【第十話】 創生の秘密
宮殿の中庭には大きな人口の湖があった。
帝都に湧き出す地下水を利用しているといい、水は湖底が最も深いところまで見えるほど澄んでいる。
テェアヘペロはその畔に立ち、水を少し舐めてみろとキトラに言った。
「しょっぱいだろ」
「本当ですね。海水みたいだ」
「これも例の大爆発のせいらしいんだ。地殻変動が起きたみたいでね」
専門家はもしかしたらこの湖が海と繋がってしまったのかもしれないと話していたという。
湖の中には何もいなかった。
塩水が入ったせいで魚は死んでしまったのだ。
「ミガトがいる間に何か分かるかもしれないな。海は彼の専門だろうから」
「そうですね」
「敬語、やめていいよ。これからは一緒に旅する仲間なんだからさ」
テェアヘペロは思ったより気さくな人物だった。
年はキトラより四つ年上。
ミガトの一つ上だという。
一見細身で、みかけは「優男」という印象。
だが、近づいてみると肩や太腿の辺りは軍人らしくかなり引き締まっていた。
剣を使う人物なのか、右手に硬いタコができているのも分かった。
「さて、ここなら誰も来ない。今後の事を打ち合わせしようか」
謁見の翌日、いろいろな事が落ち着いた後で、テェアヘペロは湖畔にある東屋にキトラ達を集めた。
周囲は何もない。
宮殿の建物の中では誰かが聞き耳を立てるかもしれない、というテェアヘペロの配慮だった。
「ミイレン殿から聞いたところによると、君たちは南州軍の人間じゃないそうだからな。宮殿のうるさ型にいろいろ突っ込まれてもつまらない。ここで話をしよう」
「南州政府は、私たちにアーガ族が奪ったミイラを取り戻して欲しいらしいの」
プラジアーナが口を開いた。
一緒に行動する以上、隠し事をしても仕方がない。
自分たちが森に入って活動する許可を得る代りに、アーガ族から取り返したミイラは全て南州に引き渡す。
そのような約束があることを、プラジアーナは全てテェアヘペロに話した。
さらに、今回アーガ族と全面対決になってしまう覚悟もあるのだとハッキリ伝えた。
「初めから争う気はないけれど、場合によってはアーガ族と戦う事になるかもしれない。あなたはアーガの人たちと会った事はある?」
「何度もあるよ。話もした」
「アーガ族と話を?」
「実は、僕は二年前まで北州軍に出向しててね」
テェアヘペロは腕を組んだ。
「北の大森林の外れにある村で、儀式に立ち会ってたんだ。ギヨナ村の『豊穣の儀』って、聞いたことあるかい?」
「『儀式の子』が生まれる、例の儀式ね」
「そうそう」
森の神に仕える巫女がアーガ族と情を交わす。
古くから行われている北の地方の儀式で、ユピテルもこの儀式によって生を受けた。
テェアヘペロはノヴァの護衛隊長になる前、政府軍から北州に派遣されて儀式に立ち会っていた。
一般人がアーガと直接会う数少ない機会。
万が一のために、皇帝は毎年数人の兵士を村に送り、その様子を報告させているのだ。
「巫女がアーガの若い戦士と一緒に幕屋に籠って一夜を共にするんだ。僕はその一番近い場所で見守る係だった」
「見守るって……まさか中で見てたの?」
「当然さ。何かあったら危ないもの」
交合の儀式を、若い男が間近で見守る。
プラジアーナが顔を真っ赤にして俯いた。
バウアーは目が点になっている。
しかし、テェアヘペロは平然とした顔だった。
皇帝や上官の「絶対命令」を受けて働く軍人は一般人と感覚が違うのだろうか。
キトラもテェアヘペロが平然と儀式に立ち会う場面を想像して何となく妙な気分になった。
「でも……巫女さん嫌がらなかった? 他の人にっていうか、男にそんな場面を見られてるって……」
「まぁ、儀式だからね。こっちも仕事で毎年行ってたし」
テェアヘペロはさらりと言った。
