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桜井幸子

灰色の空の下、嘉子たちは並んでホテルから駅に向かう。

歩きながら嘉子は細谷にぼやいた。「なんか分からなくなってしまったんですが」

「何がですか」


「いやですから、田中さんが実際にホテルで桜井和人さんに会ってたじゃないですか」


「それでどうしました」


「どうしましたって、田中さんはここで桜井さんと不倫をして、それで他の同僚にバレないように、別々にチェックアウトして……。けど桜井さんは翌日の朝までにホテルに戻って合流するわけでもなく、一人でトンネルに向かったわけですよね」


細谷はニヤリとし嘉子の方を見た。

「防犯カメラに写っていた女性は、ほんとに田中慶子だったんでしょうかね」嘉子はきょとんとする。

「それってどういうことですか」

「あのカメラは十年以上前のモデルなんです。画素数も低くてはっきりしなくて証拠としては不十分と思うってただそれだけです。それではどこかで旅館が手配してくれたお弁当を食べて、東京に戻りましょうか」


「あっ、そういえば別件なんですけどちょっと訊いてもいいですか。さっきフロントに見せた黒い手帳ってあれって警察手帳ですよね」細谷は頷いて鞄からおもむろに手帳を取り出し、嘉子に見せた。

嘉子が中を見ると警官姿の男性の証明写真と共に、-警視庁捜査一課林健二-と名前が書かれていた。

「この人って……ひょっとして」

「拾ったんです」細谷はそう嘉子に伝え、軽く微笑む頃長野駅は目の前にあるところまで来ていた。


 

その頃東京では三田と林が桜井幸子宅のリビングで紅茶をご馳走になっていた。湾岸の新築マンションの一室の目立つところに桜井和人と子どもの三人仲睦まじい写真立てが置かれていた。


「すみませんね何度もおじゃましてしまって、この度はご愁傷様でした」三田はソファーに座りながら挨拶をし、線香をあげさせてもらった。


「こんな時にすみません。それでお忙しいと思いますので早速本題なのですが、フォーカストラベルの吉田真理子さんご存知ですよね」三田は幸子の反応をじっと観察した。


幸子の目は辺りをさまよい始めた。そして右手で持つティーカップをテーブルの上に置いた。そして一呼吸を置いた。何か観念をした様子だ。

「実は一度お会いしたことがあります」


「そうでしたか。それでそこではどのようなお話をされたんですか」


「いえ、主人が亡くなくなる前日の夜ですが彼女の手ほどきを受け長野で主人に会いました。

吉田さんは主人と不倫関係にあったそうです。というか私も主人の不審な行動から、誰かと不倫をしていること自体は分かっていましたけど」


「そうでしたか」三田は紅茶を啜った。

「それで何をしに長野まで行かれたんですか」

「浮気の真相を突き止めるために主人のところへ行きました。吉田さんが場を手配してくれて。というのも聞いた話で、主人はもう一人吉田さん以外の人とも浮気をしていたとのことでした。田中慶子さんという名前だったと思います。その人の名前でホテルを予約していると言われました。なぜ彼女の名前で予約したかは良く分からないのですが、主人をホテルに確実に呼び出すためとのことでした」


「それで奥さんは七月二日の夜、ご主人にお会いになったわけですね」

「そうです。長野までは新幹線で行きました。そして主人にホテルの部屋で直接会って、突然の訪問でしたから主人ももうそれは本当に驚いていて、すぐに土下座をされました。

それで泣きながら謝られて……。それからいろいろ話していくと私の怒りも少し収まって、結局しばらく考えさせて欲しいと彼には伝えてホテルを出ました」


「失礼ですが、離婚をされるつもりはなかったんですよね。1億円の保険金がご主人にかけられていて、受取人があなたになっていますから」

三田は真偽を確かめるべく鋭く幸子を観察した。離婚によって保険金が受け取れなくなる可能性があるからだ。リビングは凍りついた。


「保険金は主人からの要望でした。万が一のために他の家庭もみなそうしているからとの理解です。ただ保険加入手続きは私の方でやりましたから、刑事さん達が私を疑っているのもわかります。ただ私は主人を殺してはいません。確かに長野には行きましたけど、亡くなった時刻は東京にいましたから」


