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<挿話> 密会

(ミイレン語り)


 世界の空を行き交う最新式の天空船。

 開発されて二十年しかたたないそれは当初、とんでもないポンコツだったと聞いている。

 何のトラブルも起こさないマトモな船が軍に導入されたのは、私がまだ幹部候補生だった頃だ。

 仰々しく飾り立てられた式典会場。

 時間が大幅に遅れ、来賓も軍関係者も散々待たされて苛立つ空気の中にぬっとあらわれた巨大な船。

 その堂々たる姿に、誰もが息を飲んだ。


 あの頃はハッチを開け、真新しい船の匂いを嗅ぐだけで心躍ったもの。

 だが、もう今となってはこの船もすっかりただの軍の備品の一部と化している。

 慣れてしまうとは、つまらないものだ。


 この頃の私はずっとこの船に乗り通しである。

 州境にできた新しい軍の施設をのんびり見回っていたところにコゴミでの事件が起き、例の子供たちを連れて帝都へ。

 謁見を終えてすぐに州都へとんぼ返りして王の御前へ。

 ヒマさと忙しさのバランスが悪いのが南州軍の仕事の悪いところである。

 おかげで、私はこのところずっと頭痛と眠気に憑りつかれている。


「あい分かった」


 南州王は大使タクティカスと私の報告を聞き、即座にそう答えた。

 ダーガーン族の捜索隊を組織し、中央政府軍と合流後、すぐに任務を開始せよ。

 その命令が出るまでに時間もかからなかった。

 御年八十歳の南州王は、この頃よく体調を崩されている。

だが、こういう際の即決力は「賢王」と称えられた即位直後も今も変わっていない。

命令を出された後の「任務ご苦労」のその声に、今回も私は報われる思いがした。


「王様は、大佐を気に入っておいでですよね」


 軍施設に戻る道すがら、パレンキアーノがそんな事を言った。

 ご高齢の南州王は、公務の間、薬の副作用などでうとうとしていたり、時にはろれつが回らない時すらもある。

 だが、私を前にするとそんな事がない。

 嘘か本当か分からないが、パレンキアーノだけではなく他の者もそう言っているらしいのだ。


「自分は王様のお世話係の者と幼なじみなのですが、よくミイレン大佐の話をされていると聞きます」

「私にはあまり王様のお心に止まるような覚えがないのだがな」

「何をおっしゃいますか。大佐とお会いするのを楽しみにされている方は大勢います。王様もそのお一人なのですよ」

「どうしてだ」

「大佐がお美しいからであります」


 さも当たり前、という口調で言ってくれる。

 私は心の中で舌打ちをした。

 

 軍服に身を包み、部下を怒鳴り散らしながらも私には一応、女であるという自覚はある。

 美しい、美人だと言ってもらえればまんざらでもない。

 整った顔の形も、青さが引き立つ透き通るような肌も、「セピア族の美しさ」として及第点をもらえる自覚がある。

 だが、悲しいかな、私はない物ねだりの人間である。

 本当は、私はセピア族に生まれたくなどなかったのだ。


「大佐、お時間を少しよろしいでしょうか」


 軍の自分の部屋に戻ってすぐ、軍関係者でない者が私のところにやってきた。

 時間なんかねえよ。

 そう言って追い返してしまいたくなる衝動を私はどうにか飲み込んだ。


 中央政府軍とは明後日の早朝から沿岸での捜索を開始する。

 そのため、明日は丸々移動と打ち合わせで費やしてしまう。

 今日はもう一日たまった仕事を片づけるのに専念すると決めていたのだ。

 その気分をのっけからぶち壊されると大事な要件かもしれないと分かっていてもイラッとくるわけだ。

 引き攣った顔を「仕事中です」という態でごまかし、私は椅子に座ったまま対応する事にした。

 

「できれば手短に願いたいのだが、どうされた」

「第八王子がミイレン大佐に会いたいと言っておられるのです。本日お帰りになっているのを耳にされたとの事で」

「……第八王子が?」

「お食事のお誘いなのです。今夜、第三宮殿で待っている。そうお伝えするようにとの事です」


 一番いやな要件だった。

 よく見れば、伝言を持ってきたのは宮殿でよく見る人物。

 すぐに気づかなかったことに後悔した。

 できれば即刻断りたい。

 しかし、禁じ手である「体調がすぐれませんので」という言い訳はこの状態ではもはや出せない。

 私が元気いっぱい仕事をしているのを見られてしまってはもう無理な訳だ。

 どうしようもない。

 こめかみに浮かぶ青筋を隠しながら「分かりました」と応えるしかなかった。


「パレンキアーノ!」

 

