あなたの家族になりたい
今日は休憩日! すみませぬ!
異世界恋愛はまた明日頑張ります!
『E組、浅川希星』
三月。とある高等学校の体育館では厳かな式が行われていた。
クラス順、出席番号順に一人ずつ卒業生の名前が呼ばれ、呼ばれた者から順に舞台へ登壇する。そして三年間の教育課程を修了した証を校長から受け取って降壇し、自分の席へ戻る。
その繰り返しの工程の中、その名前は呼ばれた。
「はい」
聞き馴染みのある名前。呼ばれた女子生徒は席を立つと背筋を伸ばして登壇する。
校長から卒業証書を渡され、深々と下げられる頭。その姿を後ろから見つめながら山田博は物思いに耽っていた。
***
「ねぇ」
新築マンションのリビングでコーヒーを淹れながら、妻の恵子は穏やかな声で言った。
「子供は嫌い?」
その言葉の意味を博は察していた。
コーヒーの入ったマグカップを一つ受け取りながら彼は溜息を吐く。
「得意ではない。俺が好かれそうにないのなんてわかり切ってるだろ」
「じゃあ嫌いじゃないのね」
恵子が分かりやすく顔を輝かせる。彼女の純粋な反応に戸惑い、上手く言葉を返せないまま博は口を閉ざす。
二人の婚姻は当時には珍しく子供を持つ前提で結ばれたものではなかった。ただ互いに惹かれ合い、共にいることを望んだ結果の結婚。勿論互いの両親を含めた身近の者達はいつ子宝に恵まれるのかと期待しているようであったが、博も恵子も彼らに急かされたからという理由で、子供をつくる選択はしなかった。
だがどうやら周りの期待とは別に恵子には子供が欲しいという気持ちがあったらしい。
当時の常識を鑑みれば、当然と言えば当然の考えであったのだが、この話が出たのは結婚して三年が経った、二十九歳の頃だった。
「興味ないのかと思っていた」
「え!? 全女の子の夢でしょ!」
自分の分のコーヒーに砂糖とミルクを淹れ終えた恵子はソファに腰を下ろす。
隣に座るようにと促され、立ちっぱなしだった博もまた彼女の隣に座った。
「子育てに憧れがあるっていうのもあるんだけど」
恵子はコーヒーを一口飲んで驚く。想像以上に熱かったのだろう。
彼女は照れ臭そうに笑った。
「子供って、愛し合った結果に生まれる証でしょ。私たちが共有する大切なもの……そういうのが、欲しいのかも」
「詩的だな」
「揶揄わないでよ。真面目に話してるのに」
恵子はわざとらしく口を尖らせ、甘えるように博の肩に寄り掛かる。
「それに、寂しいでしょ」
「寂しい?」
「私たちって歳が近いから、どっちが先に死ぬかわからないでしょ」
「女性の方が平均年齢は高いんだったか」
「そうそれ」
昨日の朝、テレビで流れていた話を思い出せば恵子が頷く。
テレビに影響を受けやすいのは純粋な彼女らしい性格であった。
「貴方に先立たれた後、独り身だったら寂しいでしょ。逆の立場で考えたらよくわかるはずよ」
「あまり想像はできないな」
「もう!」
博は僅かに頬を緩める。冗談半分の発言ではあったが実際に恵子を喪う想像は出来ていなかった。
恵子の話は少なくとも三十年以上先――還暦を迎えた以降の話なのだから仕方のない事であった。
「頑張ることは増えるかもしれないけど、そうした分だけ忘れられない思い出もきっと増えるでしょ? どうせいつまでも一緒に居られないなら、少しでも多く思い出を作りたいもの」
「あれこれ難しくは言っているが、単純に子供が好きだからじゃないのか」
「それは一番ある」
「だろうと思った」
常に笑顔を絶やさない恵子は子供に好かれやすい。一方で仏頂面が多く感情表現に乏しい博は子供に怖がられる事が多い。だが彼女がいれば子供に好かれない質の自分でも何とかやっていけるかもしれないと博は思った。
何より、博も子供が嫌いなわけではなく、憧れが全くない訳でもなかったのだ。
この時素直に頷かなかったのは、単に照れくささを覚えていたからであった。
だがこの時頷いてやらなかった事を――もっと早くにこの話をしてやらなかった事を、博は悔やむことになる。
――その三日後、恵子は交通事故に巻き込まれてこの世を去った。
***
卒業生全員分の卒業証書授与が終わり、卒業式は予定表通り、滞りなく進められた。
卒業生が退場する姿を見送りながら、博は周りの保護者に紛れて拍手を送る。
それから来賓や保護者も退場を促され、博は正門の前で暫く待たされる事となる。小、中学校とは打って変わり、高校生の卒業式はその後保護者と帰らない生徒も多い。
さっさと正門を通過して帰っていく保護者を眺めながら博は温かな空気に身を委ねる。
やがてメッセージが届いた通知音がスマートフォンから鳴る。『今出た! すぐいく』という内容と共に送られるスタンプとやらは最近流行りのキャラクターのものだと以前聞かされた事があったが、そのキャラクターなど、詳しいことはすっかり忘れてしまっていた。