「儀式に来るアーガ族はみんな紳士的だったよ。若い戦士と、長老と、それから族長とお世話をする係の若い女のアーガ族が一人。長老と族長はこっちの言葉が分かるから安心だった」
ユピテルも、群れにいる何人かのアーガは文字も言葉も分かると話していた。
実際、テェアヘペロも儀式にやってきた者たちと話をしたという。
その時には危険なものは何も感じなかったと彼は言った。
「族長はシーガルテルっていう名前で、自分も儀式で生まれたから、自分たちの父と母の種族どちらもが平和に暮らせることを祈ってるっていつも言ってた。あの穏やかな人が、外の人間の集落を襲わせるなんて思えないんだけどな」
「確かにユピテル先生も静かな人だったわ」
プラジアーナは呟くように言った。
「村を襲ったアーガの死体を焼きながら、いつも悲しそうな顔をして怒ってたもの。何でこんなバカな事をするんだろう、って」
アーガ族の群れは危険だ。
しかし、それは彼らの一面でしかない。
テェアヘペロはまず、彼らが狂暴化した理由をきちんと調べるべきと考えているようだった。
「ノヴァ様も皇帝陛下も、原因は例の『大爆発』だってお考えだ。まだはっきりした事は分かってないんだけどね」
「調査隊みたいなのが派遣されたりとか、そういうのはまだなのか?」
バウアーが口を開いた。
「オレ、軍隊の事とかよく分からないけどさ、何かあったらすぐに陛下の命令で調べたりするんじゃないのか?」
「実はね、僕が君たちをここに呼んだのはその話をするためなんだ」
テェアヘペロは東屋の周囲をもう一度念入りに見回し、誰もいないかどうか確認した。
「皇帝陛下には、ノヴァ様の他に三人の皇子と二人の皇女がいる。ノヴァ様は末の皇女様なんだ」
「そういえば、確か三女って言ってたな」
「皇帝陛下は爆発があった後、ノヴァ様の兄上たちを現場周辺に派遣した」
皇子たちは皇位継承権を持つ者として既にしっかりと教育を受け、皇帝からそれぞれ職務を与えられている。
皇太子であった長兄をトップとし、弟たちがその補佐という形で一団は現地へ向かった。
しかし、その直後に思わぬ事態が起こった。
「一緒について行った者の話だと、皇子たちは『悪霊』に憑りつかれたっていうんだ」
「あ、悪霊?」
「うん。バカげた話だと思うかもしれないけど、この話は一応、真剣に聞いておいて欲しい」
テェアヘペロはぽかんとする三人を見て言った。
皇帝に派遣された三人の皇子たちは天空船で北州に入り、そこから爆発があったと思われるエリアに陸路で向かった。
しかし、北の大森林に踏み込んで間もなく、皇子たちが相次いで倒れた。
そして、苦しげな表情を浮かべ、意味の分からない言葉を話しだしたというのだ。
「『呼ばれてない、呼ばれてない』ってね。ひきつけを起こしたり泡を吹いたり、それはもう大変だったそうだ」
三人の皇子たちの異変。
調査隊は直ちに帝都へと帰らなければならなかった。
周囲を心配させたものの、皇子たちは宮殿に戻るとすぐに落ち着いた。
しかし、再び出発し同じエリアに来ると、彼らはまた同様の状態になってしまった。
三度目の挑戦の際には、森に近づいた時点で下の二人の王子たちはパニックを起こした。
「一番上の皇子は何とかお一人だけで森に入ったけど、結局だめだった」
「それで、どうなったんですか?」
「あそこ」
テェアヘペロは宮殿の裏にある別館を指差した。
大きな木が立ち、やや日陰がちな古い建物。
そこは、第一皇子の住まいだった。
「下の皇子たちお二人は何とか回復してお仕事をなさってるけど、最後まで粘った一番上の皇子は心を病んでしまったんだ」
皇帝の長男で、本来ならば皇太子であるはずの皇子。
彼は心を病み、閉じこもってしまった。
回復したというほかの二人の皇子は、どうにか普通の生活に戻ることができた。
だが、それでも時々発作的にパニック状態になったり体調を崩すような状態が続いているため、皇帝の地位を継ぐには不安があるのだという。
