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【第十一話】 皇帝ガイオスと2人の学者

 

 皇帝はノヴァの顔を見ると、六人の子の父親らしい暖かな笑顔を浮かべた。

 本物なのだろうか。

 キトラは画面の向こうで動く人物に対し、一瞬の疑いを持った。

 だが、その顔もその声も、子供の頃から見知っている皇帝そのものである。

 写真や動画でしか見たことがないその人物がリアルタイムでこちらに顔を向けている様は、キトラの中で現実と架空の境界をぐらつかせる衝撃があった。


『こらこら、ノヴァ皇女。父上の部屋でまたいたずらをしているな?』

「御機嫌麗しゅう、皇帝陛下。お休みのところを失礼いたします」

『大丈夫、まだ起きてたさ。おや? 他に誰かいるのかな』


 緑色の目がキトラ達の方を見る。

 テェアヘペロがキトラの服をグイッと引っ張った。

 慌ててその場に跪く。

 が、毛足の長いじゅうたんに足を取られて転びかかった。

 その姿に、画面の向こうから笑い声が聞こえた。


『テェアヘペロだな? 今夜は新入りを連れて残業かい?』

「はっ。この者は帝都大学の学生で、南州王の命により派遣されたキトラ・センバという者です」

『帝都大の学生か。教授は?』

「……リン・ウェフリー教授の研究室におります、陛下」


 キトラは思わず自分の声が震えるのが分かった。

 画面越しとはいえ、目の前にいるのはこの世界を統べる人物。

 心の準備も何もないまま、突然のお目通りである。

 生きた心地がしなかった。


『リン・ウェフリー、リン・ウェフリー……なんだ! ニトー先生の教え子の教え子か!』


 皇帝は何故か、リンの名前を聞くと嬉しそうな声を出した。

 知っているのだろうか。

 そう思っていると、ノヴァが画面の前に身を乗り出した。


「父上、急ぎの用なの。この本、読んでおられたでしょう?」

『あっ! ノヴァ、どこで見つけたんだその本!』

「テェアヘペロとキトラに必要なの。お願い、この本を書いた人の事と、ここに書いてある『創生の秘密』について教えて」

『……中身を読んだのか』


 皇帝は苦い顔をした。

 恐らく、あの本はノヴァや他の者が見つけて勝手に読まないように隠してあったのだ。

 キトラは大きく深呼吸し、心を落ち着けてから口を開いた。


「恐れながら申し上げます、陛下。私は、アーガ族の真実を知りたいのです」

『アーガ族の、真実だと?』

「今現在、世界中で暴挙に出ているアーガ族のその行動の理由を……。森で平和に暮らしていたアーガ達を怒り狂わせ、花の海のダーガーン族を津波で苦しめ、各地に大地震を起こした大爆発……そして、北の大森林に隠された秘密について知りたいのです」


 緊張で頭の後ろが冷たい。

 脳内が真っ白になりそうな感覚をおさえながら、キトラは必死で言葉を繋いだ。

 もしかしたら、皇帝は自分が何を言っているか分からないかもしれない。

 そう思いながらも、キトラは自分の言葉をコントロールすることができなくなっていた。

 口から出る言葉をどうにか形にするだけで精いっぱいだった。


「皇女様はそのために、私たちが森に入る許可をくださり、力をお貸しくださいました。ですから、どうか教えてください。北の大森林でアーガ族の守る秘密とは、何なのですか?」