正門から校舎の方を見ていると、やがて校舎を飛び出す一人の女子生徒――浅川希星が姿を見せる。彼女は博を見つけるや否や、駆け足で正門へと向かった。
「お父さん!」
博のもとへ辿り着いた希星は少し息が乱れていた。
「もういいのか」
「うん。卒アルの寄せ書きだけ秒でお願いして来た!」
「話したりもするだろう。保護者も殆どはすぐ帰って行ったぞ」
「んー、いいや! どうせ春休みに遊ぶし。っていうか、お腹減った! ハンバーグとパフェ食べたい!」
希星の懐事情を博はよく知っている。何でも、女子高生というのは出費が嵩むらしく、小遣いも毎月使い果たしている彼女は、卒業というめでたい日であれば贅沢な外食も許可してくれるだろうと踏んだのだろう。
「どこがいいんだ」
食欲の為に待たされたのかもしれないと内心で呆れるが、そうはいっても今日が彼女にとって特別な日である事には変わりない。
「ここ」
慣れた手つきでスマートフォンを操作した希星が見せたのは有名なファミリーレストランだ。
博がわかったと頷いたのを確認して案内を始めようとする希星。そんな彼女を博は呼び止めた。
「希星」
「うん?」
「写真を撮っていないだろう」
「あー」
『卒業式』という看板を指せば、忘れてたと希星が苦笑する。
「じゃ、一緒に撮ろうよ」
「一緒に並んだら撮れないだろう」
「自撮りがあるじゃん」
「あれは全身が映らない」
「相変わらず変に頑固だなぁ……」
意見が合わず、希星が苦笑いする。
その時だ。校舎から何人かの生徒がやって来る。
「あ、ラッキー。おーい」
希星が生徒達へ手を振る。友人らしい彼女達もまた手を振り返す。
希星たちは合流するや否や話を始めた為、博の肩身はすっかり狭くなってしまった。
「卒業しても遊ぼうね希星~」
「うん! ……あ! ちょっと写真撮ってくれない?」
「いいよー」
話が一段落したところで希星が自身のスマートフォンを友人に預け、博を見やる。
「ほら、撮ってくれるって」
「別に一人でいいだろう」
「またそういう事言って。ほら、早く」
希星は看板の右隣に並ぶと博へ反対側に立つよう促した。
急かされるようにして渋々言われた通りにする博。
すると正面に立った希星の友人がスマートフォンを構え、合図を出す。
「じゃあ行きますよー、ハイ、チーズ!」
何回かシャッター音が聞こえた後、友人が希星へスマートフォンを返す。
「はい」
「ありがとー! いい感じ」
「いいえー」
友人は博と希星を交互に見てから、微笑ましそうに問う。
「おじいちゃん?」
博を示して投げられた問いに希星は目を瞬かせる。だが博としては彼女がそう思うのも無理はないだろうと思った。
「違う違う! お父さんだよ」
「あっ! ご、ごめんなさい!」
「いいえ。良く間違われるので」
「まあ実際老けてるもんねぇ」
申し訳なさそうに頭を下げる女子生徒へ気にしなくていいと返す博の隣では希星が愉快そうに笑っていた。
昼食を食べるべく学校を離れる二人。
初めは希星が学校での話を聞かせ、博がそれに相槌を打つような会話が続いた。しかしそれも時間が経てば少しずつ減り、途中からは二人共何も話さず並んで歩くような時間が増えた。
博は元々口数が多い方ではない。それ故に希星の話題が尽きればこうなるのはいつもの事であった。
緩やかな坂を下っていく。数分間、互いの沈黙が続いた後、遠くに見える桜並木を眺めていた希星は徐に口を開いた。
「反対されるかと思った」
「何が」
「専門学校行くの」
希星の進路はアニメーション関係の専門学校への入学だった。
博は返す言葉に迷い、口を閉ざす。するとそれを察したのか、希星が話を続けた。
「お父さんって頭固いじゃん。あと、何となく厳しいイメージがあったから」
「そんなに厳しくした覚えはない」
「そうだね。今思えば、変にこだわりが強い所以外は言い方がぶっきらぼうなだけだったかも」
言葉選びが上手い方ではない自覚は博にもある。だからこそ希星の言葉に何も返せないでいると「冗談じゃん」と笑われる。
だがそれ以上、希星は自分から話そうとしなかった。彼女はただ、博の顔を覗き込んで彼の答えを待っていた。
博は言葉に悩み、考え込む。そしてその過程で過去を思い返し、目を細める。
「お前の人生だからな。自分の選択に責任が持てるのなら、好きにすればいい」
「責任?」
「アニメを作る人になろうが、なれなかろうが、なったあとやめたくなろうが、その先でまた選択するのはやっぱり自分だろう」
成人年齢が引き下げられ、今や希星も大人の一員となった。
だからこそ保護者のエゴだけで当人の幸せを形成するようなことはできない。その様な考えが博の中にはあった。
そして何より――
