あの方は嘘をついているわね
お風呂をいただいてから与えられた部屋に行くと、八畳の真ん中に布団が二つ並べられている。一瞬ひるんだが、きいは全く平気な顔で着物を畳んでいる。僕はさりげなく布団を引っ張り間隔を開けた。
「ねえ、時さん。あの方は嘘をついているわね」
いきなり砕けた調子で名前を呼ばれた。驚いたが、僕ときいはいとこ同士という設定である。変にかしこまるよりも敬語がない方が自然だ。僕も馴れ馴れしく口を利く。
「きい……ちゃん、どうしてわかるの?」
ひくひくと、きいが鼻を動かす。
「脂汗というのは臭うのよ。目の悪いぶん、あたしは鼻や耳が利くからわかるの。時さんがご当主の話を切り出した時にね、皆一様に、ぶわりと汗をかいたわ。歯をぎっと食いしばる音もしたわ。何かを隠しているのよ。……どう? あたしはお役に立っていて?」
胸が高鳴る。
「うん、ありがとう。きな臭く……なってきたかもしれないね。嬉しいな。順調に終わればいいんだけど」
隠し事を暴ければ、こちらが有利になる。気持ちが軽くなった。
「貴女ばかりが見破るのも悔しいから僕も。次郎伯父さんはもう一つ嘘をついている。……これ読める? 二年前まで度々届いてた次郎伯父から母への手紙だよ」
鞄にしまっていた紙束をきいに握らせる。受け取ったきいは目を糸のように細めてじいっと読んでいたが、急に口元を押さえた。
「あの、なんだか物騒な文句がたくさん、ディクショナリーから引っ張り出したみたいに並んでいてよ……しかも、恋文みたいな?」
「うん。母に宛てた次郎伯父の手紙は総じてヴァライテイー豊かな失恋の恨み言だったのさ。だから母は少なくとも結婚してから、次郎伯父の手紙に一切返信してない。なのに、さっき車の中で、次郎伯父は僕の嫌味がわからず、適当に当たり障りない返事をしたんだ」
次郎伯父にとっては僕は、長年にわたり悪意をつづった手紙を書けるほど悪感情を抱いていた女の息子である。屈託なく迎えられるのはあり得ないのだ。僕の予想を話そうとしたが、眠たげなきいが大きなあくびをしたのでやめにした。
次の日、楽器の音で目が覚めた。琴だ。寝過ごしてしまったらしい。着替えのセエラア服に着替えて部屋を出る。ゆるやかな旋律を追うと程なく、きいが吉野と武子伯母、女中と先日荷物を運んでくれた丁稚を相手に歌を歌う一室を見つけた。
「紫の 袴ゆかしき姫君が、行先いずこ……、ああ時さん、お寝坊ね」
「おはようございます。時太郎さん。きいさんはお琴がお上手なのね。女学校でやるんですの? 羨ましいわ」
「何をおっしゃいます、あたしなんかとても駄目ですわ。吉野さんにはとてもかないません」
「そうなのよう、吉野さんは三味線もお上手なのよう。わたしだけ楽器ができなくて参っちゃう」
武子伯母が身をよじって笑った。
実際に女学校に通っていたでもないのに服に着られぬしとやかさである。十代半ばの女が一人で家を建て直さなければいけない稼ぎ手なのであれば、世渡りが上手くなるのも当然かもしれない。昨日は堅苦しかった吉野も、琴柱をいじりながらくつろいでいる。
「女学生っていいわね、きいさん。お父上の職業は何ですの?」
「東京で医者をしています。あたしの目が良ければ女医になりたかったのですけれども……」
「ふふ、でも女学校に通えるだけでいいご身分よ。私なんぞは置屋に売られてねえ。琴より三味線を持たされて、あちきあちきと自分を呼んで、芸者をしていたのですよ。東京の、新橋で。ここでお内儀さんをする前は」
しっとりした声に滲んだ暗鬱を気取り、きいが返答に窮した。武子伯母が「いいじゃないの都会を知ってんだから」と話をまぜっかえしているのをいいことに、僕が会話を引き取る。
「新橋から、吉野さんが離れていたのは幸いでしたよ。この間の地震で新橋は大変な騒ぎでした。新築されたばかりの駅も焦土になりましたから」




