◆沈黙の王の系譜
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語らざるは、善
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【沈黙の王の系譜】
――…遡ること4年前。リーヴダリル暦406年、第28代皇帝ヘルヴァルド5世が崩御。
彼は生きている間に後継者を定めないまま、その生涯を閉じた。
そもそもヘルヴァルドは、リーヴダリル皇家に生まれた男ではなかった。皇女との婚姻によって皇族に名を列ね、義父であった当時の皇帝の指名で即位したのである。
つまり、彼は正統な皇族の血を引いていない。しかし彼が先帝の指名によって即位した正統な皇帝であることに、間違いはない。
ただ、ヘルヴァルドが即位する数年前から、皇太子を含む皇族の男子や近親がことごとく非業の死を遂げるなどして姿を消した。このことから、彼の即位には当初から黒い疑惑がつきまとった。
そんな周囲の目を一身に集めながらも、ヘルヴァルドは玉座に就いた。彼の娘であり先帝の直系の血筋である皇女クローディアが後年即位するための“繋ぎの王”として、ヘルヴァルド登極は黙認されたのである。
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しかしクローディアが成長すると、隣国・ログクロートから彼女に縁談が舞い込んだ。
ログクロートは、かつてリーヴダリル建国の前にウィルカナスの侵略によって土地を追われ、砂漠を越えて新天地を求めた人々の建てた国だ。リーヴダリル人とは祖先を同じくする民族である。
ログクロートはリーヴダリルとの友好関係を築くため、この縁談を持ちかけた。それが建国以来、ログクロートの民の“悲願”だったから。
ログクロートは長年、リーヴダリル――…父祖の大地に焦がれてきた。
だが、同胞を置き去りにして新天地を求めたことの負い目を、ずっと抱え、ずっと受け継いできたのだ。
しかし、リーヴダリルの民の方にはログクロートを“負け犬の国”として語り継いできた暗い歴史がある。
そのため、リーヴダリルの重臣の中にはクローディアをログクロートに嫁がせることに難色を示す者も少なくなかった。
しかもクローディアはその当時、リーヴダリル帝国の第一皇位継承者だった。そんな彼女を国外へ嫁がせるこの縁談は、当然のごとく猛反発を招いた。
クローディアは女王としてリーヴダリルの御位に就くことを望まれていたのだ。
だが、ヘルヴァルドはその縁談を断行した。自身の一人娘を隣国へと送りだしたのだ。リーヴダリルの重臣の落胆は大きかった。
かくしてクローディアはリーヴダリルを去り、ログクロートの皇太子に嫁いだ。ゆくゆくは王妃となることが約束されている立場ではあったが、それを喜んだリーヴダリル人は少ない。
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――…しかしそれから数年と経たぬ内に、リーヴダリルとログクロートとの間で戦争が始まった。
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発端は、リーヴダリルの重臣のひとりがログクロートの貴族に斬り殺されたことだった。
両国の重役が顔を合わせ、親睦を深めるべく設けられた席での事だ。
殺された重臣は、クローディアの輿入れに猛反対した……少し過激な言い方をするならば、反ログクロートの思想をもつ男だった。
酒も入っていたのか、宴席でログクロートの貴族に執拗に絡み、ひどい侮蔑の言葉を浴びせかけたと言う。
それにしばらくは堪えていたその男も、遂に堪忍袋の緒が切れた。
彼は剣を抜き、リーヴダリルの重臣に斬り掛かった。首から肩にかけての一閃、斬られた男は即死した。
その事件が起き、リーヴダリル側はログクロートに賠償を求めた。
人1人が命を落としたのだから、無条件での示談はあり得ない。加害者の引き渡しや極刑を求めなかっただけ、対応としては穏便な内に入るだろう。
だがログクロートはこれを拒んだ。
加害者が被害者に受けた侮辱、これに対する謝罪がなければ賠償には応じない、と返答したのだ。
加害者の行いは正当な報復だ、という論調がログクロート国内で広まったためである。
両国互いに一歩も引かず、長らく続いた緊張状態は両国の各地で起きた小競り合いから発展し、そして戦争へと激化した。
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ただ、そこまで至ったことはログクロート、リーヴダリル共に不本意であったろう。
特にログクロート側にとっては。
長年の冷えきった国交に友好の手を差し出したのは、ログクロートからだった。
歴史的な背景もあるが、貿易面での利益追求の事情もある。
ログクロートの国土は岩山や荒野が大部分を占める、痩せた土地だ。鉱物などの産物はあるが、決して豊かな国ではない。
リーヴダリルと友好関係を結ぶことは、建国以来の悲願であると同様に、否、それ以上に、実益を求めてのことだったのだ。
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――…リーヴダリルの正規軍が国境近い聖地ヴァナディースに陣を進めるに至り、ログクロートの王は遂に和議を申し入れることにした。
もともと争いを望んでいたわけではないし、ログクロートは物資に乏しい。リーヴダリルと真正面から戦って、勝ち目があるとも思えない。このあたり、未だログクロートにはリーヴダリルに対する“劣等感”が染み付いていたのかもしれない。
ログクロート王は、そもそもこの戦争はリーヴダリル側にしてみても利益目的のものではないのだから、こちらから詫びを入れればすぐに手を引くはずだ、と考えたのだ。