「お前が自分のやりたい事を主張したのは、初めての事だったしな」
博の言葉が意外だったのだろう。希星は目を丸くした。
「そうだっけ?」
「ああ」
「結構我儘言ってない?」
「それは最近の事だろう。いつだってお前は遠慮がちだった」
***
山田博と浅川希星は実の親子ではない。
博のはとこ、その子供という所謂『遠い親戚』が希星だ。
希星は、物心ついた頃には既に父親が居らず、母親に育てられてきた。
また希星の母親――博のはとこは博と面識がなかったが、彼女が親戚と折り合いが悪く連絡先などを殆ど断っていたらしい事だけは博も耳にしていた。
そしてある日。彼女は首を吊って死んだ。博があとから聞かされた話では、交際していた男と無理心中を図ったとの事らしかった。
親戚の中だけで小さな葬式が行われたが、実際は死者を悼むよりも、彼女の生前の素行の悪さに対する愚痴や、その娘の身元の引き受けをどうするかという相談をする為の場のようになっていた。
結局博は、喪った母の葬式で腫れ物のように扱われていた希星と、大人達の険悪そうなやり取りに見かねて彼女を引き取ることにした。
希星を引き取ったのには衝動的な判断もあったが、それ以上に恵子を喪った事が大きかった。
初めて子供を欲しがった事、そして死別した後の事を考えて寂しいと言った事。
彼女が亡くなる数日前の話。頭の中に残り続けていたその言葉が博の中に過ったのだ。
それに加えて、身近な人物を亡くした事が自分の境遇と重なった事もあるだろう。
こうして引き取った娘との生活。
それは博の想像を遥かに超える、困難の連続だった。
希星は殆ど話さない子だった。ほぼ他人に等しい、面識のない男の家で住むことになったのだから委縮するのは当然であった。
しかしどうやら誰に対しても心を開かない性格らしく、近所の大人達に優しく声を掛けられようとも、笑う事も挨拶を返す事もしなかった。
そんな消極的な性格が、どうやら希星の個性だけに起因するものではないらしい事に、博は早々に気付いていた。
希星が家に来てすぐ、彼女の体には痣や引っ掻き傷のようなものが出来ている事を知ったのだ。
母親の評判の悪さ、そしてその怪我の痕から彼女がどのような境遇にあったのかは何となく察することが出来た。
しかし、どうしたのかと本人に問おうとも彼女は答えることをしない。
言いたくないのなら無理に話させる事でもないと判断し、それ以上の言及を避ける事にしたが、この辺りから博は希星へ対する接し方が余計にわからなくなっていった。
母親に日常的に暴力を振るわれていたのだとすれば、大人――それも見知らぬ異性と共にいるのは恐怖を抱く要因でしかないのではないかという考えが生まれたのだ。
今の環境に慣れるまでは彼女の警戒心が和らぐように、優しく接してやろうと博は決めた。
とはいえ、『子供に優しく接する』が具体的にどんな行為を指すのかが博にはわからない。
怒らず、出来るだけ柔らかな物腰で接そうと決めていた博はある時、希星の緊張を和らげる為に、彼女の頭を撫でようとした事がある。
しかし自分の頭に伸びた手に気付いた希星が見せたのは怯える様子だった。
今ならば日常的に暴力を受けて来た子供が見せるその反応の意味も理解することが出来る博だが、当時はそうではなかった。
子供に疎かった博はそれを自分に対する拒絶の様に捉えてしまい、彼女と接する距離感に悩むようになってしまった。
それから暫くはぎこちない関係が続いた。希星が怖がるならばと、博自身も彼女へ必要以上に接することをやめたのだ。
ぎこちない関係が三ヶ月続いた頃。
仕事を終え、保育園まで希星を迎えに行ったある日のことだ。
担任の先生が困った様な顔で下駄箱前まで姿を見せる。
「山田さん、こんばんは」
「こんばんは」
「あのー……すみません。希星ちゃん、今少し駄々を捏ねていて」
「駄々を?」
博は自分の耳を疑った。希星が駄々を捏ねる姿など見た事がなかったのだ。
「一体何で?」
「それが……お家に帰りたくないって」
この時の衝撃は十年以上経っても尚、博の記憶に鮮明に残る事になった。
博が希星の教室を訪れると、希星は部屋の隅で膝を抱えていた。
「希星」
鼻を啜って泣いていた希星は博の声を聞いて顔を上げる。
「帰りたくないのか」
希星は何も言わなかった。ただ、気まずそうに俯くだけ。
担任の先生には自身の気持ちを打ち明けても、博にはそうしなかった。
「……俺と一緒は嫌か」
ここで首を横に振られようと、連れて帰るしかないのだが。そんな事は理解しながらも、博は気付けばそう問い掛けていた。
希星は驚いたように再び博を見た。そして彼の顔を見ると更に大粒の涙を流して首を横に振る。
「いやじゃない」
そう言って希星は博の服の裾を握った。
下駄箱で靴を履いている希星を遠目に見つめていると、担任の先生が博へ声を掛けた。
