最高の眺め (ぶっちょ)
「なかなか良い眺めだろう?」
寛容そうな、かつ反論を許さない声が私に降りかかる。
「はぁ」
「もう少し反応がほしいところだけど……まあいいや」
高層ビルの最上階。ほぼガラス張りの構造は、確かに下を眺めるのには最適の場所だった。
「どうしてここを選んだんですか」
「どうしてって、最高の眺めだからだよ」目の前のソファに腰掛ける端正な顔つきの青年は、コーヒーに口をつけてから続ける。「見ろ、下を歩いている連中を」
言われてから窓に再度目を向け、見下ろす。サラリーマンや主婦、学生、営業マン……老若男女職種を問わず、何かに追いかけられているかのごとくせかせかと歩いていた。
「大変そうですね」
「大変だろうねぇ、そこが僕の目の付けどころさ」
「は……は?」私の反応にくつくつと笑いながら説明してくれた。
「いわば働きアリだよ。せっせと女王様のために働く、ね。そして女王様とは僕らのこと……それを再確認できる最高の場所だと思うが」
「……『福祉と成長』がスローガンの人がおっしゃる話ではないかと」
「綺麗ごとはこの際なしだよ、君」すっくと立ち上がる。「政治に綺麗ごとは御法度だ。クリーンな政治なんてマスコミは騒ぐが、雑菌0のところで生活したいかい? 所詮は『白河より田沼』が真理なんだよ」
私が何か言う前に、「さてと」と再度ソファに座りなおした。
「本題はここから。実は今回の市長選において君の他に3人、僕の専属の秘書になりたいという女性がいる」
「あの、市長秘書候補では」
「高支持率な保守党のお墨付きがあるし、第一ここは僕の親父の地盤だよ? 若さアピールも相まって当選はまず間違いないね」だから、と顔を近づけてくる。「君もどうすれば僕の秘書になれるかよく考えることだね。特に」
「特に?」彼の指がわたしの太股を這う。
「しっかりと君の『体』とも相談してほしいな」
――パシン。
気がつけば、殴っていた。
大物代議士の息子を。人一倍イケメンな顔を。
慌てて「失礼します」とだけ言い残し部屋を出る。去り際に振り向いたが、彼はもう私に興味が失せたのかににたにたしながら窓を眺めていた。
子供の頃から、本当に秘書になりたかった。
自分が政治家に向いていない性格なのは分かっている。むしろサポートが得意だからこそ、この国を変えてくれる政治家の秘書を目指して必死に勉強してきた。そして若くて賢いと評判の候補の秘書になれるチャンスが回ってきたのが、他でもない今日この日。
なのに――理念も経歴も無視して、最初から『体』を要求してくるなんて。
悔しくて目頭に涙がたまる。頭が芯から熱くなってきて、体が無意識に震えた。
「もし」
所詮そんなものなのか。私の理想が高すぎただけなのか……
「大丈夫ですか」
「は、はい?」振り返ると、ひょろっとした男性が立っていた。さっきほどイケメンとはいえないけれど、誠実そうな顔立ちをしている。
「いえ、泣いてらっしゃったので……」
「どうでもいいでしょう」
「ご……ごめんなさい、ただそこで泣いていると目立ちますから、こっちに」
間抜けな話だけど、そこでようやく周りの好奇の目が集中していることに気付いた。頭の中が真っ白になって、誘われるがままにすぐ近くの建物についていく。
古びた中堅ビルの二階にあるそれは、看板をみるに「市長選候補・佐々木洋一」の事務所のようだ。
でも正直選挙事務所らしいのはその看板だけ。狭い階段を上った先には大量の段ボール箱がなおざりに置かれ、机も少なく、選挙事務所と言うよりは小型倉庫。
「随分と……その、狭い事務所ですね」言ってからハッとして口元を抑える。でも佐々木さんは笑ってくれた。
「はは、僕を推してくれるのは有志ですからね」
「野党の民進党とか共民党とかは」
「ここ、保守党の大物議員の息子が立候補しているでしょう? 負けが怖くて推薦してくれませんでした」
「そうですか……じゃあ、スタッフも」
「大体大学時代の友人や家族です。僕の机や事務机の設置を手伝ってくれたりしてくれて助かってます。特にイラストレーターの友人には看板や政策集のデザインで世話になりました」
ふと、机に置いてある小冊子――政策集と言うよりはサークルの広報誌に近い製本――を手に取る。