 伝言係の足音が廊下の向こうに消えてすぐ、私は奴を呼んだ。

 一日かけるはずだった仕事を半日で仕上げなければならない。

 過酷なスケジュールの開始であった。


「午後から報告に来ると言っていた奴らにもうすぐに来いと伝えてくれ」

「第六部隊長と、出納委員長ですね? わ、分かりました!」

「私の機嫌がすこぶる悪い、という補足も忘れるなよ」

 

 パレンキアーノはすぐに空気を読んで部屋を出ていった。

 多分、さっき部屋を出ていった人物を見て事情も察してくれただろう。

 あいつは実に優秀な部下だ。

 私が何を必要とし、どうしたいのかをすぐに分かってくれる。

 まぁ、そういう風に教育し、育てた結果ではあるのだが。


「ミイレン大佐、第六部隊長ムッシエッタであります!」

「急がせてすまん。報告書を」

「はっ、た、ただ今!」


 大慌てで資料を纏めてきた部隊長に、心の中で「許せよ」と呟く。

 何やら一緒に来た若い部下と一緒にわたわたしているからちょっと待ってやろう。

 もしかしたら、この後から来る出納長は今頃半泣きになっているかもしれない。

 各部隊、委員会が中間報告を上げはじめるこの時期。

 そこに来て、アーガ族関連の騒ぎだの、ミイラの発見だのと厄介な事案が続いている。

 事務方も武官どもも忙しいのだ。


 そんな状況の中、「夜に会いたい」などと空気の読めないお誘いをしてきた第八王子。

 あのお方は、どうやら私にご執心らしい。

 南州王の末の王子で、唯一の未婚。

 面差しが若い頃の州王に似ておられるため、市民からの人気も高い。

 以前、私が第八王子のお誘いを受けたと話したら、実家の姉が興奮して大変だった。

 これは、南州の女にとって何よりも名誉な事。

 普通は、そうなのだ。


「申し訳ありません大佐、ご、ご報告を申し上げます」

「うん。落ち着いてからでいいぞ」


 第六部隊長の棒読みと、廊下にやって来たらしい出納委員長たちの慌ただしい足音を聞きながら私はぼんやりと今夜の事を考えた。

 呼び出しのあった第三宮殿は、州王の冬用の別邸である。

 王の住まいである大宮殿からかなり離れた場所にあり、今は誰かが住んでいるというわけではない。

 そこに呼び出して食事を、との事だが恐らく食事だけとは向こうは考えてはいまい。

 行けば朝まで帰して貰えない可能性が高い。

 と、いうよりも恐らく……王子はここでもう私をモノにするつもりなのだ。


「……で、ありまして、今期の活動は最後となる予定でございます。第六部隊につきましては、以上のご報告とさせていただきます」

「来季の増員の話はどうなった?」

「は、第八部隊、第七部隊の再編が現在行われています関係で、その最終決定が出てからの検討とさせていただきたく存じます」

「分かった。じゃあ、急がせて悪かった」


 書類に判を押し、第六部隊長を下がらせる。

 部屋を出ていくとき、死ぬほどホッとした顔をしていたのは間違いないだろう。

 前に一度、彼には全部仕事をやり直しさせた事があり、トラウマになっているようなのだ。

 続いて出納委員長が入ってきた。

 案の定、委員長は冷や汗ダラダラで何度も資料をめくりながらどうにかこうにか話をしていた。

 こうやって忙しくしていると、いつもなら気が滅入ってくる。

 だが今日はこのままずっと仕事に没頭していたい気分だった。


 南州王には十三人の子供がおり、早世してしまった2人を除くその他の全員が州都に住んでいる。

 うち八人が王子で、州王は子に恵まれたといえる。

 だが、多すぎるのも時に困る。

 王子という立場の人間が増えると、仕事がなくなるのだ。


 もちろん、王の子なのだから一生食うに困ることはない。

 南州の財源は主に砂漠地帯で産出される通称「赤い宝石」や地下資源などで、他の四州と比べればかなり豊かな環境である。

 もしも王子に見初められれば、一生贅沢三昧で遊んで暮らせる、とほとんどの者は思っている。


 実際に、よく見かける第三王子のご婦人などは五十を越える年齢にもかかわらず三十未満かと思われるような容姿を未だに保っておられる。