「やっぱり大変ですよね。急に子育てとなると」
「そうですね」
入園の為の面談で、既に保育園には家庭の事情を粗方話していた。それを知っていたからこそ、担任の先生は博を気に掛けて声を掛けてくれたのだろう。
「元々、子供から好かれるような質ではありませんから。怖がらせてしまったのかもしれません」
博の吐露に、先生は微笑んだ。
「子供って、優しくされるのが好きっていうよりも、それ以外が怖いんじゃないかと思うんですよね」
突然投げられた話の意図が分からず、博は先生の顔色を窺った。
「怒られたり、泣いたり、無関心だったり。そういうものが怖いから、安心できる者が好きになるんだと思うんです」
他の先生に手伝われて靴を履き終えた希星が博を見る。
博は担任の先生に会釈だけして、自分の靴を履く為に希星のもとへ近づく。
靴を履き替え、希星に手を差し出す。万が一の事がないよう、幼児の安全を確保する為にも手を繋いでいた方が望ましいのだが、希星がそれを拒絶したらどうしようという迷いが博の中にはあった。
しかし幸い、希星はいつも通り、素直に博の手を握る。
「さようなら、希星ちゃん」
「先生、さよなら」
「ありがとうございました」
すのこの上まで見送りに来た担任へ博と希星は挨拶をする。
すると『山田さん』と担任の先生が博を呼び止めた。
「沢山、お話をしてあげてくださいね」
「……努力はします。ただ、元々会話が得意な方ではありませんので」
担任の助言に困り果てながら希星を見下ろせば、二人の会話の意味を理解していない希星が大きな瞳を丸くして視線を返す。
二人の傍で、担任は微笑ましそうに笑っていた。
「失敗しない人なんていませんよ。私たちだって未だに子供との対話が上手くいかないこともあります。大事なのは、『あなたに関心があります』って伝えてあげることです」
子供は無関心を怖がるという、先程の話を博は思い出した。
「困った事があれば、ご相談くださいね。私たちもお手伝いしますから、一緒に考えましょう」
「……ありがとうございます」
この時の担任の言葉は子育ての責任を一人で負おうとしていた博の気持ちを随分と楽にしてくれた。
博は深く頭を下げてから、希星の手を引いて保育園を後にした。
帰り道。数分程無言の時間が続いたところで博は話を切り出した。
「夜ご飯、食べて帰るか」
これまで二人で外食をする事はなかった。出費の問題というよりも、仕事と子育てで手一杯だった博は二人で外食をするという考えに至れなかったのだ。
また不思議そうに目が丸められる。しかし今度はその顔に期待の色が宿ったのを博は見逃さなかった。
「近すぎる。目が悪くなるだろう」
鼻先がくっつくような距離でお子様用のメニューを覗く希星の姿勢を、博は正した。
かれこれ十分程度悩んでいる希星は未だ自分の夕飯を決められずにいた。
それを黙って眺めていた博だが、そこでふと今日の帰りに言われた言葉を思い出した。
『沢山、お話をしてあげてくださいね』――その言葉に妙な説得力のようなものを感じていた博は徐に口を開く。
「どれで迷っているんだ」
希星は驚いて肩を跳ね上げる。怒られるとでも思ったのか、その表情は硬かった。
「別に、怒ってない」
博がすかさず言葉を付け足す。すると希星は安心したように顔の緊張を解いてからメニューの写真を指した。
「これと、これ」
どうやらハンバーグプレートかオムライスプレートかで悩んでいるらしかった。
博の問いに答えるや否や、希星は真剣な面持ちで再びメニューに視線を移す。よくもまあ、一食にここまで必死になれるものだと博は思いつつ、彼もまたグランドメニューを捲る。
そしてハンバーグのページを見つけるとそれを指し示す。
「これを少しあげるから、オムライスにしなさい」
メニューに載る大人用のハンバーグの写真がよっぽど魅力的に映ったのだろう。希星はすぐに頷いた。
その反応が、あまりにも素直でわかりやすく、この三ヶ月間の空気を読み合うような家の雰囲気は何だったのだと、博は拍子抜けした。
だが同時に彼は自分の幼少期を思い出し、子供とは本来こういうものであったかもしれないと考える。
例え拒絶される可能性があったとしても、子供相手に大人から距離を置くべきではなかったのだと、博は自身の行いを深く恥じた。
「デザートはいいのか」
「たべたい」
「好きなものを一つ選びなさい」
初めて希星と距離が近づいたような気がして少し浮かれていたのだろう。
博は希星が喜ぶ姿を見ようとデザートを勧める。
そして少しして、お子様ランチを頼む時と全く同じ展開になった事を悟るのだった。
十分間、バニラアイスかパンケーキかで悩む希星の様子に博は頭を抱える事になった。
***
ハンバーグとパン、スープが並べられ、高校生の希星は目を輝かせる。