第一皇女、第二皇女は既にそれぞれ東州王の息子、皇帝の側近と結婚して宮殿を出てしまっている。
そのため、ノヴァは幼くして皇帝代理になったのだ。
俄かには信じがたい話だ。
しかし、テェアヘペロが嘘をついているようには見えなかった。
キトラはなんだか背筋がぞくりとするのを感じた。
「オレたち、そんなところに行くのか……」
「もちろん、危なかったらすぐに撤退しろってノヴァ様にも言われてるよ」
テェアヘペロは足を組みなおした。
「今回は皇子たちが入った場所は避ける。アーガ族がいるエリアからは遠いけど、ギヨナ村から森に入ろう」
「儀式の村か……確かに昔からアーガ族が来てる場所なら安全そうだね」
「あそこは爆発の影響も受けてないし、そういう『変な事』が起きたっていう報告もない。今日・明日で準備して、明後日の朝出発しよう。それでいいかな、キトラ君」
「分かった。よろしく、テェアヘペロ」
集合場所を確認し、キトラ達は一旦テェアヘペロと別れた。
ミイレンやパレンキアーノは皇女の命令を急いで南州王に報告するためにもう既にタクティカス達と帰ってしまっていた。
宿泊のために借りている部屋にはリンと、着なれない隊服を着せられてぎこちない様子のミガトが待っていた。
「センバ君、必要なものがあれば皇女が全部用意してくださるそうよ。すぐに持ってるものを全部出して、何が足りないかちゃんと確認しなさい」
「先生、今日の講義は?」
「今日はお休みの日じゃない。さぁ、ちゃっちゃとやっちゃいましょう」
リンはキトラ達の準備を手伝うため、朝から宮殿に来ていた。
ミガトに、これから宮殿で働くためのアドバイスなどもしたという。
二人はすっかり仲良くなっていた。
「キトラ、ウェフリー教授はいい先生だな。私も、大学に行く機会があれば生徒になってみたかった」
「あら。今度こっそり講義に潜ってもらってもいいのよ?」
「ありがとうございます。では、落ち着いたらぜひ」
リンはもう、大学に復帰するつもりらしい。
親友のミイレンにも会い、気持ちが落ち着いたのだろう。
元気を取り戻すと、いつものように口うるさくキトラにあれこれ言いはじめた。
「持っていくもののリストくらいは作ってるんでしょうね? 忘れ物しても、森に入っちゃったら買いに行けないわよ?」
「どうしよう。テェアヘペロと話し合った方が良いのかな」
「さっきミガト君が全部自分たちでやれって言ってたじゃない。聞いてないの?」
「あ、そうだっけ」
「もー、相変わらずね。プラジアーナちゃん、お願い。悪いけど全部確認してやって」
「はい、ウェフリー先生」
ハシダテ集落に出発する際もそうだったのだが、リンはキトラの荷造りに信用がないらしい。
結局今回も持ち物を没収されてしまった。
キトラの汚いリュックサックを渡されたプラジアーナは何を思ったのか、いきなり中身を辺りにぶちまけてしまった。
「あっ、プラジアーナ何してんの!」
「一回荷物を全部床に出しまーす! はい、ドバーっと!」
「ちょっとー!」
「やだくっさーい! 何この刺激臭!」
「センバ君! あなた何日洗濯してないの! バウアー君、窓開けて窓!」
「りょ、了解っす!」
「ちゃんと洗濯してますって!」
「じゃあ何でこんなに臭いのよ! もう信じられない!」
結局、キトラはリンやプラジアーナらに荷物を全部チェックされる羽目になった。
臭かった服は洗濯……ではなく、ほとんど捨てられて新しいものに変えられた。
さらには汚れの染み込んだリュックサックも強制廃棄。
布製品はほぼ捨てられ、それに対してキトラには何の発言権もなかった。
それを見ていたミガトは、キトラに同情の目を向けていた。
「ああなったら任せてしまう方が安全だ。私もお気に入りを何着捨てられたことか」
「え、例の奥さんに?」
「ああ。メリーエルダは……いわゆる『捨て魔』だったからな」
