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【第十七話】 アゴラテル

 

 鼻に抜ける森の匂いと、肌にまとわりつく濃い霧。

 甲高く鳴き交わすサル達の声が遠いのか近いのか分からなくなるほどやかましく響いている。

 大森林の朝はこれほどまでににぎやかなのか。

 キトラが空を見上げると、太陽はまだ空のかなり低い位置にあった。


「早いうちに出た方が良い」


 オモンは長い髪をまとめながらそう言った。

 遅くなれば、アゴラテルはまた戦士たちを連れてどこかへ行ってしまうかもしれない。

 だから、朝早いうちに出て会わなければいけないのだ。

 キトラはもう一度背中に背負った鞘の中のものを確かめた。

 バウアーによく研いでもらった短剣は二本ともちゃんとそこにあった。


「行くのはオモンとオレ達だけ?」

「能力のある見習い戦士を連れて行く。何かあった時に、外のお前たちだけを戦わせるわけにはいかない」

「分かった。よろしく」


 オモンの周りに集まって来た若者たちは何も言わず、ただ緊張した目でキトラ達を見ていた。

 彼らは全員、キトラ達の使う「外の言葉」が分からないアーガ族なのだという。

 互いのコミュニケーションも身振り手振りや「ア、ア」「オ、オ」という短い発声で行っており、長い文脈で話をしている様子は見られない。

 これからすることに対してもただ「一緒について来い」という感じにしか伝わっていないように思えた。

 ほとんど、ただオモンの命令のままになっているという感じだ。

 彼らのような者もいれば、オモンやエオンのように難解な機械の操作や外の世界の事情に精通し、一家言を持つ者もいるのがアーガの集団なのである。

 一族の中でどうしてここまで能力差があるのか。

 キトラがテェアヘペロに尋ねると、彼は遠慮がちな口調でこう言った。


「やっぱり、他の種族の血が入ってるかどうかなのかなぁ。彼ら曰く、ルーデンス族の血ってことなんだけど」


 その言葉に、キトラはユピテルがハシダテ集落で話していたことを思い出した。

 ユピテルは、一族の族長や中心になる者はギヨナ村の巫女の産んだ「儀式の子」か、もしくはその血を色濃く継ぐ者だと言っていた。

 こうして森の中で彼らと一緒に過ごしてみると、ユピテルの言った事がよく分かった。

 見た目は全く分からないのに、アーガ族には「血」による明らかな差がある。

 ギヨナ村の儀式は、アーガ族にとってその血を一族の中に取り入れるためのものなのだ。


「もしあの儀式をやめてしまえば、アーガ族は一族を適切に率いる人材を失ってしまう。そういうことかな」

「うん。村で生まれた「儀式の子」が大事にされるのはそういう理由なんだろうね。男女関係なく、生まれた子はアーガ族の人が大事に引き取るっていうし」

「アタシ達はね、先祖返りって呼んでるのさ」


 振り返ると、エオンが立っていた。

 よくない会話を聞かれてしまっただろうか。

 キトラはそう思ったが、エオンはさほど気にしていないようだった。


「アーガ族の血が濃すぎると手の付けられない動物みたいな子が生まれるし、ルーデンス族の血が濃すぎると森じゃあ生きていけないようなひ弱な子が産まれる。だからね、儀式にはルーデンスからできるだけ遠い血の男が選ばれるんだ。そこにいる四人もそのうち行くだろうね」


