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狗患い  作者: 青沼がざみ
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ねえ、もし、僕がもう一つ依頼をしたら、聞いてくれますか?

 体よく妹を自室に返し、運よく女中や下男に会わずに妾のいる離れまで行くことができた。気だるげに煙管をくわえていた妾は、約束もせずに押し掛けた僕ときいにぽかんとしている。


『あたしは憑き物落としの拝み屋だが、どうやらこの家の娘がおかしいのは貴女が原因らしい。家に知らぬ人が増えたことに由来する気鬱である。お妾の貴女には申し訳ないが、家を離れてくれないと病はいつまでも治らない』、挨拶もとりあえず手短に話すきいの隣で僕は肩をすぼめていたところ、案の定妾が泣き出した。


「わっちが気に入らないから追い出しちまおうって腹ですか! こんな、芸事しか知らない、十五の新米芸者のうちから目にかけてくだすった旦那様に囲って貰わなきゃ、野たれ死ぬしかない無力な女を!? 情けをいただいた旦那様に報いようと、わっちこそ身をすり減らして家に尽くそうとしていたのに……。ああ腹が立つ、 子供は懐かないし、旦那様はほとんど家にお帰りにならない! 後妻の癖に威張るあのアマは何だね!?」


 自らを無力と言う女の激しさに腰が引ける。むせび泣く妾の恨み言をひとしきり聞いてから、きいは、手のひらでぺたぺたと畳を確かめながら妾の隣ににじり寄った。


「別宅を貰いましょう」


「アンタに何がわかるのさ。わっちぁ、ここに来たばかりなんだよ? ワガママは御免だと、旦那様に愛想を尽かされでもしたら……!」


「後妻さんとの仲が悪けりゃ、十分理由になりましょう。後妻さんだって、若く美しく、妻としての立ち位置を揺るがしかねない貴女を遠ざけたいのですよ。皆が、娘御を呪ったのはお前だとそしるのだと泣きついて、黒塀の妾宅をもらって、三味線のお師匠でもなさればいい」


「芋臭い小娘が一丁前に説教するじゃないか。そんな、上手い具合に行くはずが」


「大丈夫、ほら、こちらにこの家の跡取りの時太郎様もおります。貴女が悪くないこともご存知ですから、手助けをしてくれますよ。貴女はお若い。まだ二十歳前でございましょう。ワガママが許される齢ですわ」

 さも味方である風を装った、優しくて強引な誘導だった。誰も不幸せにならない甘言に乗せられ、妾は、それこそ憑き物が落ちたような顔をして泣いた。


 その後、犬は存在することになった。妾は翌日帰ってきた父の胸に飛び込んでよよと泣き、驚いた父に珍しく僕が「彼女はしばらく一人で住まわせた方がいい」と援護する。妾がいない方が都合の良い後妻もこれ幸いと恭順する。妹は、妾が荷物をまとめはじめるとあれだけ家人に噂されていたのが嘘のように鼻を鳴らさなくなった。


 急に妾を追い出すのも外聞が悪いというので、妾は密かに、家から馬車で行く距離に住まうことになった。その外聞には、妻と妾を一緒にするなんて金持ちのすることじゃねえや、徳川の世のお武家でもあるまいし、という町人の陰口も含まれていたのだが。


「貴女は憑き物落としをおやりなのに、気の病を信じるのですか」


 帰り道を送る際に、聞いてみる。道行く人が時折、腕を組んで歩く僕らに指を差すが、すでに些末な問題だった。


「憑き物とくくられる事柄には、存外気鬱や癇症も混じっています。病魔とはよくいったものです。憑き物落としを生業にしているからこそ、こういった気の病はよく見分けられるようになるのですよ。狸と狐の悪さと、人がかける呪いとは別のものがあると、あたし知ってるんです」


 きいはすまし顔で目を閉じ、僕に歩調を合わせる。彼女の胸元は僕が渡した謝礼で膨らんでいるがささやかなものだ。薄給の詩人だったら切って痛かろう身銭の量だが、仮にも僕はいいところの息子なので、もっと早く頼めば楽だったと後悔する額である。


 妹の病を見抜きながら、「犬」という憑き物を存在させる方便で、妹と妾と後妻にとっての三方良しを実現させる。鮮やかな手法に感嘆するしかない。その女子にしては高い背が、神がかって見えた。


 だから、もう一つ、僕の頭を悩ませていた問題を、彼女に話してみたかった。


「きいさん、僕は貴女のやり方に、すっかりチャームされてしまった」


「チャーム?」


「魅了されたってことです。ねえ、もし、僕がもう一つ依頼をしたら、聞いてくれますか?」


 声を潜めて頼んでみる。きいは冗談だと捉えたらしい。


「今度はもっといただきましてよ。もう、今日会ったばかりの人に甘えるなんて、かわいいこと」


 今後に期待していないからこそ軽やかに売られた一期一会を前提とした媚に、年下の甘えをもって相対する。


「じゃ、僕の手持ちが多ければ、聞いてくれるの?」


 首を傾げられる。歩みが遅くなる。大通りは、父の後妻や家人の耳目がないから、相談するには好都合だった。


「僕は、家の人には秘密でどうしてもやらなければいけないことがあるんです。でも僕は体が弱くて学校にもろくに行っていないし、頼れる人がいない。貴女とだったら上手くいくかもしれない。貴女の望むものをやれば、僕を手伝ってくれる?」


「んー、あたし、望みが叶うならば女学生になりたいですわね。髪にはリボン、袴に校章、休みにはルビーの指環なんかはめてね、遠足やお芝居を楽しむの。……嘘ですよ坊ちゃん、あたし十六よ。盲学校だってもう遅いくらい。うふふっ、帰るお家が今にも壊れそうなのに袴も学校もないものだわ。からかって悪いと思うけど、坊ちゃんが先にあたしをからかったんですからおあいこ……」


「家だね?」


「えっ?」


「家を建て直すお金があったら、僕の言うこと聞いてくれるね?」




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