【第十四話】 巫女の村
天空船は二時間ほど飛び、ついにギヨナ村上空についた。
草を刈っただけの簡単な飛行場があり、そこに停泊の目印があった。
船が降り立つと、鮮やかな民族衣装に身を包んだ男たちが集まって来た。
テェアヘペロがドアを開けると、若いルーデンスの男が深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、テェアヘペロ様」
「お久しぶりです。お迎えどうも」
「一昨年の儀式の日以来ですよね? あ、お荷物は村の者がお運びします。皆様もこちらへどうぞ」
迎えに来てくれたのは村長の息子。
集まって来た男たちは様々な人種だったが、皆同じように小柄でがっちりした体形をしていた。
よく鞣した白いシカ皮を色鮮やかな太い糸で縫い繋いだ服に身を纏い、同じ革製の四角い帽子を被っている。
季節は夏だが、やはり寒い。
キトラが身を縮めていると、セピア族の男がマフラーを貸してくれた。
「昨日の晩も山の雪がこっちまで舞いましたからね。油断してると風邪をひきますよ」
「雪が降るんですか?」
「風向きによってはね。さぁ、礼拝堂の中で村長が待ってますから早く暖かいとこに行きましょう」
外からの客人を村長が出迎えるのは相手が重要な人間の時だ。
一緒に過ごしていると忘れてしまうが、テェアヘペロは中央政府軍の中でかなり高い地位にいるのである。
ギヨナ村の村長は「大巫女」と呼ばれる初老の女だった。
村長と宗教的なリーダーを兼ねているらしく、細かい刺繍の施された袖の長いシカ皮の服を纏い、ビーズの飾りのついた大きな冠のようなものを被っている。
彼女の傍には同じような恰好をした若い女たちが八人ほど座っていた。
これがあの「儀式」の巫女なのだろうか。
キトラがそんな事を思っていると、巫女たちは両手を前に捧げた姿勢で独特な挨拶をした。
「森の神々に代わり、あなた方を歓迎します」
村長が落ち着いた声で言った。
ああ、これも儀式なのか。
キトラはテェアヘペロが同じように挨拶を返すのをまねて腕を前に出し、腰を屈めた。
村長は傍らに置かれた針葉樹の枝を取り、傍にあった香炉の蓋を開けて煙に翳し、キトラ達の頭の上で二、三度振った。
生の松脂が燃える匂いがして、不思議と気持ちが穏やかになった。
この「お祓い」のような行為は、キトラ達が持ってきた荷物に対しても行われた。
巫女たちが同じように木の枝を持って歩き、香炉の煙を振りかけていく。
そうする間に、部屋の中は煙で真っ白になった。
「外の世界の匂いを消しました。これであなたたちは村を歩いても大丈夫です」
村長は奥にいた巫女に天井の丸い窓を開けさせた。
煙が出て部屋の中が白くなくなってから、全員に温かい飲み物が振る舞われた。
ミルクの匂いがする濃く甘い飲み物。
家畜の乳を使った「バター茶」というものではないかとプラジアーナが言った。
「今年は『豊穣の儀式』が行われず、皆ずっと不安がっていました」
村長は村の中の事を一通り説明してから、最近の状況についてそんな風に話した。
例の「大爆発」以降、ずっと異常事態が続いている。
そのため、例の儀式の他、村の重要な行事が滞っているとのことだった。
「アーガ族の方々と全く連絡が取れなくなってしまったのです。本来なら、私が直接森の方々と交渉をさせていただくところですが、この程度の事しかできず申し訳ありません」
「とんでもないです、大巫女様」
テェアヘペロが首を振った。
「こんな時に、我々の来訪をお許しいただきありがとうございました。ギヨナ村の掟に従うなら、森を刺激してはならないところでしょう」
「ええ、恐らく私たちも、テェアヘペロ様がいなければお止めしました」
森の神をあがめるギヨナ村の者たちは、森が荒れている時によそ者がいたずらにそこへ入っていくことを嫌う。
皇帝の息子たちが調査隊を率いて別ルートから爆発地点を目指した時も、ギヨナ村の村長は中央に親書を送り、森が落ち着きを取り戻した方が良いという警告を発した。