 そんな話をしながら、エオンは何かオレンジ色の液体を木の実の殻の中に入れてこね回していた。

 ツンと鼻を突く酸の匂い。

 何をするのかと思っていると、エオンはキトラ達に後ろを向くように言った。


「虫よけさ。森の奥へ行くと、顔の周りに纏わりついてうるさい虫がいる。これをつけていけばいくらかマシだろう」

「ありがとうございます」

「ほら、首の毛を少し上げな」


 エオンはキトラ達の首の後ろに十字を描くような形に虫よけの液を塗ってくれた。

 準備ができると、一行はオモンを先頭に森の奥へと出発した。

 四人の戦士見習いたちはオモンの周りにつき、一番後ろをエクウスが歩いた。


「この先は湿地帯だそうだ。キトラ達も靴を脱いだ方がいいかもしれないぞ」

「エクウス、裸足なの?」

「周りがみんなそうだからな」


 エクウスは昨日から服装をオモンや他のアーガ族に合わせている。

 樹皮や獣の革を使った露出の多い簡単な服だ。

 そして、驚くことにプラジアーナまでもがいつの間にかそんな恰好をしていた。


「女の人たちが着せてくれたの。暑いからこのほうがいいだろうって。どう、キトラ? ステキでしょ」

「うん……似合うけど、虫とか刺されない?」

「タルラの実の汁を塗ってるから大丈夫!」


 プラジアーナはエオンがつけてくれたあのオレンジ色の汁で全身に唐草模様のようなペイントを施していた。

 黒い肌だと目立たないが、よく見るとエクウスやオモンも同じようにしている。

 どうやらこれはアーガの女たちのオシャレでもあるらしい。

 目の前を踊るように歩くプラジアーナの肌が艶めかしく、キトラは若干目のやり場に困った。

 その様子はすぐ後ろにいたエクウスにも分かったらしく、集団から少し離れたときにキトラの背中を爪の先で突いてきた。 


「どうだ? あれを見れば少しは眠気が飛ぶだろう」

「な、何言ってんだよ」

「とくと楽しむがいい。向こうもお前に見せるためにやってるからな」

「へ……?」

「何だ、鈍い奴め」


 エクウスはため息交じりにそう言った。

 一昨日の晩、エクウスとプラジアーナは女二人の部屋で自分たちの恋愛観についての話になったらしい。

 そこでエクウスが「好きな奴はいるのか?」と問うと、どうやらキトラに対して何がしかの想いを持っているらしい反応を見せたのだそうだ。


「本人はむにゃむにゃよく分からない事を言って誤魔化そうとしていたが、態度を見ていれば分かる。キトラ、お前は果報者だな」

「何だよそれ。エクウスの勝手な推測じゃん」

「どうだかなぁ」


 エクウスはニヤニヤしながら言った。

 前を歩くプラジアーナは二十メートルほど先にいて二人の会話には気づいていないようだ。

 だが万一聞こえていれば気まずい。

 キトラがひやひやしていると、エクウスはぽつりと言った。


「因みに、アタシはバウアー狙いなんだがな」

「えっ」

「フフ。何でもない。独り言だ」


 振り返るとエクウスは目を伏せてはにかみ、心なしかいつもより女っぽい顔をしていた。

 なんだよ、色気づいちゃって。

 この非常時にどいつもこいつも浮かれている。

 キトラは若干面白くないものを感じながら前を歩くプラジアーナに追いつこうと歩みを速めた。


 エクウスが言った通り、道は次第にぬかるみがちになった。

 森の奥に行くにつれて植生も少し変わってきているらしい。

 道沿いに咲く花々の花弁は分厚く、たっぷりと水気を含んで見える。

 湿地に入ったのだろうかと思っていると、どこからか川の音が聞こえてきた。


「アゴラテルがいるのは川の向こうのキャンプだ」


 先頭を歩いているオモンが前方を指差した。

 心なしかアーガの集落の周りよりも気温が高く、湿気がある気がした。

 森は奥へ行けば行くほど気温も湿度も高いらしい。

 キトラもだんだん肌を出して歩いているプラジアーナ達が羨ましくなった。


「ここから沼地がある。靴を履いている者は脱いだ方が良い」

「沼地?」

「ああ。特にキトラの履いてるような革の靴はダメだ。今のうちに脱いでおけ」


 キトラ達がオモンに言われた通り靴を脱いでついて行くと、急に視界がパッと開けた。

 高い木々が途切れ、一面に白や薄紫の花が咲くきれいな花畑が現れ、金属の板を叩き鳴らすような虫たちの声が聞こえる。

 雲一つない青空と、それを切り取って聳える遠い西の山々。

 美しい光景だった。

 思わず歩みを早めると、その足はずぶりと足元の泥に取られた。


「私の後にまっすぐついて来い。変な場所を歩くと底なし沼にはまるからな」


 オモンはそう言って慎重にぬかるみの上を歩きだした。

 彼女の足は、湿地に生える植物の太い根の上を選んで進んでいた。

 薄紫の花を咲かせた植物の根がゴムホースのように土の上を這い、網の目状に広がっている。

 どうやらその上を歩けば沈まないらしい。

 よく見ると周囲の植物は皆、肥沃で柔らかい泥の上にぷかぷかと浮く様にして生えている。

 泥は大きなプリンのようになっており、植物は深く根を張っていない。

 だから何もないところを踏んでしまうとそのままずるっと沈んでいってしまうのだ。


「爺ちゃんに聞いたことがあるんだけどさ」


 ぐちゃぐちゃと湿地を踏みながら、バウアーがぽつりと言った。


「昔、政府軍が森に攻め込んだとき、川から上がれなくて死んだ人がたくさんいたってさ」

「この、泥沼のせい?」

「そうそう。船で岸についた途端沼に足を取られて動けなくなって、そこを襲撃されたんだってさ。確かに、重い軍用のブーツなんか履いてたら、こんなところ歩けないよな」


 湿地を抜けると、いよいよ川辺に着いた。

 ここからどうやって渡るのかと思っていると、アーガの戦士見習いの男たちが川の下流を指差した。

 そこにあったのは、大人一人が余裕で転げまわれるほど大きな丸い蓮の葉。

 そして、近づく者を取って食いそうな成りをした、手のひらほどの大きさの血のように赤い花が咲いていた。

 キトラ達がその得体のしれない植物に驚いていると、見習い戦士は水に飛び込み、水中でその茎を切った。

 オモンは近くにあった背の高い植物の茎を何本か刈り取ると、キトラ達に葉の上に乗るように言った。


「『エンペラーロータス』だ。この葉一枚で三人くらいまで乗れる。進むときはこれで押す」

「そうか。この葉っぱをイカダの代わりにするんだね」

「一カ所に固まらないように真ん中に乗るんだ。傾くと沈むからな」


 川幅は広かったが水流はかなり緩く、イカダは軽い力で進める事ができた。

 エンペラーロータスの葉も樹脂のように固く、少し蹴飛ばしたり跳ねたりしたくらいでは破れないほど丈夫だった。

 大人の男は空を飛べるが、まだ飛べない子供や女、老人たちはこうやっていつも船を使うのだという。

 こんな時じゃなければ結構楽しいのに。

 プラジアーナがそんな事を言った。


「きっとこれで川下りしたら楽しいわ。子供の頃、こういう遊びに憧れたもの。キトラもそうじゃない?」

「確かに。なんか冒険してるって感じだよね」

「そんなに楽しそうにしてくれるなら、お前たちを森に招待できたらよかったな」


 オモンは船を進ませながらそう言って笑った。

 子供の頃からずっとこうして川を渡っているのだろう。

 プロの船頭のように漕ぐのが上手だった。


「アーガの大人たちは、外の人間は森を壊す事ばかり考えているどうしようもない奴らだと言っている。だが、お前たちのように森を楽しめる人間なら、私たちと理解しあえるかもしれない」

