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◆Christ Alarm◆2◆  作者: 五木 萩
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◆LordlyCriminal

【LordlyCriminal】


「――…事故?」


『ええ。帝都イザヴェルの役府はそう発表したわ。

バルカシオン公爵の死因は、不幸な事故よ』


風を切る音と車輪の音に紛れながら、しかし掻き消されることのない明瞭な、幼い少女の声。

その声が告げた内容に、深みのあるバリトンの声が怪訝そうに返される。


「いろんな方面から疑われるぞ」


『そうね。けれどどういう発表をしても、疑惑は生まれるわ。だとすれば、いっそ見え透いた嘘の方が返って角が立たないのかもしれない。

“暗殺”と発表してしまうと、犯人捜しが始まってしまうもの』


「始まった方が帝都の連中には都合がいいんじゃないのか? クローディア側の誰かしらを陥れるチャンスだろ」


『そうね。けれどそれは、帝都側に弱みがなければ、の話よね』


「――…あ? なんだ、何か探られて痛い腹でもあるのか?」


男の疑問符に答える少女の声は、淀みもしない。ただ機械的に、言葉を紡ぐ。


『バルカシオン急死の前日に、旧国境地帯を守る任に就いていたはずの彼の息子が帝都に入っているの。名前は言わなくても分かるわよね?』


「……フラヴンケル?」


バルカシオンの末子。東の旧ログクロートとの国境を守る警備隊の最高司令官。つい最近、別の任務に就いていた仲間からその動向が報告されていた。


「……聖地ヴァナディースを発って、すぐに帝都に向かった計算になるな。なかなかのフットワークだ」


『そしてバルカシオン急死の直後から、彼は消息を絶っている』


「――…つまり?」


『バルカシオン殺害の、最有力容疑者というわけ』


「……なるほど。“事故”と発表したくなるわけだ」


犯人が不明ならば、クローディア側に容疑をかけることが出来る。それが政争における常道。

だが、明らかな容疑者が身内にいるとなれば。


「“暗殺”と公表してクローディア側に疑いの目を向けさせれば、当然クローディア側は疑いを晴らそうと調査の手を伸ばす」


『いくら隠し通そうとしたところで、フラヴンケルが帝都を訪れたという事実は事実。調べられれば必ず明らかになるわ。

ならば“事故”ということにしておいて、疑惑じたいを疑惑のままにしておいた方がまだまし。


無言のままの疑惑、形なきままの疑惑をクローディア側に向け、表向きは波風を立てずに。

民衆心理に訴えるならば、あからさまにクローディア側に疑惑をかけるよりも効果的かもしれないわね』


「だがそれは、フラヴンケルの容疑を隠し通せた場合だろう」


『そうね。彼がバルカシオン殺害の犯人と断定されれば、全く意味のない計らいだわ』


「――…消息不明、なんだな?」


『今のところはね。既に死亡している可能性もあるけれど、やっぱりまだ生きていると思う。だって隠す必要がないもの。

バルカシオン殺害容疑の真偽はどうあれ、もしフラヴンケルが既にこの世にいないのなら、表向きには父親の死因の巻き添えで死んだとでも言い張ればそれで済む話だわ。別に病死だっていい。

それをしないのは、やはり彼がまだ生きていて、バルカシオン殺害の容疑が濃厚なのだからだと思う』


「……だとすると、時間の問題だな」


『ええ。真偽はどうあれ、身内に容疑者がいる状況などあってはならない。疑いはクローディア側の上になければならないわ。真相なんてどうでもいい。

帝都の中枢は、フラヴンケルに生きていられては不都合でしょうね』


ふむ、と、男が小さく声を吐く。


「だが、となるとフラヴンケルはバルカシオンの死の真相を知っている可能性が高いわけだな? 本人が犯人である場合も含めて」


『そうね。少なくとも、世間に公表されている事実よりは余程信頼できる情報を持っていると思うわ』


「ファントム・コードよりも確かな情報を」


その指摘に、一瞬少女の返答が遅れた。


『……ええ、そうよ』


感情を持たないはずのその少女の声に、どことなく不機嫌な色が滲んだのは気のせいだろうか。


『ファントム・コードは、《軸の歴史》におけるバルカシオン暗殺の真相を掴んでいない。その直後に《ルビー・エーテル》によって世界が滅び、一国の政争など取るに足らない出来事になってしまったから』