 一度握手をさせていただいたときには、餅菓子のようなその手の柔らかさに驚いたものだ。

 恐らく結婚後は一度も重い物など持たず、もちろん家事など一切せず、ただ第三王子の「観賞用」のためにその身体を磨くことに専念してこられたのだろう。

 金がなければ不可能な事だ。


 王子様との結婚。

 その夢を叶えてくださる最後の一人があの第八王子なのである。

 私もそれは分かっている。

 もしも私がそのお妃になれば、出来の悪い部下どもに頭を悩まされる事も、徹夜で書類の山に埋もれる事も、年々衰える体に鞭打って厳しい軍事訓練に参加する事もなくなるだろう。

 しかし、そこはない物ねだりの私である。

 南州中の女の憧れである第八王子に、私は男性としての魅力を一ミリも感じたことがないのだ。


「お疲れ様でした、ミイレン大佐」


 報告を終え、ボロボロになった出納委員長が出ていったのを見て、パレンキアーノが顔を出した。

 いつものフレーバーティーの香りが鼻をくすぐる。

 小休止を入れろ、という事である。

 ここで一息入れなければ私が次の仕事にかかれないのをパレンキアーノは知っているのだ。

 一口飲んで息を吐くと、苛立った気持ちが落ちついてくる。

 私の表情が和らいだのを見たのか、テェアヘペロはほっとした表情を浮かべた。


「いかがですか、大佐?」

「生き返るよ」

「ありがとうございます。それ、新茶葉だそうです」


 パレンキアーノは私がどうしたら喜ぶのかを知っている。

 知っていて、絶妙のタイミングでそれを差し出してくれる。

 そして、私はそんなパレンキアーノに依存している。

 もしも、奴がいなくなったらどうなるか。 

 そんな事を想像すると怖くなるくらいに、だ。

 気が付いた時には遅かった。

 パレンキアーノはまだ気づいていないようだが、これは全く恐ろしい事であった。


「パレンキアーノ、貴様の次の休みはいつだ?」

「来月の……頭です。大佐の休暇に合わせてありますが」

「大分先だな。身体は大丈夫か?」

「何をおっしゃいます。ちゃんと鍛えてますよ。文官だからってサボってはいません」

「……そうか」


 違う、そうじゃなくて。

 私は本当に言いたかったことを口に出せなかった。

 いつも貴様が傍にいてくれることを、感謝している。

 ただ大佐然と、一言そう簡単に言ってやれば私の気が済むのである。

 それがなぜ、胸の奥に詰まるようになってしまうのか。

 もどかしい思いを、私はフレーバーティーと一緒に喉の奥に流し込んだ。


「そういえば大佐、今夜はどうされますか?」

「ん?」

「先ほど来ていた方に聞いたのです。今夜、第八王子からお誘いがあったと」

「ああ……」

「お仕事を急いでいるのも……そのためですよね」


 さっき出ていった伝言係は、パレンキアーノにも要件を伝えていったらしい。

 私が浮かない顔をしているのを見て、パレンキアーノは気まずそうな表情を浮かべた。

 誘い自体は前から何度もあり、人のいるところで私が第八王子に会う際、パレンキアーノを同行させたこともあった。

 私にその気がないのも、奴は気づいているだろう。

 安心させてやろうと、私は「行くよ」と呟いた。


「第三宮殿を私のために貸し切ってくださるそうだ。定時には帰って着替えなければな。汗臭いと嫌われてしまう」

「分かりました。では自分も、すぐに仕事に戻ります」

「……すまんな」


 パレンキアーノは多分、私を宮殿まで送ってくれるつもりだろう。

 奴の仕事とプライベートの境は曖昧だ。

 いつも当たり前のように私のために時間を使ってくれる。

 だが、今回ばかりは奴をついて来させるのに気が引けた。

 陽が傾き、仕事が終わるめどがついた頃、私はパレンキアーノに今日は早く帰るように言った。


「貴様はこの頃ずっと家に帰っていないだろう。今日くらいはゆっくり帰って休め」

「いえ、でも大佐を宮殿までお送りしないと……」

「あそこまでの足くらいどうにかなる。毎回貴様のプライベートを犠牲にさせるのも悪いからな」

 

