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狗患い  作者: 青沼がざみ
2/19

きい

 少女はきいと名乗った。


 拝み屋というのはじゃらじゃらと数珠を提げた老婆ばかりだと思っていたので、僕とそう年の違わぬ彼女が成せるか不安があるが、イタコや口寄せ女は盲の生業でもある。視力の弱いきいにも神秘の霊力が宿っているのかもしれなかった。


 薄暗いが掃き清められた六畳間で、出された茶を飲みながら、妹に憑く犬について話す。部屋の隅にあるひびの入った鏡に、色白で細身の、セエラア服で半ズボンを穿いていても女の子のような僕が身振り手振りで説明する様が映っていた。


「妾が来てから十日もしないうちに、唸り声を上げはじめたんです。何度も何度も無意識に鼻を鳴らすし、首を振り立てるし……」


 いかにもあどけない妹が、赤い着物や仕立てたばかりのかわいい洋装で、簪や帽子が落ちるほど強く首を振るのは痛々しかった。突き動かされるような体の動きは正に野良犬を思わせる。


 と、静かにしていた妹が、くんっと強く鼻を鳴らした。痰が絡んだかのようにうぅっと軽く唸る。持っていた湯呑みから冷めた茶がこぼれ、きいにかかった。妹がうつむいて謝る。


「ほら、こういう風に動くんです。見ましたか? ……あっすみません、見なくとも動きは感じたでしょう?」

「ええ感じました。妹さんが寝ている時にも、このように鼻を鳴らしますか?」


「いいえ。起きている時だけです。皆、妹が、妾に呪われているのではないかと……」


「咳止めは使われた? 熱はございますか?」


「効かないんです。漢方も西洋の薬も何もかも。お医者で治るものでもなさそうだし」


「呪われている、というのではなさそうですが、お妾が理由ではありそうですわね。何度か、こういう症例を何度か拝見したことがございます。何も憑いておりませんよ。恐らくこれは気の病ですわ」


 症例、なぞと学者じみた単語を舌で転がしながら、きいは妹の頭を撫でた。


「風邪でもないわね。えづく、せき込む……鼻を鳴らしているけど鼻水、鼻炎の兆候はなし。お嬢ちゃん口を開けて。喉も綺麗。眠ると症状は消失して、咳止めは効かない。これで緊張や何かで悪化するなら、あたしの見立てでは、心因性咳嗽、異国でいうチックという病です」


「心因性……?」


「……ね、お嬢ちゃん。お妾さんのこと、お嫌いでしょう?」


 妹はぱっと顔を上げて何度も頷いた。


「嫌いよ。だって、わたしのお母様じゃあないのに、お母様とおっしゃい、前のお母さまは忘れておしまいって、わたしを怒るんだもの。行儀よくなさいとか、勉強しなさいとか叱られるし。わたしが遊んでる部屋も取っちゃうし、お風呂だって……」


 きいにしなだれかかる妹の背を撫でる。


「小さなお子は憂さを晴らせるところがないし、不満を口にする語彙も少ないから割にあるんですけどね、身の辛さを我慢していると、こういう風に体に出てしまう場合もあるのですわ。お妾に出て行ってもらえばじきに治りますよ」


「……貴女の話が本当だとしても、妾を簡単に追い出せるなら、苦労はしませんよ。きっと妹はずっとこのままだ」


 こともなげに断言する彼女に驚きながらも、いささかの怒りも含めて呟く。


 そうだ、理由がわかったとて妾がいるままでは状況は変わらない。父が気に入って迎えた妾を、別に折檻をするわけでもないただいるだけの女を、妹が嫌がるからよそへやれと父にねだって何になる?


「犬が憑いたとご家族が信じているなら話が早い。では、あたしをお妾の元にお連れください」


 自分の無力さに忸怩たる思いを渦巻かせていると、きいが腰を上げる。つられて立ち上がった僕の腕に、彼女の腕が絡められた。年頃の少女と触れ合った経験がないので心臓が跳ねる。


 きいは目が見えないから仕方がない、目が悪い人を案内しているのだから仕方がないと言い聞かせながら、左手で妹と手を繋ぎ、右手にすがるきいを先導して帰宅した。

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