「オモンは、オレたちの仲間が森に入ってもいいと思ってるの?」

「私は今のところ、キトラ達以外には外の人間を知らない。だから、知らないのに勝手に解釈するのは嫌なんだ」


 アーガ族の子供たちは、生まれてからずっと外の人間は悪者だとして教育を受け、そう刷り込まれる。

 いかに外の人間が酷い仕打ちをし、何度森が危機に陥った事か。

 そういった知識を嫌というほど叩き込まれるのだ。


 しかし、オモンは子供の時から思っていた。

 自分は外の人間を見たことがない。

 聞いたことがあるのは一族の年寄りの話ばかりだ。

 もし実際に会ったとしても、外の人間は本当に悪い者ばかりなのだろうか。

 自分のこの目で確かめたとしても、幼い頃から刷り込まれたこの知識が正しいと肯定されるだけなのだろうか、と。


「アーガの中にも、嫌な奴や悪い奴がいる。ずるい手で他の仲間より偉くなろうとしたり、他の者より得をしようとしたり。大人になればみんな平気で嘘もつくしな」

「まぁ……よくあることだよね」

「もしも実際に会って、どういう人間が外に住んでいるかもっとよく分かっていたら、私たちは違う生き方をしていたかもしれない」


 オモンはイカダを進ませながら悲しげな顔をした。


「それにそうしたら、父さんもあんな乱暴をしなかったかもしれない」


 川を渡ると、そこにはまた湿地帯が広がっていた。

 しかし、その光景は対岸とはまた異なっていた。

 ところどころに立ち上る白い湯気と、熱気。

 そして火山地帯特有のイオウの匂いが漂っている。

 不意に大きな音がして振り返ると、遠くで水柱が噴き上げている。

 地下から噴出する間欠泉だった。


「オモン、もしかして、ここって温泉が湧いてるの?」

「ああ。だからアゴラテルたちはここに来てるんだ。怪我をした戦士たちも、ここの湯に浸かればよくなるからな」

「じゃあ、もうすぐそこに?」

「多分な。キトラ、プラジアーナ達も私のすぐ傍にいろ」


 アーガ族は嗅覚が鋭い。

 自分たちの周囲によそ者が近寄ればすぐに気づくだろう。

 しかも、今は気が立っていてどう出て来るか分からない。

 不測の事態を想定し、オモンはキトラ達を傍に置いた。


「多分、いきなり襲ってくる事はない。だが、用心しろ」


 キトラはオモンのその言葉に思わず背中の双剣を抜くことを思い立った。

 しかし、すぐにやめた。

 自分たちは話し合いに来たのだ。

 攻撃したり戦ったりするつもりはない。

 もし、アーガの戦士たちが襲ってきたら。 

 そう思うと、不安で鼓動が早くなる。

 だが、一緒にいる者たちの事を思い、じっと耐えた。

 それは、森に入る直前まで闘志を漲らせ、殺気立っていたエクウスも同じのようだった。


「何だか……懐かしい匂いがする」


 エクウスはそう呟いた。

 キトラ達には硫黄の匂いしかしない。

 だが嗅覚の鋭いエクウスはその中から「仲間」の匂いを嗅ぎ分けていた。


「あの先に私の父と母がいる。そうだな、オモン?」


 森を指差しそう言ったエクウスに、オモンは深く頷いた。

 彼女のその言葉通り、森に近づくと何人かのアーガ族の姿が見えた。

 屈強な男の戦士たち。

 彼らは森の入り口に立ち、こちらをじっと睨みつけていた。


「オモン。何の用だ」

「アゴラテルと話をしに来た。ラカテル、中に入れてくれ」

「何故、外の人間がいる」


 ラカテルと呼ばれた男は、やや年を取った戦士だった。

 年齢は恐らく、ユピテルと同じか少し若いくらいだろう。

 説明しなければと、キトラは口を開きかけた。

 だが、オモンはそれを制した。


「この者たちは自分たちの仲間が襲われた原因を知り、解決したがっている。攻撃する意思はない」

「アゴラテルは外の人間には会わない。話がしたければ、お前たちだけが行け」

「私は一緒に行っても良いか?」


 エクウスがずい、と進み出た。

 サバンテルが不審そうに睨みつける。

 だがエクウスは怯まなかった。


「アーガ族ならば会ってくれるのだろう。なら、資格があるはずだ」

「見かけない女だな。名は何だ?」

「エクウスという。アゴラテルには外に出した娘が帰ってきたと伝えろ。それで分かるはずだ」


 ラカテルは思い切り顔をしかめ、暫く黙った。

 だが、スッと脇へ退くと、オモンとエクウス、そして見習い戦士たちを森の中に入れた。

 そして、キトラ達の方へ近づいてきた。


「お前たちの話は私が聞こう。こっちへ来い」


 ラカテルに連れて来られたのは、広場のような場所だった。

 木の枝で組んだ簡易のテントのようなものがぐるりと周囲を取り囲み、その中におびえた目をした子供や女たちの顔が見える。

 キトラ達は広場の真ん中に連れ出され、周囲を戦士たちに囲まれた。

 何かあればすぐに攻撃されるような態勢だった。


「そこにいるピスカ族の女、お前は我々の仲間を六十八人殺した」


 ラカテルはプラジアーナを見て、鋭い声で言った。


「傷ついた仲間はもっといる。我々は、自分たちを攻撃したものを決して忘れない」

「先に攻撃してきたのはあなた達よ」


 プラジアーナは毅然と言い返した。

 今まで三度、ハシダテ集落はアーガ族に襲撃されている。

 そしてその度に、プラジアーナは彼らを容赦なく痛めつけてきた。

 森に入ればその事を当然言われると想定していたのだろう。

 予習していたかのような返答だった。


「コゴミの街ではもっともっとたくさんの人が死んだり傷ついたりしたわ。ここにいる、バウアーの仲間よ」


 バウアーは口元をきゅっと引締め、拳を握り締めて立っていた。

 その手にはあの大槌が握られていた。

 言葉に出さなくても、殺気を帯びているのが分かった。


「なら何故、その憎い相手のもとへやってきた」


 ラカテルは声の調子を落とさずに続けた。


「こんな僅かな人数で我々のもとへ来るなど。アーガ族の戦士をバカにしているのか」

「話をしに来たんです。オレ達には、戦う意思はありません」


 キトラも恐怖を堪えながら声を張った。

 怖いのはプラジアーナやバウアー、そしてテェアヘペロも同じだ。

 しかし、覚悟を決めてやってきたのにここで怖がるのはおかしい。

 怯んでいてはダメだと自分に言い聞かせた。


「何故森で穏やかに暮らしていたあなたたちがあんな乱暴をしなければならなかったのか、何故ミイラを奪わなければならなかったのか、そして……何故かつての仲間だったヴト・ユピテルを殺さなければならなかったのか。オレ達はその理由が知りたいんです!」

