フォーカストラベル
三田と林の二人の刑事は夕刻にフォーカストラベルを訪問した。アフターファイブだからか、前回来た時のごった返していた様子が嘘のように感じた。カウンターには二名の客がおり、吉田はその内一人の対応を行っていた。
三田は店長に吉田と田中のことに詳しい社員を紹介してもらうことにした。佐竹陽子という中堅社員が良いだろうとのだった。社歴も長く、姉御肌なので二人のことも良く知っているだろうとのことだった。さらに前回の三田達が訊き込みに来た時、彼女はちょうど休暇中であり、新しい話が訊けるかもしれないとのことだった。
店長に彼女の紹介を依頼するとしばらくして、百六十五センチ程度だろうか、やや長身の髪をロングに伸ばした女性が事務所脇の通路に現れた。前髪は頭のてっぺんで纏められており、縁なしメガネをかけている。
「事件がまだ解決してないと店長から聞きましたけど」
佐竹は興味深そうに刑事二人に一礼をしてこう訊いた。
「実はそのことで、もう少し深い捜査をする必要に迫られていましてね。というか早い話がやり直しです」
三田は頭を右手で軽く掻くと、一枚の写真を佐竹に手渡した。「ここなんですけどね、桜井さんが転落したと思われる崖なんですが。社内旅行中はこちらまで皆さん行かれましたか」
写真には熊出没注意という看板と周辺の景色が写っている。
「ここで桜井さんは突き落とされたんですか。変態出没注意のところですよね。ここでしたら行きましたよ。というのもトンネル見学が終わって、しかもこんな何も無い場所ですが一時間も見学時間が取られていたんですよ。つまらないトンネルに一時間も。トンネルに到着した時は心霊写真を撮ろうとかで盛り上がったんですけど、さすがに途中でみんな飽きてしまいましてね。崖下の河原で若い男の子なんか遊んでましたよ。私はちょっと上まで道を登ってみようかってことで、ここまでは行きました。確か田中さんも一緒でしたよ」
「それで何か変わったこととかありませんでしたか」
佐竹は指先を頬の辺りに寄せて、少し考える。
「えっと、変わったことも何も。ですがこの看板に着いた時、吉田さんが近くにいました。タバコを吸っていました」
「ということは吉田さんが桜井さんを突き落とせた可能性は十分にあるということですか。吉田さんはトンネル周辺で個人行動を取っていたわけですよね」林が自前の手帳を手に訊いた。
「それはないと思いますよ。私達が彼女を見つけた時も平然としてましたしね。それに彼女は集団行動をしている時いつの間にかいなくなってタバコを一人で吸うという事はよくありましたから。それに……」
「それに何ですか」三田が営業スマイルを取り繕い、安心感を与え話を進めさせようとしている。但し刑事の笑顔はどうもちぐはぐではある。
「桜井さんと吉田さんは以前不倫関係にありましたから。
あっ、これ誰にも言わないでくださいよ。私が言ったなんて吉田さんには絶対。けどここの人達はひょっとしたらほとんどが知っているかもしれませんね。ここの男性社員の何人かは吉田さんにアタックして玉砕していましたから。彼氏がいるってことらしいんです。それに桜井さんと彼女はなんかぎこちないというか、そういう風に社内では接していましたから。私には分かっていましたけどね」
「桜井さんと吉田さんが以前というのは、最近は別れたんですか。といっても不倫関係ですから適切に言うと解消したと言うべきでしょうか」林は眉間に皺を寄せ興味深く訊いた。
「おそらく桜井さんは田中さんと関係を持ち始めたんだと思います。二人が寄り添うところを見たという子もいましたし。吉田さんと奥さんと四角関係になっていたかは分かりませんが」
「四角関係ですかぁ」三田は固唾をのんだ。桜井和人は相当やり手だったようだ。旅行会社はみんなこんな軽いノリなのか自らの定説を疑った。というのも三田には旅行会社勤務の大学の同級生はいるが、彼はそういった浮いた話もなく、逆に女性社会に嫌気がさして女性不信になりそうだと漏らしていたのを聞いたことがあるからだ。よって彼は独身生活を続けていた。三田は前回の失敗を踏まえて、もう少し話を深く訊くことにした。
「それでは少し話しを戻して、田中さんって職場ではどんな感じでしたか」
「彼女はまじめでしたよ。本を読むのが好きとのことで、決して社交的ではなかったのですが、その代わりに言われたことはしっかり最後までやるといった感じです。ですから同僚からの信頼は厚かったと思います」