 長いドレスでは自分のエアカーは運転できないが、流しのフィアクール(タクシー)をつかまえれば良いだけの事だ。

 パレンキアーノに足をやらせる理由はない。

 だが、奴は「分かりました」と言いながらまだ何か言いたげな顔をしていた。


「あの……大佐」

「どうした?」

「いえ、お気をつけて行ってらしてください」

「何だ、気をつけろって。私が王子様に会いに行くのがそんなに心配か?」

「そ、そんな事はないです!」

「ふふふ……まぁ、そうだな。私も心配だよ。粗相をしでかさないようにしなければな」


 TPOをわきまえた服装、気のきいた会話、相槌の打ち方、品の良い笑い方、食事のマナー。

 そのあたりの教養も、立場上身に着けて生きてきたつもりだ。

 形だけなら多分、王子に失礼をしてしまう事はないだろう。

 しかし、私自身の心はどうか。

 王子に手を差し出された時、女らしく素直にその手を取ることができるか。

 熱を帯びた言葉で口説かれた時に、相手の望むような反応ができるか。

 私には、まるで自身がなかった。


「私は……相手の望むとおりにするのがうまくないからな」


 何気なく呟いたつもりが、口にすると何だか愚痴っぽくなってしまった。

 これではまるで、嫌々相手に従わなければならないみたいではないか。

 そんな風になってはいけないのに。

 だが、私のそんな素振りをパレンキアーノはまたすぐに察してしまったようだった。


「大佐がそんな風に悩まなければならない男性など、おられないと思います」

「うん?」

「いつも通りのミイレン大佐が、自分は一番魅力的だと思います。それをお気に召さない男性の事など、悩まれても仕方がないのではありませんか?」


 パレンキアーノはいつになくハッキリとそう言ってくれた。

 私の本来の姿を受け入れない男になど媚びてはならない、と。

 だが、奴は口が過ぎてしまったと思ったのか、慌てて「すいませんすいません」と繰り返した。


「申し訳ありません! あ、あの決して第八王子の事をそういう方だと申し上げた訳では……!」

「いや、言っても構わんぞ?」

「いえ、いえそのような!」

「なるほど、貴様の言うとおりだ。私は別に、お妃になりたいわけではないのだしな」

「は……」


 パレンキアーノがポカンとした顔をする。

 奴め、どうやら私を巷のミーハー女どもと一緒にしていたらしい。

 私は第八王子の妃になどなりたくない。

 人前でそう口にしてしまうと、妙にスッキリした。


「私はこの仕事が好きだ。独身を通してでも、定年まで勤めるつもりでいた。お妃に迎えられてしまえば、軍服を着る事など許されないだろうからな」

「大佐……」

「それに、私がいなくなっては貴様も寂しかろう?」

 

 戯れにそう言うと、奴は「はい」と言って恥ずかしそうな顔をした。

 おや? 

 何だか頬が赤いような?

 私がそう思っていると、パレンキアーノは顔を上げ、弱弱しい声でこう言った。


「自分は、自分は一日でも長く……大佐のお傍で、大佐のお役にたちたいと思っています。第八王子とのご結婚が大佐のお幸せならば自分はこの気持ちを諦めねばなりませんが……大佐がまだ軍にいてくださるのならば……自分は」