行方不明中の妻を思い出したのか、ミガトは遠い目をしていた。
キトラの持ち物は半分以下に減らされ、不要とみなされたものは全て宮殿の焼却炉で燃やされた。
めらめら燃える焼却炉の前で、リンは思い切り伸びをしていた。
「あースッキリしたわ。ヴトもそうだったけど、男ってどうしてこんなに不潔に耐えられるのかしら」
「そうですねー。あ、そうだ先生、お部屋もちゃんと掃除しときましょうね」
「もちろんよ。後で消毒剤貰ってこなきゃそのうちノヴァ様や皇帝陛下が病気になっちゃうわ」
「ひ、人を病原菌みたいに言わないでください」
「菌まで行かないかもしれないけど、何らかの保菌者なのは確かよ。ねぇ、プラジアちゃん?」
「うわー、急に痒くなってきたかもー」
「ひ、酷いよ二人とも……」
キトラが半泣きになっていると、宮殿の用具係だという男が、リンが頼んでいたものをいろいろ持ってきてくれた。
新しい服や、森で使うロープや地図など。
そして、その中にあるとっておきのものがあった。
「うちの職人が、急いで作ったものです。ウェフリー先生のご依頼とのことで、腕によりをかけて仕上げてくれましたよ」
それは、バウアーが打ってくれたあの二本の短剣を斜め掛けで背中に背負うタイプの鞘だった。
表には、日輪を背負って立つ三つ首の獅子のエンブレム。
皇帝の紋章が大きく入っていた。
「これがあれば、堂々と剣を持って歩くことができます。帝国軍人と同じく、武器の携帯を許された証になりますから」
「すごいな。一気に偉くなった気分です」
「さっそくつけてみましょう。そこに立ってください」
用具係の男は、キトラの体に合わせてベルトを調整してくれた。
体にフィットした、いつでも剣を抜くことができる仕様の鞘。
その姿を見て、バウアーが羨ましそうな顔をしていた。
「何だよ、カッコいいじゃねえか。オレも自分用の剣作るかなぁ」
「でも、できれば戦わずに帰ってきてほしいわ」
リンが切なそうに目を伏せた。
彼女の心の中にはまだ大きな傷がある。
愛する人を失ったショックは癒えていないのだ。
「もう決まってしまった以上仕方がないけれど、ヴトがあんなことになったのにあなたたちまで何かあったら……」
「そんなこと言わないでください。先生らしくないです」
キトラは笑って見せた。
研究のためには鬼になる。
嫌がる教え子に鞭を振るって冒険をさせる。
キトラはリンに、そうあって欲しかった。
北の大森林に入る事に対して、まだ大きな不安がある。
だからいつものように、リンの厳しさが欲しかった。
「北の大森林に入ってアーガ族の住処に近づくなんて、世界中の人類学者が羨ましがりますよ。絶対何か収穫がありますから、期待して待ってください」
「そうね」
リンはぐっと涙を堪える様な顔をした。
「じゃあ、私は研究室で待ってるわ。センバ君、しっかりやってきなさい」
「はい、先生」
無理をさせているのかもしれない。
だが、いつまでも悲しみを引きずっているのはよくないと、リン自身も分かっているだろう。
キトラは早くリンの目にいつもと同じ強い意志の光が戻ることを願った。
旅の準備がしっかりできたのを確認すると、リンは宮殿を出て行った。
出発の日の朝は早い。
体調を万全に整えようと、プラジアーナとバウアーは食事が済むと部屋に戻り、すぐに寝てしまった。
キトラは大いびきのバウアーを部屋に残し、テェアヘペロに頼んで宮殿の書庫に入れてもらった。
北の大森林やアーガ族については研究が進んでおらず、役立つ資料は少ない。
だが、少しでも予備知識が欲しかった。
「宮殿より、大学のデータベースのほうが充実してるんじゃないかなぁ」
テェアヘペロは役に立ちそうな本をキトラの前に積み上げながら言った。
確かに、皇帝陛下の住まいといっても何でもあるわけではない。