「黙れ!」


 戦士の一人が怒鳴った。

 翼が片方なく、酷いやけどの跡があった。

 プラジアーナと戦った事のある者の傷跡だった。


「我々は外の人間の理解など必要としない。森の外に出たのも、『六族の王』を求めたのも族長の命令ゆえだ! それ以外に理由などない!」

「殺せ!」

「森を犯す者を生かして帰すな!」


 周囲は怒号に包まれた。

 戦士たちは、言葉を解す者も解さない者も殺気を隠さず、今にもキトラ達に掴みかからんばかりに迫ってきた。

 やはり、話し合うなど無理なのか。

 そう思っていると、戦士たちの喚き声の向こうから何者かがひときわ大きな声で彼らを一喝した。


「黙るのは貴様らの方だ! この能無しどもめ!」


 やってきたのは、ひときわ体の大きな戦士だった。

 足を引きずり、身体には酷く傷がある大男。

 その気迫に、戦士たちはサッと脇へ退いた。

 その姿を見たキトラはあっと声を上げた。

 片目が潰れたアーガの戦士。

 彼は間違いなく、自分がコゴミの鐘楼で戦ったあの戦士だった。


「殺せだと? 生かして帰すなだと? よくもそんな口がきけたものだ! 貴様らが何人束になったところでこの四人には手も足も出ぬわ!」

「サバンテル、貴様休んでいたのではないのか」

「こんなにわあぎゃあ騒がれて寝ていられるかラカテル! それより一体何故、このルーデンスの戦士がここにいる? 説明しろ!」


 サバンテルと呼ばれた戦士が指差したのはキトラだった。

 やはり、彼はキトラを覚えていたのだ。

 自分を恨んでいるのだろうか。

 キトラは恐る恐るここまでの経緯を説明した。


「あの、ピスカ族のミイラはオレ達の先生だったユピテルが発掘したものなんです。だから、先生のためっていうわけじゃないですけど、できれば返して欲しくて。もしそれができないなら……せめて理由だけでも知りたいんです。あなたたちが外に出てきた訳も含めて」

「それだけのために敵陣に踏み込んで来たというのか!」

「……はい」

「ハッハッハッハッハ! 聞いたかラカテル! こいつは傑作だ!」


 サバンテルは大笑いしながらラカテルの肩をバンバンと叩いた。

 ラカテルはうっとおしそうな顔で黙っている。

 一体何なのだろうか。

 キトラがそう思っていると、サバンテルは笑いながらどっかりとその場に腰を下ろした。


「良いだろう。このサバンテルが全部教えてやろう。オレも貴様にはもう一度会いたいと思っていた」

「あの……どういうことなんでしょうか」

「貴様はあの時、街の人間を守るために戦っていたな」

「はい」

「オレもアゴラテルに逆らうわけにはいかないし、戦うなら命がけでやるさ。だが、相手がどういう奴か、何を考えて戦っているか、そういう事を見ずに闇雲に殺すわけじゃない。貴様のように強いやつならなおさらだ。オレは強くて志の高い奴は好きだ。種族や頭の良い悪い関係なしにな」


 サバンテルの様子を見て、周りの戦士たちがぞろぞろと引き始めた。

 恐らく、一族の中でもこの男はかなりポジションが上なのだろう。

 ラカテルだけが傍らに残り、黙って彼の様子を見ていた。


「貴様の言うユピテルという男は、アゴラテルに負けて森を去った奴だろう?」

「はい。アゴラテルさんかは聞いていませんでしたが、族長争いに負けた話は聞いています」

「覚えているぞ。ガキの頃一緒に遊んでいた仲間だ。確かラカテル、お前の兄ではなかったか?」

「……多分な」


 かなり小さく、「しぶしぶ」と言った声でラカテルは返事をした。

 ユピテルより若干若く見えるラカテル。

 言われてみると確かに、ユピテルに似ているような気がした。


「ルケンテルはオレによく似た匂いの血をつけて帰ってきた。ユピテルを名乗っていたならそうなのだろう」

「先生は、どうして殺されなければならなかったの?」


 プラジアーナがさっきよりも穏やかな口調で問うた。

 感情的になってはダメだ。

 そう、自分を抑えているようだった。


「森を出たと言っても、元はあなたたちの仲間だった人よ? それをたかがあんなミイラのために、どうして殺してしまったの?」

「族長争いに負けた者は、死ななければならぬ」


 ラカテルは冷たい声で返した。

 

「アゴラテルが奴を見つければ、間違いなく殺していただろうし、あるいは殺害を命じていただろう。それが分かっていたから、ルケンテルは奴を殺したのだ」

「あなたのお兄さんなのよね? 悲しくないの?」

「ピスカ族の娘。お前たちの頭では我々の事は理解できん」


 自分を睨みつけるプラジアーナの顔を、ラカテルは非難する訳でもなく、責めるわけでもなく、ただじっと見据えた。

 実の兄に対し、何も思っていないわけではないのだろうか。

 その目には様々な感情がぎゅっと抑え込まれているように見えた。


「ユピテルが森から遠く離れた場所で生きていたのも、我々に見つかれば命がない事を分かっていたからだ。恐らく、奴も自分の死を理解し、受け入れた事だろう」

「そんな……!」

「まぁ、ここで議論したところでただダラダラと終わりの見えないケンカが続くだけだ」


 サバンテルは次第に感情的になるラカテルとプラジアーナをそっと抑えた。

 戦士たちの中で指導的立場にあるのだろうか。

 周りの人間を纏めるのに慣れているようだった。


「我々アーガの戦士は、族長アゴラテルからの命令で何があっても必ず『六族の王』を手に入れろと命じられていた。そしてキトラ、貴様と戦ったあの都市には我々が一番欲していた初代アーガの族長が眠っていたのだ」