「そうか。それは嬉しいな。いつもこき使って怒鳴ってばかりの私を、貴様はてっきりうるさいクソババアと思っているだろうと思っていたが」

「そのような! ミイレン大佐の事をそんな風に思う訳がありません! 自分は逆に……」

「逆? なんだなんだ。さっきからいまいち貴様の言いたいことが分からんぞ?」

「大佐の事を、自分はどなたよりも尊敬しております! ですから、その……!」

「尊敬していたってうるさい時はうるさいだろう」

「そんな事はありません! 自分はいつだって大佐の事を……!」

「ん? 何かそろそろ苦しくなってきたな。言え言え。言ってしまえ本当の事を」


 困っているパレンキアーノをついからかうのが私の癖だ。

 机の上を片づけながら、私は時計を見た。

 これから家に帰って、着替えて化粧をして、フィアクールをつかまえて。

それで余裕を持ってあちらに迎えるだろう。

 そんな事を考えながらパレンキアーノが何を言うのかと笑って待っていると、奴が言い出したのは予想もしていなかった事だった。


「じっ、自分は大佐を……女性として、好っ、いえ! お慕いしているのであります!」


 ガシャーンという嘘みたいな音がして、私は思い切りやらかした。

 床の上で派手に割れたティーカップ。

 ブランド物が粉々になっていた。

 パレンキアーノの方を見ると、死を覚悟したような顔になっていた。

 私はどう反応したらいいか分からず、固まってしまった。

 十も年上の私に、若いパレンキアーノが?

 割れたティーカップからは飲み残しがこぼれ、絨毯に滲みこんでいた。


「パレンキアーノ、貴様……」

「申し訳ございません。身の程知らずなのは、自分が一番よく分かっております!」

「いつ……からだ?」

「軍に入ることが決まった頃にはもう、自分の心には大佐だけが映っていました」


 パレンキアーノは私の目を見られないようだった。

 無理やりに言わせてしまった事に、一瞬後悔が過る。

 だが、もう知ってしまったものをなしにはできない。

 私の前には、まるで罪を認めた罪人のような顔のパレンキアーノがいた。

 今までに見た事のない顔だった。


「自分はミイレン大佐の部下で、年下の男です。大佐に釣り合う男ではありません……ですから、この想いはずっと自分のものだけにしておくつもりでした。それで自分は、充分に満足なのです」

「パレンキアーノ……」

「恐らく……軍には自分と同じように、ミイレン大佐を密かにお慕いしている者が大勢いるでしょう。自分はその一人です。ですから、この事はどうかお忘れください」


 何だか一方的にそう言い、パレンキアーノは私が落としたカップの残骸を片づけ始めた。

 私は取り残されたような気分になった。

 パレンキアーノが軍に入って、もう何年になる?

 私はその間、何も気づいてやれずにいたのか?

 そして奴は、これからもそのままでいいというのか?

 

「パレンキアーノ」

 

 私はしゃがみ込むパレンキアーノの頬に手を伸ばした。

 突然顔を触られ、何かという顔。

 このいじらし過ぎる馬鹿野郎が。

 そのまま無理やりに体を引き寄せ、私は思い切り奴を抱きしめてやった。

 私の腕の中で、その細い身体が強張った。 


「た、大佐……」

「すまなかった、パレンキアーノ」

「え……」

「貴様の想いに、気づいてやれなかった」


 たいさ。

 そう呼ぶ、パレンキアーノの声が震える。

 私は奴が愛おしくてならなかった。

 

「私は年上の女だ。私こそ……これからの未来ある貴様に釣り合う女ではない」

「そのような……」

「だが、貴様の想いは大切に受け止めたい。忘れてくれなどと言わないでくれ。私はこれからも……貴様にとってよき上司でいよう」


 そう言ってやるのが、私にとって精いっぱいだった。

 パレンキアーノの背越しに、奴の美しい青い翅が光る。

 奴には、奴にふさわしい若い娘がどこかにいるはずだ。

 今のパレンキアーノはきっと、まだ年上の女に母親に対する情と似通った想いを抱いてしまう年頃なのである。

 きっといつか、それに気づいて私のもとから羽ばたいていくだろう。

 そうなってしまう前のまだ瑞々しいパレンキアーノの想い。

 私に対し、そんな気持ちを抱いてくれた奴を、今はただ思い切り抱きしめてやりたかった。


「貴様をこれからも、誰よりも大切に育ててやろう。上司として、できる事は何でもしてやる。それが私にできる愛し方だ」

「ありがとうございます……ミイレン大佐」

「馬鹿者が、泣くんじゃない」


 目元を潤ませるパレンキアーノの頭を軽く小突いてやる。

 パレンキアーノは泣きっ面だったが、安堵の表情を浮かべていた。

 その顔を見て、私もまた安心した。

 

