II 望まない求婚
「ソフィア・ドゥーカス公爵令嬢、貴女との婚約は今日この時を持って破棄することを宣言する!!」
王国の第二王子である、エイラン殿下の一言が会場全体に響き渡る。賑わっていたパーティーの雰囲気を一転させるには十分だった。
今日はガラニス伯爵家の令嬢である私、アイリーン・ガラニスの婚約披露パーティーである。
ガラニス家の1人娘のアイリーンは同じく伯爵家の次男で2つ歳上のオーティス・アレクサンダーと7歳の頃から婚約をしていたが、半年後に控えたアイリーンの貴族学校卒業を前に正式な婚約披露パーティーを行なっていた。
ガラニス家は王家の忠臣の1つではあったが、格で言うと中の中、取り立てて力のあるわけではない、言ってしまえば平凡な家だ。
対してアレクサンダー家は古くからの名門旧家の1つではあったがこちらも力関係で言えば特に目立つような伯爵家ではない。
ではなぜ、パッとしない伯爵家同士の婚約披露パーティーに王家の人間がわざわざ出向き、更に言うとわざわざ婚約破棄を宣言しているのかと言うとガラニス家の特殊な事情にある。
「殿下…この婚約破棄は国王陛下もご納得の上なのですか?」
婚約破棄を告げられた公爵家のご令嬢ソフィア様は冷静に口を開いた。さすがは将来の王子妃としてお妃教育を徹底して受けてこられた方である。わずかにドレスを握る手に力が入っているようには見えるが、背筋を伸ばし堂々とした佇まいだった。
「貴女のこれまでの所業を陛下が知ったらすぐにでも破棄を許可されるだろう!!」
対してエイラン殿下はかなり、冷静さを欠いているように見える。
エイラン第二王子殿下とソフィア様はアイリーンと学校の同級生で当然ながらかなりの有名人である。ソフィア様はストレートの艶やかな髪を持つ、知的な雰囲気を纏った美人だ。
雰囲気だけではなく、彼女は筆頭公爵家の出身な上、勉学や魔術、礼儀作法、音楽などの淑女の嗜み…全てにおいて全校生徒の模範となるような完璧令嬢なのであった。
そんな彼女が王子妃になるのはある意味当然であり、少し危なっかしい愛すべきお馬鹿さんと陰で噂されるエイラン殿下の手綱を引く事の出来る唯一の人でもあった。
「はぁ…。オーティス様、アイリーン様、そして両家の皆様。婚約披露パーティーを台無しにしてしまって、もうなんと申し上げて良いか…。」
ソフィア様は大きなため息をついてから、この婚約披露パーティーの主役達に気を遣ってくれた。
完全に主役を奪われ、面子を潰された格好だが、両家の両親は苦笑いをしただけだった。
「ソフィア、何を言っているのだ。私の目的はこの婚約披露パーティーを中止させる事だ!!」
エイラン殿下はソフィア様の気遣いをぶった斬り、アイリーンの前までズンズンと歩いて来るとその手を取った。
「アイリーン・ガラニス伯爵令嬢。私は貴女を心より愛している。私は父も母も国をも敵に回しても貴女と添い遂げたいのだ。私と共に行こう。」
そう言ってアイリーンの白く美しい手に口付けをして、走り出そうとした。
聴衆のハッとした息づかいを感じながら、アイリーンは全力の力でエイラン殿下に抗った。
「殿下。僭越ではございますが、お断りさせて頂きます。」
エイラン殿下は、一瞬ぽかんとした表情をみせると驚愕したように騒いだ。
「な、なぜだ??私は貴女を愛しているのだ。その輝くような髪も誰よりも整ったその顔立ちも、歌う様な声も美しい立ち振舞いも…全てを愛しているのだ!!」
そう、ガラニス家の特殊な事情とはその家系の人間はとにかく、とにかく容姿が整ってしまうと言う事だ。
実のところ現在のガラニス伯爵は婿養子である。正式なガラニス家直系の血を引くのはアイリーンの母親で、現在のガラニス伯爵夫人だ。彼女は整いすぎたその容姿から『王国の至宝』と評され、その美貌は王国中の男たちが愛を乞うほどだったとか。その母は今でも若々しく、プラチナブロンドの髪はゆったりと流れ、瑠璃色の瞳はどこか艶かしい。
更に上の世代、アイリーンの祖母は『王国の白薔薇』と謳われ、その美しさは隣国の王族がわざわざ出向き婚約を持ちかける程だったとか。
更にアイリーンの曽祖母は『美の女神』と呼ばれ、大陸中でその肖像画は売れていたらしい。更に曽々祖母は…。
とにかく、ガラニス伯爵家の女性は美しすぎるのであった。人々の噂によるとガラニス家には男性を魅了する精霊の血が入っているとかいないとか。
アイリーン自身もその容姿を褒め称え、『麗しの妖精姫』と呼ばれていた。プラチナブランドの髪は腰まであるにも関わらず艶やかで緩やかなカーブを描き、長いまつ毛が影を落とす大きな瞳は母よりも透き通ったガラスの様な蒼だった。
「殿下、申し訳ございません。」
流れるように礼をして、ゆっくりと顔を上げると殿下を瞳を見つめる。
「…うっ。」
殿下はまるで熱に侵されたように目元を手で覆い、ふらふらと数歩後退した。
「私は7歳で婚約をしてからずっとオーティス様をお慕いしているのです。」
潤んだ瞳を静かに伏せると聴衆の殿方がクラクラと2、3人倒れた様だった。
「不敬は重々承知しておりますが、どうか…オーティス様と結婚させて下さい。」
僅かに薔薇色の形の良い唇を震わせれば、今度はポーっとしてしまった数人の殿方の鼻から赤い線が落ちた。
殿方の様子を見た両家の両親はやれやれ…と言ったように首を振り、周りのご婦人方は眉をひそめ、ご令嬢方はドン引きしていた。
そしてエイラン殿下の様子が明らかにおかしくなっているようだ。
「ガラニス伯爵令嬢、どうか私のものに…」
殿下の瞳から力が抜け始め、ぶつぶつと何かを呟き始めたのだ。
「…アイリーン、落ち着いて。」
アイリーンの肩にオーティスが手を置いた。
少し冷たくて、心地の良い手だった。
7歳の頃から心を許してきたオーティスに触れられると、フッと力が抜けて安心出来た。
すると細波の様に聴衆の熱も和らいで行くのが分かった。
「どうしてだ…私は王子だぞ。大した魔力も地位もない、容姿だって人並みのそんな男が何故良いのだ…」
「…殿下。」
エイラン殿下も少しばかり醒めたようだったが、まだ足元がおぼつかないようだ。
そんな殿下をソフィア様は白いハンカチを渡したり、水を給仕に頼んだりと献身的に支えていた。
「愚息よ。今一度自らを省みるのだな」
「国王陛下!」
そこに突如現れたのはこの王国で最も尊い人だった。全員が臣下の礼をとった。
「よい、よい。今日は堅苦しいのは無しだ。オーティス、アイリーン実にめでたい。」
「陛下、身に余る光栄にございます。」
オーティスの言葉に合わせてアイリーンも淑女の礼をとった。
「ガラニス伯爵家の令嬢の結婚には混乱が付きものだが、それからの活躍に期待しているぞ」