何かあったら命令を出して専門家を呼べばいいわけで、普段読まない蔵書を余計にため込んでおく必要は必ずしもないのだ。
キトラはテェアヘペロが探してくれた本に一通り目を通した。
だが、みんな似たような内容ばかりだった。
「だめだー。オレの知ってる以上の事は書いてないよ。これじゃあな」
「君の先生に連絡を取ってみるかい? ここの通信端末を使えるよ」
「うーん」
キトラがどうしようか悩んでいると、コツコツという足音が近づいてきた。
本棚の影からひょこっと顔を出した少女。
その姿を見た途端、キトラとテェアヘペロは弾かれたように立ち上がった。
木でできた椅子が大きな音を立てて盛大にひっくりかえる。
ノヴァ皇女は二人の反応を見てクスクスと笑った。
「そんな、コメツキバッタみたいに跳ね上がらなくたっていいじゃない。大きな音を出したらみんな起きてしまうわよ」
「ノヴァ様……まだお休みになっておられなかったのですか」
「心配いらないわテェアヘペロ。昼間の謁見の後でいっぱい寝たのよ。だから寝れなくて起きて来ちゃった」
「左様でございましたか」
「キトラと言ったわね。膝、貸しなさい」
「へっ?」
「机が高くて本が読めないの。だから、膝」
ノヴァはキトラを椅子に座らせると、その膝の上に乗ってさっきまでキトラが見ていた本を覗き込んだ。
まつ毛の長い大きな目がくるくると動く。
こんな難しい本、読めるのだろうか。
キトラがそんな失礼な事を思っていると、ノヴァは本の一番後ろのページを開いた。
そこには、本を書く際に参考にした資料の一覧が載っていた。
「あなた、ここに書いてある本はもう見たの?」
「いえ。これは確か……」
ノヴァが指差していたのは絶版になった資料。
何年か前に政府の定期検閲に引っかかり、出版禁止になった本だった。
つまり、皇帝の命令で発禁になったのである。
キトラがその事を口にしようか住まいか迷っていると、ノヴァはキトラの膝からぴょん、と飛び降りた。
「この本、確か父上の部屋にあるわ。ついて来て」
ノヴァはキトラの手をぐいぐいと引いて宮殿の奥へと連れて行った。
廊下ですれ違った召使たちはいぶかしがるような目でキトラ達を見た。
だがノヴァはさらりとこう言った。
「眠れないからお話をしてもらうの。悪い?」
皇帝の寝室はノヴァの部屋の奥だった。
テェアヘペロによれば、何かあった時のため、皇帝は常に一番下の子供を自分の隣の部屋にしているらしい。
部屋の扉を開けると、自動で明かりがついて部屋の中を照らし出した。
まず目に飛び込んできたのは、ノヴァによく似た美しい女の肖像画だった。
「母上よ」
ノヴァは言った。
「北州の州王を兼ねてるから今はここにはいないけれど。父上や私たちが寂しくないようにここに絵を飾ったの」
「お美しい方ですね。皇女様によく似ておられます」
「みんなそう言うわ」
キトラに褒められて嬉しかったらしく、ノヴァは得意げな顔をした。
皇后は元々北州の州王の娘で、王位を継いでから皇帝の妃になったという。
妃となってからも州王の仕事を続け、帝都と北州の州都を行き来する多忙な人物。
皇帝も彼女のその自立した性格を愛し、歴代の皇后にはなかった例外を許しているという。
ノヴァが幼くして聡明なのは両親の血なのだ。
「私はね、皇帝の血と北州王家の血を引く最初の皇帝になる娘なの。だからほら、これが証よ」
得意げにふん、と鼻を鳴らしノヴァが左腕を捲って何かを見せた。
それは、銀の腕輪だった。
そしてそこには……「J‐3093」の表記。
キトラは思わず「あっ」と声を立てた。
プラジアーナの腕にあったものと全く同じだったのだ。
「あら、どうしたのキトラ?」
「いえ、それをどこかで見たことがあるなと思いまして」
「あれでしょ?」
ノヴァは壁に掛けられた女王の肖像画を指差した。
