角田元
桜井幸子宅から角田元が勤める幼稚園までは車で一分とかからなかった。高層マンションの一階に教室があり、目の前には三百平方メートル程度の芝生の園庭が見える。三田が子供の頃とは違って、多種多様な遊具がフェンス越しに並べられている。
二人の刑事は外から中の様子を伺っていた。五十人程の赤と白の帽子を被った子供達がはしゃぎまわっている。
その中に角田元が子供達と遊んでいる姿があった。人気者と思われる彼は三、四人の子どもから全身にしがみつかれて身動きが取れなくなっている。三田には五歳になる子がいる。自分の子も幼稚園ではこういう感じで遊んでいるのかと園庭の園児達に姿を重ねる。
そして三田と林はこの状況から、しばらく車の中で待つことにした。さすがに園児達の時間を奪ってまで事情聴取とはいけなかった。
一時間ほど待っただろうか、園児達が園舎から出てくるなり元気良く送迎バスに乗りこみ始めた。同時に近所に住んでいると思われる奥さま連中は直接自分の子どもを迎えに校門のあたりに集まり始めた。その中には桜井幸子の姿もあった。
幸子は子どもに父親の死の事をどのように伝えているのだろうか。それともまだ伝えてはいないのだろうか。三田は明るい子ども達の姿を見ながら少し感傷的に思慮した。
最後の園児が園を離れたところで、校門で子供達に明るく手を振る角田元が見えた。
「すみません、刑事さんですよね」
すると肩まである髪が特徴的な二十四歳位の男性が刑事の待機する車に寄ってきた。角田はついさっき幸子からの電話があったことは隠しきれないと思った。逆にしらばっくれることで無駄に注視されることを恐れていたからだ。よって主体的に話しかけた。
「先ほど桜井幸子さんから一通りの状況は聞きました。ここではなんですので」と言って二人を園舎内の誰もいなくなった教室へ案内した。
「どうぞ」といって差し出されたのは高さ三十センチもないであろう子ども用のイスだった。そしてそのイスに合った高さの長机に向かい合う形で話を始めることになった。
「それで、すみません唐突で。どこまで桜井幸子さんから話を聞いているか教えてもらえますか」三田は訊く。
角田は物怖じせず、手を所狭しと且つ礼儀正しくひざの上に乗せしっかりとした口調で答え始めた。
「私は幸子さんとは不倫をしていました。ただ私達が会うためには、私が幼稚園を休まなければなりませんので実際は何回かだけの関係と思います。幸子さんが園の行事のお手伝いを積極的にされていたことから次第に仲良くなっていった感じです」
「そんな堂々と仲良くなったと言われても……、相手はご主人も子どもも居たわけですよね」
「良く分かってはいるつもりです。先生という立場ですから尚更というのも分かってはいるつもりです。ただ、気付いたらそういう関係で、冷静になって今の関係を振り返るきっかけもありませんでしたし、というか会えばついついといった感じですので」
彼は悪びれた様子を刑事達には全く見せなかった。
少しは反省をするものとばかり思っていた三田の予感は外れた。三田は横に座る林を見た。彼も彼なりにこの男の態度に苛立っているのか、鋭い目で角田を見据えていた。
「それでは率直に訊きますが、七月二日の夜のことですが覚えていますよね。幸子さんのお子さんの面倒をみられた日なのですが」
「ええ覚えています。確か急用が入り、どうしても行かなければならない場所があるとかで」
「その日幸子さんは何時頃自宅に戻られたか覚えていますか?」
「確か翌日の早朝五時頃だったかと思います。帰って来たときは私はソファーのリビングで寝てましたので、細かい時間まではしっかりとは把握してはいませんが。
彼女は時間も遅くなり新幹線に乗れなかったので、タクシーで帰ってきたようなことを言ってましたから、タクシーの履歴を追えば大体の時間が特定出来るとは思いますよ」