「バルカシオンの死は、ルビー完成の一因を担っているだろうか」


『判らないわ。ただ推測の域で話をするならば、担っていると思う。

あまり確信のないことは言いたくないのだけれど』


「時には賭けも必要だ」


そう言って、男は不敵な笑みをその声に浮かべた。


「ライズがいま帝都に近い位置にいるだろう」


『ええ。とはいえ、帰路は半分を切っているから、近いと言えるほどでは……』


「あいつに伝えろ。本人はそのままアジトに帰還するためにキリエ達と同行していていい。

ただ、サンディを可能な限り分裂させて帝都を中心に散らせ。


目的はフラヴンケルの捜索、そして確保だ」


『――…異論はないわ。すぐに《通信》を開始しましょう。


ロイド=オートリンク、貴男はそのまま《虹姫》達を護衛して、一刻も早く帰還して頂戴。歴史の流れが大きく乱れ始めた今、彼女の安全の確保は最優先事項だわ』


「了解。言われるまでもなく、全速力で向かってる」


車輪の音が、夜の空にけたたましく響き渡る。

後から見れば、それは2台の馬車が残してゆく轍だった。しかし、それを引いているのは馬などではない。


1台はまだいい。馬ではないが、獣であることに違いはないのだから。

全力で疾駆するそれは、灰色の毛並みの大狼だった。


『おい旦那、どうした? スピードが落ちてるぜ』


それはその大狼の声だったが、当然、喉からの発声ではない。

そしてその狼が視線を向けた先で馬車を引くのは、とんでもない“生き物”だった。


『問題ない』


『まぁ、今のあんたの姿以上の問題なんてないわな』


それは馬車と言うより、人力車と言った方がまだ近いかもしれない。ただ“近い”というだけで、まだ正確ではない。

車を引いているのは、首のない黒ずくめの偉丈夫だった。ゴーレム化した姿のロイドだ。


(さて、中の連中に説明しておくべきか)


真っ先に頭に浮かんだのはユーリンの顔だった。

バルカシオン急死に関する情報は、少しでも詳しく、一刻も早く知りたいはずだ。彼女にとっては大まかな意味で他人事ではない。


(とは言え、先を急ぐ道行きだしな――…)


ロイドはゴーレムと分裂出来る。ゴーレムに車を引かせたままロイドだけ車に戻ることは可能だ。だが大の男1人の体重が加われば、当然ながら車の速度は少し落ちる。


それに、正直を言えば面倒だった。


(確定してる事実はない)


公表された事実が真実かどうか、確かめる術などありはしない。この状態なら尚更だった。

先を急ぐ今、推測しかない議論をするためにわざわざ馬車に戻るのも馬鹿馬鹿しい気がした。


(……先を急ぐ方が優先だな)


面倒なだけではなく、合理的に考えてもそれが最善だろう。


僅かにだが、ロイドが速度を上げた。

強健な足で地を蹴りながら、周囲の空気を置き去りにしてゆく。灰狼のドルサックが、慌ててその後を追った。


***


――…ロイドからの指令は、すぐにマリーエレメントを通して別の任務からの帰途にあるライズへと伝わった。


「相変わらずボスは人遣いが荒いねぇ。ゴーレムの分裂って、けっこう気力使うんだけど」


『お願い』


口調こそ大人びているとはいえ、マリーの幼い声での懇願にライズは苦笑した。


「オーケイ、言われたことはやっておく」


床一面にクッションを敷き詰めた馬車の中、胡坐で座るライズと向かい合うようにして並ぶのは、キリエとイヴの2人。

マリーと会話をしているのはライズだけだが、《回線》自体はキリエとイヴにも開放されているため、話の内容は2人にも聞こえていた。


会話が終わったのを確認して、キリエが口を開く。


「――…事態が、どんどん悪い方向へ進んでいってる気がするわ……」


ライズが頷く。蒼穹の瞳が怜悧な光を宿した。


「俺も同感。東の国境、マジでヤバイな」


フラヴンケルは有力者の子息としてありがちな、名目だけで要職に就いている男ではなかった。彼は国境警備就任当初から、軍事には才覚を示している。


「バルカシオンは軍人としては一流だった。その優秀な部分を一番色濃く受け継いだのがフラヴンケルだと、世間ではもっぱらの評判だ。

彼は中枢の政治には関わっていないから、父親のような悪評もない。むしろ暴君として評価されている父親の庇護の外にいる分、他の兄弟より印象がいい。あくまで比較的、だけど。