しかし、皇帝は広範囲の人々に影響が出ていることから、原因究明を優先するべきと判断し、無理やり森に入る命令を出してしまった。
その結果が三人の皇子たちに起こったあの怪現象である。
村長はその事を大変残念だと言った。
「森は、一つの生き物なのです」
キトラ達の顔を順に見ながら、村長は言い聞かせるようにそう話した。
「入ってはならぬ時には必ず私たちに何らかのサインを出すのです。例え皇帝陛下のご命令といえども、森にノーを出されている時に踏み込めば、森が怒って当然なのです」
「森が、怒る?」
「北の森は意思を持った大きな生き物であるというのが我々の考えです。私たちは生まれたときから朝に夕にその意思を感じ、うまく付き合いながら生きています。だから、危険なときというのはハッキリ分かるのです。例え、何が起きているかまでは分からなくてもね」
周りに座る巫女たちが頷いている。
彼女たちは村の外の者が分からない何かを感じ取っているのだろうか。
皆、表情は硬かった。
「どうか穏やかに。静かに話をしに行くのだ、と。明日はそのような心で森にお入りください。それが目的を達成する一番の近道です」
村長は念を押すように言った。
アーガ族と戦う、という気持ちではダメだという事なのだろうか。
新しい武器まであつらえ、何か起これば即刻戦いに臨む気でここまで来てしまったキトラは何だか複雑な気持ちだった。
そして、エクウスも同じような事を考えているようだった。
「森が怒っている、か。私には何も分からん」
エクウスは仮面を外し、外に出て森の匂いを嗅いだ。
今夜の宿はいつもテェアヘペロや軍の関係者が使っているという小さな宿屋。
そのすぐ後ろは森への入り口だった。
「私もアーガ族のはずなのにな。ここまでくれば、私自身の事も何か分かるのではないかと思っていたが」
「懐かしいとか、そんな感じもない?」
「何となく……森を見ていると穏やかな気持ちにはなる」
エクウスは大きく深呼吸をした。
「ルーデンスの親に拾われたという事は、私は捨てられた子だったのだろうがな」
「そう、なのかな」
「キトラ、貴様の両親は息災か?」
「うん、まぁね」
キトラはハッキリ答えていいのか分からないような気持ちで頷いた。
「東州の平凡な田舎に住んでるよ。親父が医者で、お袋がその手伝いしてて。患者さんが爺ちゃん婆ちゃんばっかりなちっさい診療所の二階がオレの家」
「兄弟姉妹はいるのか?」
「年の離れた弟が三人。もう二年くらいは会ってないかな」
「そうか……幸せそうで何よりだ」
エクウスは目を伏せた。
「私にも、兄弟がいたんだろうか」
「いると結構大変だよ? 長男は面倒見させられるし、期待されたり比べられたりさ」
「実を言うとな、今回は、密かに期待して来たんだ」
「期待?」
「アーガの一族に会えば、一人くらい私を覚えていてくれる者がいるかもしれないと」
幼い頃に別れた一族。
もしかしたら、彼らは自分を捨てたのかもしれない。
だが、それでも会ってみたい。
エクウスはその思いを胸に秘めていた。
もしかしたら、向こうは自分たちを敵とみなしてすぐに殺しにかかってくるかもしれない。
それでももしかしたら……。
両親や兄妹と生き別れた経験のないキトラには分からない心境だったが、エクウスの寂しそうな横顔を見ていると心が痛くなった。
「実の家族と殺し合いになるのはあまり気持ちのいいものではないな。まぁ、そうなれば仕方がない。仕事は全うするつもりだがな」
「もしそうなるって分かったら、エクウスは逃げればいいじゃないか」
「逃げる?」
「戦うのはエクウスだけじゃない。オレも一緒だ。もちろん、プラジアーナやバウアー、テェアヘペロもね」
キトラは片方の剣を抜き、月の光に翳した。
金気の気配を見せれば森が怒るだろうか。
そう思ったが、森は静かに、穏やかなままだった。