細かい分析や必要な犠牲など、綿密に考え出されたであろう政策の数々。これだけでもさっきの男の「福祉と成長」を連呼した中身のないものより数歩先をいっている。でも現状は、中身のないあいつが圧勝の様相。
「問題は僕も友人も皆事務が苦手でしてね。やむを得ず仲間内では相対的に事務のできる僕がさっきも窓際の事務机でしてたんです。そうしたら、あなたの姿が窓から見えて」
「……優しいんですね」
「単なるうざいお節介焼きですよ」佐々木さんは途端に苦笑いした。「わざわざごめんなさい、呼び止めて事務所に連れてくるなんて余計なお世話でしたよね」
折角ですからお茶でも用意しましょう、と言って奥に引っ込もうとする。
その瞬間、心の中で光のようなものが見えた。
この人だ。この人なんだ。
「私をここで働かせてください!」
「……え」ぽかんとする佐々木さん。
何を言い出すんだと迷惑に思われたかもしれない。それでも私は藁にすがるがごとく、言葉の続く限り懇願した。
「もしお金がないならボランティアでも結構です! えっと、事務やサポートには自信があるので、その……」
「いいん……ですか?」
「お願いします!」深々と頭を下げる。
こんなことをする時は大体屈辱的だったけど、全くそんな感じはしない。それよりも一つの明るい確信が生まれた。
――この人こそが、私が支えたかった人なんだ。
それから私の生活は一変した。
秘書研究はひとまず中断。ホームページも作ったし、ツイッター、フェイスブックにアカウントを作って友達に宣伝した。ポスター・ビラも作って、炎天下でも大雨でも配った。
大変じゃないと言えば嘘になる。何十人もの人と話をして、無視されることが大半なビラ配りを続けて疲れはたまる一方、給料はくれるけど大した額じゃない。
でも――辛くはなかった。
佐々木さんも選挙ボランティアも優しい人ばかりで、余所者の私をちゃんと受け入れてくれたし、なにより休憩がてら事務机の前にある小さな窓に目を向けるのが、とても楽しい。
表情が見えなくてアリに思えた人達も、それぞれ色々な表情で歩いていた。そこには女王なんて存在しない、本当の人々がいた。
これが私にとっての、最高の眺め。
時の流れははやいもので、気がつくと市長選の開票直前の夜を迎えていた。
もうすぐ当落発表が行われるけれど……事務所の中には入れず、外のビル前をうろうろしていた。
考えたくない。けれどもし、落選してたらどんな顔をすればいいのか。
残念でしたねで終わらせられることでもないし、選挙運動はほとんど私の立案。折角の期待の新人を落とした責任を、どうとれば――
「風邪引きますよ」
「きゃっ!? ……さ、佐々木さん?」一気に現実に引き戻される。声のした方を見ると、いつの間にか佐々木さんが事務所から降りてきていた。
「事務机の前の窓からあなたが見えたので、どうしたのかなと」
「あ……」私としたことが。毎日見ていた窓の存在をすっかり失念していた。
「みんなテレビに釘付けですよ、ここじゃ風が冷たいですから、あなたも事務所に入りましょうよ」
「そ……そうですけど……」
「……分かってますよ。結果が心配なんでしょう」
「も、もし最悪の結果になったら、私……」
ここにきてみっともなくどもる私の肩を、佐々木さんは優しく叩いてくれる。
「どんな結果でも、あなたが僕を一生懸命支えてくれたことは変わりませんよ。僕にとっては敏腕秘書や有能事務員と言うより、最高の『パートナー』です」
その言葉に、背中をとんと押された気がした。
「佐々木さん……当落関係なく、これだけは言わせてください」
佐々木さんに向き直る。あの世襲候補を殴った後と違って、胸の奥が熱くなった。
「私、佐々木さんのことが――」
速報です。J市長選では当選有力とされていた甘野充氏(31)が落選し、無所属の佐々木洋一氏(25)が僅差で当選し、大番狂わせとなりました。保守党の全面支援を受け当選確実とされた甘野氏は、報道陣へのコメントを拒否しています。では明日の天気を――
恋愛ものを一本書こうと思ったものの挫折し、やむを得ず中学生時代の黒歴史倉庫から書きかけを手直しした駄作です。今はちょうどネット選挙運動解禁の流れがあるからいいものの、中学時代にそのまま出してたら「これ選挙違反だろ」と言われてたと思うので正直ホッとしています。
問題は恋愛経験ゼロなのがバレバレということ。
2013/06/14批評会用
一年 ぶっちょ