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◆Christ Alarm◆2◆  作者: 五木 萩
4/31

◆見知ラヌいのちト、見知ラヌこころ

***


――…時代は現在に戻り、リーヴダリル暦410年。

この夏、亡き先帝ヘルヴァルドの弟にして、実質的な後継者だったバルカシオン公爵が急死した、らしい。


その報は詳細を明らかにしないまま、帝都から地方へと混乱を含みながら広がっていく。政局に乗り遅れまいと、諸公たちは情報収集と事実の確認、状況の把握に躍起になった。


そして――…。



【見知ラヌ生キ死ニ】


――…《異界》で生まれ育った歌鳥にとって、たった1人の人間の死が国を揺るがす大事だなんて、正直を言えば実感が湧かない。


まして歌鳥はバルカシオンという人物の人となりどころか、悪政とされる政すら身をもっては知らず、世間並みの反感も印象もない。物語の登場人物くらいにしか感じられていなかった。


そのバルカシオンが急死したという報で周囲が慌ただしくなる中で、歌鳥は置いてきぼりの気分になっている。


身体の下に車輪の震動を感じる。カーテンを引いた車窓から外の様子は見えないが、時刻は深夜に近いため、見えたところでどうと言うこともないだろう。

車内に灯りはない。停車する時間を惜しんで進む道行き。


歌鳥の向かいの席では、肩から毛布を掛けたユーリンが車窓に頭をもたれて静かな寝息をたてている。暗がりでも判る程に、彼女の寝顔にはどこか疲労の色が濃い。


疲れているのは歌鳥も同様なのだが、ユーリンの場合は心労も重なっている。バルカシオンの死は、彼女にとってまったくの他人事ではないから。


ユーリンは若くして、リーヴダリルの信仰の頂点、聖地ヴァナディースの神官長代理の地位にある女性だ。


歌鳥は彼女との付き合いは決して長くないが、普段の振る舞いや言動から、彼女の真面目な性格は察しがつく。思い詰めて身体を壊すような事にならなければ良いが。


――…数時間椅子に座ったままの姿勢で、歌鳥の身体はもうすっかり固くなっている。肩や背中が、少し痛い。

ほんの少しだけ身動ぎをしたとき、身体に掛けていた毛布が足元に滑り落ちた。それを拾おうとしたとき、歌鳥の手よりも先に横から伸びた手があった。


「あ」


「なんだ、起きていたのか……」


それは歌鳥も同じ思いだった。

歌鳥の隣で、ずっと気配もなかった女。聖地の長シスター・クローディアの付き人であり、今はユーリンの護衛の務めを自らに課している女戦士・アイラ。とうに眠っているのだと思っていたのだが。


ひそめた声と、その仕草。それらすべてが研ぎ澄まされた刃のような女の手から毛布を受け取り、歌鳥はちょこんと頭を下げた。

切れ長だが穏やかなアイラの目が、労るように歌鳥を見る。


「眠れないのか? 休んでおかないと体がもたないだろう」


「……はい」


ユーリンを起こさないよう、2人の声は自然と小さく密やかなものになる。


「ユーリンさま……、とても疲れてらっしゃるみたいですね……」


ユーリンはその身分を笠にするような事はなく、むしろ年少者の世話を甲斐甲斐しく焼くような女性だ。そんな彼女が歌鳥よりも深く眠り込むなんて、よほどの事だと思う。


「バルカシオン、公が……亡くなった事って……、とても大変な事なんですね」


歌鳥の口から零れた一言に、アイラが顔を向けた。その視線を正面からは受け止められず、つい歌鳥は顔を伏せてしまう。


「――…すみません、他人事のように」


「――…いや、実際にお前には他人事だろう。仕方がない。

かく言う私も、バルカシオンの生き死には他人事だ」


歌鳥は首を傾げた。癖のない亜麻色の髪が肩の上を滑る。


アイラはリーヴダリルの人間ではない。リーヴダリルに滅ぼされた、ログクロートの人間だ。だが。


「祖国が滅びた時、私は生まれてもいなかった。

バルカシオンはログクロートが滅ぼされた当時のリーヴダリルの将だが、ログクロートは一度たりとも私のものではなかった。私のものでなかったのだから、私はバルカシオンに何も奪われてはいない。