「汚さないよう気を付けなさい」
「出た! ってか、もう着ないんだから最悪問題ないでしょ」
制服姿の希星と外食をする度、博は同じ注意をした。
中学も高校も、希星の制服は襟が白いセーラー服だった。それが汚れないようにと、今日と同じ忠告が繰り返されてきたが、それも最後だろう。
「いくらしたと思っているんだ」
「それはありがと。ほんとに」
小言が多い博だが、その殆どは会話が不得意な彼にとっての会話のきっかけづくりのようなもので、彼が本当に嫌悪を抱いている訳ではないという事を希星は理解していた。
希星は愉快そうに笑いながら、博の分のハンバーグがやって来るのを待つ。
そしてテーブルに二人分の食事が並んだのを確認してから、手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきます」
互いに食事に集中し、口数は自然と減る。
そして希星のハンバーグが半分程度に減った頃、希星は満足そうに息を吐いた。
「はー、幸せ。朝何も食べてないからペコペコだったんだよね」
「それはお前が寝坊したからだろう」
「違いますー! メイクとヘアセットが大変だっただけですー!」
高校生になってからの希星は周りに影響されるようにお洒落に気を遣うようになった。
好きな人でも出来たのかと何となく聞いた事があったが、どうやらそういう訳ではないらしい。
「お友達とは春休みに遊ぶのか」
「うん。……あ! お小遣いは残ってる分で頑張るから大丈夫!」
「追加であげた事なんて殆どないだろう」
「そうだね。……あ、専門学校行ったらさ、バイトしていい?」
「好きにしなさい」
希星の通う高校ではアルバイトが禁止されていた。その分進学したらバイトをしてお金を稼ぐのだという話は希星から何度も聞かされていたものだ。
やがて希星はハンバーグを平らげ、遅れてやって来たパフェの写真を撮り始める。
そして撮影に満足した彼女がパフェを頬張り始めたところで博は問いを投げる。
「……いつからアニメを作る人になりたいと思っていたんだ」
「アニメーターね。うーん、そうだなぁ……明確に考えたのは高二くらいだったけど、中学の頃から憧れはあったんだよね」
博は希星を引き取ってからというもの、出来るだけ時間を作るようにはしていたが、それでも仕事の都合などで家を空けることがしばしばあった。
そしてそんな時、一人で留守番をする希星の楽しみがアニメだったのだ。
小学校中学年くらいから留守番の頻度が増えて、アニメを見る機会も増えた希星だったが、彼女はテストの点数も悪くはなかった。
その為、テレビを見る時間に制限をかけたりはせず、好きに過ごさせていた。そして気が付いた頃には録画履歴は希星が予約したアニメ番組で埋め尽くされる事となったのだ。
「うちはあんまりゲームとかもなかったじゃん? だから留守番の時に暇を潰す様なのも絵を描くかテレビを見るかとかで……あ、不満とかじゃないよ」
「ああ」
「それでね、小学校で流行ってた深夜アニメのこと教えてもらって、試しに見てから……そこから夢中になって」
希星はいつもよりも早口でアニメの事を話す。それを見て、最近はこうして二人で話す機会も減っていたなと思い至った。
小学校高学年から希星は部活に入り帰りが遅くなったし、中学では休日まで活動している部活に所属していた。そして高校では活動頻度自体はそこまで高くない部活に所属していたが、その分友人と遊ぶ予定が増えて忙しそうになっていた。
そして博自身も、希星が自立していくにつれて仕事の時間を増やし、二人の接点は食事の時間など短い時間の共有程度に留まった。
それはきっとこれからも変わらない。大人になった希星と過ごす時間は更に減り、いつか希星は家を出るかもしれない。
明るい声で話し続ける希星の様子を眺めながら、博はふと物悲しさを覚えた。
食事を終え、昼下がりの道を博と希星は歩く。
「お父さん」
「なんだ」
「ありがとね」
博が隣を見やれば、髪を指で弄びながら頬を染める希星の姿がある。
「何だ、改まって」
「んー、ほら、成人したし、卒業したし。伝えておきたくて」
先程、遠目に見ていた桜並木の中を通る。照れ臭そうにはにかむ希星の頭に、桜の花びらが落ちた。
「私ねぇ、お父さんのところ来れてよかったなぁって思ってるよ」
だからありがとう、と続けた彼女の声を聞き、博は何故だか、目頭が熱くなるのを感じた。
それを希星に悟られるのが何となく癪で、誤魔化すように希星の頭に手を伸ばす。
「希星」
「お父さん?」
「花がついている」
博は希星についていた花弁を取ってやる。そこでふと、ある疑問が過る。
――希星はこんなにも背が高かっただろうか。