「ってことは……」三田は片手で頭を抱えながら、少し状況を整理した。


「そうなると奥さんが長野にいる間お子さんはどうされていたんですか」

「無理言って子どもが通う幼稚園の先生に家でみてもらっていました」

「それはおかしいでしょう。先生だって就業時間外まで子どもを見る義務なんてないと思うのですが」三田は身を起こし、幸子に食いついた。

「いえ、角田元さんというのですが、凄く教育熱心な方で。お願いしてしまったこと自体はあまりよくないことと私も思っています。ただ、細かい内容までは話していませんが、特別な理由があってと伝えたら、快諾してくれたんです。

うちの子も先生によく懐いていますから、喜んでいましたし……」


「そうですか」三田はどうしても角田元が子どもの面倒を幼稚園以外でみてくれたことが腑に落ちない。角田元という先生に謝礼を払ったのか、それとも……。


「それはやっぱりおかしいですよ。奥さんは角田さんと本当はどういったご関係だったんですか。男女の仲になってたというタレ込みが届いているのですが」三田を差し置いて林は携帯電話の画面を開き幸子に手渡した。

ハッキリと写っていたのは幸子と角田が手をつないでラブホテルに入っていくところの写真だった。


「これをどこで……」

「街頭に設置されている防犯カメラです。一昨日の木曜日のものです。ほら、渋谷は犯罪が多いですからカメラも多いというわけです。

ですので念のためもう一度お伺いいたしますが、本当のお二人のご関係は不倫関係ということでよろしいですよね」林は彼女に迫った。


幸子の携帯電話を持つ手が震えている。さらには彼女の電話の画面を見る眼球は、焦点が定まっていないように見える。


三田は横に座る林にこそこそ耳打ちした「お前これどこで入手したんだよ。捜査状なしに防犯カメラの映像使ったのバレたら始末書だって知ってるのか」

林もこそこそと返した。「だからタレこみだって言ってるでしょ」「タレこみっつったって、こないだの携帯の通話記録といい、こんな非合法なタレこみの乱発が上層部にバレてみろ、俺達謹慎だけじゃすまないかもしれないぞ。というか教育係の俺の立場も考えろ」

三田さんいいっすから・・。そういって林は三田の両肩を抱え持ちソファーに落ち着かせた。


幸子は頭を抱えている。目にはうっすら涙が浮かぶ。そして事情を話し始めた。

「これから話すことは子どもと警察に関係のない人には話さないって約束してくれますか」

「はい、私達から状況を言いふらしたりということはありません。我々にも規定がありますから。我々は捜査規程を守る男です。捜査に必要のないことは確実に話しません」


それでしたら。というと彼女は話を進めた。

「私と角田さんとはそういう関係なんです。写真にある通りです。ただ、私も主人が吉田さんと浮気をしていることを前から知っていました。

ですから先日吉田さんから電話がかかってきた時は、きっと主人と別れて欲しいとの内容だと思ったんです。

ただ話を訊いていくと事情はそうではなくて、今までの主人との不倫の謝罪と、田中慶子さんとの不倫のことでした」


「以前から私は何度も主人に浮気の事を提起したいと思っていました。出来ないでいたのはちゃんとした証拠が無かったからです。

主人はずる賢いところもありますから、きっと証拠もないのに話してもシラを切られるだけだと思ったんです。それでは不倫を止めさせることも出来ませんし、逆に主人から私の不倫の話を持ち出される危険性もありました」