そんな人間の生き死になど、他人事以外の何ものでもなかろう」


どこか自嘲すら滲むアイラの口調。


けれどユーリンは違う。ユーリンにとってのバルカシオンは。


「本当に肉親である可能性さえある……」


「……ユーリンさまが、クローディアさまのお子さんかもしれないから、ですか?」


クローディアとバルカシオンは叔父と姪にあたる。


「でもユーリンさまは」


自分がクローディアの娘である可能性は低い、ユーリンはそう言った。


聖地の本来の長であり、先の皇帝の一人娘であるクローディア。彼女はかつてログクロートの皇太子妃だった。

ログクロートが滅ぼされる前、彼女はリーヴダリル側へ和睦の使者として出されたが、それは叶わず身柄を拘束された。その間にログクロートの都は落ち、クローディアの夫を含めたすべての王族が死に絶えた。


だがそれから一年の間。クローディアのログクロート王室離籍の手続きの間に、彼女は密かに子を産んだらしい。

らしい、と言うのは、その子が出産の直後に母親からも引き離され、完全に匿われてしまったからだ。その行方を知るのは、産婆をつとめた侍女ひとりだという話だが、彼女は既にこの世にいない。


そのログクロート王室遺児ではないか、と言われていた候補のひとりがユーリンだった。

しかしもう1人、クローディアの子である可能性を示唆されていた人物がいたのだ。ユーリンは、その人物こそがクローディアの子であろうと語った。


しかしそれを抜きにしても、バルカシオンの死がユーリンの立場に影響を与えることは確かだ。今この国の二大勢力は、バルカシオン派とクローディア派に分けられるのだから。政に関わらないとはいえ、聖地におけるクローディアの後継者という立場上、ユーリンはクローディア派の筆頭格と言っていい。


「バルカシオンの死によってリーヴダリルの勢力図が変わることは間違いない。混乱も起きるだろう。バルカシオンはある意味で独裁に近い統治者だった。奴には後継者と呼べるような者も、特に重用している部下もいなかったと聞いている……」


つまり。


「……代わりが、いない……」


アイラが頷いた。


「帝都イザヴェルの混乱は必至だ。かと言って対抗勢力である諸侯13連名の介入も難しいところ……」


クローディアは本来は政に関わる立場ではない。その彼女を王位争いに担ぎ上げたのが、バルカシオンの登極に反対する諸侯13連名だった。

だが彼らは都の中枢にはない。諸侯13連名とは、そもそもリーヴダリルの各地方を治める領主たちの中から選ばれた豪族、その代表者たちだ。各地の民の代弁者という体だが、それゆえに意見に確固とした統一性があるわけではなく、発言権はそれほど強くない。


「……あの……」


躊躇いながらも、歌鳥が口を開いた。


「バルカシオン公が死んで……、それで混乱が起きて……、……その混乱で、人は……死にますか?」


正直、国の情勢などと言ったスケールの話は、歌鳥にとって他人事以上に無関係で実感の湧かない話だ。

だとすれば、歌鳥が懸念するような事などそのくらいしかない。


「たくさんの人が傷ついてしまうような混乱が起きるのでしょうか」


「……わからない」


アイラが低く答えた。


「バルカシオンを失って帝都側がどう動くのか、私には予想がつかない。


弱気になって諸侯13連名に政権を譲るか。それともバルカシオンの後継たらんとする者が現れて、逆に諸侯13連名と真っ向から対立するか。


まったく方向の異なる可能性ばかりで、そのときにならなければ私には分からないんだ。情けない話だが」


歌鳥が目を伏せ、紺碧の瞳を長い睫毛で翳らせた。


「――…私のいた国では、政治で人が死ぬなんてありませんでした……」


その呟きに、アイラが切れ長の目を滑らした。


「……《異界》、か?」


「……はい。外国では違うけれど……、私の生まれた国は、もう何十年も戦争とかとは無縁で……」


「そうなのか」


「はい。何処へ行くにも、武器なんて誰も持たない国です。剣なんて持ち歩いていたら、それだけで犯罪になるくらいで」


「……それは……、すごいな」


感嘆とも呆れたとも聞こえるアイラの声に頷いて、歌鳥は続ける。


「だから……戦争とか……、怖いと言う前に実感が湧かなくて……。戦いはセヴァルスタで一度経験してますけど、でもやっぱり――…、目の前に迫らないと、私はすくむことさえ出来ない……」


