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第四部・破滅の救済編 (3_2)


 視界の中のディタが急に大きくなった、と思った瞬間、トモエは鼻先にねじ込むような痛みを感じた。ディタは瞬間的にトモエに迫り、ひじ打ちを喰らわせたのだ。トモエはその場に倒れ込む。ディタは彼女の上に馬乗りになり、肘で首元を押さえこんだ。


「トモエ――!!」


 ソーホー、イエガー、スミノフの3人は、トモエを救わんと飛びかかろうとした。


「動かないで!」


 しかし、ディタの鋭い叫び声に、ぴたりと動きを止めてしまう。


「忘れないで、あなたたちを葬り去ることくらい、何でもないのよ……!」


 その声や表情には、心なしか余裕がないように思えた。ディタはふたたびトモエの方へと顔を向けた。


 トモエは激痛のあまり、目を開くことができなかった。そこへ、

「トモエさん……」


 耳に弱々しい声が届いた。思わず目を開くと、悲しく歪むディタの顔があった。


「お願い、私を殺して――」


 ディタはか細い声でそう云った。しかし、その表情はふたたびまがまがしい笑みへと変わってゆく。トモエは理解した。ディタは迷っているのだ。本来の清らかな心と邪の心の狭間で――。トモエの言葉が、彼女の心に隙を与えたのだ。


 トモエは力を解放し、ディタを押し返した。彼女は数歩あとずさり、踏みとどまった。


「くっ」


 ディタは顔を歪ませ、空へと飛び上がった。逃げるようには見えない。とすると、上空から何か攻撃を仕掛けてくるつもりなのかもしれない。だが、彼女の表情に先ほどまでの自信は消えている。形勢逆転――、勝利の可能性さえ十分にあると思えた。けれど、そこには問題が残されていた。


「お願いだ、ディタを殺さないでくれ!」


 ソーホーが叫んだ。そうなのである、彼女を殺すわけにはいかないのだ。だが、手かげんをして勝てる相手ではない。おまけに、ディタを殺したところで、すべてが解決するわけではなかった。この世界は、今もディタの放出する悪意に侵され続けている。本体を倒したところで、悪意は残り続け、やがては世界を破滅に追い込むだろう。


(どうすればいい――?)


 トモエは考えた。そして、はっ、と思いついた。先ほど声を聞いた自分の分身、あれと戦った際、トモエはいかにして勝利をおさめ、なおかつ彼女を救うことができたのか――。


(救済の力!)


 トモエは思った。閉塞した彼女の魂を救ったのは、文字通り救済の力であった。今、この世界に希望の道は限りなく閉ざされていた。状況を打破するためには、同じ力をもって対処するより外はない。



 ――トモエ、正気か?――



 マオの声がした。



 ――今、救済の力を使うことがどういうことなのか、そなた分かっておるのか? そなたはこれまでの戦いで相当魔力を消耗しておる。その上、この世界に広まった悪意は膨大なものじゃ。わらわとイチコがいくら力を貸したところで、この世界を救済するだけの魔力を使うとなると、確実にそなたの魔力は枯渇するじゃろう。もしかしたら、この世界から消えてしまうリスクは格段に高いぞ――



 トモエは「うん」とうなずいた。落ち着いた口調で応える。


「分かってる。でも、この世界を救うには、もうそれしかないんだ。そのために犠牲になる覚悟なら、私にはもうできてる。……マオたちはどう? 私と道連れになってもかまわないかな――?」


 トモエはマオたちに訊いた。自分がひどく残酷な申し出をしていることは、彼女自身もよく分かっていた。



 ――……まぁ、わらわたちはかまわんよ。のう、イチコ?――



 だが、マオはあっけらかんとした口調で答えた。続いて、イチコも答える。



 ――うん、私たちは、トモエのために魂を捧げた。だから、最後までトモエについていくつもりだよ。たとえ、自分が消えることになっても――



「ありがとう、マオ、イチコ――」


 トモエは背筋を伸ばし、空を見上げた。大蛇のようにとぐろをまく雲はなおも大きくなり、空を完全に覆い尽くしていた。その中心に、羽を広げてたたずむディタの姿が見える。トモエはぐっと拳に力をこめた。残っているすべての潜在魔力を解放し、第二形態へと変身を遂げる。


 通称、巫女モード。命名の理由は、神社で見かける巫女のような格好だからという安直なものであったが、思えば名付け親は高島アイラだった。極限まで力を高めることに集中する傍らで、トモエはそんなことをしみじみと思い出した。


「さあ、私のすべての力を、この一撃にかけるよ――!」


 剣から変形した大幣をトモエは天に掲げた。自分でも不思議なくらい、心は落ち着いていた。興奮し昂る感情を、もうひとりの自分が静かな目で眺めているようだ。トモエ自身の最後の戦いになるかもしれないという、覚悟がそうさせているのかもしれなかった。


 いずれにせよ、これがトモエの最後の攻撃になることは、間違いなかった。


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