今思えば、希星の頭に触れようとしたのは出会って間もなかった頃、彼女に怯えられたあの時が最初で最後だ。
あれから会話を経て、親しい関係を築けるようになっても尚、博は希星の頭に触れることを何となく避けていた。
心のどこかで、同じ様に怖がられることを恐れていたのかもしれない。
(そうか、こんなに大きく――)
「お父さん?」
希星は博の表情を見て目を見開く。
彼女が驚くような顔を見せたところで、博は漸く自分の頬が濡れているという事に気が付いた。
博は慎重な性格であった。物事を悲観的に捉える癖があり、例え誰かと仲が深まろうとも、「それが気遣いによるものであったら」だとか、「自分の勘違いだったら」だとか、嫌な方向へ転んだ時のことを想定し、出来るだけそうならないように選択をするのだ。
だからこそ、希星との仲が深まっても暫くは希星が気を遣ってはいないかなどという心配が彼の中に残っていた。それがあったからこそ、彼は希星に不要に触れる事を避けたのだ。
また、博と希星が異性同士であった事も大きかった。育ての親という立場になろうと、血の繋がりは極めて薄い。そんな相手から触れられて嫌悪を抱かないとも限らないという不安があった。
希星を引き取った当初は、純粋な愛情よりも義務感が強かった。だが共に過ごし、打ち解けていく度――希星を愛おしいと思う感情が、確かに大きくなっていった。
だからこそ、嫌われる事が余計に恐ろしくなってしまったのだろう。
こんなどうしようもない父親が、自分の他にいるだろうか。子供の成長にすら疎いような父親が。
思い返してみれば、随分と苦労を掛けたと思う。
自分はコミュニケーション能力に欠けていたし、成長するにつれて希星の方が博に気を回して話をしてくれるような機会が増えた。
性別が違うからこその戸惑い、女性としての成長に対する正しい対応の仕方も分からなかった。
周りの友人の両親に比べて、自分は年を多く重ねていたし、保護者が同行するような行事で肩身の狭い思いをした事もあったかもしれない。
喧嘩もした。自分が頑固な分、希星が折れることが多かったような気がする。
元々、同年代の子よりも聞き分けが良く、優秀な子だった。
しかし、それに途中から甘えていたのではないかと、今になって博は妙な不安に駆られた。
希星の礼を素直に受け入れられる程、自分は父親らしい事をしてやれていたのだろうかと、博は思った。
出会った時、あまりに小さかった命は今、少し視線を下げれば見つめ合えるほどに大きくなった。
それが嬉しい。だが同時に、悔いている。
「もっと、撫でてやればよかったなぁ」
博は希星の髪を撫でる。
怖がらずに、もっと自分から手を伸ばせていたら、彼女の細かな成長にも気付けてやれていただろうかという後悔。そして頭を撫でられて擽ったそうに笑う希星の様子を見て、今よりずっと寂しさを抱えていただろう幼い頃の彼女にこうしてやれていたらという申し訳なさが湧き出ていた。
「立派な父親ではなかっただろう」
「なにそれ」
博の涙につられそうに、目を潤ませながら希星が笑う。
「お父さんを立派な人だなんて思った事、そもそもあんまりないよ」
希星の記憶にある父親は、頑固で厳しい口調で、仏頂面が印象的な男だ。
しかしそれは彼が不器用な人物であるが故のものだと、成長していくにつれて気付くことが出来た。
博はあまり家事が得意ではなかった。小さな失敗は日常的にあったし、その度に焦り、忙しない様子を見せる父親には確かに立派さは感じられなかったが、希星はそれを気にした事などなかった。
「苦手な事を、私の為に頑張ってくれるお父さんが、私、ずっと大好きだよ」
希星は博の涙が収まったところで甘えるように彼へ擦り寄った。
「あのねぇ、お父さん。もう一つお願いがあるんだけど」
「なんだ」
博が聞き返すも、希星は暫く口籠る。
数分経った頃、話の先を急かそうと博が口を開けば、丁度彼女が声を発するところだった。
「同じ苗字にしたい」
予想だにしていなかった言葉。
博は目を剥いて、希星を見つめる。
引き取る時、希星の苗字を変えなかったのは、まだ幼く世間を知らない彼女の意志を無視してまで揃える必要性を感じなかったからだ。
物事の判断がまだできない子供の意見を無視して、大人の都合だけで変えるような事を博はしたくなかった。
「苗字が違うから本当の家族じゃないとか、そんな事は思ってないけど……でも、やっぱり周りの子が羨ましいなっていうのはずっと思ってて」
これもまた、博が初めて聞く事であった。
「……言えばよかっただろう」
「そうだよねぇ。でも、なんかね……。絶対ないってわかってるんだけど、もしも嫌だって言われたらどうしようとか、ぐるぐる考えちゃって」
希星が明かした胸の内は、博が抱き続けて来た不安とよく似ていた。
彼女の発言が自分と重なって驚いた博は何度か瞬きを繰り返してから小さく笑む。