もしもフラヴンケルが父親を討った容疑で後継者候補から外されるなら、少しばかり惜しいことだな」


そのライズの呟きに、イヴが少し首を傾げた。


「お前はフラヴンケルの容疑を確信してるのか?」


「ん? ――…ああ、そう聞こえた? だったら早とちりだよ。流石にそこまではまだ分からない。俺はフラヴンケルの人柄どころか、顔も知らないんだから」


「――…まぁ、それもそうだな」


ライズが腰を浮かせ、窓を開けた。形のよい指先を風にさらすようにして窓の外に差し出すと、黒い蝶がどこからともなく現れ、その指にとまる。


「さて……、言った通り、捜すと言っても俺は対象の顔を知らないわけなんだよね。キリエは知ってるんだっけ?」


「えぇ。遠目で見ただけだけど」


「どんな感じ? 誰かに似てる?」


問いかけられ、キリエは少し考えるように視線を天井に留めた。


「似てる人は思い浮かばないけれど……。グレンよりは優しい顔つきよ。けれど貴男よりは凛々しいわね」


「美男は美男?」


「そうね、そう言って障りないと思うわ。

けれど貴公子と言う感じではなかったわね。貴族らしく着飾るのは似合わないわ、きっと。私が見たのは兜冑姿だったけれど、それがとてもしっくりきていたから」


「背は」


「グレンよりは高そうに見えたわ。ボスほどの長身ではないけれど、体格じたいは近いものがあるかもしれない。屈強ではなく、均整が取れていると言うのかしら、そんな感じ。

髪は黒くて長かったわ。そのときは私と似た感じの髪型だった」


そう言って、キリエは後頭部の高い位置で結った自身の髪を示した。


「なるほど。……決定的な特徴はないね、どうも」


キリエが複雑そうに眉をひそめる。


「私も知り合いじゃないもの」


ほんの少し拗ねたようなキリエの口調に、ライズが宥めるようにヘラヘラと笑った。


「いや、別に責めてるわけじゃないよ。知り合いだったとしても、その場にいない他人の外見を言葉だけで正確に伝えられる人間なんていないさ」


「……なんなら絵に描いてみる? 特徴だけでもおおまかに」


「いや、それでイメージが固まっても良くない。髪型なんていくらでも変わるし、刺客に追われてるとしたら、変装くらいするかもしれないからさ。

結局、直感に頼ることになるかもね」


言って、ライズはキリエに向かって訊ねた。


「オーラ、みたいなものはあった?」


「は?」


キリエが口を開け、その隣のイヴも怪訝そうな表情を見せた。


「いやいや、そんなポカンとしないでよ。あるだろ、何だかんだ、そういうのって。

他人とは違う、っていう雰囲気。顔つきとか服装とかは平凡でも、やっぱり目を惹く何か」


「言ってることは分かるけど――…」


「じゃあ単純に、キリエは彼を見てどう思ったか。

好きか、嫌いか、そのどちらかでしか評価できないとしたら、どっち?」


「――…」


キリエはしばし考えこむ。頭の中に、聖地の神殿で見たフラヴンケルの姿を思い浮かべた。


彼は馬車から輿に乗り換えるところだった。神殿に入るためにそんなものを使うなんて、彼の地位を考えれば当然の待遇なのだが、やはり好意的になれない。

だが合間に見えた彼の姿、その表情には、多くの貴族が漂わす傲慢な雰囲気は見えなかった。


それが印象的だった。


「……本当にどちらかでしか答えられないのなら、好き、でしょうね。

嫌な感じはしなかったわ。あくまで遠目で見た印象だけど」


「了解」


ふわりと笑んで、ライズは指先の蝶の羽根を中指で撫でた。キリエが複雑そうな表情で身を乗り出す。


「あまり当てにされても責任は持てないのだけど」


「そこまで当てにはしてないよ、目安程度。だって他に知ってる人がいないんだから、キリエの印象を参考にするのはやむを得ないことだろ?」


そう言う間に、ライズの指先では漆黒の蝶が一片、そよがすように羽根を揺らした。

その羽根には、模様に見える瞳が一対。長い睫毛のそれが、ゆったりと瞬きをする。


「……“開開ひらひら羽ばたけ、晩夏の蝶よ”“御霊を運べ、みぎわたもとに”」


囁くようなライズの音楽的な独白に、キリエとイヴが怪訝そうな表情を見せた。


「何、それ?」


「ん? 特に意味はないけど?」


その答えに、キリエが呆れたように肩をすくめる。馬車の中の芳香とキリエの髪が、開かれた窓から流れこむ柔らかな風に揺れた。


「……戯れにしては趣味が良いわね。深い意味を勘ぐられるから、控えた方がいいわよ」


「褒められてるのか、けなされてるのか」


笑いながらそう言って、ライズが再び指先を振る。払い落とされたかのように指を離れた蝶が、風の上に置き去りにされた。


だが次の瞬間、その漆黒の小さな影が膨れあがって煙のような様相を呈した。それは一瞬にして生み出された、無数の黒蝶の群れだった。


「さ、お行き、サンディ」


黒い霧のように、粒子を散らすようにして黒蝶たちが空へ舞う。


――…一路、西へ。


***

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