「コゴミの街に?」

「うむ。既に持ち出されていて、結局見つかったのは南州の州都だったそうだがな」


 アーガ族がコゴミの街を襲撃する前に、南州王は軍に命じ、アーガ族のミイラを持ち出していたという。

 ミイラは工事中の地下通路の中から発見され、街の者たちにはその存在がほとんど知られていなかった。

 しかし、アーガ族は「六族の王」のうちどのミイラがどこにあるか、あらかたの位置は把握済みだった。


「アーガ族は他の種族が知らないこの世界の秘密を代々伝承している。『六族の王』のありかは、アゴラテルが知っていて我々に教えた」

「アゴラテルさんは、その知識をどこから得たんですか?」

「さぁな。前の族長から聞いたんじゃないか?」


 サバンテルは首をかしげた。

 妙な話だとキトラは思った。

 現族長のアゴラテルは族長に就任するため、前族長のシーガルテルを殺してしまったとエオンは言っていた。

 アゴラテルがシーガルテルに戦いを挑み、勝利した結果その地位を手にしたのだ。

 アーガ族の族長の交代はそうやって突然に発生し、誰が次の長になるかは戦いが起こるまで分からない。

 そんな状況でアゴラテルがシーガルテルから族長しか知らない話を聞いていただろうか。


「まぁ、ともかく族長の命令は絶対だからな」


 サバンテルは欠伸をしながら言った。

 自分の考えに従って行動する主義らしいサバンテル。

 だが彼もアーガ族の族長には逆らえないようだった。


「族長の意思は一族の意思。それがアーガの掟だ。逆らえば容赦なく殺される。文句があるならアゴラテルを倒して族長になるしかない。ここはそういうところだ」

「族長のやり方に疑問を持つことは許されないっていう事ですか?」

「そうだ。だから、一族が分断しているこの状況は異常なのだ」


 ラカテルはそう鋭い声で言った。

 オモン達はアゴラテルのやり方について行けず、彼に逆らった。

 その結果、アゴラテルは戦士たちを連れて一族の住処を出たという。

 しかし、ラカテルをはじめとする戦士たちは皆、族長には従う者だという考えで動いているらしい。

 すなわち、逆らった者は殺されて当然だと。

 アゴラテルの意に逆らった者が生きていることが異常なのだ、と。


「まぁ、アゴラテルも流石に、オモンを殺すわけにはいかなかったみたいだがな」


 サバンテルはため息をついた。

 アーガ族の分裂。

 それはある意味、アゴラテル自身が一族の掟に従わなかったために起きたのだ。


「『印』を継ぐ者は特別だ。あいつを殺しちまうのは、流石にアゴラテルでも――――」


 その時だった。

 森の奥から何者かの悲鳴が聞こえた。

 野太い男の悲鳴。

 ラカテルが立ち上がり、悲鳴が聞こえた方を睨んだ。


「血の匂いがする」


 何かあったのだろうか。

 一人の若い戦士が慌てた様子でこちらに飛んでくると、身振り手振りでラカテルに何かを訴えた。

 ラカテルはキトラの方を見た。


「お前たちが連れて来た女が何かやらかしたらしいな」

「エクウスが?」

「アゴラテルを怒らせたようだ」


 話し合いがうまくいかなかったのだろうか。

 キトラは悲鳴が聞こえた方へ走った。

 森の中ではパニックになった戦士や身の回りの世話をする女たちが逃げ惑っていた。

 エクウス達はどこにいるのだろうか。

 キトラが彼女の名を呼ぶと、すぐに返事が聞こえた。


「キトラか!」

「エクウス、何があった!」

「ダメだ! こっちに来るな!」


 不意に、ギシギシと木の幹が軋む音が聞こえた。

 振り返ると、巨大な大木がバキバキと音をさせ、こちらに倒れてくる。

 キトラはとっさに脇へ飛び退き、頭上に迫る枝葉を避けた。


「なっ、なんだこりゃ……!」

「やっべぇなぁ。族長が暴れてるわ」


 今だ姿の見えぬアゴラテル。

 彼が何らかの理由で激昂し、暴れはじめたらしい。

 サバンテルがやれやれ、という調子で首を振った。


「生き延びたきゃ戦うしかねえかもな。頑張れよ、キトラ」


 嫌な予感がした。

 キトラは意を決し、背中の双剣を抜いた。

 それを見たバウアーは大槌を構え、テェアヘペロも腰の軍刀を抜く。

 プラジアーナの顔つきも変わっていた。

 もう、こうなったら仕方がない。

 戦闘開始だ。


「エクウス達を助けて、すぐにここから退散しよう。それでいい?」

「了解」

「分かったわ」

「オッケー」


 キトラの言葉に他の三人も同意を示した。

 倒れてくる木々を避けながらエクウスの声がした方へ向かうと、誰かを庇うようにして地面に倒れ込む彼女の姿が見えた。

 その頭上に折れた巨大な枝が迫る。

 とっさに走り出たバウアーがその枝を寸でのところで押しとどめた。


「んっ、にゃろ……! あっち行けっ!」

「お、お前たち!」

「エクウス、立って! こっちよ!」


 プラジアーナがエクウスを抱き起す。

 その足元には赤いものが垂れていた。

 何とか太い木の根元まで退避すると、その血がエクウスのものではないことがわかった。

 彼女の腕に抱かれぐったりしていた女。

 それはオモンだった。


「オモンさん……! 一体何が!」

「アゴラテルにやられた! オモンは……アタシを庇って」

「何だって!」


 オモンは腹部に大きな傷を負い、激しく出血していた。

 アゴラテルの鋭い爪に刺されたのだ。

 意識もないのか、自分では全く動けない様子だった。


「キトラ、僕とバウアーでアゴラテルを止める。その間にプラジアと二人でエクウス達を逃がしてくれ!」


 テェアヘペロはそう言ってキトラ達を促した。

 全員で逃げればきっと追いつかれる。

 怪我を負ったオモンを逃がすには足止めして時間を稼ぐ必要があった。


「すぐに追いかける! 早く!」

「分かった!」


 妹を連れて命からがら逃げたのだろう。

 エクウスは疲労していた。

 キトラは彼女に代わり、オモンの身体を担ぎ上げた。