『それは南州王の命令か?』


 皇帝は低い声で問うた。


『州王にとって有益な情報はあの森にはない。あそこは我々が容易に踏み込むことを許された場所じゃないしな。いたずらに踏み込んでもアーガ族の攻撃に遭うだけだぞ』

「アーガ族が狂暴なだけの一族でない事を、私は知っています」


 キトラはギュッと拳を握りしめた。


「赤の砂漠の集落で、アーガ族の血を引く考古学者からその事を学びました。私は戦いにではなく、話をしに行くのです。この本の著者のように」

『……なるほど。ヴトに会ったのか』


 画面越しに大きなため息が聞こえた。


『ニトー先生の教え子と聞いてもしかしたらと思ったが、やっぱりあいつ絡みとはな』

「先生をご存じなのですか?」

『余計な事は他の奴に言うなって言われてんだけどなぁ。勝手に言ったらオレがあいつに怒られるぞ』

「陛下、ユピテル先生は亡くなったのです」

『……何だと?』


 ガイオスの表情が変わった。

 彼は画面に食らいつくようにして声を荒げた。


『ヴトが死んだ? どういうことなんだそれは!』

「ハシダテ集落の遺跡の中でアーガ族に襲われました。私たちが発見したミイラを奪われ、ユピテル先生も殺されたのです」

『まさか……! いつだ? あいつが死んだのはいつだ!』

「二週間ほど前です」

『うそだ……あいつが……何てことだ』


 皇帝が両手で顔を覆った。

 ユピテルは何も言っていなかった。

 しかし、生前皇帝と何らかの関わりがあったのだろうか。

 皇帝の顔色が一気に悪くなった。


『……ノヴァ、お前はもう寝ろ。キトラと話がある』

「でも、父上」

『これ以上起きていれば明日の業務に支障がある。命令だ。テェアヘペロ、ノヴァが寝るまでついていてやれ』

「はい、陛下」

「お休みなさい、父上」


 二人が出ていくと、皇帝はぐっと天井を睨み、涙を堪えるような仕草をした。

 キトラは彼が落ち着くまで待っていることにした。


 それにしても腑に落ちない。

 緊張が緩んでくると、キトラには次第にそんな感情が湧き上がってきた。

 アーガ族やダーガーン族を「類人種」の括りに入れ、人と認めずにいるのは皇帝という絶対権力者の命令に基づいたこの世界の構造である。

 その皇帝が今、獣に等しい扱いを受けて育った男の死を嘆き悲しんでいる。

この構図は何なのだろうか。


 ミガトは皇帝を慈悲深い人間だと言っていた。

 東州王が自分たちを無視しても、皇帝はきっとダーガーン族に情けをかけてくれるだろう、と。

 しかし、彼らを苦しめているのはそもそもこの男なのではないか。

 キトラは画面の向こうの男に対し、無意識に偽善の色を探していた。

 ユピテルと皇帝との関係以前に、彼の中にあるものを知りたいと思う自分がいた。


『悪い。一般人の前で取り乱しちまった』


 気分を落ち着けると、皇帝は照れを隠すようにそう言った。

 この世界の支配者である彼の、思いがけなく人間臭い姿。

 キトラが気の利いた言葉をかけられずにいると、皇帝はそのまま言葉を続けた。


『本当はお前さんの先生にも会いたかったが、今から呼び出すのも無理だろう。これから話すことは極秘だ。心して聞いてくれ』

「はい、皇帝陛下」

『ユピテルは表向きはフリーの考古学者だったが、実はオレの命令で動いていた』

「えっ……ユピテル先生が?」

『あいつをオレに紹介したのはあの本を書いたニトー教授だ。オレがちょうど、十八のときだったな』


 ユピテルが初めて皇帝に会ったのは、ユピテルが大学院に通い、皇帝ガイオスがまだ皇太子の地位にいた頃だった。

 その頃、前皇帝は病気がちで、ガイオスは今のノヴァ皇女と同じように代理でその仕事をしていた。

 ガイオスは定期的にユピテルを宮殿に呼び、自分の仕事に関わらせた。


『オレは、あいつにアーガ族との橋渡しをしてもらいたかった。ニトー教授とオレ、それからあいつが組めば今の世界の構造を変える事が出来る。そう確信していたからな』


 しかし、ユピテルはそれを拒んだ。

 一族を負われた立場である自分が北の大森林に住むアーガ達に接触する事は死を意味する。

 橋渡しをするどころか表社会と彼らの関係をかえって悪くするだろうと彼は言った。


『それに、アーガ達はそもそも自分たちが人間だの類人種だのとオレ達にどう呼ばれようが構わないと思っているらしい。あの一族は自分たちが森の中で暮らすことが一番だと思っている。自分たちの住処さえ犯される事がなければ何の不満もない、とそういう考えなんだ』