他人事だ。本当に。

いま目の前にいる女性にとっては、本当に命運の懸かった出来事なのに。


こういう時、久しぶりに感じる。自分が“異物”だという事を。

それは歌鳥にとっては当たり前のことで、受け入れていたことだ。それに傷ついたことは、少なくとも“こちらの世界”に来てからはない。


けれど。


(私がいま生きている世界は、此処……)


だから、それは歌鳥を取り巻く確かな現実。


(たとえ現実感がなくても、何処かで失われる“いのち”は現実……)


確信を持たなければならない。

ここは歌鳥が生まれ育った世界ではないから、どうしても、長年あちらで積み重ねてきた常識が現実感を削いでしまうけれど。


(目を逸らしたら、いけない)


此処で生きているのは歌鳥なのだと、一瞬たりとも忘れてはならない。

でなければ――…。


“飲まれて”しまうから。



【見知ラヌ憎シミ】


――…顔も見たこともない男が、行ったこともない街で死んだからと言って、何が変わることもない。

少なくともクリスにとっては。


だが、周囲はそうではないらしい。周りの人間との温度差をここまで露骨に感じるのは久しぶりだ。セヴァルスタでレジスタンスに参加していたとき以来か。


身体の下に車輪の震動を感じる。カーテンを引いた車窓から外の様子は見えないが、時刻は深夜に近いため、見えたところでどうと言うこともないだろう。

車内に灯りはない。停車する時間を惜しんで進む道行き。


布に包んだ愛槍を抱えた姿勢のまま、クリスは椅子の上で両膝を立てている。隣で眠る少年の頭が腕にもたれかかって来ていて、迂闊に身動ぎできない。

日頃から子ども扱いされることを嫌って、幼いながらも常に気を張っているケイヴィン。しかし一旦糸が切れてしまうと、その眠りは深そうだ。


クリスは向かいの席を見た。クリスにとってあまり長い付き合いではない鈍色の髪の青年が、いつの間にか目を覚ましていた。何やら思案するように、自身の膝の上で組んだ手に視線を向けている。