「みんな会ったばっかりだけど、ここからは運命共同体だ。もしエクウスの家族が出てきたら、相手はオレがする。君に肉親は斬らせないよ」
「……甘い事を」
エクウスはため息をついた。
「貴様の方がアーガ族との戦いには詳しいはずではないか。泥沼の戦場になって、そんな事を言っていられるか」
「村長さんが言ってた通り、あくまで今回は話し合いに行くんだ。最初から戦わなきゃいけないって決まった訳じゃないよ」
「だが」
「大丈夫よ、エクウス」
振り返ると、プラジアーナが立っていた。
プラジアーナは額に手を翳し、森の方を見ていた。
そして、もう一度「大丈夫」と言った。
「森の奥にアーガ族の気配があるの。だけど、全く殺気は感じないわ」
「分かるのか?」
「あの人たちは嗅覚が発達してるから、きっと私たちがここにいるのをもう分かってる。でも、戦う意思はないのよ」
「じゃあ」
「話し合いよ、二人とも。剣を抜くのは最後。分かった?」
キトラは頷き、剣を鞘に戻した。
エクウスも小さく首を縦に振った。
そして、今日はもう休むと言って中に入っていった。
プラジアーナは、アーガ族の気配が分かるのか。
だとすれば、どういう風に感じ取るのか。
自分にも分かるなら、注意深く感覚を研ぎ澄ませばできるのかもしれない。
キトラはそう思い、聞いてみる事にした。
「プラジアーナ、気配ってどういうこと?」
「え?」
「いや、さっき言ってたじゃん」
「ああ……あれ、嘘」
「えっ」
戸惑うキトラに、プラジアーナは誤魔化すように舌を出して見せた。
真っ赤な嘘。
自分には風の音くらいしか聞こえないとプラジアーナは言った。
「ああ言わなきゃ、多分エクウスは殺気だらけで森に入っちゃうわ。そしたらそれこそ、アーガ族の人たちが身構えちゃうもの」
「だからって嘘つかなくても」
「全部が嘘じゃないわよ。多分、ギヨナの巫女さんたちは森の中に危険がないって分かってるはずだわ。じゃなきゃ、私たちが森に入るのを許すはずがないもの」
「うーん」
根拠があるのだかないのだか。
キトラが腕組みをしていると、後ろでクスクス笑う声が聞こえた。
テェアヘペロが若い巫女と並んで隣の建物の前に立っていた。
三人のやりとりを見ていたようだ。
「嘘も方便だよ、キトラ君。難しい顔しないで」
「だけどさぁ。大丈夫なのかなぁ」
「心穏やかに。森に入るにはそれが大事なんですよ」
巫女がクスクス笑いながら言った。
「プラジアーナさんがおっしゃるように、儀式に出た事のある巫女なら森の雰囲気は分かります。敵意を見せなければ、森はあなたたちを受け入れてくれるでしょう」
「儀式にって、君も出たことあるの?」
「ええ。一昨年は私が『お役目』だったんです」
どう見ても巫女は十代そこそこだった。
このあどけない少女がアーガ族の巨漢男と情を交わしたというのだろうか。
そう思うと、キトラは彼女の顔をマトモに見る事ができなかった。
だが巫女は、さらに驚くべきことを口にした。
「その時に、私は男の子を授かりました。無事に育っていれば、今も一族の方の手で大事に育てられているはずです」
「アーガ族の子を産んだの?」
「ええ。おかげで私には、森との『繋がり』が強くなりました」
巫女はそう言ってほほ笑んだ。
年に似合わず、この少女には何となく落ち着きがある。
母になったことのある者の余裕。
そんな感じだった。
「儀式は一人前の巫女になるための通過点なんです。大巫女様……村長も、かつてアーガの子をお産みになった事があって、その時は双子だったそうですよ」
「双子って、すごいね」
「だから、巫女としての力がうんと強いんです。大巫女様が森に入ることを許してくださったなら、あなた方は大丈夫。テェアヘペロ様もついて行ってくださる事ですしね」
大巫女の産んだ子供。
彼女の年齢を考えれば、ユピテルを産んでいてもおかしくない。
ユピテルは双子とは言っていなかったが、もしかしたら彼女がユピテルの母親なのかもしれない。