 ここから抜け出すにはあの川を渡るしかない。

 森を出て、あのハスの葉のイカダを置いた場所を目指す。

 だが、キトラ達の行く手にアーガの戦士たちが立ちはだかった。

 先頭にはサバンテル達がいた。


「悪い。族長から命令が出てしまった。お前たちをここから生きて帰すな、だそうだ」

「サバンテルさん……!」

「キトラ、お前さんの事は嫌いじゃない。だからせめて、お互い正々堂々。全力の一騎打ちと行こうや」


 サバンテルの爪がギチリと音を立てた。

 戦うしかない。

 エクウスはキトラに腕を差し出し、黙って頷いて見せた。

 キトラはオモンを再び彼女に預けると、双剣を構えてサバンテルの前に立った。


「キトラ、他の戦士の相手は私に任せて」


 プラジアーナが両手を広げ、手のひらを天に翳す。

 揺らめいたオレンジ色の炎。

 周囲の戦士たちがざわめいた。


「全員生きてここから出るわよ!」


 打ち下ろされた赤い翼が風を巻き起こす。

 それを合図にするかのごとく、鬨の声が上がった。

 キトラは地面を蹴り、サバンテルの懐に飛び込んで行った。

 振りかざした右手が素早くかわされ、黒光りする爪先が頬をかすめた。

 コゴミで戦ったときと違う。

 サバンテルはキトラの動きを読んでいた。


「……っ!」

「ここはオレ達のホームグラウンドだからな。この前みたいにはいかないぜ」


 黒い翼がサバンテルの巨体を空へと運び、加速度をつけて標的のキトラに向かって突進する。

 今回は自分に不利だ。

 キトラはそう感じ取った。

 コゴミの鐘楼内は狭い空間だったため、サバンテルは自分の飛行能力を活かせなかった。

 だが今回は屋外。

 翼を持たず、相手に比べて体格も身体能力も劣るキトラにとってはこの状況はかなりまずい。

 何とかサバンテルの爪の攻撃を避け、逃げ回るだけで精いっぱいだった。

 まともに戦っては勝てないかもしれない。

 その恐怖が俄かに襲ってきた。


(何とか……飛んでる相手を何とかしないと!)


 キトラは必死に自分が生きてここを出る方法を考えた。

 視界に入ったのは背後の森。

 サバンテルの攻撃を必死にかわしながら、茂みへと転がり込んだ。


「逃がさねえぞ!」


 枝の折れる音と苛立つサバンテルの声が迫ってくる。

 キトラは体制を整えると、森の木々を背に反撃に出た。

 枝葉の茂る森の中ではアーガ族の翼の動きも制限される。

 自分の不利を解消する「狭い空間」へと相手を誘い込むことにキトラはどうにか成功した。


「だぁあっ!」


 逆手に振った切っ先がサバンテルの黒い肌に傷をつける。

 赤い血と生臭い匂いが薄暗い森の中に散った。

 サバンテルは左足からぐらりと体制を崩した。

 小さく「うっ」と苦痛の呻きが漏れる。

 足を傷めているのだ。

 キトラはその隙を突こうとして一瞬ためらった。

 がら空きになった心臓。

 だが、そこに剣を向ける事が出来ず、再び背後に飛びのいた。


「今、手加減しやがったな?」


 サバンテルがキトラをぎろりと睨んだ。


「全力の一騎打ちって言っただろうが!」


 蹴り上げられた右足。

 飛び散った落ち葉と腐葉土がキトラの顔面に直撃した。

 それと間を置かず、額に受けた打撃が脳を揺さぶる。

 まずい。

 背後の低木の中に転がり、ふらつく足でどうにか体制を立て直す。

 相手には何のためらいもない。

 殺す気だ。

 キトラは覚悟を決めた。


(あの心臓を、一突き)


 心の中で防衛本能がそう指示を出す。

 前に会ったときにもそう感じていた。

 屈強な体はどこもかしこも固く、弱点となる場所はわずかだ。

 自分より二回りも大きなこの相手を仕留めるには確実にナイフが刺さるところを狙うしかない。


(やらなかったら、守れない)


 ズキズキと痛む頭で姿の見えない仲間たちの事を思う。

 みんなまだ無事だろうか。

 ここでまだ粘らなければ。

 早く助けに行かなければ。

 キトラは地面を蹴った。


「だぁ!」


 陽光に刃の銀が閃く。

 受け止めたサバンテルの爪。

 僅かな血しぶきが宙に飛んだ。

 バウアーが鍛えたその刃先が硬い爪の先を削いだのだ。

 キトラが本気になったのをサバンテルも感じたらしい。

 彼の目の色が変わり、鋭い呻り声が森に響き渡った。


「ガァアアアアアア!」


 獣の闘気がキトラに向かってくる。

 彼はその本能のままに殺気だけをその攻撃に込めてきた。

 双剣を以てそれをかわしながらキトラは「アーガの戦士」とは何なのかを思った。

 エオンは言葉を解さない者をして「頭の悪い奴ら」と言った。

 彼らはルーデンスの血を持つ「頭の良い奴ら」の言いなりになるばかりの者たちで、戦いにしか能がないと。


 しかし、それ故に戦う事に純粋なのだ。

 余計な雑念など持たない、一族のための武力となって戦う存在。

 だから、その強さがあるのだ。

 サバンテルはきっとそれを知っているのだろう。

 自我を捨てたその目に、キトラは底知れぬ恐怖を覚えた。


「グゥアア!」


 苛立つサバンテルの呻り声。

 必死に食らいつくキトラの呼吸。

キトラには翼もなければ、アーガの戦士たちのような屈強な体もない。

 だから、その双剣を弾かれてしまえば終わりだ。

 サバンテルの爪先を受け止める両手が痺れ、もはや感覚は薄い。


 体力が削られている。

 次第に苦しくなってくる。

 自分をただ「殺そう」というサバンテルが恐ろしい。

 だが、不思議とキトラには「逃げ出したい」という感覚はなかった。


 サバンテルは一度キトラに目を潰されている。

 一度負けた相手に再び向かうのはどんな気持ちだろうか。

 しかし、彼は決して退かない。

 その呼吸に捕らえられたかのような感覚だった。

 一騎打ち。

 他の何者も立ち入る事の出来ない互いのその空気の中にキトラはいた。


(次に相手が隙を見せたら。次にオレが優位に立ったら)