「要するにご主人とは不倫のことを話し合いたかったが、証拠もなくなかなか踏み出せなかったということですか」


「簡単に言えばそうです。不倫をしているとはいえ主人は私の主人ですから、一度愛した人ですし、子どものこともありますから、昔の関係に戻れればという気持ちもあったとは思います」


「ですが一方ご主人を殺害すれば、1億円も手に入るし角田さんとの関係もご結婚というステップへ発展させられたわけですよね。彼の方にはお子さんも懐かれているようですしね。何よりあなたはご主人を恨んでいた」


幸子は身を乗り出して反論した。「いえっ、私は主人を恨んではいません。あの日私が長野に行ったのは、しっかりお互いが不倫をしていることを認めあえる環境だと思ったからです。別に主人の浮気だけを突き止めて離婚をするとかそういった目的ではありません。今までの事を水に流すというか、前向きな話がしたかったんです。本当にそれだけです。

それで長野で主人は私に今までの経緯を謝ってくれましたし、子どもの事を考えてやり直せないかとそういった話をしたんです。

それで関係を修復出来そうな状況になったわけですが、しかし今度は逆に私が二人の今後についてもやもやし始めてしまいました。果たして縁を戻しても良いものか。それでその日は結論を出さずにタクシーでとりあえず東京まで戻ることにしました。子どもも角田さんに任せっきりというのも気にかかってましたから」


二人の刑事は出されちゃお茶を空にすると、桜井家を出た。

オートロックのマンションのロビーを出たところで三田は両手を広げ大きく伸びをした。

「おい林、全く状況が分からなくなったぞ俺は」

「えっ、何でですか。角田と幸子の関係は裏が取れましたよね」

「それはそうだけどさ、お前さっきのタレこみ何処から入手した。タレこみをして得をするのが誰かってことだよ」

「それはそうですね。俺は田中慶子を擁護する人からだって思ってますけどね。けど誰かは俺もわかりません。携帯には+009から始まる怪しい番号から情報が届いただけですから」

ほらっこんな感じですから……。


林はタレこみメールを三田に見せながら乗ってきた車に乗り込んだ。三田はタバコに火をつけて、煙を窓の外に吐き出した。


林は煙たそうな顔をしながら「けど桜井幸子は和人に殺意を持ってなかったって言ってましたよね」

「そうは言ってもな、保険金1億だろ。説得力に欠けるというか怪しいよな。けど幸子には犯行時刻にアリバイがあるし、そうなると桜井和人を殺るために角田に依頼したと考えるのが自然だよな」


「三田さん、刑事は足っすよ」

林は元気を取り繕い、三田を奮起させる。

「よしっ、それもそうだな」

二人は早速角田元の勤める幼稚園に行くことにした。


 幸子は刑事が去った後、角田に電話をかけた。なかなか繋がらない……。「もしもし」角田の声が聞こえた。

「私しゃべっちゃった」幸子の第一声を聞いた角田は彼女の声に動揺があることがすぐに分かった。

「えっ、ちょっと待って、人のいないところに行くから」そう言うと逸って角田は幼稚園の教室から出た。


「ごめん、それでどこまでしゃべった」

「元ちゃんと不倫してるって、ごめんなさい」幸子の声は涙声になっていた。

「大丈夫、まずは落ち着こうよ。不倫してたことはきっと幸子が話さなくてもいずれ分かったことだと思うよ」

「なんか私達がホテルに行くとこ、防犯カメラに写ってたみたいなの」

「そうか……。それで話した内容ってほんとにそれだけなの。俺が長野に行く予定だったって話はしたのかな」

「それは話してないよ。ただ必死に話したから、何かを隠してるって気付かれているかも」

「うん、分かったよ。ちょっとごめん、子供達また寄って来ちゃって。うるさいからまた後で電話する。じゃあね」

幸子の電話からは角田の声に混ざって「角田先生彼女と電話してるの」などという冷やかしの声が訊こえてきていた。最近の子供達は如何せんマセているのが常なようだ。


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