キトラはぼんやりそんな事を思った。
翌朝、五人は早朝に村を出た。
アーガ族の集落とギヨナ村は一本道で繋がっており、そこを辿れば迷うことはない。
順調にいけば一日くらいで彼らに会えるだろう。
村の者たちはそう話していた。
「森の中って、意外と暖かいんだな」
森に入って暫くして、バウアーがそんな事を言いだした。
「ずっと歩いてるせいもあるかもしれないけど、何だか暑くなってきてないか?」
「確かにそうだね。村の方が寒かった」
「そうだな。それに……植生が違うようだ」
エクウスが地面の草花を指差した。
森の小道に生えている植物が、ギヨナ村に生えていたものとは違うのだ。
キトラにはよく分からなかったが、エクウスはそれらを本来もっと南にあるはずのものだと言った。
「この黄色いのは南州の雨がよく降る地域の花だ。鳥が種を運んだのだろうが、本来こんな寒い地域には咲かない種類だぞ」
「確かに、プラジアーナが住んでるハシダテ集落の近くにもこんな感じの花咲いてたかもしれないね」
「多分、地熱の影響があるんだと思うよ」
テェアヘペロがそんな事を言った。
森は北に位置している。
本来ならば気温はギヨナ村と同じくらいに低いはずである。
それなのにこんなに温かいのは、地面近くまで地下のマグマが上がってきているためなのではないか。
今まで専門的な調査がなされた事がないために詳しくは分からないが、考えられるのは恐らくそんな要因だろうという事だった。
「アーガ族の人が、温泉の話をしてたのを聞いた事があるんだ。この近くには活火山もあるし、だから気温が高いんじゃないかな」
「へぇ……不思議だなぁ」
「そう。この森は不思議なんだよ、キトラ君」
北の大森林は自分たちの想像を遥かに超える不思議に満ちた場所だ。
キトラはテェアヘペロの言葉に深く頷いた。
気温は森の奥に進むにつれて高くなっていった。
北の森によくある針葉樹の森は消えてゆき、その代わりに南の森にあるような大きな広葉樹が目立ち始めた。
天高く枝葉を伸ばしたその木には大きな実がいくつもぶら下がり、小型の霊長類の群れがそこに集まっていた。
好奇心旺盛なプラジアーナがそれを見てきゃあ、とはしゃいだ声を出した。
「キトラ、見て見て! お猿さんがたくさん!」
「プラジア、はしゃぎ過ぎだよ。っていうか、なんだかホントに南のジャングルみたいになって来たね」
一時間経つ頃にはキトラはもう上着を脱ぎ捨て、半袖一枚になっていた。
気温は夏の南州に匹敵するくらいに上がっている。
エクウスに至っては、よほど暑がりなのか、気が付くとほぼ下着も同然の姿になっていた。
「エクウスお前な! 次から次にポイポイ脱いでんじゃねえよ!」
「何を言うかバウアー。夏の海岸に行けば女はみんなこんな格好だというではないか」
「あれは水着だろ! 男が三人も一緒なのに堂々と下着になるなよ!」
真っ赤な顔で狼狽えるバウアーに、「何か?」という顔のエクウス。
今まで女性と付き合ったことがないというバウアー。
その純粋な反応に、全員大笑いだった。
「あはは。アーガ族の女の人はみんな冬でもこんな格好してるよ」
「ほら、テェアヘペロ殿もこう言っているではないか」
「だからってオレは許さん!」
豊満な胸をゆさゆさと揺すりながらのしのしと雄々しい足取りで進んでゆくエクウス。
その姿はセクシーというより「女戦士」としての逞しさを感じさせた。
それから暫くして、小川が見えてきた。
水は身を切るように冷たく、よく澄んでいた。
暫く休憩しようという事になり、五人が川辺で休んでいた時の事だった。
向こう岸にひょっこりと現れたもの。
最初に気づいたのはプラジアーナだった。
「ねぇ、キトラあれって……」
「どうしたの、プラジア?」
「ほら! あそこ!」
「……子供だ」
真ん丸に開かれた黒い瞳。
幼いアーガ族の子供が三人並び、茂みの影からこっちを見ていた。