 一呼吸ごとに、自分の心の中がクリアになっていくのをキトラは感じた。

 精神が研ぎ澄まされていく。

 生きるか死ぬかのこの場にあって、集中力が極限にまで達していた。

 サバンテルがその巨体を振り回し、キトラの首を、心臓を、腹部を狙う。

 キトラは剣を盾にそれをかわし、退いては攻め、退いては攻めの繰り返しの中で相手の呼吸を、間を伺う。


 自分の身体がこんなにいう事を聞くのは初めてだった。

 まるで両手に帯びたの先端の先端にまで自分の血が通っているかの如くである。

 恐怖で体は震えているのに、心は落ち着いて静かになっていく。

 そしてついに、その瞬間がやってきた。


「グッ……!」


 サバンテルの左足が露出した太い木の根を踏んだ。

 ぐらりと傾いた巨体。

 がら空きになったその中心。

 どくん。

 彼の鼓動が一瞬、大きく聞こえた気がした。

 踏み込んだキトラの右足。

 そして吸い込まれるように、キトラの剣がサバンテルの体へと振り下ろされた。


「ぁあああああ!」


 スローモーションのように時間が進んでいたように思う。

 何か黒い影が飛び出してキトラの剣を弾き、飛ばされた剣はその者の手にキャッチされた。

 息を切らしながらサバンテルとキトラの間に立ちはだかったのは一人のアーガ族の戦士。

 サバンテルよりも小柄ながら引き締まった屈強な体。

 その戦士を見た瞬間、キトラは彼が何者であるかを悟った。


「邪魔をするな、ルケンテル! この男の相手はオレだ!」


 戦いを妨害されたサバンテルが唸り声を上げた。

 だが、その戦士はまるで何も聞こえないかのように、ただじっとキトラを見ていた。

 キトラは片手に残った剣を斜めに構えた。

 間違いない。

 ユピテルを殺したあの戦士だった。


「オレと戦うつもりですか?」


 キトラはその言葉を解さぬはずの相手に向かって語りかけた。


「かたき討ちなんかするつもりはありませんが、今のオレなら……あなたを殺せますよ」


 ルケンテルは一度だけ瞬きをすると、フーッと長く息を吐いた。

 そしてキトラから奪ったナイフをこちらに投げて寄越すと、背後で喚きたてるサバンテルの方を向いた。

 そして、挑発するように低く呻った。


「ハッ、分かったよ。お前がそういうつもりなら力づくでどかしてやるよ!」


 サバンテルは地面を蹴ると、ルケンテルに跳びかかった。

 ルケンテルがそれを受け止め、たちまち取っ組み合いになる。

 牙を剥いて呻りを上げるその様子は、まるで雄犬同士のケンカであった。

 突如始まった仲間同士の戦い。

 キトラがどうしたものかと思っていると、森の奥で大きな木が倒れる音が聞こえた。


「! テェアヘペロ達が!」


 森の奥で戦っているのは彼らのはずだ。

 キトラは急いで音が聞こえた方へ走った。

 すると、そこには逃げ惑うアーガ族の女たちの姿があった。

 怪我を負った者、泣き叫ぶ赤ん坊を抱いた者。

 皆、キトラなど目に入らない様子で悲鳴を上げて逃げていた。


「バウアー! テェアヘペロ!」


 キトラは二人の名を叫びながら走った。

 すると突然、目の前の気がキトラの方へ倒れてきた。

 寸でのところでかわした視線の先。

 そこにいたのは、今まで見たどのアーガ族よりも大きな体をした戦士だった。


「あれが……アゴラテル……!」


 倒れた巨木の上に立ち、咆哮を上げるアーガ族の戦士。

 キトラは彼を、倒れた木の影から見た。

 怒りに血走った瞳、岩のように盛り上がった筋肉、空を覆う様な巨大な翼。

 頭上の二本角は幾重にも皺を作って大きくねじれ、空を突き刺すように伸びている。

 何よりも異質だったのは、アゴラテルのその体毛だった。

 頭から背中を濃く覆った体毛は黒く在りながらまるで月の光を浴びたような銀を帯びていた。


「ゴァアアアアアアアアア!」


 空間を切り裂くような呻り。

 その姿は、キトラに一種の神々しさすら感じさせた。

 何万年にも渡って森を守ってきた一族の長。

 その異質さに、キトラは思わず言葉を失った。


(あんなのと……戦ったら)


 テェアヘペロ達は無事だろうか。

 キトラは剣を構えながら、足の震えを抑えられなかった。

 そのとき、背後から誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 プラジアーナとエクウスだった。


「プラジア、エクウスも無事だったのか!」

「何とかね。キトラも生きててよかったわ」

「エクウス、オモンさんは?」

「……オモンは」


 エクウスはそう言って声を落とした。

 ダメだったのか。

 キトラは心が凍りつきそうなほどのショックを受けた。


 プラジアーナが戦士たちを足止めしている間に、エクウスはオモンを連れて川まで逃げた。

 だが、そこまで来たときオモンは「もう良い」とエクウスに言った。

 体に受けた傷は既に致命傷。

 どこまで逃げられたとしてももう助からないことをオモンは悟っていた。


(エクウス……最後に、あなたに会えて……よかった)


 息も絶え絶えに、オモンは最後にそう言った。


(私たちの森と……アーガ族を……お願い)


 彼女を川の傍に置いてここまで来たエクウスの頬には涙の痕が残っていた。

 そして、その腕には爪で刻まれた生々しい傷跡。

 まだ血の跡が残るそれが、「J‐2991」を記していた。

 オモンの腕にあった数字だった。


「アタシがあの子の意思を継ぐ」


 エクウスは言った。


「アタシがオモンの代わりに、アゴラテルを止める!」


 甲高い叫び声を上げて飛び出したエクウス。

 その後について、キトラとプラジアーナも倒木の上に飛び上がった。

 アゴラテルがこちらを向く。

 彼は三人を睨みつけ、歯を剥いて呻った。


「森を荒らす者どもよ……わざわざ殺されに戻って来たか!」

「森を荒らしているのはお前だ、アゴラテル!」


 エクウスは剣を構えた。


「なぜ穏やかに暮らしていた一族を混乱させ、無駄な殺戮を繰り返した! おまけにお前は実の娘まで手にかけ、命を奪った! それが族長のする事か!」

「黙れ!」


 アゴラテルの声に森の空気が震えた。


「族長の意に従わぬものは粛清されるのがアーガの掟! それを二度までも破ったのはあいつだ!」

「オモンは一族を守ろうとしたんだぞ!」


 エクウスは怯まずにアゴラテルを睨みつけた。

 目の前にいるのは自分の父親。

 様々な思いが渦巻いているようだった。


「お前のせいで怯え、苦しみ、混乱した一族の仲間たちを守り、愚かな行為を繰り返すお前と戦士たちを止めようと必死で戦った! そのオモンをお前は死んで当然だったと言うのか!」