そうしてログクロート側の使者に立ったのは、リーヴダリルから嫁いできたクローディアだった。当然と言えば当然の人選である。
聖地ヴァナディースに陣を布く若き国軍総司令官は、王弟バルカシオン公爵。クローディアにとっては叔父にあたる人物だった。
当初、交渉は決して困難なものにはならないであろうと、ログクロート側は予想していた。
バルカシオンはクローディアとログクロート皇太子の縁談でリーヴダリル側の代表として何度も使節に立っている、親ログクロート派のはずだったからだ。
それに加え、かわいい姪の懇願ならばバルカシオンも態度を和らげるであろう、と。
しかし、その期待は裏切られた。
クローディアがバルカシオンの陣を訪れた後、2人の間にどのようなやりとりがあったのか、詳しい経緯は明らかになってはいない。それは当事者しか知らないことだ。
交渉は決裂した。
クローディアはその身柄をヴァナディースに押さえられ、リーヴダリルの軍勢はさながら烈火の勢いで国境を越え、ログクロートの皇都まで攻め上り、その都を落とした。
火を放たれた城の中で皇帝は焼死。クローディアの夫だった皇太子は、他の皇族と共に塔から身を投げて自殺した。
かくしてログクロート王国は滅びた。
そして戦争は終わった。
――…それだけで終わったのだ。
リーヴダリル軍はログクロートの城を焼き、皇族を根絶やしにし、そして引き上げた。破壊の爪痕だけを残し、ログクロートを打ち棄てた。
占拠するでもなく、支配するでもなく、ただ蹂躙だけが目的だったかのように、他には何も残さずに去って行った。
これは戦争の結末としては、あまり例を見ない。略奪さえなかったのだ。
あまり例はないが、このような形で戦争が終結したのだから、国の復興は早いと思われた。
兵役に関わるものならばともかく、その戦争は国民の生活にはさほどの影響を与えなかった。城は燃やされたが、リーヴダリル軍は市街地には手を出さなかった。国民のほとんどは家財さえ無傷だったのだ。
だが、リーヴダリル軍が引き上げてから、ログクロートは荒れた。
もともとログクロート国内も、一枚岩ではなかった。リーヴダリルからの移住民と、ログクロートの原住民の間にも、数百年に渡る溝があった。
皇家という統率力を失い、それが浮き彫りになってしまった。
そうして各地で権力を争う派閥が乱立し、ログクロートは完全なる混迷期に突入した。
――…そしてその間、リーヴダリルはログクロートに一切関与しなかった。
いっそ、リーヴダリルがログクロートを属国化するかでもしていた方が、混乱はなかったろう。
だが、リーヴダリルはログクロートを放置した。国境の警備は強化されたが、ログクロート領で起きた問題はすべて“国外”のこととして無視された。
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――…一方、ヴァナディースに拘束されていたクローディアは、ログクロート皇室からの離籍手続きを終え、1年後に皇都イザヴェルへ移った。
一部の官は、これに歓喜した。
何年経てど、ヘルヴァルドを正統な皇帝と認めていない官は多かった。彼らが認めていたのは、先帝の直系であるクローディアの方だったのだ。
クローディアがログクロートから戻り、彼女の皇位継承権は復活したかに思われた。
だが、事はそううまく進まなかった。
その数年後、クローディアは聖地ヴァナディースを治める長として、再びその身を皇都から遠ざけられたのだ。
一説によると、悪政を布くようになった父帝をクローディアが諫め、それをヘルヴァルドが疎んじたが故の追放だとも囁かれたが、真偽のほどは定かではない。
聖地ヴァナディースの長は、代々女性と定められている。建国の英雄・聖女ヴァナディースへの敬意の証として。
むろん聖地を治めるからには、それ相応の修行を積んだ女性でなくては長にはなれない。
歴代のヴァナディースの長の中には皇家に連なる姫も何人かいたが、それは成人する前に数年ほど皇都の修道院で聖職者の道を修めることが、皇家の姫としての教養の一環となっているからだ。
クローディアもそれに倣い、2年ほどの修行の経験がある。クローディアが指名されたのは、決して突飛な人選ではない。
だが、クローディアの事情は特別だった。その当時、唯一、皇家の正統な血を引く姫。
皇家の姫が聖地の長に就くことは異例ではない。だが、聖地の長ともなれば皇帝との兼任は不可能であろう。クローディアを聖地の長に就けるということは、再び彼女を皇位継承の外に置く行為だとして、またも官の反発を招いた。
さらに聖地の長となれば、婚姻も難しい。この国は聖職者の結婚を禁じてはいないが、積極的に勧めるものでもないし、恋愛が修行の妨げになるという概念はある。聖地に所属する位の高い神官は、独身者がほとんどだった。
ましてクローディアは皇族である。自由恋愛など出来る身分ではないし、そのうえ生活する場所が聖地となれば、結婚の可能性など無きに等しい。
クローディアが結婚しないということは、リーヴダリル皇家直系の血が途絶えるということであった。
だがヘルヴァルドは縁談のときと同様、周囲の反対を押し切ってクローディアを聖地へと送りだした。
重臣たちは失望し、そしてヘルヴァルドに問うた。
「クローディアを遠ざけ、いったい後継者をどうするつもりか」、と。
この問いに対し、ヘルヴァルドが答えを返すことはなかった。
彼はクローディアの継承権を否定しなかったが、クローディアを後継者に定めることを明らかに厭うているように見えた。
ヘルヴァルド亡き今、その真意を知る術はない。
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