第四部・破滅の救済編 (4)
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天に浮かぶディタと地に立つトモエ。
両者はしばらくの間睨み合っていた。しかし、静寂は突如破られた。ディタが上空から地に向かい迫ってくる。トモエも跳んだ。ふたりの距離が縮まってゆく。ディタが長い爪で攻撃をしかけた。トモエは大幣をなぎ払う。
ガキィン――!
爪は割れ、彼方へと消えた。トモエは手でかぎづめの型を作り、ディタの胸元めがけて突き立てた。グモッ、と手がディタの胸にめり込んだ。「うっ……!」とディタが呻く。トモエが腕を引き抜いた。その手には、黒いもやのかたまりが握られていた。それこそが、ディタの心も身体も侵していた悪意の化身、その本体であった。
トモエは天に向かってそれを放り投げた。それは重力に逆らって、雲の渦の中心へと落ちてゆく。トモエは大幣を天に掲げた。中心の祓串の周りにある無数の紙垂の1本1本が、あたかも生きているかのようになびいている。
「やあああああああああああああ!!」
トモエが叫んだ。大幣の先端から眩い光線が飛び、雲の渦へと入ってゆく。一拍後、激しく光がスパークした。とぐろを巻く雲は、中心から徐々にばらばらになり、眩しい光がそれにとって代わる。
やがて、世界は真っ白になった――。
――
ソーホーは眩しさに閉じていた目をゆっくりと開けた。すると世界は、先ほどまでの暗黒は消え失せ、従来のような平和的な青さを取り戻していた。
空から、トモエがディタを抱いて天から降りてくるのが見えた。トモエはすでに巫女モードを解き、もとの魔法少女の姿に戻っていた。
「ディタ!」
ソーホーは彼女たちのもとへと駆け寄った。イエガーやスミノフもそれに続く。トモエは地面へと降り立ち、ゆっくりとディタを下ろした。
「おい、ディタ、大丈夫か!?」
ソーホーが彼女の肩を揺すると、ディタはゆっくりと目を開いた。
「……ソーホー?」
ディタはあどけない表情を浮かべながら、ぽつりと云った。心を巣食っていた悪意は、完全に消え失せていた。
「ディタ、良かった――」
ソーホーの目から涙がにじみ出た。ディタはソーホーに抱きついた。
「ごめんなさい、あなたまで巻き込んでしまって」
「もういいんだ。そんなこと――」
ソーホーの言葉に、ディタの目からも涙が溢れた。ふたりはそのままで、高ぶる感情が収まるのを待った。
「立てるか?」
それから、ソーホーはディタに訊いた。ディタは彼の肩越しにこくりと頷く。そして、彼の介助を受けながら立ち上がった。
立ち上がったディタに、スミノフは真摯な眼差しで云った。
「ディタ姫、すまなかった。あなたをさらった上、あんな目にまで遭わせてしまって」
ディタは首を横に振って答える。
「いいえ、あれは私の望んだことでした。すべてはアマレットとドランブイ、そして私で仕組んだことだったんです。行き詰まった世界に道を開かせるには、絶望の試練を与えるしかないと私たちは思っていました。それで私自身が魔物となり、この地上世界に地下世界の悪意を持ち込んだのです。ですから、むしろ謝るべきは私です。私がみなさんを巻き込む形になってしまったのですから。でも、あなたたち魔物を救いたいという想いからやったことだったということは、どうか分かっていただきたい――」
スミノフは何度も何度もうなずいてみせた。
「ええ、ええ。それはよく分かっています」
その様子に、ディタは安堵の笑みを浮かべた。そして、話を続けた。
「長年、地下世界に住む魔物たちが、この世の悪意の一切を引き受ける役割を担っていました。つまり、私たち人が清らかに生きるための犠牲となっていたのです。でも、私はそんな時代はもう終わりにしたい。人と魔物が共に幸せに暮らせる世界を創りたい。実現までには長い年月がかかるかもしれません。でも、人と魔物が互いに理解し合い、歩み寄っていければ、いつかきっと、それは叶うと思います。私はレイシー王国のじき女王として、そんな世が創れるように、尽力していきたい」
スミノフは感動で、目頭が熱くなるのを感じた。
「ディタ姫は、本当に我々のことを思いやってくださるのですね――。分かりました。これからは協力し合って、人と魔物が共存できる世を築きましょう」
スミノフがそう云ったところへ――、
「ディタ、私も手伝おう」
ソーホーが声をあげた。
「私も今回のことでよく分かった。人も魔物も変わりはなく、この世界で生きているのだということを。それなのに、私はずっと魔物を下賤な者だと差別していた、ということにも気づいた。自分のことを恥ずかしいと思う。――これからは、君の夢を叶えるため、一緒に歩んでいきたい。君もそう思うだろ、イエガー?」
ソーホーに話を振られ、イエガーも「ああ」と応えた。
「俺も友人として、お前たちふたりを応援していくつもりだ」
ここで、ディタはなぜか急に顔をうつむかせ、寂しそうに云った。
「ありがとう――。でも、ごめんなさい」
続けて彼女が口にした言葉は、驚くべきものだった。
「ソーホー、私、あなたとは結婚できないわ」




