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狗患い  作者: 青沼がざみ
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母が取られた財産を取り返したいんだ

「母が取られた財産を取り返したいんだ」


 母方の祖父は田舎の地主の次男だった。勉強好きなぶん力仕事は不得手で、唯一の兄弟である長男に虐げられる家から着の身着のままで帝都東京に出てきた。


 詩歌や翻訳・代書に論評などなんでもやって、運良く一角の知識人となった人物で、財産もかなり築いた。


 祖父は優しい男だった。ようやくもうけた一人娘である母が昔の自分のような財産を持たぬ書生と恋に落ちた時、誰にも反対されぬよう、体の弱い彼女が嫁ぎ先でも苦労しないよう、密かにあらかじめ分けておいた財産を渡そうとしたのである。


 だが、祖父の懐が豊かであると勘付いた本家の家長がそこで見計らったように横槍を入れた。己が必死に家を守っている間に都会でふらふらと遊びおるとは無礼千万、足の萎えた父母を看取ったのはこちらだ、家の財政が思わしくないときに自分を差し置いて金を動かすとは恩知らずめと、財産を奪ってしまった。


 祖父は優しい男だった。

 どんなに成功しても本家の長男に逆らえない人だった。あるいは田舎で我を通した時の人の恐ろしさが身に沁みていたのやもしれない。


 財産の譲渡は間に合わず、書生は去り、祖父は憔悴して病没し、母は縁故目当てで売られるように父と婚姻した。その後も本家から定期的に、脅しのような手紙が母の元に寄越され、母を苛んだ。


 母はその過去のせいで、令嬢らしいおっとりとした性格が失われ、贅沢ができない倹約家になってしまったが、家長に知られぬ金銭は大事だと、官僚である父に隠れて作った貯金を死の間際に僕へ託してくれた。


 母と同じく体の虚弱な僕は、忙しい父に顧みられていない。家で威張る後妻にはまだ子供はないが、この先男児でも生まれたら僕の立つ瀬はない。僕と妹の居場所はさらに心もとないものになる。


 取られた財産を取り返さねばならない。母の為、僕の為に。大人には内緒で。


 だから僕は、父ではなく僕に従ってくれる人を探していた。きいが金で動いてくれるなら、母が残した金を使うのは今こそである。


 なんとかして、今回の計画を完遂せねば。一応勝算はある。今は十月末。妹も妾がいなくなって落ち着いて来たところだし、僕が父の選択に影響を与えたので、女中や下男が妹に露骨に尻尾を振るようになった。妹がご機嫌な今のうちに済ませるべきだ。



 迅速第一である。きいと会ってからその日のうちに依頼を許諾させ、数日中にいくつか手紙を書き、きいの元に手紙と小包を送って、急いで旅支度を整えた。体が弱く、母に湯治へ何度も連れて行かれたので慣れたものだ。


 朝早く起きて、旅行鞄と肩下げの革鞄を提げてきいの家を訪ねる。


「おはようございます。本当にいらっしゃった」


「おはよう。準備は整っているようですね」


 きいの旅装は年季が入っている柳行李の風呂敷包みだった。彼女は先日僕が小包で送った着物を着てもじもじとしている。矢絣の銘仙に紫の袴という女学生の出で立ちだ。リボンは娘らしい白である。


「これから何日かよろしく頼みます。昔母が着ていた袴なのですが、丈は合いましたか」


「当世の女学生の間では、短めの袴が流行していると聞いたので問題ないかとは思いますけれども、高価な服を借りて、あたしが汚してしまったら困ります」


「それはお譲りしたのです。お古ですから気軽に着てください。それとも袴はお嫌いですか?」


「乙女心がわからない坊ちゃんですね。確かにあたしは綺麗な銘仙や女学生風に夢憧れていますけれども、それをこの間初めて会ったばかりの子供に簡単に渡されても夢を買われたようで厭な気持ちです」


「じゃあ断ればいいのに」


「……だって、家の修繕費を出してくださるんでしょう? 先だっての震災で、柱は傾くし窓は割れるし。今にも屋根が落ちてくるかもしれない家に住みたくないの。これでお金を頂けなかったらお上に訴えますからね。さ、出発しましょう。駅に向かうのですね」


 腕を貸そうとしたが、頬を膨らませたきいは、入口に立てかけてあった白木の棒……いや杖を手にして前方を確かめながら歩き始めた。機嫌が悪い。乙女心とはまさに秋の空である。

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