縊鬼
「どうしたんだトシオ、元気ないな。せっかく遊びに来てやってるのに」
「ワタル……実はオレ、『くびれ鬼』に取り憑かれてるんだ」
「『くびれ鬼』ぃ? なんだそりゃ」
返事の代わりに、トシオは部屋の壁を指した。
「なんだあれ、ポスターじゃないか」
そこに写っているのは、女の子だった。写真か、生成AIの画像なのかはわからないが。
「いや、くびれ鬼はオレにしか見えないんだ。だから画像を作ってみたんだよ」
「ふーん」
ワタルはポスターをよく見た。
ごく普通の、いや、むしろかわいい女の子がほほえんでいた。飾り気のないTシャツに、ショートパンツだった。
丈が短いクロップドシャツで、腰の細さがよく分かる。
「へ~、腰が、くびれてるなあ。……あ、わかったぞ、トシオ」
「なんだよ?」
「腰がくびれてるから、『くびれ鬼』ってか?」
「ダジャレかよ。でもな、こいつがオレには見えるんだよ。こいつに取り憑かれてるんだよ」
トシオは『くびれ鬼』を真剣に眺めている。
「ふーん、こんなかわいいお化けなら、別にいいじゃないか。でもさあ、トシオ、どうして取り憑かれたんだ?」
ワタルは、とりあえずトシオに話を合わせる。
「どうしてって言われてもなあ……たぶんだけど、町はずれに『首吊り橋』ってあるじゃん? あそこを通ったときに憑かれたんじゃないかな」
「んなとこ行くからだよ。じゃ、オレ、もう帰るぞ。面白かったよ」
ワタルはトシオの話をまったく信じていない。家に帰るころには、そんな話はすっかり忘れていた。
──だが、その数日後だった。ワタルがトシオの自殺を知ったのは。
トシオは、自室で首を吊っていた。
葬儀の後、ワタルは、トシオの両親に部屋を見せてもらったが、遺書も何もなかった。
壁に目をやると、この前見たポスターが破り捨てられていた。
◇ ◇ ◇
──1週間後、ワタルはトシオが言った『首吊り橋』にやって来た。
(トシオ……お前、なんで自殺なんか……)
こんなことなら、あの時もう少し真面目に話を聞いていればよかった。そう思い、ここに来れば何かわかるかもしれないと来てはみたが……。
人気がなく、小さな谷にかかる橋だった。昔から『首吊り橋』と呼ばれているが、由来は不明だ。
橋の向こうの集落がなくなってからは、この橋を渡る者はほとんどいない。
「やっぱ、何もないよなあ」
──いつまでもいても仕方がない。
ワタルは家に帰り、部屋に入るとベッドに寝転がった。
「ふう……」
「おかえり。ワタル」
その声に、ワタルは飛び起きた。
「だ、誰だ!? いつの間に、勝手に部屋に……」
そこにいたのは女の子だった。だが、どこかで見た覚えがある。ワタルは目をこらした。
「……お、お前、トシオの部屋のポスターに写ってた子……!? トシオが『くびれ鬼』とか言ってたやつか?」
「いいえ。似てるけど、あれはあたしとは違う人。あの人は、トシオが死んだから、今ごろ転生してるんじゃないかな」
「転生? なんだよ転生って?」
「あたしたちはね、取り憑いた人が首を吊れば、魂が新しく生まれ変わるの」
「……え? じゃあ、お前はほんとうにくびれ鬼ってやつで、……もしかして、今度はオレに取り憑いたのか!?」
「あったりー」
「冗談じゃない。出てけよ!」
「ダメよ、ワタル、あなたがあたしを呼んだんだから」
「よ、呼んでねえし」
「あのね、あたしたちってさ、本人の許可がないと取り憑けないのよね」
「許可なんかするわけないだろ!」