「別の方からの証言ですが、彼女は社交的というよりかはむしろ暗かったと聞きましたけど。何か社内でいじめに合っていたということはありませんでしたか」
「彼女は見た目があんな感じでしたからね。オタクというか、普通にスウェットとかで出勤したりしてましたし。ですから処女だとか若い子からはからかわれたり、使いっ走りみたいなことをさせられることはありました。その都度私は彼らには注意はしていましたが、なんせ若者ですから。言ってもきかなくて苦労しています」
「それでは、仕事以外なんですが田中さんに彼氏とか親しい友人とかはいなかったんですか」
「そうですね、社内には特に親しくしている子はいなかったと思いますよ。どちらかというとうちの子はみんな派手目ですからね。釣り合いも取れなさそうですし、彼氏もあんな感じだと、いたとはちょっと思えないです」佐竹は両目を右斜め上に向け思考を巡らす。
「それでは吉田さんに好意を寄せていた男性についての心あたりはありませんか。吉田さんにしつこく付きまとっていた桜井さんに殺意を抱きそうな方とか」
佐竹は突然の殺意という言葉に目を丸くし、ひっくり返った声で答えた。
「それはさすがにいないと思いますよ。先ほどもお話ししましたけど、社内の男の子はみんな彼女と付き合う以前に玉砕していますしね」
一通り訊き込みは完了した。思ったより収穫があった。それは吉田には桜井の転落現場に一人でいた時間があったということだった。そうであれば吉田は殺人を実行することが可能であったということだ。
また田中はトンネルで確かに他の同僚と行動しており、一人で犯行に及ぶ時間が取れそうに無い裏づけが取れた。
署に戻る車の中で、三田の運転する脇で林は思考を巡らせていた。車は夕方のラッシュアワーに巻き込まれ、思ったように前に進まない。一つの信号を超えるために、二回の赤ランプを待つ必要がある。
「三田さん、他殺の場合ならですけど、犯人は吉田で決定ですよね。けど引っかかるのは吉田が人を崖から突き落とした後平然とタバコを吸っていたってことなんです」
「タバコを吸うのは平然じゃないからだろ」三田は即答した。
「そういうものなんですかね。吸いたくなったときに吸う以外に理由なんてあるんですか。
いずれにせよ崖下には河原もあって、そこでは男性陣が遊んでいたんですよね。ていうか人が上から落ちてきても気付かないものなんでしょうか。だって人だって重いですから、上から落ちてきたらそれなりの大きな音ってすると思うんですけどね。
ですから吉田も桜井を突き落とした後、バレるのではと内心ハラハラだったと思うので、傍から見ても彼女のそれ位の変化は分かる気もするんですが……」
「だとしたら人を殺して何も感じない輩もいるってことだろ。吉田がやったという状況証拠は上がっているんだ。後はそれに従って捜査を進めればいいんだよ」三田は上から目線で林の推測を一蹴する。
林はそれでも腑に落ちない。青年は理論的に事件を考え始めた。また罪の無い人を犯人にしてはいけない。そうした正義感は新人刑事にはまだ残っていた。
では突き落とした証拠はどうやって見つければ良いのだろうか……。殺害現場を見ていた人は本当にいないのか。先ほど話を訊いた佐竹を含めフォーカストラベル一同が吉田をかばって嘘をついているのではないのか。だとしたら誰から証言を得ればいいのか。林は彼なりの一つの答に達した。
「田中慶子にもう一度話を訊きたいのですが」
「彼女だったらこないださんざん取調べしたろ」
三田は訝しげな表情を浮かべる。
「俺、やはり人を殺した後に平然と出来るなんてあり得ないと思います。それが偶然であってもです。実際同僚達は凄く動揺していた吉田を見たのではないでしょうか。だから俺は集団で彼女をかばっているとしか考えたくないんです」
「まぁそういう風に考えたくないのは俺も同じだけどな。では誰に真実を自供させるんだ。お前はどうしたいんだ」
「田中慶子です。彼女ならきっと証言してくれます。付き合っていた彼氏の桜井を殺した吉田を恨んでいるはずですから」林は体を前のめりにし、三田を見る。向けられる眼差しは強いものだった。
三田は林が熱くなっている姿が嬉しかった。ただのちゃらちゃらした若者だと思っていたが、しっかり信念を持って刑事の仕事を全うしようとしていた。その成長から三田も何か以前の若かった頃の自分を思い出す。
「よし、刑事は足だからな。明日田中慶子に当たってみよう」