけに、この芝居だと思わぬ事態を起こす恐れがあった」
「もしかして、オレたちが先生を追ってくるかも、って事ですか?」
「ああ。まさかのその通りだよ」
ユピテルがキトラ達の動きを悟るのにはそう時間を要しなかった。
コゴミの街での戦いで、キトラやプラジアーナの存在は多くのアーガ族の戦士たちに知れ渡っていた。
炎を操るピスカ族の女と、戦士たちの中でも指折りの戦闘力を誇るサバンテルを圧倒したルーデンス族の男。
それを聞いたユピテルはその二人が誰なのかをすぐに悟った。
きっと、キトラ達は森を目指してくるだろう。
確信を強めたユピテルは一人ルケンテルを演じながら密かにアゴラテルの動きを探った。
「余力があれば君たちがこっちに来るのを妨害しようとも考えた。けど、生憎『ルケンテル』という存在は私が思うよりも複雑な立場でね」
族長のアゴラテルはルケンテルを常に傍に置いていた。
彼はルケンテルをその名で呼ばなかった。
リョウ。
ユピテルは常に、その名で呼ばれる事になった。
「リョウ、とは私がハシダテ集落で屠ったあの身体のない奴だろう。正体の分からん奴を演じるのは骨が折れたが、アゴラテルはまさか私と奴が入れ替わっているなどとは思わなかったらしい」
「それで、先生はずっとアゴラテルの傍に?」
「基本的にはね」
アゴラテルは時折戦士たちの傍を離れ、ユピテルだけを連れて森の奥へ向かった。
そこはあの爆発地点。
森が消し飛び、他のアーガ族や獣たちすら近づかなくなったその場所に、アゴラテルは迷うことなく踏み込んで行った。
「そこにあったのは、アーガに伝わる言い伝え……そして、あのリョウという奴が言っていたことを肯定するものだったよ。私は信じられなかった。爆発地点の中心にあったのは、地下に埋められた奴らの研究所への入り口だったんだ」
「研究所……ですか」
「ああ。センバ君もエオンの婆様から聞いたろう。この世界を作った人間……遥か彼方の星からやってきた者たちのアジトさ」
暗い階段を降りた先には、今の文明では作り出すことができない高度な研究設備だった。
そして、その中でユピテルは驚くべきものを目撃した。
薬液で満たされた円柱形の水槽。
それを上から覗き込むと、中には人間の頭らしきものが浮かんでいた。
「よく見ると、それは立った姿勢で液体に沈んだ人間の全身だった。私は背筋が寒くなったよ。あれは科学の力で作られた人工の子宮……人の手で命を生み出すための装置だったんだ」
ユピテルが見たその人工の子宮は六つあった。
そして、その中ではそれぞれ異なった種族の人間が造られていた。
アゴラテルはその中の一つを指差し、自分の新しい身体だと言って満足げに笑った。
「あいつはその肉体が完成したら、今の体を捨ててそっちを使うと言った。水槽には銀のネームプレートが付いていて、『レイジ』と書かれていた」
「じゃあ……まさかアゴラテルも」
「リョウと同じさ。アゴラテルの体に巣食った、連中の仲間の一人だったわけだ」
レイジはアゴラテルの体を宿に、自分の体が完成するのを待っていた。
ユピテルは研究所の警備を買って出るふりをして、その設備を隈なく見て回った。
分かったのは、このプロジェクトを仕組んだのが六人の研究者であったこと。
そして、彼らが何万年もの昔に他の星から移住してきた人間で、その時から今の計画を開始していたという事だった。
「六人の研究者は自分の星から持ち込んだ技術を駆使して私たちの祖先を造った。いや、私たちだけではない。星そのものをほぼ一からつくる事にも携わっていたのだ」
「じゃあ、その六人がいなければこの星に人間はいない……という事ですか」
「その通りだ」
ユピテルはこの星に来た当時に彼らがつけていた日記、そして膨大な研究資料やデータを発見し、全てを知った。
彼らが来る前のこの星は生命が住むことなどできぬ場所で、そこに移住してきた者たちがあらゆる手を加え、数十年を費やしてようやく星の原型が出来上がったこと。
当初は人工生命などを作り出す予定などはなく、人口増加によってあふれ出てしまった人々の受け入れ先として星の開発が進んでいた事。
そして、リョウやレイジらがその星を我が物とするために乗っ取ったこと―――。
今まで誰も知る事の出来なかったこの星や生命の「成り立ち」がそこにあった。
「奴らは自分たちの計画を『Jプロジェクト』と呼んでいた。そのプロジェクトはまず、余計な人間をこの星から追い出す事から始まった」
その手段として彼らが用いたのが強力な「ウィルス」だった。
ウィルスは星中に広がり、抗体のない人々は次々に倒れた。
ワクチンも発見されず、星からの移住者もストップ。
さらには星から帰郷した人々が元の星にウィルスを持ち込んだために混乱が生じ、そうしている間に新しい星はJプロジェクトのメンバーの手に堕ちていった。
「星に残った人々は月へ移住し、Jプロジェクトのメンバーは『ワクチンの研究を行う』として自分たちだけで星に残った。そして、あの場所に研究所を作った」