「口を慎め、異端者が!」

「異端なのは貴様だ!」


 ダン、と力強く巨木の幹を蹴り、エクウスは飛び出した。

 陽光に翻る刃の半月。

 アゴラテルの頭上へと振り下ろされた剣身がその黒い爪を以て受け止められ、ギィンと鋭い音を立てた。


「苦しめられ死んでいったすべての者たちに代わり、貴様を斬る!」

「やれるものならやってみるがいい!」


 弾き返されたエクウスの剣。

 飛び退いて間合いを取った彼女の顔には苦痛の色が滲んでいた。

 怯んだ彼女めがけて、アゴラテルが突進する。

 そのスピードに、避けきれなかった彼女の体はあっさりと捕らえられ、空に舞った。


「がぁ……っ!」


 その屈強な足で蹴り上げられたエクウスは、木切れか何かのようにアゴラテルに捕らえられ、地面に叩きつけられた。

 苦痛に呻くその声が森に響く。

 助けなければ。

 飛び出したのはプラジアーナだった。


「放しなさい!」


 一瞬にしてアゴラテルの体に纏ったオレンジ色の炎。

 アゴラテルは悲鳴を上げ、エクウスから手を放した。


「エクウス!」


 キトラが駆け寄り、エクウスを助け起こすと、彼女は気丈にも「大丈夫だ」と答え、口内に溜まった血の塊を吐いた。


「油断するな、キトラ。あいつは他のアーガの戦士とは別格だ……爪も皮膚もとんでもなく固い。並の攻撃では跳ね返されてしまう」


 振り下ろされた剣をいとも簡単に弾いたアゴラテルの爪。

 その一瞬をキトラはしかと目に焼き付けていた。

 さらに、アゴラテルの体が跳ね退けるのは剣による攻撃だけではないようだった。

 キトラ達の視線の先では、プラジアーナが火の力を弱めることなくアゴラテルの攻撃を封じようとしていた。

 だが、炎に巻かれたまま、アゴラテルは翼を広げ、宙に舞い上がった。

 そしてそのまま、プラジアーナめがけて体当たりを繰り出した。


「きゃぁああああ!」

「プラジア!」


 炎を纏ったアゴラテルの強烈な体当たりを受け、プラジアーナの体は茂みの中に落ちていった。

 一度に数十人のアーガ族を相手にしたあのプラジアーナの炎が効いていない。

 それどころか、彼女の炎はかえって最悪な事態を招いた。


「ガァアアアア!」


 咆哮を上げたアゴラテル。

 その身体から飛び散った炎が辺りに広がり、一気に燃え上がる。

 まずい。

 キトラがそう思っている間に、炎は辺り一面に燃え広がった。


「かかってこい。次はお前だ」


 燃え盛る炎の中で、アゴラテルはキトラを睨みつけた。

 戦うしかないのか。

 キトラはプラジアーナとエクウスを背にして立った。

 相手はサバンテル達とは別格。

 傍にいるだけで恐怖を感じるその威圧感に、キトラは自分のしている事は間違いではないかという念さえ抱いた。


 恐らく、アーガ族の戦士たちが彼を恐れ、絶対的に従うのはアゴラテルが持つこの異様なオーラの為なのだ。

 自分が生きている限り誰にも逆らわせはしないという意を感じさせるその無言の気迫。

 族長に文句がある者は戦って倒すしかない。

 サバンテルが言ったその意味が今なら理解できる気がした。


(ユピテル先生、オレに力を貸してください)


 キトラは心の中で呟いた。


(オレはこれから、この戦士を倒さなければなりません)


 炎を纏った木が、めきめきと音を立てて倒れる。

 その陰から、キトラは意を決して飛び出した。

 自分に戦いの基礎を仕込んだ師匠に初めて相手をしてもらった大学の道場。

 その時の記憶が思考の端をかすめた。

 がむしゃらにぶつかって、滅茶苦茶に腕を振り回し、キトラは師匠にかかっていった。

 そんなキトラを見て、師匠はにやりと笑った。

 次の瞬間、容赦のない回し蹴りが繰り出され、キトラの体は道場の端まで跳ね飛ばされた。


「がはっ……!」

「キトラ!」


 プラジアーナの悲鳴が響いた。 

 側頭部に受けた激しい打撃と、何か鋭いものに耳を切られた感触。

 辛うじて立ち上がったキトラの肩に、赤いものが垂れていた。

 燃える倒木の端に立ち、アゴラテルは笑っていた。

 その足の爪が引っ掻いただけで、キトラの右耳には大きな裂傷ができていた。


(速い……!)


 その動きは、翼のあるなしのハンデは関係なかった。

 背中の大きな翼を折りたたんだまま、アゴラテルは燃える木々の間を自由自在に飛び回った。

 キトラはその動きを必死で追う。

 だがまったく追いつけないまま、今度は岩のような拳がキトラの腹部に叩きこまれた。


「ぐぁああ……!」


 口の中に、逆流した胃酸の味と血の鉄臭さが広がった。

 地面に叩きつけられ、跳ねあがるキトラの身体。

 そこへ畳みかけるようにアゴラテルの蹴りが襲いかかる。

 背中から木の幹に叩きつけられたキトラは激しい痛みの中で、一瞬意識を失いかけた。


(だめだ……やられる)


 体に力が入らない。

 体制を立て直そうという思考も良く働かないうちに、キトラの体はずるりと地面から引きはがされた。

 アゴラテルの大きな手がキトラの頭を掴み、身体ごと宙にぶら下げる。

 痛い、頭蓋が軋む。

 だが、キトラは悲鳴を上げる事すらできずにパクパクと口を開け閉めするだけだった。


「やめろ! キトラを放せ!」


 立ち上がったエクウスが剣をアゴラテルの背中めがけて振りかざす。

 しかし、その攻撃は一瞬にして弾き返された。

 アゴラテルの一蹴りで、彼女の体は軽々と宙に舞った。

 そのまま叩きつけられた彼女が地面に倒れたまま動かなくなる。

 地面に座り込んだままのプラジアーナは呆然としたまま声も出せなくなっている。


 だめだ、やられてしまう。

 このままではみんな……!

 キトラは力の入らない足で必死にもがいた。

 しかし、そこまでだった。

 意識を失う刹那、キトラが目にしたのは声を立てて笑うアゴラテルの白い歯だった。



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