表記は見えないが、細い腕には同じ銀の腕輪がはめられていた。
「お母様とおそろいなのよ。私が北州の正統な血に生まれた女であることの証。すごいでしょ?」
「は、はい」
「まぁ、とりあえず自慢話はこれでいいわね。本を探さなきゃ。確か、ベッドの脇だったと思うけど」
どうしてプラジアーナとノヴァが同じ腕輪をしているのか。
キトラのその疑問は、スッと脇へ追いやられてしまった。
ノヴァはカバーのかかった皇帝の寝台に飛び乗り、壁際の本棚を漁り始めた。
そこには様々な専門書に交じって、子供向けの絵本が何冊もあった。
恐らくここで皇帝はノヴァやほかの子供たちに本を読んでやっていたのだろう。
キトラがそう思っていると、ノヴァがベッドの隙間に挟まっていた本を見つけた。
「テェアヘペロ!」
「はっ」
「これよこれ! 引っ張り出しなさい! 全くもう! 掃除係にちゃんと見なさいって言っておかなきゃ!」
テェアヘペロが引き出した本はかなりボロボロで表紙が取れかけていた。
だが、そのタイトルは紛れもなくあの発禁図書である。
ノヴァはベッド脇のライトを点け、その場で本を開いた。
他の本にはなかったたくさんの図やイラスト。
数ページめくっただけでも、その本がどの資料よりも詳しいのがすぐに分かった。
「先月からずっと、父上が熱心に読んでおられたの。私にも読んでって言っても見せてくれなかったのは、内容が北の大森林に関するものだったからなのね」
「皇帝陛下が、これを?」
「なんかね、『やっぱりこれは表には出しとけないよな』とか、『誰に調べさせるか』とか、ブツブツブツブツよく分からない事を言いながらずーっと読んでたわ」
本には何枚も栞が挟まっていた。
キトラはノヴァから本を受け取り、ベッドに腰掛けて栞の挟んであるページを読み上げた。
そこには驚くべき内容が書かれていた。
本の著者がアーガ族に招かれ、長老から聞いた言い伝えについて。
アーガ族に伝わる伝説であった。
「一族は六族の時代よりはるか昔、『創世の秘密』を守るために森を作った。秘密とはすなわち『記憶』であり、それは『六族の王』にのみ継承された……」
「創世の秘密?」
「一体何の事かしら? キトラ、続きを読みなさい」
本の著者は数年前に亡くなった帝都大学の教授であった。
末尾にある経歴には、若い時に皇帝の教育係を務めたとある。
彼は一年あまりもの間、アーガの集落に留まったらしい。
そして、実に細かく彼らの言い伝えを聞いていた。
「『創生の秘密』は五族の統治が終わったと同時にアーガ族だけが受け継ぐようになった。理由は『神の一族』および『五族の王』がいなくなり、皇帝の統べる四州に新しい王が立ったためである。ゴブリンを除く四族からは、永遠に忘れ去られてしまったのだ」
「キトラ、創世の秘密っていうのに、心当たりはない?」
「分かりません皇女様。ユピテル先生が生きていれば分かったかもしれませんが」
「父上なら知っているでしょうね。この本を発禁にした張本人なんですから」
ノヴァはそう言うと、ベッドの上からぴょんと飛び降りた。
ベッドの向こうには埃よけのかかった棚がある。
それを引きはがすと、そこには最新式の通信端末があった。
「テェアヘペロ、遠征部隊の携帯端末って番号いくつだったかしら?」
「皇女様、陛下に連絡を取られるおつもりですか? この時間では陛下はもうお休みになっておられますよ」
「寝てるんなら起こせばいいじゃない」
「はぁ」
「緊急事態だって言えばきっと怒らないわ。あなたたちは明後日、朝一で出かけなければならないんですもの」
「では明日では……」
「明日は忙しいのよ。いいから、今やるわよ!」
番号を打ち込むと、すぐに画面が待機状態になった。
相手が反応し、顔が映る。
キトラは思わず緊張を覚えた。
威厳に満ちた表情の赤い髪の男。
四角い画面の向こうに現皇帝・ガイオスその人がいた。