「類人種の扱いを気にしない、という事ですか?」

『一族で生まれた者は基本的に一生森で暮らす。ヴトみたいに外に出て他の種族に関わる奴は例外中の例外だからな』


 ユピテルは自分の立場が普通でないことを受け入れて生きていた。

 自分は元々アーガ族の中にも、表社会にも居場所のない人間なのだ、と。

 そして、ガイオスに対し、こう言った。


『自分は幸い、大学に居場所を見つけられた。だからこのまま学問の世界で自分の存在価値を見出していきたい、ってな』


 ユピテルの研究へのひたむきさにガイオスは尊敬を覚えた。

 そして、その生き方にも強く心惹かれた。

 自分のように決められたレールに乗って生きているのではなく、自身の力で居場所と生き方を見出しているユピテル。

 皇帝の地位に即位してからもガイオスはユピテルをよく宮殿に呼んで話をした。

 二人は身分を越え、友情を育んだ。

 だが、ユピテルは皇帝がそうやって自分と関わることで世間の印象を悪くするのではないかと心配し、自分が宮殿に呼ばれている事は誰にも話さなかった。

 一緒に暮らしていたリンですらその事は知らなかった。


 そんな彼があるとき、初めて自分から宮殿を訪れた。

 そして、「自分にしかできない仕事を与えて欲しい」と願い出た。


『どうしても帝都を離れて一人になりたい、って言ってな。理由は敢えて聞かなかったが、あんなに弱ってるあいつは初めて見た』


 ガイオスはユピテルに対し必要な援助を行う事を約束した。

そして命じたのは未だに研究が進んでいない場所の発掘調査などであった。

 当時ユピテルが志していたのは人類学者。

 だが、ガイオスが必要としているならと、ユピテルはすんなりと考古学者への転向を受け入れ、すぐに帝都を出た。


『研究成果は全部、定期的にデータとしてオレのところに送られてきてた。うちの歴史編蚕室で保管してるよ。あと何年か経てば、本が一冊出版できたかもしれねえな』


 ユピテルは、ただ自分の考えだけで発掘調査を行っていたのではなかった。

 宮殿の歴史編蚕室では本来、皇帝一族の統治に関する内容を扱う。

 しかし、ガイオスは自分の息のかかった学者たちに、そこからさらに詳しく突き詰めた研究を行わせていた。

 その内容は、ミイレンがキトラに語った南州王家に伝わる歴史にも及んでいた。


「では、陛下はオレ達の発見した王墓についてもご存じだったのですか?」

『オレはこのところずっと宮殿から出てるから知らなかった。聞いてたのは、もしかしたらそういうのがあるかもしれねえっていう話だ』

「ユピテル先生がなくなる前後の発掘活動についてはご存じなかったという事ですね」

『そうだな。ん……とちょっと待っててくれ』


 話が長くなると思ったのだろう。

ガイオスは傍らの水差しを手に取り、水を一口飲んだ。

そして口を少し湿らせてから再び話しはじめた。


『そんなにしょっちゅう報告させてたわけじゃねえしな。ただ、何かすごいのが出たらオレも見に行くって約束してた。やっぱ、そういうのってロマンがあるだろ?』

「なら、先生はすぐに陛下にお知らせしたかったでしょうね」

『それももう、ダメになっちまったけどな』


 大きなため息がスピーカーから聞こえた。

 ユピテルが死んで、ミイラが奪われた。

 発掘現場はあのままハシダテ集落の中で放っておかれたままになっている。

 ガイオスは無念の表情を浮かべていた。


「ダメになんて、なっていません」


 キトラは思わずそう口にしていた。


「ユピテル先生には、優秀な助手がいました。彼女が先生の意思を継ぎます」

『助手、だと?』

「オレは、彼女をサポートするために赤の砂漠からここまで一緒に来たんです。プラジアと一緒に、必ずあのミイラを取り戻してきます」


 ガイオスは驚いた表情を浮かべている。

 キトラは構わずに続けた。


「オレはただの大学院生です。そのオレがこうして陛下とお話しできているのも、普通なら考えられない事です。もしかしたら、先生がここまでオレ達を導いてくれたのかもしれません。オレ達が森に行くことを、先生も応援してくれるでしょう。オレ達は必ずアーガ族に会って、自分の目で確かめてきます」

