【第九話】 皇女ノヴァ
玉座に座る、人形のような少女。
流石のタクティカスもこのような事態は想定していなかったのだろう。
暫くその場で固まってしまっていた。
しかし、皇女の両脇に控える者たちは「さっさと何か言え」という顔でこちらを見ている。
仕方なし、という様子で彼は話を始めた。
「まずは……皇女ノヴァ様にご報告申し上げます。昨年の十二月、そして今年の三月、我が南州より古代の王と思われる二つのご遺体が発見されました。そのご遺体の特徴は……」
タクティカスが説明をするのを、皇女はじっと聞いていた。
ノヴァはどう見ても十に満たない少女である。
こんな大人の話が分かるのか。
キトラがそう思っていると、皇女は口を開いた。
「では、結論から聞くわ。あなたたちはつまり、皇帝に古代の王だったダーガーン、そしてアーガに人としての権利を与えて欲しい、という事なのね」
「は、はい」
「なるほど。確かに、あなたたちの言い分は分かるわ。自分のご先祖様の可能性がある王様が人として認められない一族、というのは確かに王様としては嫌なものよ。でも」
ノヴァはそう言って視線を上げた。
その先にはミガトがいた。
「この話を、ダーガーンやアーガの人たちに相談しないのはどういう事かしら。権力者の勝手な都合で自分たちの立場を変えられて、あなたはどう思う?」
ミガトは急に自分へ質問を向けられ、一瞬戸惑う様な素振りを見せた。
事前の打ち合わせでは、謁見の間での質問は全て大使のタクティカスもしくはミイレンに向けられることになっていたはずである。
だが、ミガトは皇女を見ると、その目をしっかりと見て、ハッキリとした口調で話し始めた。
「……確かに、私たちは類人種として様々な差別を受け、人として認められずに虐げられて、長い間苦しんで参りました。この度、皇帝陛下が我々の立場をお認めくださり、ダーガーン一族に人間としての立場をお与えくだされば、これ以上嬉しい事はありません」
「そうでしょうね。でも、それはあなた自身の答えなの?」
ノヴァはミガトの顔をじっと見返した。
ミガトの言ったのは当たり障りのない一般論。
しかし、ノヴァの言い方はそれを咎める様な口調だった。
「ミガト、といったわね。私はあなた自身の気持ちを聞きたいわ」
「私は……」
「遠慮せずに言いなさい。あなた、まだ自分自身の本音を言っていないでしょう?」
ミガトの額を汗が伝った。
図星を当てられてしまった、という様子が表情を見なくても伝わってきた。
一般論とは違う、ミガト自身の本心が他にあるのだ。
ノヴァには人の心を見通す力でもあるのだろうか。
キトラはそんな風に思ってしまった。
「私は……」
ミガトは絞り出すような口調で言った。
「ダーガーンが人か類人種かという事は、さほど重要と思ってはおりません」
皇女の傍にいる者たちが「何を言うのか」という顔をする。
ノヴァは片手をあげ、ざわめく彼らに対し「このまま話させなさい」という意を示した。
「我々が人と認められることを快く思わない者もいます。我々の立場が変わっても、その心の中までをも変える事は出来ないでしょう、しかし」
ミガトはキトラの方をちらりと見た。
「逆に我々ダーガーンが類人種とされたままでも、共に歩み、痛みを分かち合ってくれようとする者たちもいます。ここにいる私の友は、私の仲間が先に起きた大津波で被害を受け、苦しんでいることを理解し、協力を申し出てくれました」
友。
そう呼ばれた事に、キトラは若干の照れくささを感じた。
だが、ミガトの言葉には何の迷いもなかった。
会ってまだ僅かの間。
それでも自分たちの間には確かな信頼関係が生まれている。
己の口でそう主張するミガトの口元には僅かに笑みが浮かんでいた。