「私、お父さんの家族になりたい。皆みたいに、山田博の娘ですってわかるような名前になりたい」
緊張した面持ちで話す希星。その姿に、博は答えなどわかり切っているのにと少しおかしく思う。
だが、この気持ちはきっと希星も抱いているものだろうと同時に理解した。
きっと希星へ触れることが出来なかった自分の思いを聞けば希星だって笑ってしまうはずだ。
「……俺の娘だな」
博は小さく呟く。
例え血の繋がりは薄くとも、自分に似た所を引いた希星は間違いなく自分の子だと思った。
「当たり前だろう。お前がそう言うなら、学校が始まる前に手続きを済ませてしまおう」
「やった! ありがとう!」
希星は心の底から喜び、満面の笑みを浮かべた。
帰ろう、と博は呟く。
心は随分と軽かった。無意識の内に抱え続けていた罪悪や不安が全て、洗い流されたようだった。
過ぎた過去は戻らず、子供の頃の希星により大きな愛情を注いでやる事も出来ない。
だが未来は違う。今日、互いの思いを打ち明けた事でより理解し合えたように、これから先は、いくらでも歩み寄る事が出来るはずだ。
これからはこれまで以上に、失敗を恐れず娘と関わって行こうと、博は心に決めるのであった。
二人は肩を並べて歩き出す。
同じ家へ向かって。
***
正午を少し回った頃。
玄関のインターホンが鳴る。
リビングで新聞を読んでいた博はそれをしまってから玄関扉を開けに行く。
「ただいまー」
明るい声と共にずかずかと中へ上がり込む希星。
「相変わらず騒がしいな」
「いやー、久しぶりの実家だからね」
希星が靴を脱ぎ終わった頃、開けっ放しだった扉から人の好さそうな笑みを浮かべた男性が姿を見せる。
「すみません、お義父さん。お邪魔します」
彼の腕の中には可愛らしい服に包まれた赤子がいる。
「預かろうか」
「ああ、ありがとうございます。ほーら、真希、おじいちゃんにただいまーしな」
博は男性から赤子の真希を受け取る。しかし父の手を離れた真希はすぐに大きな声で泣き始めた。
「あーあ。お父さん、ほんっとに子供から好かれないなぁ」
「煩い」
どうしたものかと困り果てながら、赤子の体を揺らす博。それを笑う希星は何故か博を助けるつもりがないらしかった。
「ちょっと希星、手空いてるならお義父さん手伝ってあげてよ」
「えー? ほら真希、いないないーばぁ! ばぁ! ばぁ!」
男性に促され、希星は真希に向かって間抜けな顔をいくつも見せる。
それを繰り返している内、泣きじゃくっていた真希は目を丸くし、やがて先程までの大泣きが嘘だったかのように大きな笑い声を上げ始めた。
「ほらお父さん、今だよ。触ってみて」
「また泣かないか」
「だいじょーぶ。今機嫌いいから。私のおすすめはね、このぷにぷに頬っぺた」
博は難しい顔のまま、真希の頬に触れる。
滑らかで弾力のある肌。初めての感触だった。
真希も目を丸くしてはいるが泣き出す様子はなかった。
「真希ってば、壮真が大好きなんだよ。だからさっき、急に離れたからびっくりして泣いただけ」
「お前も嫌われているのか」
「嫌われてませーん!」
「相変わらず仲良いですね」
壮真は玄関扉の鍵を閉めながら笑う。
希星は二十七になる年に結婚した。相手はアプリで知り合ったという男性だった。
自分が同じ年齢だった頃にはなかった文化に驚かされ、初めて恋人について聞かされた時は心配もしていた。
だが結果としてそれは杞憂で終わる。
希星の夫、壮真は非常に誠実で物腰柔らかな青年であった。
何度か顔を合わせる機会があったが、その度に彼の人柄の良さを感じさせられ、結婚の報告の際も博は何の不安もなく受け入れることが出来た。
博は三人をリビングへ招く。昼食は希星が作ると聞かされており、彼女は事前の連絡通り行きに買ったという食材を持っていた。
「あ、お義父さん。これお土産です」
「ああ。わざわざすまないね」
「さて、それじゃキッチン借りるね。壮真、適当に座っててー。真希の事よろしく」
博と壮真が土産の受け渡しを行っている隙に、希星は冷蔵庫を開けて料理の支度を始める。
「すみません、忙しなくて」
「いいや。学生の頃からああだから気にしないでいい。適当に座っていなさい」
「ありがとうございます」
壮真は真希を抱えてソファに腰を下ろす。
一方で博はソファから少し離れた場所にある、テーブルに備え付けられた椅子に座ろうと考えていたが、それに気付いた壮真が「よければお隣に」と空いているスペースへ座るように促した。
「折角だから、真希といてあげてください」
「……お気遣いありがとう」
博は壮真の隣に腰を下ろす。すると壮真は自分の上で遊んでいた真希を抱き上げて博の膝の上に乗せた。
博は暫くの間、真希が落ちないように気を遣いながら彼女の様子を窺う。