 さて、ではもう出かけなければならない。

 愛おしいパレンキアーノを置いて、会いたくもない第八王子のところへ行かねばならない。

 仕事と割り切ろう。

 これは今日の分の残業だ、残業。


 私はふと時計を見やった。

 その時、誰かが外からドアをノックした。


「ミイレン大佐、帝都から連絡が入っております」

「帝都から?」

「通信を置繋ぎいただいてもよろしいでしょうか」


 通信指令室の担当者だった。

 私は部屋の通信端末の電源を切っていたことを思い出した。

 仕事が忙しすぎて、直接来る奴以外をシャットアウトしてしまっていたのだ。

 慌てて端末を立ち上げる。

 すると、待機画面に相手の番号が映った。

 

「まさか……これは」


 つい最近知らされた、ある人物の専用番号。

 私は画面の前で襟を正した。

 待機画面が変わり、映し出された人物。

 黒髪の美しい少女がそこにいた。


「ノヴァ皇女、南州陸軍大佐・ミイレンでございます。この度はご連絡いただきましてありがとうございます」

『忙しいところごめんなさい、ミイレン大佐。どうしてもお話ししたいことがあったの』

「はっ」


 画面に向かって敬礼する。

 皇帝代理を務める、幼き第三皇女。

 皇女は先日謁見の間で拝顔した時と同じように、人形のように美しいドレス姿で椅子に座っていた。

 しかし、その背景が宮殿とは違う。

 スピーカーからは船の動作音のような低い機械音が響いていた。


『今、私の船であなたのいるすぐ近くまで来ているわ。短い時間でいいの。出て来られるかしら?』

「近く……? 皇女、南州までおいでになっているのですか?」

『しーっ。お忍びなの。他の人には内緒よ』


 まさか、帝都から私に会いに来たというのだろうか。

 私は慌てた。

 何を置いてもすぐに向かわねばならない。

 隣にいるパレンキアーノに、すぐに第八王子の周囲に連絡を取るようにメモで伝えた。

 今日はあちらには行かれない。

 これは、今世界で二番目に偉い人物からの呼び出し。

 当然優先すべきはノヴァ皇女だ。


「直ちに御前に参ります、皇女」

『本当にお忍びなの。他に人は連れて来てはダメ。どうしてもという場合でも、一番信頼できる人を一人だけよ。いいわね?』

「はっ」


 パレンキアーノが連絡を取り終えるのを待って、私は奴を連れてすぐに州都の外れに向かった。

 手慣れた様子でこんでいない道を選び、法定速度ぎりぎりでエアカーを飛ばしていくパレンキアーノ。

 第八王子サイドには何と言ったのか。

 そう聞くと、奴は少し笑ってこう言った。


「中央政府からのお呼び出しだと申し上げました。陛下のご命令だ、と」

「陛下……と言ったのか。それだともしかしたら、私が皇帝陛下に見初められたと思われたかもしれんぞ」

「いけませんでしたか?」

「いや。でかした」


 私とパレンキアーノは顔を見合わせて笑った。

 第八王子には、私が何らかの理由で遠ざかったと思って欲しかった。

 その方が良いのだ。

 パレンキアーノとこうして一緒にいられるのが嬉しかった。


 天空船のターミナルの外れに、船体が桃色に塗られた小さな船が停泊していた。

 船体の中央には金色で描かれた古いタイプの皇帝の紋章。

 ノヴァ皇女の船に間違いがなかった。

 エアカーを近くに泊め、船に近づいていくと警備の兵士が気づいて敬礼した。

 私たちは船の後方から中に通された。


「お呼び出しにより参上いたしました」

「こんばんわ、ミイレン大佐。待っていたわ」

「御機嫌麗しゅう、ノヴァ皇女」


 皇女は侍女たちにかしずかれ、奥の部屋で私たちを待っていた。

 内装もすべてノヴァ皇女の好みに合わせたつくりなのか、赤や桃色など可愛らしい色にされている。

 そして、あちこちに大きなぬいぐるみや人形が置かれていた。

 皇帝代理などという仰々しい職についてはいるが、やはりまだ子供なのだ。