「許可っていうか、ワタル、トシオの家でくびれ鬼を見たとき、チラッと『こんな女の子なら取り憑かれてもいいぞ』って思ったよね?」
「お、思ってねーよ、そんなこと」
「ダメダメ、ウソついてもダメ。自分の心にウソはつけないよ」
「……う」
実をいうと、ポスターを見たときから、可愛い子だ、とワタルは思っていた。
その子が目の前にいて、あどけない笑顔を見せている。
幽霊は心に隙がある人間に取り憑くと、何かで読んだことがあるが……。
「じゃあ、お前の姿は、オレの願望を投影したもの……?」
「あったりー。……じゃ、おしゃべりはこのくらいにして、あたしといいことしよっか?」
「するって……何を?」
ワタルはどきりとした。
「ねえ、ワタル。首を吊ろうよ」
「え、やだよ。何言ってんだよ」
「そんなこと言わないで、吊ろ」
「やだってば」
「吊ると楽しいよ?」
「そんなわけないだろ」
「あるよ。だって、あたしも吊ったことあるもん」
「え……じゃ、お前の死因って……」
「そ。だからワタルもあたしと同じやり方で死のうよ。ね、ね」
「いやだ!」
「あたしがやり方を教えてあげるからさ。いっしょにやろうよ。ねえーねえー、死のうよ」
「ふ、ふざけるな!」
──その夜も次の日も、くびれ鬼は語り続けた。ワタルの耳ではなく、脳内に。
彼女の姿が見えるのも、声が聞こえるのも彼にだけだった。
昼といわず夜といわず語り続け、首吊りを勧める。
「首吊ろうよ」
まるで、『遊びに行こうよ』といわんばかりの軽さで、くびれ鬼はささやき続ける。
何度も何度も言われていると、だんだんワタルは、ぼんやりと『首を吊ってもいいかな』という気分になってくるのだった。
(まずい……このままじゃまずい。なんとかしないと……)
◇ ◇ ◇
「ね、どうしたの? 本なんか読んで。そんなことより、首吊ろうよ」
図書館を訪れたワタルが読んでいるのは、妖怪関連の本だった。
「ねえ、そんなのつまんないよ。首吊ろ? ワタル」
(……あった!)
『くびれ鬼』のページにはこう書かれていた。
くびれ鬼とは、もとは縊鬼(いき、いつき、いっきと読む可能性もある)といい、首を吊って死んだ者の霊である。誰かに取り憑いて、自分と同じ死に方をさせることで転生できる。
その内容は、くびれ鬼自身が言っている通りだった。
ワタルが本に集中していると、くびれ鬼が耳元でささやく。
「ね、本なんか置いて、首吊ろ? ね」
「うるさい!」
ワタルの声が、静かな図書館に響き渡る。何人かがこちらを振り向いた。
(対策はないのか……?)
読み進めると、『くびれ鬼に取り憑かれた男が酒宴に参加しているうちに、しびれを切らしたくびれ鬼は、他の者に取り憑いた』とあった。
「おい、くびれ鬼」
「なあに? ワタル」
「お前、他に首を吊りたがっている人がいれば、オレから離れるのか?」
「あたしはワタルがいいな。でも、他の人でもいいよ」
(どうやら、それしか方法はないみたいだ。しかし、誰かが自殺するのを見過ごすのもな……。とにかく、こいつの言葉に耳を貸しちゃあだめだ)
──夜、睡眠中も、夢という形で彼女は語り掛けてくる。
(ね、首吊ろうよ、ね、ね)
(いいよ、もう……)
(いいの? じゃ、首吊ろっ)
(その『いいよ』じゃないってば)
──だんだん……変な気分になってきた。
(いいじゃない、首吊ろうよ、ワタル)
(……そうだな。……オレ、首、吊ろうかな?)