「小さいな」
「これでも大きくなった方なんですけどね」
「そうか。うちは赤子を見る機会がなかったからな」
「希星と暮らすようになったのは五歳の頃なんですよね。やっぱり大変でしたか?」
そこまで話してから壮真は慌てた様子で更に言葉を付け足した。
「ああ、すみません、変な意味ではないんです。ほら、真希は女の子じゃないですか。でもうちは男三人兄弟で男所帯だったから、女の子の事とかも全然詳しくなくて、希星にばかり子育てを任せる事にはならないかと、少し不安に思っていまして」
「ああ」
博は希星と過ごした日々を思い出す。時間が経ってから思い出してみても、中々に忙しない日々だったように思える。
「大変だろうね」
「やっぱりそうですよね。何か気を付けた方が良い事とかありますか?」
「気を付けようと思って上手くいくことは少ないかもしれないな」
最初に失敗して、初めて気付く事ばかりだったと博は話す。失敗するのを恐れる事よりも、失敗した後、どうしていくべきかを考えていく方が上手くいったという話を、壮真は相槌を打ちながら聞いていた。
「それと、子供はすぐに大きくなってしまうから、後で後悔しないようにできるだけ近くにいてあげるといい」
「うわ、それはほんとに気を付けないと。ただでさえ今、毎日バタバタしてて時間すぎるのがあっという間なんで。この調子だと一瞬で独り立ちまで行っちゃいそう」
「いや、気が早すぎるでしょ」
テーブルに料理を並べに来た希星がくすくすと笑う。
「あと何品か作りたいんだけど、お父さん手伝ってくれない?」
「え、俺手伝うよ」
「いーのいーの。壮真は家でも一緒に作れるから。久しぶりに親子で作ろうよ」
「わかった。壮真くん、ゆっくりしていなさい」
博は壮真に再び真希を預け、希星と共にキッチンへ向かう。
「お父さん、野菜切って」
「はいはい」
フライパンで卵焼きを作る希星の傍で博は野菜を切っていく。
希星の帰省は一年ぶりだった。
久しぶりに娘の顔が見れて嬉しい反面、何から話せばいいかが分からない。こういう時に悩んでしまう点は、結局いつまで経っても抜けなかった。
「体調はどうだ」
「なにそれー。悪いように見える?」
ぎこちない会話に希星が笑う。
「お父さんは元気してた?」
「ああ」
「よかったー。お父さん、メッセージも遅いし実際に話すよりも淡々としてるから何考えてるか分かりにくいんだよ」
「最近の機械はよくわからないな。全然慣れない」
「もうすっかりおじいちゃんだねぇ」
「孫も生まれたしな」
完成した卵焼きが皿へ移され、空いたフライパンに油が敷かれる。
「お父さん切れた?」
「ああ」
「相変わらず形がバラバラだなぁ」
「火が通れば問題ないだろう」
大小の差が激しい、乱切りされたニンジンを見て希星が笑う。
博が切った野菜にもやしが加えられ、炒められる。
「困ったことがあれば連絡しなさい」
フライパンと睨めっこをしている希星へ博は声を掛ける。
「子育て?」
「お前よりは詳しいはずだからな」
「そうかなぁ? 家事は私の方が出来ると思うけど」
図星を突かれて黙ってしまう博の様子に希星は肩を竦める。
「冗談だよ、ありがと。子育てって家事だけじゃないしね」
「ああ」
「私ね、お父さんは子育ての天才だと思ってるよ」
「また急に適当なことを」
「本当だって」
希星は炒めた野菜に味付けを済ませ、火を止める。
それを更に盛り付けてから彼女は博へ向き直った。
「だって私、今後悔してることないし、誰かを恨んだりもしてない」
随分皺が増え、背が丸くなった父の姿を見て希星は目を潤ませながら笑った。
「お父さんの娘になれてよかったし、お父さんが背中を押してくれたから好きな仕事も出来てる。こんなに悩みがない、清々しい人間もそうそういないよ」
希星は博を抱きしめる。腕の中に父を閉じ込めながら彼女は無邪気に笑った。
「ありがとう、お父さん。まだまだ元気でいてね!」
「……当たり前だ。真希の成人式の写真は見ないといけないからな」
「その意気だー!」
博は目頭に溜まる熱を堪えるように目を閉じて微笑む。
苦悩しながらも懸命にこなして来た子育ての時間は終わった。
最愛の娘は家を出て一人の時間が増えた。
だが寂しさはあまり感じない。
いつでも自分の思いを伝えられる電子機器が現代には普及しているし、それができる程に互いの心の距離も縮んでいる。
そしていくら思い返しても尽きないだけの思い出が、博の中にはあった。
これから先も、言葉を交わし、希星の新しい家族の近況を見守りながら生きていくのだろう。
――そんな穏やかな未来が楽しみだ。
博はそう思うのだった。
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