メンバーは研究所内で次々に新しい人種を作り出した。
アーガ、ピスカ、ダーガーン、セピア、クウォール。
星の環境に適応するように作られた彼らは独立し、自らの力でコミュニティーを形成し、数を増やしていった。
それを見届けたJプロジェクトのメンバーは、今度は新しいプロジェクトに着手する。
彼らの「死」、そして「生まれ変わり」のための研究だった。
「プロジェクトメンバーは自分たちの肉体を保存する装置を作ると、数万年後に新しい肉体を以て生まれ変われるように設定し、自ら命を絶った。森の地下に、大規模な『目覚まし時計』を設置してな」
「目覚まし時計?」
「半年前のあの大爆発のことだよ」
数万年経てば、研究所は土砂に覆われ、森に飲み込まれてしまうだろう。
あるいは、場合によっては人間たちが街を作って住んでいたり、地殻変動などによって水の底に沈んでしまっているかもしれない。
Jプロジェクトのメンバーはあらゆる事態に備え、確実に自分たちが目覚める事の出来る最高の手段としてあの大爆発の装置を設計した。
そして、その計画は成功したのだ。
「大爆発と同時に数万年眠り続けていた装置が起動し、メンバーが設計した通りに彼らの体を作り始めた。さらに、六人のメンバーのうち重要な役目を持った二人が目を覚まし、動き始めた。それがレイジとリョウだった」
彼らは他のJプロジェクトのメンバーが眠り続ける中、研究所を抜け出した。
そして、何らかの手段でアゴラテルとルケンテルに近づき、身体を乗っ取った。
アーガ族は二人が他の誰かに身体を乗っ取られたなどとは思いもせず、アゴラテルの命令通りに行動を開始。
外の世界への襲撃が始まった。
「研究所内ではさらに、もう一つ厄介なものが動いている。『高速培養層』と呼ばれる、人工生命を大量生産するための機械だ」
「先生、それってもしかして……」
「戦士を補充するための装置さ。平均以上の戦闘力を持ったアーガの戦士を一度に四人、一時間かからずに生み出すことができる。こいつらは、森にいるアーガの戦士とは別に動いていた。恐らく、サバンテルやラカテルは知らないはずだ」
「何のためにそんな大がかりな事を?」
「奴らの目的は初めから『六族の王』のミイラだ。北の大森林から離れた南州の砂漠地帯ばかりが襲われたのはそういうわけだ」
「でも、どうしてミイラが必要だったんですか?」
ユピテルの話を一通り聞いても、キトラにはまだ疑問だった。
Jプロジェクトのメンバーが作り出した種族はそれぞれ星中に繁栄し、数を増やしている。
人工生命を作り出したJプロジェクトの研究は無事に成功し、成果を出しているといえる。
それなのになぜ第一号の死体などに何故彼らが固執するのだろうか、と。
ユピテルはその疑問に対し、こう答えた。
「奴らの本当の目的は、単に新しい星を作って、人工生命を繁栄させる事じゃないかもしれない」
「えっ?」
「ここからまた話は長くなる。私はこの話の続きを、皇帝陛下の前でしようと思う」
ユピテルがそう口にしたちょうどその時、洞窟の入り口からテェアヘペロが顔を出した。
テェアヘペロは帝都に報告を上げていたらしい。
彼はユピテルに、皇帝ガイオスと連絡がとれたと話した。
「陛下のご命令です、ユピテル先生。すぐに僕たちと一緒に森を出て、ギヨナ村から天空船で帝都に向かってください」
「帝都に?」
「話は後で。もう、エクウスとバウアーは準備を始めています」
テェアヘペロに言われるまま、キトラ達は急いで帰る支度を始めた。
彼は何故か酷く焦っていて、時折周囲を警戒していた。
キトラがプラジアーナに支えられて洞窟の外に出ると、そこにはサバンテルが立っていた。
サバンテルはキトラ達に気を付けて森を出るように言った。
「族長が行方不明になっちまってよ。エクウスに言われて、オレが代理を引き受けた」
「もしかして、他の戦士の人たちも戻って来たんですか?」
「緊急事態だからな」
振り返ると、ラカテルがあの仏頂面を浮かべていた。
だが、今の彼には敵意は感じられなかった。
ラカテルやサバンテルも、キトラと同じように全ての事を知ったのだ。
集落には出ていった者たちが全員戻って来ていた。
彼らは疲れた様子だったが、どことなくホッとしたような顔をしていた。
「兄・ユピテルの話を聞き、我々は信じる事にした。あの男の中身が本当の族長でないならば、アーガ族にはアゴラテルに従う義務はない」
「アゴラテルさんは……どこに行ってしまったんでしょう」
「お前たちとやりあって以降は分からん。今、戦士たちが捜索に出ている。恐らく……見つかり次第、殺すことになるだろう」
ラカテルはそれだけを言い、翼を広げて飛び去った。
恐らく、自分もアゴラテルの捜索に向かったのだろう。
通常、アーガの戦士たちが結託して族長に向かっていくことはない。