「また、この者たちに、私は命も救われました。彼らのように私たちに向き合ってくれる友がいるのなら、私は人か人でないかなど、他人にどう思われようが構わないのです」
最後の言葉を、ミガトは噛みしめるように言った。
「真に必要としているのは、共に生きる者としての、『理解』なのです。私はこれからも一族の仲間が以前のようにあの海で平和に暮らせるならば、そしてかけがえのない友と心を通わせて生きて行けるのならば、それ以上の幸せはないのです」
心からの正直な言葉だった。
ミガトの言葉に何の嘘偽りもない事を認めたのだろう。
ノヴァは満足そうに頷いた。
「花の海が津波に襲われた事はもう、既に父上の耳に入っています。ミガト、あなたたちにとっては、そちらの方がまず大事でしょう」
「はい、皇女様」
「今ここに陛下がいないのは、実はその事も関係しているの。ミイレン大佐、あなたが連れて来た人たちは、北の大森林を調査したいのよね?」
ミイレンは深く頭を垂れ「はい」と返事をした。
実は皇帝側には既に、当日話をする内容を送ってある。
皇帝一人では判断できない事をあらかじめ専門の家来に見せ、ある程度の見解を作らせておくためだ。
いわゆる「根回し」というものである。
ノヴァは傍にいた者に命じて南州が用意した資料の束を持ってこさせた。
そしてそれを数ページめくらせ、何かを読みながらこう言った。
「さっき来た西州の大使も同じようなタイミングでそんな事を言ってきたの。北州や東州はもう何度も来ているわ。花の海で起きた大津波の原因……北の大森林の謎の大爆発は、全世界的に影響を及ぼしているのよ」
謎の大爆発による全世界的な影響の発生。
キトラは驚きつつも、当然なのではないかという考えでいた。
大津波を起こしてしまうほどの衝撃だ。
他に何もなかったわけはない。
ノヴァは跪いたままの一行を前に話を続けた。
「大森林に近い北州や西州の一部では地震があって、被災地ではたくさんの家や大きな建物が倒れたそうよ。父上は地震の発生から何度も現地に足を運んでいるわ。今回もそうなの」
「他州の被害について、私どもも既に聞き及んでおります、ノヴァ皇女様。皇帝陛下はこの度の事に、大変胸を痛めておいでであると」
「東州は地震の対応で手いっぱいで、恐らくダーガーン族を探すように命令しても海の捜索までは手が回らないでしょう。皇帝の直属軍を派遣します。すぐに州境を越えて、全ての海を調査しましょう。タクティカス大使」
「はっ」
「南州軍にも協力を要請します。州王にそう伝えるように」
「かしこまりました、皇女様」
「大臣も聞いていたわね? すぐに支度をしてちょうだい」
皇女の発言は即座に命令となって臣下に伝わった。
勲章をいくつもつけた男がノヴァに深々と頭を下げ、足早に謁見の間を出て行った。
名乗りはしなかったが、関係する部局のトップのようだった。
ミガトはその場で深く頭を垂れ、声を震わせた。
「感謝申し上げます、ノヴァ皇女様。ダーガーンは強い一族です。行方の分からなかった者も……これで何人もが無事に生きて戻ってくることができるでしょう」
「ここまでさぞ大変な思いをしたことでしょうね。もう大丈夫」
ノヴァはミガトにいたわる様な口調で語りかけた。
「一族が戻ったら、また改めて今後の事を話しあいましょう。じゃあ、次は森の件ね」
「はっ、では申し上げます」
最後はキトラ達の件である。
ミイレンが進み出て、今までの経緯を説明した。
途中、リンがいくつか専門的な話を交えて説明した。
ノヴァは専門用語が出てくる度に何度も質問していたが、どうやら大筋を理解したようだった。
