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トンネルにて2

 嘉子と三田と林の三人は高速道路を下りて長野市内に入った。時刻は午後三時を回っていた。


嘉子は車の中でただただ、田中が生きていてくれることだけを祈っていた。そして嘉子の生気は、どうすることも出来ない無力さによって抜き取られている。


林は車を道の脇に止めて、ダッシュボードから道路地図を取り出した。ここで念のためトンネルまでの道を確認することにした。

林は三田に訊く。「二人は本当にトンネルにいますかね」

「田中が吉田を殺害するとしても、自ら命を落とすにしてもそこしかないだろ。なんたって桜井和人が亡くなった場所なんだからな。どうせ死ぬなら愛し合うものとして同じ場所を選ぶものじゃないか」


林は納得した。そして自分の携帯電話をポケットから取り出し何やらメールを確認すると、地図を閉じて車をトンネルへ走らせた。



 幽霊トンネルを通り抜けて百五十メートル程進んだところに二人の女性の姿が見えた。田中慶子と吉田真理子だ。

林は彼女達を刺激しないよう大分手前で車を止めた。

途端に後部座席から嘉子が外へ飛び出す。

二人の方へ駆け足で向かう。

刑事達も彼女を後ろから追う。


「田中さんやめてください」

嘉子は二人の五メートル程手前で立ち止まると叫んだ。両肩には力が入っている。田中は目を丸くして声が聞こえた方へ身を捻った。


「どうしてここへ」田中はつぶやいた。

「やめてください」嘉子は二人に歩み寄り、目を赤くし繰り返し叫ぶ。

「やめてください」


田中の手には刃渡り十五センチはあろうかという包丁が握られ、矛先は吉田の方へ向けられている。吉田の脇には熊出没注意の看板が立っている。吉田は崖下へ転落する間際まで追い詰められていた。


「やめてください」嘉子は目を赤くし繰り返す。そして続ける。

「こんなことしても何もいいことないです」


田中は息を吸い込むと声を荒げた。

「あなたに私の何が分かっているのよ。私はもう戻れないの」

甲高い叫び声が辺りに広がった。


「そんなこと言わないで下さい。全部私が悪いんです。田中さんはまだ何も悪い事をしていません」

「何意味分からないこと言ってるの。私が今、ここで、吉田真理子を殺そうとしてるのが分からないの。そして私も一緒に死ぬのが分からないの」

田中が両手で強く握る包丁の刃先が、歩みと共に一層吉田に近づいていく。


「死なないで下さい。それなら私を殺して下さい。田中さんに探偵の報告書見せたのは私ですから」

「何言ってるの。私にだってあれ位の内容なら、そのうち知ってたわよ」


「違うんです。とにかく私は田中さんにこういうことして欲しかったんじゃないんです。私があなたに報告書を渡したのは、あなたに吉田さんの自首を説得してもらいたかったからなんです。桜井さんが亡くなったのは事故ではありません。

だって……田中さんも桜井さんが落とされるところを見てたんでしょ」


田中は勢いよく息を吸い、緊張した体がますます硬直していく。

「そうよ、この女が桜井を落としたのよ。会社の仲間もみんな証人よ」


「だったらそれでいいじゃないですか。吉田さんが刑務所で罪を償えば。証人もたくさんいるなら警察に逮捕してもらえばいいじゃないですか」


「それが出来ないの。この女が同僚を買収したの」

嘉子は買収の意味が分からない。眉をしかめる。


「仲間に口止め料を払ってるの。一人三百万円。みんな受け取る予定なの。これは桜井さんの保険金から出てるの」


「ということは、吉田さんは桜井さんの奥さんの幸子さんとも繋がっていたということなんですか」


「そうよ。この女はそういう奴なの。桜井を突き落とす代わりに保険金の一部をもらう約束をしているの、そうでしょ」


吉田の目はうつろだ。小さな声で「違う」とささやく。


田中は話を続けた。「あなたは桜井幸子がホテルで和人を殺し損ねたことを知って、だったら自分が和人を殺すと幸子に話を持ちかけた。そして保険金の一部を貰うことにした。だけど、偶然彼を突き落とすところを私を含めて五人に見られてしまった」


嘉子は目から熱いものが流れるくしゃくしゃになった顔を気にも留めず刑事のほうを向いた。

「三田さん、田中さんもこう言ってるし、吉田さんを逮捕して下さい。早くして下さい」


「今の状況では逮捕出来ません。証拠不十分なんだ」三田が言う。嘉子達からは少し離れたところで立ち尽くしている。

「そんなの意味わかんない。だって目撃者がいるのに」

「例え一人から事件の証言が得られても、他の四人が事件は無かったと証言する。そうなると……多数決と言った方が分かりやすいかな」


嘉子はくだらない国家権力の無力さに拍子抜けした。目の前でこんな事件が起きているのに、一体何のための警察なのだろうか。


田中には目から溢れ出る涙が赤く染まる頬を伝う感覚などもうない。

「こういうことなの、分かったでしょ、だから私が吉田を殺す必要があるの」


「やめてください。それだけはやめてください。

人を殺しても良いことなんか一つも無い、あなたがお母さん宛に書いた手紙にも書いてあったし。こんなこと田中さんが一番良く分かってるでしょ」


「なんで、どういうこと。あなた私の部屋に入ったの」


「悪いことに巻き込まれたから悪いことをするなんて、意味が分からない。だからといってそれで自分が悪い事をしてしまったら、今度は他の人を巻き込んでしまうことにどうして気付かないの」


「もうこれしかないの、私は戻れないの」


「やり直せるよ、田中さんならきっとやり直せるよ、だってこれからしようとしていることが悪いことだって分かっててするんだから。そうでしょ……」



「悔しい……」

そう言って田中は道路の上に力なく崩れていった。嘉子は田中を抱きこむ。吉田は刑事が乗って来た車のほうへ走り逃げ出していく。


林は腰を地べたに下ろす田中の手から包丁を奪い取り、それを白いハンカチで包むと三田へ手渡した。そして一人で車の方へ歩いて行く。羽織っていたジャケットの胸ポケットから手錠を取り出した。


冷たい感触が吉田の手首にまとわりつく。

「殺人の容疑で逮捕する」そう言うと、右手で握った自分の携帯電話の画面を吉田の前に突き出した。


先ほどあなたの家宛てに送られた荷物です。

四十センチほどのダンボールの中には新聞紙でくるまれた一万円札が大量に詰め込まれていた。

「差出人の名前はあなたのお母さんかと思いますが、宅配便の集荷所の防犯カメラには差出した人の顔がしっかり写っていましたよ。何なら今見ますか」

吉田はきょとんとしている。修羅場を乗り越えた安堵感とは又違った様相を見せる。


「なぜあなたが桜井幸子からこんな大金を受け取ったのか、詳しい話は署でお伺いいたします」


しばらくして県警のパトカーが二台トンネルに到着した。二人はバラバラに車に乗せられて行った。


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