しかし、彼が自分たちを騙していた事を知り、戦士たちはアゴラテル討伐という目的のために団結していた。
キトラは嫌な予感がしてならなかった。
「サバンテルさん、どうか、気を付けてください」
「ああ? なんだそりゃ?」
「相手は……普通の人間じゃありません。何をしてくるか、分からないですから」
「何言ってんだよ。そんなの誰を相手にしても一緒だろうが」
サバンテルは鼻で笑った。
大きな手がキトラの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「そっちこそ、無事に帰れよ。オレはまだ、お前と決着つけるのを諦めてないからな。途中で変なくたばり方したら許さねえぞ」
乱暴な言い方だったが、サバンテルの口調は温かかった。
もう、彼とは殺しあわなくても済むかもしれない。
そう思うとキトラは嬉しかった。
足早に森を発とうとするキトラ達を、他のアーガ族達も丁寧に見送ってくれた。
娘のようにかわいがっていたオモンを失い、悲しみに暮れていたエオンもオモンとエクウスの母を連れて出てきた。
身体の小さなアーガの女は、身振り手振りでキトラ達に何かを訴え、涙を流していた。
エオンがそれをキトラ達に分かるように通訳してくれた。
「オモンのこと、感謝してるって。アタシからも礼を言わせておくれ」
オモンの遺体は既に、集落の中の見晴らしのいい場所に葬られたという。
一族のために戦い、死んでいったオモン。
彼女の思いに寄り添ってくれたことを、エオンや他のアーガ族達も感謝している。
エオンはそう言った。
「必死に守ろうとしてくれたんだってね。それに、出ていった戦士たちもこうして戻ってくれた。アンタたちのおかげだよ」
「そんな……オレ達は何も」
「アーガ族には仲間を見送るっていう風習はないからどうしたらいいか分からないんだけどね。途中の川までみんなで送ろう。さぁ、暗くならないうちに」
陽の傾きかけた森の中を、キトラ達はギヨナ村に向かって歩き始めた。
その姿を、エオン達は最初に子供たちと会った川の岸に立ち、ずっと見守ってくれていた。
暗くなっていく森。
一列に並んだ森の民たちのシルエット。
来たときと同じように一番後ろについたエクウスは、時々振り返りながら彼らを心配そうに見ていた。
「私は、みんなを置いて来てよかったのか」
「どうして?」
「……母が、ひどく傷ついていたんだ」
エクウスはこの森に来て、自分の家族に再会した。
かつてアゴラテルに捨てられたエクウスを最後まで守ろうとしたという母。
彼女の言葉はエクウスには分からなかったが、自分の事を片時も忘れずにいてくれたことはその様子で分かったという。
血の繋がった兄や弟たちもエクウスに会えた事を喜んでくれた。
彼らを森に残していくことが気がかりなのだとエクウスは言った。
「オモンが死んで、みんな悲しみに暮れてる。それに、アゴラテルが失踪してアーガの戦士たちも混乱してるんだ。あんな状況で、また何かあったら」
「心配するなよ、エクウス」
不安げな顔をするエクウスにそう言ったのはバウアーだった。
ここ数日の森の生活で日焼けしたバウアー。
彼は前より少し逞しくなって見えた。
「サバンテルさんとラカテルさんがいればみんな大丈夫だって。あの人たち、コゴミの役人とかよりずっと優秀だぜ。見かけよりけっこういい人だし」
「そう……だな」
「ほら、早く行こうぜ。お前がそんな顔してたらオモンちゃんが心配してあの世に行けなくなっちまうぞ?」
バウアーにそう言われ、エクウスは小さく頷いた。
プラジアーナによれば、怪我を追ってアーガの薬を飲まされたキトラは丸一日くらい目を覚まさなかったという。
その間に、アーガの一族は死んだオモンの葬式を行った。
妹を失ったエクウスは憔悴し、自分が悪いのではないかとふさぎ込んでいた。
そんな彼女を慰め続けたのがバウアーだった。
「私も心配したんだけど、バウアーがいればエクウスは大丈夫ね。私たちもしっかりしなきゃ」
プラジアーナは自分に言い聞かせるようにそう言った。
ギヨナ村に到着したのは夜中だった。
森の中は温かいのに、ギヨナ村までくるとかなり冷え込んでいて、キトラ達はすっかり調子が狂ってしまった。
アーガ族からキトラ達が来ることを聞いていた村の者たちは既に事情を知っており、宿を用意して待っていてくれた。
だが、長く休んでいる暇はなかった。
「テェアヘペロ様、朝には中央政府の天空船が来るそうです。皇帝陛下及び皇后陛下が北州の王都で待っておられるとの事で」
「お二人が王都で? 僕たちは帝都まで行くのではないのですか?」
「事情が変わったそうです。皆さんは、今のうちに仮眠をとっておかれた方がよろしいかと」
行きに世話をしてくれた村長の息子はそうキトラ達に伝えた。
皇帝が皇后を伴って直接近くまで来るなど、一体何があったのだろうか。
気になってならなかったが、心身の疲労がすぐにキトラを深い眠りへと誘った。