『アーガの一族は強いぞ? 怖くはないのか?』


 鋭い瞳がじっとキトラを見据えた。


『それに、あそこは普通の森じゃない。うちの息子どもが酷い目に遭って帰ってきたのを聞かなかったか?』

「とても怖いです」


 キトラは正直に答えた。


「遠くにアーガ族の気配を感じるだけで、思わずすくみそうになります。何度戦っても、群れが近づいてきたときのあの殺気は恐ろしいです」

『なら、何故戦う?』

「このまま先生のやってきたことがダメになってしまうほうがもっと怖い。今は、そんな気がするんです」

『お前は』


 ガイオスは何か言いかけたようだが、そのまま黙り込んだ。

 死が怖くないのか。

 軍隊に任せた方が良いと思わないのか。

 何故自分なのかと疑問に感じないのか。

 家族や友人は反対していないのか。

 皇帝はそうした言葉をいくらでもキトラにかけられただろう。

 だが、彼はそれらを全て飲み込んでこう言った。


『しゃあねえな……ノヴァに全権を託したのはオレだ。一度許可したものを取り下げんのもな』


 ガイオスは大きく伸びをした。


『「創生の秘密」が何なのか知りたいって言ってたな。正直なところオレにも分からん。ニトー教授はその事は何も言わずに死んじまったんだ』

「そうでしたか……」

『知りたきゃ、アーガ族の長老かボスあたりに接触するしかないだろう。うまくすれば教えてくれるかもしれねえ』

「分かりました」

『じゃ、今日はもう寝とけ。宮殿の朝は早い。明日、バカでかいファンファーレで叩き起こされるから覚悟しとけよ』

「はい。ありがとうございます」

『じゃあな。オレの通信番号はテェアヘペロが知ってる。何かあったら知らせろよ』


 通信がプツリと切れて画面が真っ黒になった。

 時計を見ると、日付が変わっている。

 皇帝と、一対一で話をしてしまった。

 この世界で一番偉い人物と……。

 一気に力が抜けてしまい、キトラはベッドの上に崩れ落ちた。

 そこに待っていたかのような表情で顔を出したのはテェアヘペロ。

 皇帝の寝台にキトラが寝ているのを見て顔をしかめた。


「こらこら。そろそろここを出ないと見回り番に牢屋に入れられてしまうよ」

「あっ、ヤバ! これ、陛下の……!」

「嘘だよ。陛下はそれくらいで怒る方じゃないさ」


 テェアヘペロもキトラの脇に寝転んだ。

 時々、ノヴァ皇女に付き合ってこの部屋に来ているというテェアヘペロ。

 このベッドに寝るのも初めてではないようだった。


「あの方が皇帝の顔を見せるのは、公式業務の時だけさ。普段は気さくなおっさんだよ」

「おっさんて……」

「目を瞑って話だけ聞いたら皇帝陛下だなんて思えないタイプだよね。十三歳の時にグレて宮殿から家出して、十七までギャングの仲間に入ってたんだってさ。その時からあんな口調になっちゃったんだって」

「何それ、知らないよそんな話!」

「……って、ちなみにこれ国家機密だから口外したら終身刑にされるかもな」

「あーもう! ただでさえもうパンクしそうなのにこれ以上オレに怖い事教えないで!」

「あはははは、ごめーん」


 頭を抱えるキトラをテェアヘペロは笑って見ていた。

 皇帝から明かされたユピテルの秘密。

 そして、アーガ族が握る『創生の秘密』。

 これから森に行けば分かるのか。

 やはり、アーガ族との接触は一筋縄ではいかないのか。

 それらが頭の中をぐるぐると回り、キトラは今夜も寝られそうになかった。


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