「ミイラを持って行かれてしまった理由はよく分からないけど、確かにこのまま何もしないのはよくないわね。良いでしょう。南州軍の承認があるのならば、森へ入ることを許可します」
「ははっ。ありがとうございます」
「ただし、条件があるわ」
皇女が合図をすると、奥でずっと出番を待っていた男が進み出て、彼女に一礼をした。
皇帝直属部隊の隊服を着た若い男。
すらりとした長身で、涼しい目をした青年だった。
ウェーブのかかった栗色の髪は肩近くまで伸び、ふさふさした茶色い耳がピョンと飛び出ている。
どうやらルーデンスとクウォールのハーフらしかった。
「テェアヘペロよ。普段は私の護衛隊長を務めているの。ミイレン大佐、テェアヘペロをそこにいる者たちと一緒に行かせなさい」
この事は事前に打ち合わせていなかったのだろうか。
皇女の周囲にいた者たちがどよめいた。
「ノヴァ皇女様! それはなりません! テェアヘペロがお傍を離れる様な事があっては、万が一の時に危険です!」
「ならほかに適任の者がいて? 精鋭はみんな父上について行ってしまって、お城で頼れるのはテェアヘペロしかいないじゃない」
「南州から誰か出させればよろしいのです! わざわざ皇女様のお傍にいる者を行かせるなど!」
「口を慎みなさい! これは皇帝陛下のご命令でもあるのです!」
ノヴァはきっぱりとした口調で言った。
「父上が出がけに言ったでしょう。もしも今回の事で北の大森林のアーガ族に会うような事になれば、必ず直属の軍から最低一人を交渉役に付けるようにって」
「はっ……しかし」
「そんなに心配なら、分かったわよ。テェアヘペロ」
皇女は護衛隊長の方を見た。
「あなたがいない間代わりを務める者を指名しなさい。父上が私を留守番役に指名したように」
「かしこまりました」
テェアヘペロは深々と頭を下げ、周囲を見回した。
そしてなぜか、さっきまで皇女と会話していたミガトの方を見た。
じっくりと、吟味するような眼差しだった。
その目は暫しミガトを見つめると、再び皇女の方に向いた。
「あそこにいるダーガーンの青年を。彼を私の代わりに置いておきます」
謁見の間は再びどよめきに包まれた。
ミガトに至っては、キツネにつままれたような顔をしている。
ノヴァはぷっと吹き出し、そして大声で笑い始めた。
「あっはっはっはっは! 流石はあなただわ! よろしい、そうしましょう!」
「はっ」
「お、皇女様!」
「聞いたわね、ミガト。あなたを今日付けで私の護衛隊長に任命します。しっかり励みなさい」
「は……はい、しかし皇女様……」
「私の傍にいれば、仲間のダーガーン族の人たちにすぐ会えてちょうどいいじゃない。違う?」
「……おっしゃる通りです」
「じゃあ、話は以上。後はテェアヘペロが説明するわ。一旦下がって指示を待ちなさい」
謁見の間の中は抗議する者たちの声でまだかなりざわついていた。
だが、皇女はケラケラ笑いながら玉座を飛び下り、そのまま出て行ってしまった。
困ったのはミガトである。
あろうことか突然皇女の護衛隊長に任命されてしまったのだ。
「キトラ……これは一体どういう展開なんだ」
「オレに分かるわけないだろ」
「ノヴァ皇女か。幼少の頃より恐ろしいほど利発な方と聞いていたが、まさかあんな風にお出ましになるとはな」
タクティカスは首を振っていた。
西州の大使は皇帝ではなく幼い皇女が出てきて対応した事にげんなりして帰ってしまったらしい。
しかし、ノヴァの堂々とした振る舞いや的確な指示の出し方は「子供」という彼女の外見を完全にどこかへ跳ね飛ばしてしまうものであった。
父である現皇帝が信頼して仕事を任せた事に対し、万人が納得せざるを得ない完璧な職務遂行。
もちろん、南州代表としても、今回の謁見について何の不足もない。