 皇女の傍らにある彼女よりも大きなぬいぐるみを見て、何となく心が和んだ。


「後ろの方は?」

「私の秘書、パレンキアーノです」

「美しい翅ね。ちょっと見てもいいかしら」


 座っていた椅子からピョン、と飛び降りると、皇女はパレンキアーノの傍に近寄った。

 パレンキアーノはどうしていいか分からず、どぎまぎしながら跪いていた。

 皇女はその小さな手でそっと触れながら、奴の青い翅をうっとりと見つめた。


「あなたたち、席を外しなさい。この人たちとゆっくりお話ししたいの」

「はい、皇女様」

「用があったら呼ぶわ」


 ノヴァ皇女は侍女たちを下がらせ、部屋に私達二人だけを残した。

 そして、窓の方を指差して私たちを促した。

 そこには丸いテーブルがあり、グラスが三つ置かれていた。


「クロズモモの季節だから、西州の田舎からたくさん送ってくださった人がいたの。うちのコックの特性ジュースよ。召し上がれ」

「これは……ありがとうございます、皇女」

「本当はお酒の方がおいしいんですって。だから私、早く大人になりたいのよね」


 クロズモモは西州の一部でしか採れない貴重な果物だ。

 とろけるような口当たりと程よい酸味に、私は一気に仕事の疲れが吹き飛ぶような気がした。

 甘党のパレンキアーノも気に入ったらしく、皇女の前というのも忘れて一気に飲み干していた。


「ところで皇女、今回の御要件とは何でしたでしょうか?」

「あのね、まだ誰にも話してなくて、父上もまだ知らない事なのだけれど」

「はい」

「ミイレン大佐、あなた、中央政府に来る気はないかしら?」

「……は」


 ノヴァ皇女は胸の前で手を組み、私の顔をじっと見つめていた。

 突然の、これはスカウトなのか。

 私は思わず、間の抜けた反応を返してしまった。


「中央政府……帝都の宮殿に、でございますか」

「南州の王様に直接お願いしようと思ったんだけど、ご高齢で帝都には呼べないし、私が行くと大騒ぎになってしまうでしょう? だからこうやってあなたを呼ぶことにしたの。すぐにとは言わないわ。でも、これからを考えると、私にはあなたのような優秀な女性が必要なの」

「それは……皇女が将来、皇帝陛下の跡を継がれた時というお話でしょうか?」


 ノヴァ皇女は深く頷いた。

 やはり、皇女には自分が現皇帝の後継ぎになるという意思が既にあるようだった。

 もしもノヴァ皇女が皇帝になれば、史上初の女皇帝となる。

 幼いながら、その事の意味を理解しているらしく、皇女は自分の周囲の人間をしっかり選んでおきたいのだ、と強調した。


「私が皇帝になることを応援してくれる人はたくさんいるわ。でも、本当は一番上のお兄様が継ぐはずだった仕事。本当はよく思っていない人がけっこういて、時々、私自身が身の危険を感じる事もあるの」

「皇女が……身の危険を?」

「ええ。公にしてはいないけれど、何度も宮殿に不審な者が入ったり、私の食事に変なものを入れられたこともあるわ」


 暗殺の危機。

 幼い皇女の身にそんな事が起きていたことを知り、私は憤りを覚えた。

 皇帝や王の跡目争いの話は珍しくない。

 後継ぎが危険に晒される事は歴史的にも常に起きてきた事だ。

 しかし、ここにいるのは年端もいかぬ少女。

 彼女がそんな標的になってしまっているかと思うと、穏やかではいられなかった。


「だからね、ミイレン大佐」


 皇女はグラスの中身を一口飲み、言った。


「私には将来、女の皇帝がどうやってこの世界を守っていけるか、一緒に考えられる人が必要なの。今はお母様もいて、北州の政治についてもいろいろ教えてくださるわ。でも、いつかは一人になってしまう。その時のことを考えると、不安でたまらないの」

「皇女……」

「あなたが南州王に忠誠を誓った人なのは分かるわ。だけどもしあなたがもっと大きな世界で働いてみたいと思ってくれるなら、私と一緒に未来を見守りたいと思ってくれるなら、私にはきっと……こんなに心強い事はないのよ」


