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狗患い  作者: 青沼がざみ
14/19

後ろ手に縛られ、目隠しをされ、布を口に噛まされ、歩かされる。


 二人して黴臭い場所に突き飛ばされる。物が積みあがっているのを背中で感じた。おそらく橘家の蔵だ。


 無言で戸が閉められ、鍵のかかる音がした。閉じ込められた。


 晩秋の深夜の蔵の中など闇一色だ。僅かな視界まで奪われたきいがむせび泣く。僕も怖いが、腐っても大和男児で、しかもここにきいを連れてきた責任がある。蔵に詰められた何らかの調度品の箱に後頭部を擦りつけ、目隠しを取ろうと試みる。


 ぎちりと締め付けられた手の縄に比べ、凹凸の少ない頭部に巻かれた布はほころびやすい。数十分奮闘した末、口元の布が緩んだ。


「きいちゃん、今縄をなんとかするから、大丈夫だから、」

 しゃくりあげるきいの嗚咽を頼りに芋虫の如くにじり寄る。きいの体であごを打った。痛みをこらえて唯一自由になった口元で、銘仙の肩をなぞり、背中を辿り、きいの手を縛る縄の繊維を一本ずつ歯で食い千切っていく。


 ささくれた荒縄が唇を刺す。耳ばかりが鋭敏で、二人の吐息と歯先でほぐした繊維が一本ずつ千切れる音が変に大きい。


 目の利かない世界は恐ろしく不安だった。今更ながらここまでついてきてくれたきいの覚悟が染み渡る。

 大変なことに巻き込んでしまった。妹をたちまち救ったきいを信頼して甘えていたが、彼女だって僕と少ししか年の違わないだろう娘なのだ。


 震えるきいの手を唾液まみれにしてどれほど時間が経っただろうか。ぶつ、となわれた縄が裂け、きいの手が解かれた。きいが最初にしたことは、僕の目隠しをほどくことだった。


「時さん、時さん……!」


 目隠しの布が取り払われる。暗所に僕の名前を繰り返すきいの輪郭が浮かび上がっていた。僕の腕の縄がほどかれると、どちらからともなく手を伸ばして抱き合った。血の通いはじめた手が痺れる。二人の体は冷えていた。


「時さん、あたし達、狗患いってことにされて殺されるのかしら」


「流石に地主の身内には……殺すなら明日の食事に毒でも混ぜるよ。きっと、僕らを脅しつけたいんだ」


「次郎伯父は殺されていてよ」


「……とにかく、橘家以外の誰かに気づいてもらわないと」


「どうやって?」


「蔵の中のものを壊して音を立てるとか。あわよくば刃物とか武器が見つかれば万歳三唱だ」


「壊す……高価なものを壊したら今度こそ殺されそうだけど、ここでやれることはそれしかないわね」


 欲を言えば村人が起床する夜明けまで好機を待ちたいが、橘家がどうでてくるかわからないので早めに対処したい。


 手探りで蔵の中にある箱を片端から開ける。着物の入ったつづらや正月用の餅つき臼に用はない。

 陶器の茶碗があったので蔵の壁に叩きつけて、大声で助けを呼んでみた。僕の叫びは分厚い蔵の壁に阻まれ、しまいには声が枯れ、咳き込む。駄目だ。気を取り直して蔵を漁る作業に戻る。


「きいちゃん、いいものがあったかも」


 奥にあった桐箱を開けると三味線が出てきた。吉野は芸者をしていたと話していたが彼女のものだろうか。

 楽器であれば大きな音が出せる。調子の戻ってきたきいが僕を褒めた。


「お手柄じゃないの。あたし、琴より三味の方が得意よ。都会のお嬢さんがやるには下品な楽器だから、朝は黙っていたけれど、何しろ母の商売道具ですもの」


 三味線をきいに渡すと、きいは正座し、試しに鳴らして首を傾げてから糸巻をちょっといじる。


 きりきりと調弦がなされ、今朝披露した琴より力強い音色が、びいぃぃぃ――ん……と虚空を震わせる。 

 きいは三味線を持ち直し、深く、深く息を吸い、一拍止めた。



 歌いだした。


「千夜通うても 逢われぬ時は 御門扉に ソリャ文を書く」


 浅草が地震で瓦礫に埋まる前に、浅草の芝居小屋でオペラを見物したことがある。

 オペラ女優の恋歌も喉は人の原初の楽器であると知らしめるような歌声だったが、今夜のきいの声量と比べれば足元にも及ばないだろう。琴を弾きながら口ずさんでいた細い甲高い声など嘘みたいな、夜を裂く、虚空を通る、喉を張った見事な歌声が村中に広がった。


 わんわんわんっ! 


 叫び声に勝る歌声に、村で養われている犬が吠え出す。


「すごい……」


「母に習った瞽女唄よ」


 僕の感嘆にきいが息を継いで答える。


「瞽女の歌う門付け歌や説話は地方の娯楽です。瞽女は、情報をもたらし、閉ざされた冬を歌と鳴り物で満たす客人で、言い寄られることはあれど敬われる存在です。この声を聴けば村人はきっとあたし達を助けてくれるわ。あたしがいいとこのお嬢さんじゃないことは知られてしまうけれど」


 幾分自慢げな説明を添えて、きいは瞽女唄を朗々と歌い上げる。 ばちも使わない爪弾きは、指先から血が出そうな荒さだ。にわかに外が騒がしくなってきた。


 大事にしてしまえば、橘家が隠そうとした様々な秘密も、村人に知れてしまうだろう。そうであれと思う。


「御門扉に 文書く時は すずり水やら ソリャ涙やら」


「かわいがらんせ 勤めのうちは いずれ女房 ソリャ妻となる」


 蔵の外から犬共の騒ぎに続いて、絶叫。狗患いに侵された当主のものだろうか。



 そして蔵の戸が強く叩かれた。


 とうとう村人が発見してくれたのか、それとも橘家の誰かだろうか。


 きいと僕の間に緊張が走るが、僕達の行動は期待以上の成果を上げたらしい。



「時太郎君! お嬢さん、そこにいるのは君等なんだな!?」


「おまわりさん!」


 蔵の戸が開けられた。蔵に沈殿する夜闇は、かかげられたランタンの光に散らされる。


ランタンを片手に掲げているのは、今日共に菓子を食べた、純朴そうな巡査だった。

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