(そうだね、吊ろ吊ろ)
──いつの間にか手にしていたロープで輪っかを作り、梁に括り付けると、ワタルはその輪の中に頭を入れた。
踏み台が倒れる音がする。同時に、ワタルの首に一気に体重がかかる。
「うわあ!」
──ワタルは飛び起きた。
「はあ、はあ、……夢か」
いやな夢だ。パジャマは汗で濡れていた。
「……ん? あいつは?」
いつもなら、目覚めたとたんに、くびれ鬼が語りかけてくるはずだった。
ワタルが部屋を出ると、家は静まり返り、両親もいない。ワタルは、居間にあった朝刊を広げた。
「あっ!」
新聞に、近所で自殺があったことが報じられていた。『○○市××町で』と書かれているが、それはワタルの住む町だ。
「まさか……おい、くびれ鬼!」
……返事はない。
「もしかしてあいつ、ついにしびれを切らして、別の人間に取り憑いたのか?」
確かめようがないが、声が聞こえないということは、やつは離れたに違いない。
自由になった。
ワタルは歓喜して外へ出る。見慣れた街並み、景色が、いつもと違って見えた。
行き交う人すらも、生気に満ちているようだ。
ワタルは、つい見知らぬ人にあいさつしたくなった。
いつもはしないのだが、気分が高揚しているせいなのだろうか。手近な人に声をかけた。
「ねえ、首を吊りませんか?」
奇妙なセリフが、ワタルの口から出た。
(わ、何を言ってるんだ、オレは)
通行人は怪訝な顔すらしない。ワタルを無視して歩き去った。
(あんなことを言ったら、変なやつと思われて、そりゃ無視されるわな)
そう思いながら歩いていると、今度は同級生のルミがやってきた。ワタルは声をかける。
「ルミちゃん、首を吊らない?」
(あれ? また変なこと言ってる、オレ)
だが、ルミはワタルを見もしない。
(あれ? ちょっと、ルミちゃん)
ワタルはルミを追い越し、正面に立った。
「ねえ、ルミちゃん、首吊ろうよ」
(あ……まただ、口が勝手に。もしかして、オレ、もしかして……?)
ルミは反応せず、そのまま歩いていく。ぶつかる、と思った瞬間、ルミはワタルの体をすり抜けた。
(体が透ける……? ……じゃ、さっきのは夢じゃあなかったんだ。オレ、幽霊になってるのか)
──まだ夢を見ているような気分だ。そのまましばらく街をさまよい、やがて何かに誘われるように、ワタルは『首吊り橋』に向かって行った。
──
ふだんは人気のない場所に、誰かがいる。見覚えのある人間が。
「……あ、ワタル」
「トシオじゃないか」
「ワタル、お前もくびれ鬼になったのか」
「なったのかって……じゃあトシオ、お前もかよ?」
「そうだよ。オレ、取り憑かれて、首を吊って、くびれ鬼になってたんだ」
「そうだったのか……だから、オレも……」
「じゃあ、ワタル。オレはもう行くよ」
「行く? どこに?」
「転生するのさ。お前が来たからな」
「え? どっ、どういうことだよ、トシオ」
「知ってるんだろ? くびれ鬼は、取り憑いた相手が同じ死に方をすれば、転生できるんだ」
「……え? じゃ、じゃあ、まさか、オレに取り憑いていたくびれ鬼は、トシオ……お前だったのか?」
「あったりー」
「トシオ、お前、よく友達にそんなことが出来るな」
「悪いけど、自分の意思ではどうしようもないんだよ。ま、そういうわけで、オレは行くから、ワタル、お前は頑張ってくれ」
「頑張るって、何を?」
「ここにいて、物好きな誰かが来るのを待つんだよ」
「え……。だ、誰かが来れば、取り憑けるのか?」
「いや、来た人間が『取り憑いてもいいよ』って思わなきゃだめだ」
「そんなやつ、いるわけないだろ!」
「そうだな。だから、オレは運が良かったよ。お前がいて」
「そんな……お、おい、待てよ……トシオ!」
トシオの姿が消えていく。
後には、ワタル1人が取り残された。
──それ以来、ワタルはこの首吊り橋でひたすら待ち続ける。
ごくまれに、誰かが来ることもある。だが、物珍しそうに橋を見ると、すぐに立ち去っていく。
それでもワタルは待ち続ける。
彼には待つしかないからだ。
今でも彼は、首吊り橋で待ち続けている。
いつまでも。
了