 私には、目の前に座る皇女のその存在が不思議だった。

 幼い声で綴られる言葉は重く、私の心の奥底まで響いた。

 普通の子供ならば、まだ何も分からずに親に甘え、玩具に戯れている時期である。

 それでいい時期である。

 しかし皇女は、はるか年上の大人でさえまともに向き合えるか分からないような難しい現実と対峙し、その小さな体一つで戦おうとしていた。

 

 この皇女は、何故こんなにも。

 そして私は、どうこの皇女の言葉に応えたらよいのだろう。

 己の言葉を発せずにいる私の目に、ふとあるものが過った。

 気温の高い南州に合わせ、袖の短いドレスを着ている皇女の左腕。

 その下から、きらりと光るものが見えたのだ。


「あの……皇女」

「どうしたの?」

「その……腕輪は」


 いきなり話の腰を折るなど、してはならない無礼。

 だが、私は聞かずにはいられなかった。

 チラリと見えたあれは――――

 皇女は腕をめくり、その銀の腕輪を私に見せた。

 J‐3093。

 私の腕にあるのと極めて似通った文字がそこにあった。


「母上からもらった、北州王家の腕輪よ。これの事かしら?」

「北州王家の……」

「この腕輪がどうかしたの?」

「皇女、失礼いたします」


 私はパレンキアーノに手伝わせて上着を脱いだ。

 そして、自分の腕を捲って腕輪を出した。

 J‐2869。

 それを見た皇女も、驚きの表情を浮かべた。


「私のと……同じ?」

「私も母から受け継いだのです。そして、先日皇女に謁見したプラジアーナというピスカ族の娘にもこれが」

「……どういう事かしら」


 皇女は腕輪を外し、テーブルの上に置いた。

 私も同じようにして隣に並べる。

 幼い皇女の腕輪は当然のことながら私のものよりうんと小さかった。


「皇女、実はこの腕輪は先日謁見の間で申し上げたミイラと関係があるのです」

「南州で見つかった四体のミイラね」

「ミイラにはいずれも、『J‐0001』という文字の入った腕輪がありました。皇女と私の腕輪と同じものです」


 四体のうちの一体、セピア族のミイラは私の先祖の可能性がある。

 私は思い切って皇女にそう主張した。

 この発言はミイラを王家の先祖とする南衆王に対する無礼である。

 だが、皇女は私を咎めなかった。

 そして深く頷いた。


「話は分かったわ。王様には、この事を?」

「いいえ。この事を知っているのはプラジアーナという娘だけです」

「そうね……これは黙っておいた方が良いわ」


 幼い皇女が私の話を理解してくれたことに、私は深い安堵を覚えた。

 ノヴァ皇女を前にしてこうして話をしている間に、私の中で皇女は「子供」という認識を薄れさせていた。

 次期皇帝、敬うべき次代の執政者。

 もしも私がこの皇女に仕える事になったら……。

 私の心臓は高鳴った。

 使えるべき主を求める私の軍人としての本能が、皇女に対し激しく反応していた。


「ミイレン大佐、私達はもう何度か会って話をすべきだわ。今夜一度だけでは時間が足りなさすぎるもの」

「はい、ノヴァ皇女」

「落ち着いたらまた声をかけるわ。今度は帝都に来てもらうかもしれない」

「お召があれば、必ず参上いたします」

「じゃあまた。私はそろそろ帝都に帰らなきゃ」


 私は外に出て、皇女の天空船が飛び立つのを見送った。

 消えていく船を見送る私の顔が名残惜しそうなのに気付いたのだろう。

 パレンキアーノがそっとこう言った。


「もしも……大佐が皇女のもとへ行くような事があったら、自分も連れて行っていただけるでしょうか」

「……そうだな」


 パレンキアーノがそう言いだすほどに、私は自分の心が皇女に傾いているのがおかしかった。

 自分の一生を左右する事に対して、単純に即決を下してはいけないだろう。

 だが、今夜の事が、自分の運命を変えるかもしれない。

 その事実が私の心を激しく揺さぶっていた。

 そしてもしもその運命に隣にいるパレンキアーノがついて来てくれるならそれは、私にとって何よりもの幸福かもしれない。

 私はそっと、奴の方を抱き寄せた。


「なら二人で、皇女が私のワガママを聞いてくれることを祈るとするか」


 パレンキアーノは遠慮がちに、小さく頷いて見せた。



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