クリスはぼんやりと、その青年の顔を見た。それに気付き、レックスが顔を上げる。


「あぁ――…、起きていたのか」


「ん」


眠っているケイヴィンを起こさないよう、2人は自然と小声になる。とは言え、クリスもレックスも元から声を張って話すタイプではないのだが。


「眠れない?」


レックスの問いに、クリスは小さく首を横に振った。眠れないほどの心配事など、ありはしない。起きていたのはたまたまだ。


レックスはそれを理解したかのように、いかにも人の良さそうな表情で笑った。


「いろいろと慌ただしくて、ごめんね」


その言葉に、クリスが無邪気に首を傾げる。


「れっくすが謝ることじゃないと思う」


「うん、でも誰かが謝らないとね」


暗がりの中、闇に慣れた目でようやく見て取れるその青年の顔には、邪気の欠片もない。


「状況、よく理解(わか)ってないんだろう?」


その言葉に、クリスは素直に頷いた。


国の情勢など、そもそも興味もなかった。

セヴァルスタでレジスタンスに参加していたのは、その盟主がクリスの育て親だったからだ。それ以外の理由などなかった。


「国、とか……、よく分からないから」


「そうか」


「――…れっくすは」


とても静かな、夜闇そのもののようなクリスの声。


「ばるかしおん、知ってるか?」


「バルカシオン?」


クリスが頷く。


僭王バルカシオン。先帝ヘルヴァルドの実弟にして、かつて国軍最高司令官を務めた男。

クリスの育て親・イリアスが、唯一、憎しみも露にその名を口にしていた人物。


けれどイリアスはバルカシオンとの面識はなかっただろう。会ったこともない男をどうしてああも憎むのか、クリスには不思議でならなかった。


「そうだね、顔くらいなら何度か」


「――…そう、なのか?」


ほんの少し、クリスが目を丸くする。正直、期待していない返答だった。


「実家が帝都にあったからね。式典の時とかに、遠くから。

とは言え僕が帝都にいた頃は、まだ彼は皇帝でも何でもなかった。皇帝の弟として、国軍の総司令官としてのバルカシオンなら、遠目に見たことだけはあるよ。


――…そのときの印象としては、巷で言われているような暴君のイメージは違うかな……。少なくともヘルヴァルドとはまったくタイプが違って見えた。

クリスくんは、ヘルヴァルドは知ってる?」


「しらない」


即答である。これにはレックスも苦笑する。


「バルカシオンの兄だよ。先の皇帝。

年が離れてるのもあっただろうけど、それでもやっぱり2人は似てなかった。遠くからでもそれが判るくらいにね。


あとその当時、バルカシオンは帝都ではそんなに嫌われてなかったんだ。ヘルヴァルドよりよほど器量も良かったし、才覚もあったからね。

しかもリーヴダリル人は英雄志向が強いから、強い軍人はそれだけで好感度が高い」


「つよい?」


「うん。バルカシオンの剣術の腕前はかなり有名だ。まぁ、いくらか誇張はあっただろうけど……。


バルカシオンが嫌われるようになったのは、ヘルヴァルドが死んでからだ。

シスター・クローディアを差し置いて、バルカシオンがヘルヴァルドの後継者として言われるようになってから」


「――…」


けれど、イリアスは。


「れっくすは、ばるかしおんは憎いか?」


「? ――…いや、憎いとまでは。正直、個人的な怨みなんてないしね。

もちろん好きなわけでもないけれど。彼の政は悪政には違いないから」


「……うん」


けれど。


「国、って……、たくさん人間がいる」


「? ――…うん」


「会ったこともない人間ばかり」


「……うん、そうだね」


「……会ったことのないたくさんの人間に憎まれて、死んだことが会ったことのないたくさんの人間に知られて――…。

……ばるかしおんは、どうしてそうなったんだろう……」


イリアスが憎んだ男。クリスにとっては、その存在さえ不思議でならない。


会ったことのない人間を憎む心理を、ある程度ならクリスは理解している。だってきっと、クリスもそうだから。きっと憎まれているから。

戦場で、クリスは数えきれないほど人間を殺した。クリスが殺した人間にも、家族はいたはずだ。クリスはその家族の顔も知らないし、その家族もクリスを知らない。けれどきっと、クリスはその家族に憎まれている。


クリスはそれを不当だとは思わない。当然だと、今は思う。


少し前まで、クリスは憎しみを理解していなかった。イリアスの死でさえ、クリスに悲しみ以外の感情を与えなかった。

イリアスを殺した相手を、クリスは憎んでいない。それに、その相手はすでにこの世にいない。クリスがその手にかけたから。けれど、それだって相手が憎かったからじゃない。イリアスに追い打ちが掛からないよう、ただ敵として槍を振るっただけだ。


殺させたくなかった。

死なせたくなかった。


けれど、イリアスの死を不当だとは思わない。きっとクリスは、死ぬのが自分自身だったとしても同じことを思ったろう。


殺す覚悟は、殺される覚悟だ。殺そうとした相手に殺されたのだから、何の間違いもありはしない。

否、自身が死なない為に殺すのだ。殺すことは、殺されることを前提としている。


(……でなきゃ、おかしい)


クリスは自身の思考がこの世界の大多数とは異なることを、理解してはいるけれど。


(……たくさんの人間に憎まれることは――…、たくさんの人間に殺されること?)


殺す覚悟は、殺される覚悟。

憎まれる覚悟も、きっと、殺される覚悟に似ている。


セヴァルスタでレジスタンスを旗揚げしたとき、イリアスはそれを“生きるための戦い”だと言った。殺されないための戦いだと。


(……誰が誰に殺されないため?………)


こんなこと、以前のクリスなら気にもしなかった。他人が他人に向ける感情などより、明日の空の雲行きの方がよほど気を引かれる。


なのに今になってそんな事を思うのは、たぶん、クリスの中でイリアスの面影が少しずつ虚ろになってきているからだと思う。


まだ半年も経たないのに、何年もすぐ近くで過ごしてきたのに、もう、一拍おかないと顔も声も思い出せない。


だから、クリスはイリアスの存在を確認したいのだと思う。何を思い、何を考えていたのか。

クリスだけの視点ではなく、誰かの視点でのイリアスを知ることで、クリスの中で薄れてゆくイリアスに再び息が吹き込まれるような気がするから。


イリアスが憎んでいた男。クリスの知らないイリアスの感情。


それはある意味、その男がイリアスの一部であるという事ではないだろうか。


***

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