「ちょっと待ってください。となると角田さんは不倫相手の家に堂々と上がりこんだわけですよね。お子さんも五歳ですからもう状況判断能力というか、幼稚園の先生、しかも男性が家に泊まりに来た事をご主人に話してしまうリスクは相当高いですよね」林が声を大きくして何かに気付いたように訊いた。
「そうです、私が最初幸子さんからの依頼を渋って受け入なかった理由もそこです。例えご主人が当日の夜に帰って来なかろうと、翌日もしくはいずれ子どもが父親にこのことを話すでしょうからね。そうしたら私が幸子さんといい仲だと間違いなくバレます」
角田は相変わらず堂々と受け答えている。その態度が三田には不倫を正当化しているようで気に食わなかった。
「しかし最終的にはそれでも依頼を受けていらっしゃるわけですよね」
「そうです。というのもその時謝礼を貰ったんです。
言わなくても刑事さん達は知ることになるでしょうから、今言いますけど一晩三万円です。幼稚園の先生って給料が安いので、ちょっと目がくらんでしまいまして」
「とんでもない話ですね。子どもに確実に悪影響であるにも関らず理性を失って目の前の既婚女性だけでなく、金にまで目がくらんで」
「刑事さんが何とおっしゃろうと、私はそういう者ですから」
「確かに、それは個人の自由とは思いますけどね……」
三田は強烈な嫌味にもあっけらかんとした先生の態度が、尚更気に食わなかった。
「それで7月3日のことですが、先生はどこで何をされてましたか」
「その日はお遊戯会の下準備をするため、朝の七時には桜井さんのご自宅を出てそれですぐ園に向かいました。あ、それで近くの牛丼チェーンで軽く朝食をとり、園に着いたのは七時半頃だったかと思います」
「そのことは誰か証明出来ますか」
「はい、園長含めその日は全先生出勤でしたから」
「分かりました、ご協力ありがとうございました。後はこちらで確認をさせていただきます」
「それで……、幸子さんとは今後どうするおつもりですか。お子さんも先生に懐かれて、ご主人も亡くなってますけど」
「それはまだ考えていません。ただ、さっきも言いましたけど幸子さんとはたまに会うくらいの関係ですから」
そうして角田は刑事達を職員室へ案内すると、来た廊下をまた戻って行った。
三田には気がかりなことがあった。果たして幼稚園の先生がこんなにも乱れているものなのかどうかだ。子供達とあれほど楽しそうに過ごしていた角田が、どうしても人妻と不倫する男には見えなかった。そう信じたいという気持ちがあるのかもしれない。
不倫をすれば教え子に迷惑をかけることになる。悲しませることになることくらい誰にでも分かるはずだ。
三田に導き出された答えは角田の幸子への想いは遊びではなく本気だったということだった。
彼の堂々とした対応が全て嘘だったら……。
幸子の夫である和人と教え子が同じ家庭に居ることが許せなかったのではないか……。だとしたらこれは和人を殺す立派な動機になるはずだ。
林が脇で園長先生などに殺害が行われた七月三日の角田に、いつもと違うところがなかったかを訊いている。
そうして三田が思慮を巡らせていると、園長先生の机の上に置かれていた教員達の出勤簿に目がいった。
彼は片手でそれをあさりながら角田元のものを無造作に探し当てると、七月三日の欄に修正液の跡が残されているのを見つけた。
この園の出勤簿は出勤した日に斜線を引くことになっている。
七月三日の欄には斜線が引かれ、最終的には出勤とはなっていた。三田は指の爪で修正液の跡をこすった。すると丸が現れた。丸は欠勤を意味していた。
また過去の出勤欄に目を移すと、角田が一月に二、三回は有給休暇を消化しているのが分かった。
そして先月で年間に付与される有給休暇は全て消化し終わっていた。それでも今月からは有給休暇ではなく欠勤を使用し、しかも引き続き同じペースで幼稚園を休んでいた。