タクティカスもこのまますぐに州王に報告するべきと考え、いそいそと帰り支度を始めた。
「ダーガーンとアーガの身分についての件は保留。まずは行方不明のアーガ族の捜索を開始せよとのご命令があった、という事で州王陛下にご報告できそうだが、あとはどうする、ミイレン大佐?」
「私たちは帰ってすぐにダーガーン族の対応に当たることになるだろう。海軍も今は忙しい。コゴミの対応は軍の手を離れるし……うちの部隊が応援に引っ張られる事になろう。いつもの事だ」
「そうですな。では、例の件は何と?」
「まぁ……『ドッキリ』の件はテェアヘペロ殿の話をお聞きするしかないだろうなぁ」
「ドッキリ」とはミガトの件である。
南州公認の者として北の大森林に送りだそうとしていた者が、突如として皇女つきの護衛隊長に任じられてしまった。
この「サプライズ人事」の扱いばかりはタクティカスにもミイレンにもどうしていいか分からない。
控室で待っていると、三十分ほどしてテェアヘペロが女を一人連れて顔を出した。
女は城に仕える侍女らしく、その手にはテェアヘペロが着ているのと同じ服があった。
テェアヘペロはそれを受け取ると、ミガトの前に差し出した。
「さっき謁見の間で聞かれた通りだ。僕の代わりに、皇女をお守りしてくれ」
「お、お待ちくださいテェアヘペロ様! 一体これはどういう事なのです!」
「僕は君をよく知っているんだよ、ミガト」
テェアヘペロは茶色いふさふさした耳をぴんと立て、にっこりとほほ笑んだ。
「ダーガーンの長に仕える戦闘部隊の前隊長だ。うちの軍隊で考えれば、『将軍』ってとこかな?」
「は……」
「ものすごく優秀で、勇敢で、強くて、行動力のある人だっていうじゃないか。人材不足に悩む中央政府軍にとって、まさしく喉から手が出るほど欲しい人材とはこの事だよ」
将軍。
その言葉を聞いて、ミイレンとパレンキアーノの表情が変わった。
ミガトはバツが悪そうに目を伏せた。
キトラやプラジアーナもこれは初耳である。
どうやらこの事について、ミガトは隠しておきたかったらしい。
何だか諦めきったような顔でため息をついた。
「テェアヘペロ殿……どちらでそれを知られた」
「皇帝直属軍を舐めたらいけないよ。ちゃんとダーガーンの一族の情報は最新で把握してる。君がここに来る直前に、仲間が泣いて止めるのを振り切って隊長を辞めちゃったって事もね」
「なるほど……そこまでご存知でしたか」
「皇女様は聡明なお方だ。ここだけの話、皇帝陛下のお世継ぎになる事がほぼ決まっている」
テェアヘペロの目がきらりと光った。
ミイレンとタクティカスが顔を見合わせた。
皇女つきの護衛隊長の口からこの言葉が出たという事は、かなり確定的なのだろう。
長子ではないノヴァが帝位を継ぐ。
この事はまさに大スクープだった。
仰天する者たちをちらりと横目で見ながら、テェアヘペロは言葉を続けた。
「さっきのやりとりを聞いていて、ミガト、君にならあの方をお任せできると確信した。皇女も大変お喜びになっている。僕が戻ってくるまでの間だけでいい。ノヴァ様を頼む」
「承知した。どうなるかは分からないが……そこまで自分に期待していただけるのは身に余る光栄。謹んでお受けいたそう」
「ありがとう。僕も、責任を持って君の代わりを務めよう」
テェアヘペロの手から、隊服がミガトに手渡された。
ミガトが行けなくなったことを、キトラは少し心細く思った。
しかし、皇女の命令ならば仕方がない。
北の大森林に向かうメンバーは交代し、テェアヘペロが代わりにキトラ達に同行することになった。
果たして、このテェアヘペロという男とは上手くやっていけるのだろうか。
この時はまだ、キトラの胸は不安でいっぱいだった。